田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

秘境小幌モニターツアー 後編

2016-11-10 20:56:25 | フットパスウォーク & トレッキング
 秘境駅ランキングで全国第1位の「小幌(こぼろ)駅」は、三方を山に囲まれ、前面は海、およそ人など住めないようなところにあった。ガイドさんによると、小幌駅は人の乗降が目的で造られた駅ではなかったという??? 

               

 小幌駅は海に向かった前方が急峻な崖、背後は高い山、そして左右はトンネルと、まったく人を寄せ付けないようなところにあった。
いったい何のための駅?といぶかる向きがあるかもしれないが、それもそのはず、ガイドさんによると小幌駅が設置された理由は以下のような事情だった。

               

 室蘭本線の豊浦-長万部間は海岸線に急峻に山々が連なっている。鉄道を敷く場合、当然のようにトンネルが多くなったという。トンネルが長すぎると蒸気機関車の煙をどこかで抜く必要性が出てきたという。(その部分を鉄道用語では「明かり部分」と称するらしい)
 また、室蘭線は当時単線だったために、上下線の列車が交差する場所を必要としていたという。(室蘭本線は現在函館から伊達までは複線になっているという)そのため小幌駅のホームのところを複線にして上下線を交差する造りにしていたという。
 そのための小幌駅だった、とガイドさんは説明してくれた。

               
               ※ 上り普通列車が新礼文華山トンネルから出てきました。

 現在は蒸気機関車ではない。その上、豊浦-長万部間は複線となっている。客の乗降がない小幌駅を置いておく理由がJRにはまったくない。そこで廃駅を豊浦町に提案したようだが、秘境駅№1として有名になった小幌駅を地域の観光の目玉としてなんとか残したい町は管理費用やホームの改修費用を町が負担する方向で検討することで、当面の廃駅を延期できているようだ。

               
               ※ その列車が新辺加牛トンネルに消えていきました。

 そうした事情もあり、豊浦町としてはこれまで以上に小幌駅の観光価値を高める必要が出てきたために、今回のようなモニターツアーを企画したようだ。
 豊浦町としては、今回私が参加した「秘境小幌ツアー」ばかりでなく、さまざまな企画を立案し、ツアーとして成り立つかどうか、モニターツアーを実施しているようだ。
 今回のモニターツアーには、「地域おこし協力隊」の若い女性2名もスタッフとして加わっていた。

               
               ※ 特急列車が新辺加牛トンネルから出て、あっという間に目の前を通り過ぎていきました。

 モニターツアーの最後に、当然ではあるが、参加者にはアンケートへの記入を要請された。
その中で、私たちが参加した「秘境小幌ツアー」を豊浦町としてはツアー参加費4,950円に設定して売り出したいがどうか?という質問項目があった。
 その問いに対して、私は概略次のように回答した。
「コースはいかにも秘境を訪ねるというワイルド感があり面白いと思う。ただし、お年寄りや体の弱い人などには参加にあたって注意を促す必要がありそうだ。料金的にはバス代、ガイド料、列車乗車代、温泉入浴料などを加味すると妥当なところだろうか?ただし、個人的には時間が少し短く感じた。(コース全体で4時間、行動時間が計約1時間だった)一日費やすようなコースもあると老若男女の要望に応えられると思います」と書いて提出した。

               
               ※ 15時44分発の東室蘭行きの下り普通列車を待つツアー参加者たちです。
 
 豊浦町には「礼文華山古道」(5.9キロ)というトレッキングコースもあるとスタッフの方から伺った。それもちょっと魅力だなぁ、と思いながら「天然豊浦温泉しおさい」の湯船に浸かったのだった。

秘境小幌モニターツアー 前編

2016-11-09 20:13:34 | フットパスウォーク & トレッキング
 久しぶりのワイルドなトレッキングだった。なまっていた私の体が覚醒した思いだった。なるほど小幌は秘境の名に相応しく、人が近づくのを拒否しているかのような険しい谷間に位置していた。時間はそれほど長くなかったが、秘境小幌を満喫した。 

 11月8日(火)午後、豊幌町が主催する「豊浦町の観光体験プログラム 体験モニターツアー」の「秘境小幌ツアー」に参加した。

               

               

