KIRAWAYとは、KITANEMURO RANCHI WAYの頭文字を合せた言葉である。キラウェイ…、その言葉の響きが、語感が、 耳に心地良い。私はこの言葉が気に入ったので、タイトルに使うことにした。今日から数回にわたり今回の71.4キロを私なりに振り返ってみることにした。

※ 以前にも紹介した今回の唯一の記念品のTシャツのデザイン部分を大写ししました。
最終章 経験値の広がり
今回の北根室ランチウェイ(KIRAWAY)の体験は、私にとってはさまざまな初めての体験があり、私の経験値をおおいに広げてくれたと思っている。
まず、連日20キロ超の距離を3日間続けて歩き続けたことは初めてだった。過去に木曽路を4日間歩いたことがあるが、一日の距離も、歩いたルートのレベルも今回の比ではなかった。

※ さまざまな貌を見せてくれた北根室ランチウェイの一つの表情です。
次に、衣食住(テントは携行しなかったので衣食だけ?)全てを携えてのウォークも初めてだった。食事は軽さだけを考えてフリーズドライの各種を携行したのだが、2日目の朝、夕、そして3日目の朝と続けると、さすがに飽きてしまい3日目の朝食などは無理やり口に押し込む始末だった。

※ フリーズドライは手軽ですが、やはり続けると飽きますねぇ~。
そして山小屋泊である。佐伯牧場の牧舎泊も含めて全てをセルフで宿泊するのは初めての体験だった。若い頃はキャンプなども盛んにやっていたが、近年になってこうした宿泊形態はまったくなかった。
ライブレポでも綴ったが、特にたった一人で電気もない西別岳の山小屋に泊まった一夜は刺激的だった。

※ 西別岳の山小屋の堂々たる佇まいです。
ともかく私にとっては、何もかもが新鮮で、チャレンジングな北根室ランチウェイだった。
それをなんとか成し遂げ、疲れも癒えた今、私の中になんだか一つの自信のようなものが芽生えつつあるのを感ずる。
私の中で今回の北根室行はひとつの「集大成」と考えていたことは、このシリーズの冒頭に語った。しかし、今回のことである種の自信を得た私の中で「次回はどこに?」という思いがもたげはじめたもの事実である。
身体が健康であるかぎり、まだまだ老け込んではいられない。次なる「何か」を目ざして日々生きていきたいと思っている。
ひとまずこれで、このシリーズを一応の終了としたい。

※ 長い、長~い、74.1キロの最後に迎えてくれたのは可愛いJR美留和駅の駅舎でした。
写真シリーズ ~ マンパス
「マンパス」とは、「人の出入り口」と解される。つまりフットパスで牧場などを通過するとき、人は通れるが牛は通ることができないようなゲートが各所に設けられていた。その形がさまざまだったので、それを取り収めてきた。







※ これはマンパスではありません。鹿から農作物を守る鹿柵です。ここを通過するのに手間取った。

米これもサービスショット。こうした木橋を何度も渡りましたが、いつもひやひやでした。
写真シリーズ ~ 宿舎編
一日目の佐伯牧場は宿舎となった牛舎を改造した「マンサードホール」以外にも、敷地内には数々の建物が散在した。特にオーナーの佐伯氏は美術に造詣が深いようで、三つの建物にさまざまな作家の作品を展示する施設を有していた。
また、西別岳の山小屋はウェブ情報によると、道内の山小屋の中でも最上に属する山小屋という評判に違わず、素晴らしい山小屋だったので写真と共に紹介することにする。
《佐伯牧場編》

※ 佐伯牧場内にある「レストラン牧舎」の正面です。一日目の夕食はここで摂りました。

※ やはり敷地内にあった「ギャラリー倉庫」です。中にたくさんの作品が展示してあります。

※ これも敷地内にあった「荒川版画美術館」です。さらにもう一つのギャラリーがありました。

※ こちらは牧草運搬車を改造した宿泊施設で、5名の宿泊が可能だそうです。

※ マンサードホール内の私が就寝した部屋です。床は学校の体育館の廃材を再利用したようです。

※ 洗面所ですが、壁などにオーナーの佐伯氏の美的センスが見て取れます。
《西別岳山小屋編》

※ 西別岳の山小屋の全景です。左側の建物はトイレです。

※ 山小屋の一階部分です。私は2階で寝ました。収容人員は3~40名?

※ こうした図書コーナーも充実していました。

※ 部屋の中央に鎮座する私を慰めてくれた大きな薪ストーブです。