かもい岳の絶景を歩いて堪能する歌志内ルート
歌志内のルートは前編でも紹介したようにワンウェイルートである。そのルートを往復するというのはなんとも興趣が削がれるものである。往きのときに気付かなかったことが何かないだろうかと目を皿のようにして歩いたのだが…。
これまで歩いた市町村でもワンウェイルートのところが沼田町、三笠市とあったが、それらのルートはスタートからゴール地点を目ざすという片道を歩く完全なワンウェイルートだった。
フットパスの楽しみは、初めて訪れる自然や街の中に、新たな光景や事実を発見するところに大きな喜びがある。
ところが往復ルートだと、復路は同じ光景を再び見ながらのウォーキングとなり、何となくつまらない。できれば周回コースが理想なのだが、歌志内のように炭鉱で栄えた街はどうしても谷あいに街ができるので、ワンウェイのルートしか設定できないのかもしれない。
※ かもい岳散策路には写真のような案内板が要所要所に設置されていて、安心でした。
さて、かもい岳温泉(スキー場)を後にした私はかもい岳の麓に設定された「かもい岳散策路」に導かれた。
散策路には小さいながら親切な案内板が用意されていたので安心して先へ進むことができた。
散策路の途中に小さな山小屋風の建物があった。私が想像するには、市民の方が週末に友人や家族と楽しむための山小屋のように見えた。
※ この山小屋風の建物は週末を友人たちと過ごすには絶好ではないですか?
※ 広い草地の中に微かに轍があるのに気づきましたか?この轍が進む方向です。
※ 散策路の一部には写真のようなワイルドなところもありました。
30分ほどの散策路を歩き終えると、コースはかもい岳温泉を目ざした道路に還り、復路となった。
往路の時にも目に入っていたのだが、道路が上がり始めるところに市立病院と特別養護老人ホームが併設されていた。そこで面白い(?)ことに気付いた。
特別養護老人ホームの正面に施設名を記した門があったのだが、その施設名をよく見ると「歌志内市」という部分が黒くペイントされ消されたようになっていた。「あれっ?あるいは運営者が代わったのかな?」と思って周りを見ると「北海道光生舎」と名の入ったワゴン車が目に入った。
帰宅して調べてみると、やはり運営者が歌志内市から北海道光生舎に代わったとのことだった。
※ 黒く塗られた部分に「歌志内市」と書かれているのが判読できますか?
※ 施設の前には「北海道光生舎」と記されたワゴン車が停まっていました。
ルート上はその後元来たサイクリングコースを行くことになっていたのだが、私の中での禁を破って、並行して走る国道を行くことにした。
しかし、歌志内市の郊外の道路沿いは過疎地の様相を呈していて寂れた街の表情を見せてくれるだけだった。
※ 閑散とした歌志内の街並みが寂しく映りました。
ゴール地点の「道の駅 チロルの湯」に着いた私はこの「そらちフットパスウォーク」に取り組み始めた途中から意識し出した市町村の名物を買い求めるために道の駅の売店を覗いた。歌志内市はどうやら漬物の生産・販売に力を入れているらしい。
そこで数多く販売していた漬物の中から「しょうゆ漬 国産味胡瓜 漬物処チロル」と表示された一袋(500円)を購入した。
帰宅後、試食してみたがなかなか美味しい漬物だった。
※ 道の駅の売店にあった
※ その中から私が購入したキュウリの漬け物です。
マップにはルート上にはない名所も紹介されていた。街の外れにTVドラマのロケでも使われた「悲別ロマン座(旧住友上歌鉱会館)」があるという。ぜひ見てみたいと思い、ウォーキングではなく、車を走らせてそこを訪れた。
ちょっと朽ち果てたような印象を受ける「悲別ロマン座」はいかにも悲しげに風情のある表情で建っていた。
建物の裏側に次のような文章が掲示されていた。
「昭和28年、戦後の復興期、若い設計家が夢と情熱をぶっつけて書き上げた(築き上げたの間違いではないか?)上歌会館、炭鉱従業員と家族の憩いの場として、映画やショーが連日行われていた。炭鉱の衰退とともに、廃屋になっていたが、昭和59年、テレビドラマ『昨日、悲別で』に悲別ロマン座として登場し、一躍脚光を浴びた。倉本聰先生がドラマの中で“ふるさとは、やさしく温かいところ”という、その象徴『悲別ロマン座』。ドラマとともにあなたの想いでに残してください。」
※ 古色蒼然とはしていますが、堂々とした建物にも見える「悲別ロマン座」です。
※ 建物の裏には写真のような野外ステージがありました。
現在は喫茶店として利用されているほか、会館の後ろにある野外ステージでは不定期のイベントなどが催されているようだ。
また、「悲別ロマン座」の道路向かいには、住友赤平鉱排気立坑が使命を終えて寂しく立っているように私には映った。
※ どことなく寂しげに見える旧
石炭産業が栄えていた往時(1948年頃)には人口が4万6千人も数えたこともあるという歌志内市は、現在その1/10にも満たない4千人弱だという。
街の再活性化のために関係者の努力は続けられていると思われるが、衰退する現実はいかんともしがたいものと映った。
人口が減り続けるという問題は道内どこの市町村も抱えている問題である。日本全体の人口が縮小傾向にある今、どのように工夫しても地域の人口が増えるということは望めないのではないだろうか?