 行程は次のようになっていた。
 豊浦町の市街地にある「天然豊浦温泉しおさい」に12時30分に集合し、トレッキングのスタート地点となる林道入り口にバスで約30分間かけて移動した。林道入り口となるところは国道37号線沿いではあるが、豊浦町から長万部にかけての国道37号線はトンネル、またトンネルといった非常に険しい峠を越えていく道路である。私たちが降ろされたところもトンネルを出たところの山の中だった。
 そこからトレッキングを開始して、約30分間かけて沢沿いを下り、海辺に出た。そこに「小幌洞窟」とういう大きな岩穴があった。

               
               ※ ガイドの河合さんはバスの中から今回のコースについてのレクチャーをしてくれた。

 小幌洞窟からは山登りだった。これもおよそ30分間くらいだったろうか?少し平坦になったなと思ったとき、鉄路の長いトンネルが少しだけ途切れた谷間に「小幌駅」があった。
 そこから列車に乗って豊浦駅まで戻り、スタート地点の豊浦温泉に戻り、解散というコースだった。

               

 この日はあいにくの雨だった。それほどひどい降りではない、ということで主催者は実施を決めたようだ。私は上下レインウェアを着込んだうえ、雨傘を差すという万全な体制でトレッキングを開始した。
 国道は海面よりかなり高いところを通っているらしい。私たちは沢沿いをどんどん下っていった。雨のためにコースのところどころはぬかるんでいた。さらに石は滑りやすくなっていた。参加者に気を付けるようにと指示を出していた女性のスタッフが私の目の前で大きな石のところで滑って尻を打ってしまった。バツの悪い思いをしたことだろう。

               
               ※ 団体行動の上、傘を差していたので行動中に写真を撮ることができずコースの険しさを写すことができなかった。

 沢を降り切ったところが「小幌洞窟」だった。
 小幌洞窟を訪れた最初の和人は全国を行脚していた僧、円空であったという。円空は1666年に洞窟を訪れ、5体の仏像を作り洞窟内に納めたと言い伝えられているそうだ。
 洞窟はかなりの大きさで、人間なら3~40人くらいは入れそうなほどの大きさだった。我々一行25人はゆうに雨宿りができた。
 洞窟の奥には「岩屋観音堂」が設置され、そこに仏像が安置されていたと伝えられている。

               

               

               

               

 ここでスタッフが持参した温かい飲み物が提供された。その飲み物とは、地元産のロロンというカボチャを使ったポタージュだった。地元のレストランのシェフの手によるものということだったが、非常にとろみの強い濃厚な味が冷えた体に美味しかった。
 さらに、豊浦町特産のイチゴを材料としたキャンデーも配布された。

               

 小幌洞窟を後にすると、険しい登りが待っていた。海岸から崖の上へよじ登るようなコースだった。とは言っても、登山のように長くはなかったし、ガイドもゆっくりと歩を進めてくれたので、それほど辛さは感じずに済んだ。

               

 崖を登りきると、噴火湾を林越しに眺めることができた。
 この登りも30分くらいだったろうか?ちょっと平坦になってきたかな、と思ったところ最終目的地の「小幌駅(こぼろえき)」だった。トンネルとトンネルの間が200mもあるだろうか?まったく人家はなく、ホームと駅名だけの簡素な駅である。小さな建物はあったが、それは駅舎ではないとのことで、駅舎のない駅だった。

                            

※ 長くなりそうなので今日はここまでにして、後編で小幌駅周辺の描写と、このモニターツアーについて考察してみたい。
※ なお、私は今日(11月9日)雪の中で、洞爺湖畔の二つのフットパスコースを歩いてきた。それも追ってレポしたいと思います。

洞爺湖町にいます

2016-11-08 18:40:41 | フットパスウォーク & トレッキング

久しぶりにワイルドなトレッキングを楽しみました。
というのは、今日(11月8日)豊浦町が主催する体験モニターツアー「秘境小幌ツアー」に参加したのです。
険しい山坂を征くトレッキングはワイルド感たっぷりでした。
最終目的地は、秘境駅として全国的知名度を誇る「小幌駅」でした。
小幌駅から列車を利用して豊浦町に還ってきました。
ツアーの様子は帰宅してから詳しくレポします。
洞爺湖町に宿泊したのは、遠い道を来たので、明日洞爺湖畔のフットパスコースを1〜2コース歩いてから帰ろうと考えたからです。
ところが、明日天候が大荒れとか…。
明日起きてから判断したいと思います。



