田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札響の第九 Ⅻ

2020-12-26 21:27:39 | ステージ & エンターテイメント

 もはや私にとって年末の恒例行事と化した感がある「札響の第九」である。今夜、札幌市芸術文化劇場hitaruで楽しんできた。あの「歓喜の歌」の大合唱を聴くと「今年も終わりだなぁ…」との感慨に浸る私だった…。

        

 私が「札響の第九」を聴き始めたのは2009年からである。以来今回で12年連続で聴いてきたことになる。この「札響の第九」だけは、友人たちと一緒に聴くことにしている。今夜も最初から共に聴いている3人で一緒に聴いた。

 会場は昨年と同じhitaruが会場だったが、私たちは格安の席(3,500円)だったので3階の席だった。

 ちょっと不可思議なことがあった。コロナ対策が施されていると思ったのだが、なるほど体温の検温が行われ、パンフレットは手渡しではなく机上にあるものを自ら取る方式だった。ところが!なんと座席の方は隙間なく販売されていたようで、隣の席も埋まっていた。「えっ!?」と思ったが、北海道が示す指針には従った方式なんだろう、と納得するしかなかった。

      

      ※ 指揮を担った秋山和慶氏

 コンサートの方は、第九に入る前にやはりベートーヴェン作曲の「序曲『レオノーレ』第3番」が演奏された。私は初めて聴く曲だったが、以外と云っては失礼だがとてもオームストラに合った曲だと思えた。というのも音の強弱がはっきりしていて、オーケストラの良さを十分に引き出した曲だと思えたのは、素人向けの曲ということだろうか?

 休憩を挟んで「交響曲第9番ニ短調『合唱付き』」がいよいよ始まった。例年と違うのは、ソリストや合唱団の方々が最初に登場しなかったところだ。ソリストや合唱団の登場は第四楽章まで待たねばならなかった。

 私がベートーヴェンの第九で好きなのはもちろん合唱のところなのだが、それと共に第一楽章の冒頭、ヴァイオリンが囁くような繊細な音から始まるところである。この部分を耳にすると、背中がゾクゾクするほどなのだ。ところが今夜はその部分があまりよく聴き取れなかった。私の聴力が衰えたのかな?と思ったが、コンサート後に友人に聴くと同じ感想だった。ということは、3階の席ではステージの音が届きづらかったということなのだろうか?

        

    ※ ソプラノ川崎尚美さん        ※ メゾソプラノ清水華澄さん

 私が今夜の第九で最も感動したのは、例年より少ない(66名と例年の半数程度)人数だったにも関わらず、非常に迫力ある合唱を披露してくれたことだった。コロナ対策のためにマスク代わりに顔の前にエプロンのような布を纏っての合唱だったが、そんなハンディを感じさせない歌声に、コロナ禍を乗り超えた暁には心の底から「歓喜の歌」を歌いましょう!という合唱団の方々からのエールをいただいたような思いだった。

        

     ※ テノール村上公太さん       ※ バリトン大西宇宙さん

 それは合唱団ばかりでなく、秋山和慶指揮の札幌交響楽団の方々の演奏にもそうした思いが込められているように感じられた。

 とにもかくにも、今年も「札響の第九」を聴いて一年が暮れようとしている。友人と語り合った。「ここまで続いたのだから、こうなったら足腰が立たなくなるまで継続して聴きましょうや!」と…。と云いながら、私たちはチケットの購入を「札響クラブ」の会員であるH氏にいつも頼っている。H氏のおかげでこうして続けてこられたことを感謝しなくてはいけない。

 

                            



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