人口増を画するよりは、今地域に住み続けている人たちがいかに生き生きと元気よく暮らしていける地域を創造していくかが問われているのではないかと思うのだが…。(余計なことまで言及してしまいましたね…)
《フットパスウォーク実施日 ‘14/08/16 距離約8Km》
歌志内のルートは前編でも紹介したようにワンウェイルートである。そのルートを往復するというのはなんとも興趣が削がれるものである。往きのときに気付かなかったことが何かないだろうかと目を皿のようにして歩いたのだが…。
これまで歩いた市町村でもワンウェイルートのところが沼田町、三笠市とあったが、それらのルートはスタートからゴール地点を目ざすという片道を歩く完全なワンウェイルートだった。
フットパスの楽しみは、初めて訪れる自然や街の中に、新たな光景や事実を発見するところに大きな喜びがある。
ところが往復ルートだと、復路は同じ光景を再び見ながらのウォーキングとなり、何となくつまらない。できれば周回コースが理想なのだが、歌志内のように炭鉱で栄えた街はどうしても谷あいに街ができるので、ワンウェイのルートしか設定できないのかもしれない。
※ かもい岳散策路には写真のような案内板が要所要所に設置されていて、安心でした。
さて、かもい岳温泉(スキー場)を後にした私はかもい岳の麓に設定された「かもい岳散策路」に導かれた。
散策路には小さいながら親切な案内板が用意されていたので安心して先へ進むことができた。
散策路の途中に小さな山小屋風の建物があった。私が想像するには、市民の方が週末に友人や家族と楽しむための山小屋のように見えた。
※ この山小屋風の建物は週末を友人たちと過ごすには絶好ではないですか?
※ 広い草地の中に微かに轍があるのに気づきましたか?この轍が進む方向です。
※ 散策路の一部には写真のようなワイルドなところもありました。
30分ほどの散策路を歩き終えると、コースはかもい岳温泉を目ざした道路に還り、復路となった。
往路の時にも目に入っていたのだが、道路が上がり始めるところに市立病院と特別養護老人ホームが併設されていた。そこで面白い(?)ことに気付いた。
特別養護老人ホームの正面に施設名を記した門があったのだが、その施設名をよく見ると「歌志内市」という部分が黒くペイントされ消されたようになっていた。「あれっ?あるいは運営者が代わったのかな?」と思って周りを見ると「北海道光生舎」と名の入ったワゴン車が目に入った。
帰宅して調べてみると、やはり運営者が歌志内市から北海道光生舎に代わったとのことだった。
※ 黒く塗られた部分に「歌志内市」と書かれているのが判読できますか?
※ 施設の前には「北海道光生舎」と記されたワゴン車が停まっていました。
ルート上はその後元来たサイクリングコースを行くことになっていたのだが、私の中での禁を破って、並行して走る国道を行くことにした。
しかし、歌志内市の郊外の道路沿いは過疎地の様相を呈していて寂れた街の表情を見せてくれるだけだった。
※ 閑散とした歌志内の街並みが寂しく映りました。
ゴール地点の「道の駅 チロルの湯」に着いた私はこの「そらちフットパスウォーク」に取り組み始めた途中から意識し出した市町村の名物を買い求めるために道の駅の売店を覗いた。歌志内市はどうやら漬物の生産・販売に力を入れているらしい。
そこで数多く販売していた漬物の中から「しょうゆ漬 国産味胡瓜 漬物処チロル」と表示された一袋(500円)を購入した。
帰宅後、試食してみたがなかなか美味しい漬物だった。
※ 道の駅の売店にあった
※ その中から私が購入したキュウリの漬け物です。
マップにはルート上にはない名所も紹介されていた。街の外れにTVドラマのロケでも使われた「悲別ロマン座(旧住友上歌鉱会館)」があるという。ぜひ見てみたいと思い、ウォーキングではなく、車を走らせてそこを訪れた。
ちょっと朽ち果てたような印象を受ける「悲別ロマン座」はいかにも悲しげに風情のある表情で建っていた。
建物の裏側に次のような文章が掲示されていた。
「昭和28年、戦後の復興期、若い設計家が夢と情熱をぶっつけて書き上げた(築き上げたの間違いではないか?)上歌会館、炭鉱従業員と家族の憩いの場として、映画やショーが連日行われていた。炭鉱の衰退とともに、廃屋になっていたが、昭和59年、テレビドラマ『昨日、悲別で』に悲別ロマン座として登場し、一躍脚光を浴びた。倉本聰先生がドラマの中で“ふるさとは、やさしく温かいところ”という、その象徴『悲別ロマン座』。ドラマとともにあなたの想いでに残してください。」
※ 古色蒼然とはしていますが、堂々とした建物にも見える「悲別ロマン座」です。
※ 建物の裏には写真のような野外ステージがありました。
現在は喫茶店として利用されているほか、会館の後ろにある野外ステージでは不定期のイベントなどが催されているようだ。
また、「悲別ロマン座」の道路向かいには、住友赤平鉱排気立坑が使命を終えて寂しく立っているように私には映った。
※ どことなく寂しげに見える旧
石炭産業が栄えていた往時(1948年頃)には人口が4万6千人も数えたこともあるという歌志内市は、現在その1/10にも満たない4千人弱だという。
街の再活性化のために関係者の努力は続けられていると思われるが、衰退する現実はいかんともしがたいものと映った。
人口が減り続けるという問題は道内どこの市町村も抱えている問題である。日本全体の人口が縮小傾向にある今、どのように工夫しても地域の人口が増えるということは望めないのではないだろうか?
人口増を画するよりは、今地域に住み続けている人たちがいかに生き生きと元気よく暮らしていける地域を創造していくかが問われているのではないかと思うのだが…。(余計なことまで言及してしまいましたね…)
《フットパスウォーク実施日 ‘14/08/16 距離約8Km》