*写真は秘境駅として名高い「小幌駅」です。ホームだけで駅舎はありません。


直行さんのスケッチブック展

2016-11-07 19:24:44 | イベント
 直行さん、こと坂本直行は開拓農民という顔を持つ一方で、山岳画家として高名な方である。坂本直行氏の名を一段と高めたのが、帯広の銘菓「六花亭」の包装紙のデザインを手がけたことである。その坂本氏の展覧会を覗いてみた。 

                    

 昨日、11月6日(日)午後、北大総合博物館で「直行さんのスケッチブック展」が開催されていると知り訪れた。
 リード文でも触れたように、一般には「六花亭」の包装紙にデザインされた野の花を描いた印象的な絵が誰の記憶にも残る坂本直行氏の作品展である。
 しかし、本当の彼は北大在学時に山岳部に所属し、山をこよなく愛した人で、当時は山の仲間とともに版画などを制作していたようだ。(展覧会には、それら版画作品も展示されていた)

                    
                    ※ ご存じ帯広の銘菓「六花亭」の包装紙です。

 卒業後、幾多の変遷を経て、1936(昭和11)年、十勝の原野に一介の開拓者として入植し、過酷極まりない生活を送ったという。そうした中でも、原野の草花を慈しみ、はるか日高連峰に憧憬の視線を送ることで、彼の中に眠っていた絵心がくすぐられスケッチせずにいられなくなったようだ。

                 

 極貧の生活の中でも山心は衰えず、二度にわたって北大山岳部の日高山系ペカデリ岳への山行にもOBとして参加し、多くの山岳風景を残している。
 その後も時間を見ては山の絵を描き続けいたが、それが当時の千秋庵(現在の六花亭)の社長の目に止まることとなり、1961(昭和36)年、直行のデザインした花柄の包装紙が世に出たのである。
 1965(昭和40)年、直行は画業に専念するため、十勝を離れ札幌に転居した。その後、彼はネパールやカナダ・ロッキー山脈など外国の山も訪れスケッチを残している。

               
            
 スケッチブック展には、草花の絵はあまりなく、山岳風景を描いたものがほとんどである。直行の独得のタッチの絵は、技巧に走らず、素朴にさえ感ずる絵の中に山への限りない愛着を感じさせる。
 スケッチブック展は、直行の遺した膨大な作品を少しでも多く見てもらうために、前期と後期に分けて、作品を入れ替えて展示されるという。

               

               
               ※ 展覧会で直行氏のスケッチブックの使い方に一つの特徴があった。それは、この絵のようにスケッチブック見開き2ページいっぱいに描いている絵が多かったことだ。

 前期は12月4日(日)まで、後期は12月6日(火)から来年1月9日(月)までだそうだ。再び訪れねばならない。
 なお、関連する記念講演会も今月3度にわたって開催されるそうだ。私は1・2回目はスケジュールの関係で聴けないが、11月27日の「龍馬と直行」はぜひ受講したいと思っている。

※ なお、展覧会は写真撮影がNGだったので、直行の絵をイメージしていただくためにウェブ上から数枚拝借して掲載することにした。
 

サハの口琴の名人たちの演奏を聴く

2016-11-06 21:52:29 | ステージ & エンターテイメント
 口琴(金属製)は単純な楽器ではあるが、それを名手が奏でると奥が深い。サハ共和国を代表するという三人の口琴演奏家が来日して、コンサートが開催された。彼らの演奏を聴きながら、寒く広大なサハ共和国を想った。 

                    

 今日(11月6日)午後、北大博物館で開催されている「直行さんのスケッチブック展」を観ようと北大総合博物館を訪れた。
 すると、館内において「口琴から広がるサハの世界」と題するレクチャー&コンサートが行われていることを知った。
 好奇心いっぱいの私は、さっそく覗いてみることにした。

               
               今回来日し、演奏した三人の奏者です。

 会場に入ると、いずれも民族衣装をまとった三人の男性が、次々と口琴を口に当て演奏を披露した。サハの口琴は一般的は金属製のもので、形はいろいろとあるようだが、サハではその口琴のことを「ホムス」と称するようだ。彼らも演奏する曲(なのかな?)によって、口琴を変えて演奏していたようだ。

