※ 今日は午後から会議、そして懇親交流会と続く。例の「超人的おじさん」との出会いも待っている。そこで本日は出かける前の投稿とした。
有島武郎というと、北大の前身である札幌農学校出身で、「生まれいずる悩み」などの作品を遺した作家だという程度の知識しかなかった。ところが、彼は農民のために「相互扶助」の考えを実践しようとした人でもあるという講座を聴いた。
北大の公開講座「人と環境が抱える難問」シリーズ第2講は「相互扶助の社会環境~先人有島武郎の道~」と題して、同大文学研究科の中村三春教授が講師を務めた。
中村氏の問題意識は、現代社会の大きな問題となってきた格差の拡大とその改善について、作家・有島武朗の事跡からその対策に一方法を探ってみたい、というものだった。
有島の軌跡を辿っていくと、彼はアメリカに留学したことによって多くの交友が生れ、そこから無政府主義・社会主義への傾斜を強めていったことが分かる。それは彼の作品の中にも反映され、「カインの末裔」、「生まれいずる悩み」、「一房の葡萄」などの作品として結実し、無政府主義的な評論も発表したりしていた。
一方で有島は、薩摩藩士の末裔で、裕福な父親の財産を引き継ぐブルジョアでもあった。
自らの出自と思想との間で悩んだ有島は、自己批判をした上で、東京の家屋敷を処分し、狩太(現在のニセコ)にあった農場も開放するのである。
その開放にあたって、有島は土地私有否定の考え方から「共産農団」としたかったようだが、それは許されず、有島の死後「狩太共生農団」として、誰かが所有する土地ではなく、集団で「相互扶助」してゆく農地として発足することになったのである。
※ ニセコ町にある有島武郎記念館と在りし日の有島武郎です。バックには秀峰羊蹄山も描かれています。
中村氏は、講義の冒頭で格差是正の戦略には大きく二つあるとした。
一つは、最近話題のピケティ著の「21世紀の資本」を取り上げ、ピケティが21世紀は富裕層と貧困層の格差がさらに大きく開いていくとし、それを回避するためには相続税や累進課税を上げて、富裕層から貧困層への再配分が必要と説いているという、いわば「出口戦略」を紹介した。
一方で、柄谷行人氏の「世界史の構造」で提案された「アソシエーション主義」は、利益を富裕層に回さずにコミュニティの構成員間で分配するという「入口戦略」を説いているという。
その節に従うと、有島のそれは「入口戦略」の一つと云えるのだろう。
しかし、有島はこの文章の途中でも述べたが、45歳という若さで自死してしまうのである。なぜ自らの理想と考えた「共生農場」が軌道に乗ることを見届けなかったのか?
自死と書いたが、有島の死については誰もが知っているように、不倫の末の心中自殺である。
その結末を見ると、自らの理想を実現しようとしたのか、自らを精算しようとしたのか、曖昧な思いも捨てきれなくなるのだが、それは素人の浅はかな考えなのだろうか?
なかなか興味深い講義だった…。
有島武郎というと、北大の前身である札幌農学校出身で、「生まれいずる悩み」などの作品を遺した作家だという程度の知識しかなかった。ところが、彼は農民のために「相互扶助」の考えを実践しようとした人でもあるという講座を聴いた。
北大の公開講座「人と環境が抱える難問」シリーズ第2講は「相互扶助の社会環境~先人有島武郎の道~」と題して、同大文学研究科の中村三春教授が講師を務めた。
中村氏の問題意識は、現代社会の大きな問題となってきた格差の拡大とその改善について、作家・有島武朗の事跡からその対策に一方法を探ってみたい、というものだった。
有島の軌跡を辿っていくと、彼はアメリカに留学したことによって多くの交友が生れ、そこから無政府主義・社会主義への傾斜を強めていったことが分かる。それは彼の作品の中にも反映され、「カインの末裔」、「生まれいずる悩み」、「一房の葡萄」などの作品として結実し、無政府主義的な評論も発表したりしていた。
一方で有島は、薩摩藩士の末裔で、裕福な父親の財産を引き継ぐブルジョアでもあった。
自らの出自と思想との間で悩んだ有島は、自己批判をした上で、東京の家屋敷を処分し、狩太(現在のニセコ)にあった農場も開放するのである。
その開放にあたって、有島は土地私有否定の考え方から「共産農団」としたかったようだが、それは許されず、有島の死後「狩太共生農団」として、誰かが所有する土地ではなく、集団で「相互扶助」してゆく農地として発足することになったのである。
※ ニセコ町にある有島武郎記念館と在りし日の有島武郎です。バックには秀峰羊蹄山も描かれています。
中村氏は、講義の冒頭で格差是正の戦略には大きく二つあるとした。
一つは、最近話題のピケティ著の「21世紀の資本」を取り上げ、ピケティが21世紀は富裕層と貧困層の格差がさらに大きく開いていくとし、それを回避するためには相続税や累進課税を上げて、富裕層から貧困層への再配分が必要と説いているという、いわば「出口戦略」を紹介した。
一方で、柄谷行人氏の「世界史の構造」で提案された「アソシエーション主義」は、利益を富裕層に回さずにコミュニティの構成員間で分配するという「入口戦略」を説いているという。
その節に従うと、有島のそれは「入口戦略」の一つと云えるのだろう。
しかし、有島はこの文章の途中でも述べたが、45歳という若さで自死してしまうのである。なぜ自らの理想と考えた「共生農場」が軌道に乗ることを見届けなかったのか?
自死と書いたが、有島の死については誰もが知っているように、不倫の末の心中自殺である。
その結末を見ると、自らの理想を実現しようとしたのか、自らを精算しようとしたのか、曖昧な思いも捨てきれなくなるのだが、それは素人の浅はかな考えなのだろうか?
なかなか興味深い講義だった…。