講師の金氏は云う。隣国韓国に対して「韓流」か?、「嫌韓」か?、という二項対立的な見方は止そうではないかと…。両国民の大衆文化から見た日韓関係について考える講座を受講した。
少し時間が経ってしまったが、6月1日~22日にかけて4回にわたって開講された北大の市民公開講座「大衆文化から考える日韓の『65年体制』」を受講した。
講師は韓国生まれの韓国人で、北大大学院コミュニケーション研究院で教鞭をとる金成玟(キム ソンミン)准教授だった。

講師を務めた金成玟准教授です。
金准教授の講座を受講するのは確か3回目だったと記憶するが、滞日経験が長く、日本語が非常に上手なのでとても聞きやすい講義だった。
ただ、金准教授による4回の連続講座だったのだが、その第1回目が他の講座と重複したために受講できなかった。そのことで他の3回の講座が1回目の講座を前提として話となったために理解しづらいところがあったのは、少し残念だった。
講座の構成は「日韓国交正常化50周年を迎え、日韓の「65年体制」がもつ文化的意味や性格を次の四つのテーマから考える」として次の4項目からなっていた。
第1講 抑圧と欲望の戦後―日韓におけるアメリカと大衆文化
第2講 テレビの時代―高度成長と開発独裁、そして日韓関係
第3講 境界の再構築―東アジアのグローバル化と日韓のメディア
第4講 日韓融合の時代―韓流・嫌韓をのりこえて
金准教授は饒舌だった。90分の講義時間をいつも途切れなく語り続けた。
韓国における日本の大衆文化の影響について、こと細かに観察し、分析したことを私たちに提示した。
文化(大衆文化)とは、常にその時々の政治体制に左右されがちなものであるが、韓国とて例外ではなかった。朝鮮半島は日本の35年にわたる植民地支配から脱すると南北に分断され、その後南部分が「大韓民国」として独立を果たすのだが、当時の軍事政権の国是は反共主義、反日主義であり、当然のように日本の大衆文化は禁止されていた。
軍事政権時代(李承晩・朴正煕・全斗煥・盧泰愚各大統領)はメディア・大衆文化産業は常に厳格な統制と検閲のもとにあったという。
1992年、金泳三大統領が登場し、文民政権となったが事情は大きくは変わらなかった。事態が少し動き始めたのは1998年、金大中大統領が登場したころからである。とはいっても、韓国における日本文化は「倭色(わいしょく)」という名のもとに公には忌み嫌われる存在であった。
しかし、民衆の中には潜在的に隣国日本の大衆文化に対する興味が存在した。そこで、韓国では日本の漫画、アニメ、テレビ番組、ポップスなど多くのコンテンツが脚色、翻訳、修正を経て、密かに韓国社会の中に流通していたという。
講師の金氏など1990年代に韓国内で人気があった「アトム」は韓国で生れたものだと信じていたという。
こうした韓国民の日本に対する複雑な感情は文化面だけではなく、さまざまな方面にも大きな影響を与えていると金氏はいう。
少々短絡的ではあるが、金氏が4回の講座を通して我々に伝えたかったことは、韓国民の間では文化的に先をゆく日本の大衆文化に強い憧れはあるものの、そのことについて声を大にして言えないという複雑な感情があることを理解してほしい、と言っていたと理解した。
韓流、嫌韓などと色分けすることなく、隣国人としての関係を大切にしたいという金氏の思いも伝わってくる講座だった。
最後に金氏は、近年においては日韓の文化交流も盛んになってきつつあるが、単に両国関係だけではなく、日韓の文化的関係を東アジアの文化交流に結び付けて考えていくという文脈で捉え、その意味と可能性を共に考えていく関係になってほしいと結んだ。
少し時間が経ってしまったが、6月1日~22日にかけて4回にわたって開講された北大の市民公開講座「大衆文化から考える日韓の『65年体制』」を受講した。
講師は韓国生まれの韓国人で、北大大学院コミュニケーション研究院で教鞭をとる金成玟(キム ソンミン)准教授だった。

講師を務めた金成玟准教授です。
金准教授の講座を受講するのは確か3回目だったと記憶するが、滞日経験が長く、日本語が非常に上手なのでとても聞きやすい講義だった。
ただ、金准教授による4回の連続講座だったのだが、その第1回目が他の講座と重複したために受講できなかった。そのことで他の3回の講座が1回目の講座を前提として話となったために理解しづらいところがあったのは、少し残念だった。
講座の構成は「日韓国交正常化50周年を迎え、日韓の「65年体制」がもつ文化的意味や性格を次の四つのテーマから考える」として次の4項目からなっていた。
第1講 抑圧と欲望の戦後―日韓におけるアメリカと大衆文化
第2講 テレビの時代―高度成長と開発独裁、そして日韓関係
第3講 境界の再構築―東アジアのグローバル化と日韓のメディア
第4講 日韓融合の時代―韓流・嫌韓をのりこえて
金准教授は饒舌だった。90分の講義時間をいつも途切れなく語り続けた。
韓国における日本の大衆文化の影響について、こと細かに観察し、分析したことを私たちに提示した。
文化(大衆文化)とは、常にその時々の政治体制に左右されがちなものであるが、韓国とて例外ではなかった。朝鮮半島は日本の35年にわたる植民地支配から脱すると南北に分断され、その後南部分が「大韓民国」として独立を果たすのだが、当時の軍事政権の国是は反共主義、反日主義であり、当然のように日本の大衆文化は禁止されていた。
軍事政権時代(李承晩・朴正煕・全斗煥・盧泰愚各大統領)はメディア・大衆文化産業は常に厳格な統制と検閲のもとにあったという。
1992年、金泳三大統領が登場し、文民政権となったが事情は大きくは変わらなかった。事態が少し動き始めたのは1998年、金大中大統領が登場したころからである。とはいっても、韓国における日本文化は「倭色(わいしょく)」という名のもとに公には忌み嫌われる存在であった。
しかし、民衆の中には潜在的に隣国日本の大衆文化に対する興味が存在した。そこで、韓国では日本の漫画、アニメ、テレビ番組、ポップスなど多くのコンテンツが脚色、翻訳、修正を経て、密かに韓国社会の中に流通していたという。
講師の金氏など1990年代に韓国内で人気があった「アトム」は韓国で生れたものだと信じていたという。
こうした韓国民の日本に対する複雑な感情は文化面だけではなく、さまざまな方面にも大きな影響を与えていると金氏はいう。
少々短絡的ではあるが、金氏が4回の講座を通して我々に伝えたかったことは、韓国民の間では文化的に先をゆく日本の大衆文化に強い憧れはあるものの、そのことについて声を大にして言えないという複雑な感情があることを理解してほしい、と言っていたと理解した。
韓流、嫌韓などと色分けすることなく、隣国人としての関係を大切にしたいという金氏の思いも伝わってくる講座だった。
最後に金氏は、近年においては日韓の文化交流も盛んになってきつつあるが、単に両国関係だけではなく、日韓の文化的関係を東アジアの文化交流に結び付けて考えていくという文脈で捉え、その意味と可能性を共に考えていく関係になってほしいと結んだ。