               
               ※ サハのホムス(口琴)の一つです。

 サハ共和国は、ロシア連邦を構成する共和国だが、日本の国土約8倍もの面積に、人口はわずかに95万人だという。民族構成としては、サハ人とロシア人がそれぞれ40~45%を占め、その他多数の少数民族で構成されているようだ。

 口琴というと、我が国ではアイヌ民族に伝わる「ムックリ」が知られている。ムックリは竹製であり、ホムスは金属製である。そして、奏法においてもムックリは糸で引いて竹を震わせて音を出すのに対し、ホムスの方は直接金属の板を指で震わせて音を出しているようだ。
 コンサートの中で、札幌大学に在学中だというムックリの女性演奏家が演奏を披露してくれたが、とても似通った音色に感ずるところと、竹と金属の違いを感じさせてくれるところがあった。

               
               ※ ムックリの演奏を披露してくれた札幌大学の学生です。

 コンサートの最後に、演奏からサハの自然を感じ取ってほしいと、自然の中を飛び回る鳥と、草原を駆ける馬の情景を演奏した。その演奏は指で金属板を震わせて演奏するという奏法を巧みに活用し、サハの自然を連想させる見事なものだった。
 聴衆の方々からも思わず歓声が上がったほどだった。

               

 アイヌの講座を受講していて、ムックリの演奏家たちがサハ共和国を訪れた話をしていたが、サハでは口琴を通した国際交流も盛んのようだ。
 遠く離れた地域の先住民族の中で、同じように口琴が発達し、伝えられてきたところに何かの共通点があるのかもしれない。互いの交流をさらに進める中で、そうした民族の共通性のようなものについての探求も深めてもらいたいものである。

               


※ 昨夜の大雪は、この時期の札幌にとっては1953年の統計開始以来の大雪だとのことです。北大構内のイチョウ並木を歩いていると、雪が降った後に散ったイチョウの葉と雪のコントラストが見事だったので写真に記録した。同時にカエデの葉が散った様子も。

               

               

能登谷安紀子 弦楽アンサンブル

2016-11-05 19:25:45 | ステージ & エンターテイメント
 久しぶりに弦の響きに耳を傾けた。外は霙の降る寒い天気だったが、赤れんが庁舎の中は温かい空気に包まれて、およそ200人近くの市民が弦の調べに心地良いひと時を過ごした。 

                    

 今日(11月5日)の午後、道庁赤れんが庁舎で北海道文化財団が主催する「赤れんが音楽会 Vol.1」が行われた。
今回のゲストは「能登谷安紀子 弦楽アンサンブル」ということを聞いて、久しぶりに弦の響きを聴きたいと思い、霙降る中赤れんが庁舎まで出かけた。

               
               ※ 今日の道庁赤れんが庁舎の様子です。芝生のところに雪が見えます。

 能登谷安紀子さんについての知識がまったくなかったので、調べてみると札幌出身で東京芸大のヴァイオリン専攻を卒業している。そして彼女は北海道文化財団のHAFアーティストに選ばれ、道内各地でコンサートやアウトリーチ活動を精力的に展開されている方のようだ。
 今回は、その能登谷安紀子さんと、やはりヴァイオリンの小林佳奈さん、ヴィオラの立木一真さん、チェロの中島杏子さんによる、デュオ、トリオ、クァルテットとプレイヤーを加えながら、いろいろと趣を変えて聴衆を飽きさせない工夫をこらしたコンサートだった。

               
               ※ 演奏中の撮影はもちろんNG。そこで演奏前の様子をパチリと…。     

 プログラムは次の通り。
【ディオ】(ヴァイオリン 能登谷安紀子、チェロ 中島杏子)
   ◇ヘンデル作曲、ハルブォルセン編曲/パッサカリア
   ◇岡野貞一作曲、能登谷安紀子編曲/『故郷』の主題による変奏曲
 【トリオ】(上記の二人に プラス第2ヴァイオリン 小林佳奈)
   ◇能登谷安紀子作曲/『サマーフォレスト組曲』
              Ⅰ 森の雫
              Ⅱ 夏の記憶
              Ⅲ 波
              Ⅳ 風
   ◇Victor Young作曲、能登谷安紀子編曲/Around The World
 【クァルテット】(上記三人に プラスヴィオラ 立木一真)
   ◇ドヴォルザーク作曲/弦楽四重奏曲 第12番『アメリカ』
              Ⅰ Allegro, ma non troppo
              Ⅱ Lento
              Ⅲ Molto vivace
              Ⅳ Final : Vivace, ma non troppo
   ◇ガーシュイン作曲/パリのアメリカ人
           ラプソディー イン ブルー
   ◇能登谷安紀子作曲/Mint Blue Moon
 アンコールとして
   ◇ガーシュイン作曲/アイ ガット リズム

という構成だった。
 クァルテットで演奏していたとき、私の次のようなメモをしていた。「軽快なキレの良さというよりも、情感豊かな演奏」と…。
 ところが「アメリカ」の第3、第4楽章では、力強さやキレのある演奏も披露してくれた。
 どうやら、クァルテット「ポッポ」の実力は相当のようである。

                    
               ※ この後行うコンサートのフライヤーに4人の顔写真が掲載されていました。

 プログラムを見てお気付きだと思うが、アンサンブルのリーダーで第一ヴァイオリンの能登谷安紀子さんは、作曲も編曲も手掛けられる才女のようだ。
 彼女は「サマーフォレスト組曲」のような本格的なクラシックも手掛けられながら、本人の「Mint Blue Moon」もそうだが、ガーシュインの曲を積極的に演奏されたところをみると、どうもクラシック一辺倒ではなく、クラシックとポップスの融合も図っているのではないか、と思われたのだがどうなのだろう?

 雪の降る冷たい午後、ほんわかと温かい雰囲気に包まれたコンサートを堪能した。

ようこそ!ヘルスサイエンスの世界へ

2016-11-04 21:28:18 | 大学公開講座
 という公開講座があり、主として高齢者医療に関する内容だと聞いて参加してみることにした。確かに高齢者を対象とした医療最前線のお話だったのだが、公開講座と銘打ったものの、やや専門的過ぎたきらいがあり私の理解が十分には及ばない内容だったのが残念だった。 

                    

 11月3日(木)午後、北大大学院の保健科学研究院が主催する表記のような公開講座が開催された。
 テーマは、①「老化を画像検査で見る」、②「高齢者の運動習慣によるヘルスプロモーション」、③「伝統社会で暮らす人々のライフスタイルと健康」という三つの講座からなっていて、私にも興味深いものに思え受講してみることにした。

 各講座の講師は、①が医用生体理工学分野の加藤千恵次教授、②が機能回復分野の前島洋教授、③が健康科学分野の山内太郎教授という方々だった。
 各講座の持ち時間が50分間と短かったために、講師の方々は時間に追われていたのかもしれないが、ともかく提示される資料が多く、また専門的なワードを使われるため、素人の私にはなかなか理解できないところがあったのが残念だった。
 その中から、私が理解できたことについてのみレポしてみることにする。

 加藤教授の「老化を画像検査で見る」という講座では、膨大なレントゲン、CT、MRIなどの写真を見せられた。それぞれの機種や病名についてはまったくと言ってよいほど記憶に残らなかったが、脳の老化や、癌の進行など、は画像検査において相当な精度で確認することができるようになったということだ。
 私のメモでは「RI検査によって認知症の区別が可能」とあった。
 認知症ばかりでなく、現在では腰痛、関節痛などの老化も画像検査で判断でき、それに対応することが可能とのことである。
 問題は、新しい機器による検査料が高額であるということだ。(保険制度が適用されない)

 前島教授の「高齢者の運動習慣によるヘルスプロモーション」は某地域を対象とした運動習慣と老化の関係についての報告はまだ理解できたのだが、講義の後半の運動習慣が老化を遅らせるという証明ための論考は私にとってちんぷんかんぷんだった。
 研究者同士の意見交換には有効かもしれないが、私たち一般市民の立場からすると各種データを次々と提示されたとしても、それを理解することはほとんど不可能ではと思ったのだが…。
 ただ、高齢者による運動習慣が、高齢者のQOLを高めることについては、これまでさまざまなところで聞いてきたことに違いはないということだけは理解できた。
 運動習慣ねぇ…。意識しなくちゃ…。

 最後の③山内教授の「伝統社会で暮らす人々のライフスタイルと健康」は、世界各地で暮らす地域の人々の生活を写真で紹介してくれるもので、受講していても楽しかった講座だった。
 山内教授は数多くの開発途上国の人々の暮らしを観察し続けているという。
 その中から、途上国には一国の中で矛盾した健康問題を抱えていることに直面したという。それは、伝統的な生活をしている農村部では栄養欠乏とか、成長不良という問題を抱えているが、一方都市部では肥満とか、成人病という問題に当面するという矛盾を抱えているとのことだった。

               
               ※ 講座が開催された北大の保健科学研究院の建物です。

 ヘルスサイエンス…、そのまま訳すと「健康科学」ということになる。健康維持・健康増進・病気予防などを目的とした科学分野ということだが、高齢化社会を迎えた今、この分野の研究が注目されてくると思われる。その成果を高齢者、あるいは一般市民に理解してもらうための手法について、関係者には少しだけ工夫していただけると嬉しいのだが…。

CONDE HOUSE Design Talk Event 2016 SAPPORO

2016-11-03 22:37:10 | 講演・講義・フォーラム等
 タイトルを主催者が表記したように英字を並べてしまったが、「カンディ ハウス デザイン トーク イベント 2016 サッポロ」と表記するべきだったか?トークショーを聴いていて、「才能のある人っていうのは幸せだなぁ…」というなんとも真っ当な感想を抱いた私だった。 

               

 相当に古い話題で恐縮である。以前にあるトークショーを聴いていたのだが、そのレポをしていなかったので、改めてレポートすることにする。
 話は半月前になるのだが、「SAPPORO DESIGN WEEK 2016」というイベントの一環として10月19日(水)夕刻、チカホ キタサンHIROBAでタイトルのようなトークショーが開催された。
 実は、妻がカンディ・ハウスの家具の大ファン(といっても我が家の家具全てがカンディ・ハウス製というわけではないのだが…)ということで、今回は珍しく二人そろってトークショーを聴きに出かけた。

 トークショーは前半の一部こそ、カンディ・ハウスが現在進めているデザインのコンセプトとか、マーケティング戦略についての説明があったが、メインはゲストとして招請したイタリア人の建築デザイナーのアトスリッド・クラインという女史のお話だった。女史は50歳を過ぎていると思われるが、クリエーターらしいスマートさと気品を備えているように見えた。
 クライン氏は単なる建築デザイナーというよりは、建築。インテリア、インスタレーションといった複数の分野のデザインを手掛けるデザイナーである。

               

 クライン氏は、イギリス出身のマーク・ダイサムと二人で「クライン・ダイサム・アーキテクツ」というアトリエ系建築設計事務所を起ち上げ、現在次々と話題の建築物を全国に展開している方らしい。
 彼女は自分たちが手掛けた作品(建物)を、スライドを使って次々と紹介してくれた。

               

 それらは全て斬新で、既存の建築物の一歩も二歩も先を行く作品(建物)のように思えた。氏の作品を2~3紹介してみたい。
 氏の事務所は「蔦屋書店」との繋がりが強いようで、各地の蔦屋書店(TSUTAYA)の店舗のデザインを手掛けている。

               
               ※ この店舗の壁は、蔦屋からツタの葉をモチーフとして使ったものです。(店名は失念)

               
               ※ こちらは蔦屋のTマークを壁に配した代官山の蔦屋書店です。

 また、東京都心の「キュープラザ原宿」のデザインも注目を集めた。

                    
               ※ このキュープラザ原宿にも彼女の思いがたくさんデザインに生かされているのですが、内容は忘れました。

 氏の表情からも最も会心の作と思われるのが、星野リゾートからオファーを受けて八ヶ岳高原に建設された「ガーデンチャペル」ではないだろうか?卵型のようなチャペルは、前面の池に向かって開閉することができ、夜は内部の光が漏れて星空のような景観を演出するというつくりになっている。

               
               ※ 池の前にぽっかりと口を開けたチャペルです。

               
               ※ 夜間、チャペルの内部からの光が壁を通して夜空を演出します。

 どれくらいの作品(建物)を見せていただいただろうか、と思うくらいたくさんの作品を見せていただいたが、それを語るクライン氏は、一つ一つの作品を創り出す喜びに溢れているように思えた。
 自分の作品が人々に驚きと喜びを与え、その作品が多くの人に使われ、そして残っていく、ということは何にも替え難い喜びだろう。
 まあ、それは才能があって、そのことを周囲に認められたことで得られたものであるのだが…。

 カンディ・ハウスが今をときめくクライン氏をゲストスピーカーに招いたということは、カンディ・ハウス自身が全国展開、あるいは海外までもシェアに見据えているという意志の表れのように思えた。

大きなイベントを終えて

2016-11-02 21:16:28 | ボランティア
 相当に緊張していたのだろうか?イベントを終えたときに、緊張から解き放された安堵感と疲労感がどっと押し寄せた。昨日(11月1日)約半年間にわたり準備を進めてきたイベントを無事に、しかも好評理に終えることができホッとしている。 

               
               ※ 私が携わったイベントの開会式の様子です。

 私がある団体の事務局長の任についていることは拙ブログでも時おり触れてきた。
 その団体では、年に一度、団体の趣旨をアピールするために講演会とか、フォーラムを開催している。そのイベントを昨日終えることができたのだ。

 私が事務局長を務める団体は、それぞれ目的別の団体があって、それら団体が集まって協議体となっている団体ために、事務局員も各団体からの集まった人で構成されている。そのため緊密な連携がなかなか取りにくい。そうなると当然のように事務局長一人にかかる負担が大きくならざるを得ないのが実情なのだ。
 イベントのコンセプトを設定し、それに沿った講師の選定、さらに講師候補者との折衝、等々すべてが私に委ねられている。もちろん、それぞれの段階で事務局や、幹事会での承認を経なければならないのだが…。
 その結果が、9月24日に拙ブログにも投稿した「あなたはだれかのために、何ができますか?」というキャッチコピーの設定であり、それに沿った講師として、二人の講師を選定し、その講師候補との折衝にもあたった。

 一方、イベントの周知のためのリーフレットの原案作成、発注、そしてそのリーフレットを全道の関係機関、構成団体への配布作業。さらに今年は一般市民への参加を呼びかけるため市内の公共施設への配布も私自らが行った。
 全道関係機関、構成団体の配布作業、参加申し込みの受け付けは事務局員のお手伝いをいただいたが、その他は全て事務局長である私の務めだった。

 務めはそれだけでは終わらない。来賓祝辞の依頼をしたり、講師との発表内容に関する詰めの作業をしたり、会場のホテルとの打ち合わせ、等々…。
 一人が何役も担わねばならないということは組織として未熟との指摘を受けるかもしれない。しかし、私はその任として今年が2年目なのだが来年度はその任を離れることが決まっている。こうした組織ではなかなか組織の熟成も図れないのが実態でもある。

 だから私はある意味割り切っている。この任にあるからには、思い切り自分の思いを表現してみようと…。そして私の中には「どうせやるなら楽しく!」という思いをいつの場合も忘れないようにしている。この事務局長という任も、私の中では忙しさを嘆いたってしょうがない、楽しんでやろう、と思いながら任に当たっている。
 そうして形となったのが、昨日のイベントだった。
 内容として、一つは、札幌市内の各小学校に設置されている児童会館(あるいはミニ児童会館)の中から、積極的に環境保全の活動やボランティアに取り組んでいるミニ児童会館の専門指導員の方からお話を伺った。
 もう一つは、経済的に恵まれない家庭の子弟に対して、大学生を組織して学習支援活動に取り組んでいるNPO法人の理事長の方から実践報告をしていただいた。

 どちらの活動も地味な活動ながら、着実な成果を上げている様子が聞いている側によく伝わり、多くの参加者が感銘を受けたようであった。
 参加者も約130名とこれまでのイベントの中では最も多くの人に集まっていただいた。
 イベントを開催した裏方の私としては、実践発表をされた方々の素晴らしい実践内容に助けられて、好評理にイベントを終えることができて、ひとまずホッとしている。

 この後は、年度末に今回のイベントの様子とか、全道のボランティア的活動の実践をまとめた「実践資料集」を編集・発行する仕事が残っている。
 私にとっては、これこそ究極のボランティア活動であるが、「あなたはだれかのために、何ができますか?」という私自身が作成したテーマを自らに問いかけながら、与えられた事務局長の職を楽しんでまっとうしたいと考えている。

ファイターズ 大谷翔平賛歌

2016-11-01 23:12:46 | スポーツ & スポーツ観戦
 北海道内はファイターズの優勝フィーバーの余韻にまだまだ浸っているようである。そんな中、私は大谷翔平選手が優勝したその日に、ディリースポーツ紙に寄せた1本の手記に注目した。大谷選手の〝人間力″の素晴らしさが表れた一文だと思った。 

 あるいはその手記を目にした方もいらっしゃると思われるが、未だの方のために全文を拝借して掲載します。

               


  日本ハムへの入団会見で「日本一になりたい」と言ったことを思い出します。これまで全国大会で優勝した経験がありません。だからどうしても日本一になりたかった。プロの世界に入り、ついに頂点に立つことができました。本当にうれしくてうれしくて仕方がありません。

 プロ4年目で日本一。あのとき日本ハムに入れていただいて、本当によかったなと思っています。高校のころメジャー球団の方々からも熱心に誘っていただき、メジャーで勝負してみたいという気持ちも持っていました。

 考え抜いた末、日本ハムに入りましたが、この4年間を振り返ると、これ以上ない環境の中でプレーさせていただいたと感謝しています。あのときの選択は間違っていなかったと。自分が成長していく上で、どういうところに身を置くかって、すごく大事なことなんだということが分かりました。

 日本シリーズでの黒田さんとの対戦は、貴重な経験になりました。小さいころからずっと見ていた投手なので、目の前で投げている姿を見るのは何か変な感じはしました。自分にとっては「テレビの中のプロ野球選手」。実際に対戦するという実感があまりなかったような感じでした。ただ、そういう意味では今後に生きてくるのではないかと思います。日本シリーズという大舞台で、日米の球史に名を残した大投手との対戦。これを経験するのとしないのとでは全然違うでしょうし、これから生かせるところがあれば生かしていきたいです。

 シーズンを振り返れば、優勝が決まった大一番(9月28日・西武戦)を1安打完封勝利で決めたことは、少なからず今後への自信になったと思います。花巻東の先輩でもある(菊池)雄星さんが相手でしたし、優勝のかかったマウンドに上がるなんていうのは、なかなかないチャンス。そこでいい投球ができたというのは、これ以上ない感激でした。

 今年、優勝できたのは皆さんのご指導があったからこそです。昨オフにはダルビッシュさん(レンジャーズ)と一緒にトレーニングをさせていただいて、いろいろと勉強になることが多かったです。練習内容で変えたことはそんなにないんですが、栄養面、食事面ではかなり参考にさせてもらいました。

 1日7食も食べたりするんですが、食べるタイミングとか、内容を重視しているので、そんなにきつくはありません。茶碗にいっぱい盛ってという感じではなくて、効率よく食べ、効率よく運動することを心がけるというものです。効果の実感も少なからずありますが、まだ1年ぐらいなので、これを継続してやっていって、どうなるかって感じです。まだまだ自分のピークは先にあると思っていますし、そこまでに自分で作り上げたいものを確立できるように、しっかりやっていきたいです。

 メジャーに挑戦するには、まだまだ足りないところも多いです。球速もさらに上げられると思っていますし、足りない部分を消化して、どんどんいいパフォーマンスを出せるようにしていきたいです。もっともっと技術を磨いて、来年も頑張ります。(北海道日本ハムファイターズ投手)


               


 この手記に対する反響が凄いのだ。ネット上には1,904件ものコメントが寄せられている。私はそのコメントをかなり読ませていただいたが、とても1,900余件を読み切ることなどできなかった。
 コメントのほとんどは肯定的なものである。もちろん今年はチームが優勝し、彼自身もこれまでにない活躍をしたのだから、「うれしくてうれしくて仕方ない」というのが率直な思いだろう。
 ただ、彼が自らの成績を誇るようなところはなく、ファイターズの一員になれたことに対する喜びや感謝の気持ちを率直に表現しているところに彼の人間性を見る思いがするのである。
 さらに球団の環境や、監督スタッフへの感謝の気持ちを忘れず、自分自身の現状にまだまだ満足していないところに、彼はいったいどこまでいくのだろう、という思いを抱かせてくれる。
 22歳にしてこれだけ周りへの気配りを忘れず、また貪欲に成長しようとしている姿に、私は彼の〝人間力″の素晴らしさをみる思いだ。彼の人間性なら、例え不調に見舞われたとしても、きっと腐らずにそれを乗り越えていく努力ができる人間だと、私は見た!

 私は7月6日付の拙ブログで「大谷翔平が日本ハムの一員であることの幸せ」という一文を投稿した。幸い、最近は再びその投稿にアクセスしてくれる方が多いようだ。
 こんな一文を見せられると、一層「大谷翔平が日本ハムの一員であることの幸せ」を感ずる私である。