田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

コンサ J1昇格!J2優勝決定!

2016-11-20 21:49:00 | スポーツ & スポーツ観戦
 今日コンサの最終戦をドームで観戦した。その結果、J1昇格、J2優勝が決定した!しかし、どうも今一つ高揚感に浸れないのだ。というのも、互いがチームとしての思惑があり、観戦していた私から見て全力を出し切った結果とはどうしても受け取れなかったからだ。 

               
               ※ コンサの優勝の瞬間を見届けようと札幌ドーム内はほぼ満員に膨れ上がりました。

 今日(11月20日)、午後2時キックオフで、J2最終戦が札幌ドームにツエーゲン金沢を迎えて行われた。結果は0対0の引き分けだった。その結果、コンサのJ1昇格、J2優勝が決まったのだが…。
 私は前節の対千葉戦の劇的な逆転勝利があっただけに、今日もコンサイレブンは感動的な試合を見せてくれるはず、と固く信じてドームへ向かったのだった。

               
               ※ 熱烈サポーター席も天井付近まで埋まっていました。

 そこが私の甘いところだ、と言われてしまえば返す言葉もない。
 コンサは前節の逆転勝利によって、肉薄する清水、松本から頭一つリード(勝ち点3)して最終戦を迎えていたのだ。そのアドバンテージがあるため、最低引き分け(勝ち点1)に持ち込めればJ1昇格とJ2優勝をモノにできる位置にいた。
 一方、金沢は最終戦を前にしてJ2の21位に沈んでいた。もし最下位の22位に転落するとJ3に自動降格となる。21位だとJ3の2位チームとの入れ替え戦に臨めることになる。(J2に自動残留できる20位になるには、たとえ今日の試合で勝っても勝ち点差で20位になる可能性は消えていた)

               
               ※ 本日の公式入場者数がオーロラビジョンに映し出されました。

 札幌ドームはコンサの優勝の瞬間を目撃しようと3万3千人余りの大観衆が詰めかけ、コンサイレブンのテンションも上がっていただろうに、どうも動きが良くないのだ。むしろ金沢イレブンの方が積極的に仕掛けている感じだった。私はコンサイレブンが大事な試合とあって慎重に試合に入っているんだろうと思い、後半に期待した。
 しかし、後半になると今度は金沢の動きも消極的になっているように見えた。そのうち金沢がボールを持つと、DF陣の間でボールを回し始めた。(この日J2は全ての試合が午後2時キックオフで、金沢の当面の相手の北九州が前半を終え0対3でリードされていて、金沢が最下位に転落する可能性がほとんどなくなっていた)
 コンサにボールが渡ると、コンサも同じようにDF陣でボールを回し始めると、さすがに観衆も気付き始めブーイングが場内に聞こえ始めた。

               
               ※ 私にしては珍しくボールが写ったゴール前の攻防です。

 試合はそのまま盛り上がりを見せることなく終了し、両者にとって最も望ましい(?)形で試合は終わり、コンサの優勝、金沢の21位が決定したのだった。

               
               ※ 試合終了と同時に映し出された「J2 champions」の文字です。

 私にとっては、なんとなくモヤモヤ感が残る最終試合となったが、帰りの電車の中で「コンサドーレ掲示板」を見てみると、今日のコンサの試合運びに関しては見方が大きく二つに分かれるようである。
 コンサの試合運びを肯定する側としては、実質的には前節の結果でリーグ戦の行方はほぼ決まったのも同然で、今日の試合はそれを決定づける試合なのだという。
 そのような試合においてリスクをおかして積極的に攻めて、もし失点を喫して敗戦でもしようものなら、これまでの一年間の戦いが水の泡となりかねない、ということから慎重な試合運びに徹して、安全にJ1昇格、J2優勝を確実にモノにしたということだという。

               
               ※ チャンピオンズプレートを掲げて喜ぶコンサの選手たちです。

 そう聞くと、「なるほど」とも思えるのだが、「それにしてもなぁ~」という思いが残るのも事実である。
 念願のJ1昇格を果たしたのに、水を差したいとは思わないが、来年のJ1での戦いに少々不安を感じたのは私だけだったろうか?
 四方田監督や、宮澤主将のインタビューにもあったが、厳しい戦いが待っている来年のJ1リーグにおいて、まずは残留のためにチーム一丸となってレベルアップに努めてくれることを期待したい。

               
               ※ 今シーズンの全日程が終了したということで、コンサドーレの下部組織の選手たちも一堂に会しました。

山崎夏生のプロ野球審判人生

2016-11-19 18:18:21 | 講演・講義・フォーラム等
 山崎夏生氏は北海道に縁のあるプロ野球審判である。(もっとも今は一線を引退し、現在はNPB審判技術指導員であるが)彼は新潟出身であるが、北大を卒業している。およそ30年にわたるプロ野球審判人生を語った。 

               

 11月15日(火)午後、北海道新聞が主催する道新「おばんでした」サロンが開催され、元プロ野球審判員の山崎夏生氏「山崎夏生のココだけの話」と題するトークショーが開催された。
 ダメモトで聴講に応募したところ、幸いにも聴講券が舞い込んだ。もっとも会場が当初は小さな部屋を用意していたようだが、意外の人気に急遽会場を道新ホールに替えたために聴講が可能となったのかもしれない。それでも会場はほぼ満杯だった。プロ野球人気、日ハム人気の表れということか?

               
               ※ 山崎氏は写真のような審判服に身を包んでお話された。

 山崎氏は道新の夕刊で「おばんでした」というコラムを担当しているとのことだ。(ちなみに私はまだ読んだことがない)そのコラムに書いたテーマの中から何点か選りすぐって、さらに詳しく語るというトークショーだった。
 
 山崎氏が最初に触れたのは、今年からプロ野球で採用になった「コリジョンルール」についてだった。コリジョンルールは、本塁上での選手同士の衝突を禁止するルールだったのだが、その解釈・適用を巡って今年前半は審判を悩ませたという。つまり、ルールは定めたものの、その解釈・適用は審判に丸投げされたそうだ。そのため審判たちからは「こりごりルール」と揶揄されたそうだ。山崎氏たち審判技術指導員たちの努力もあって、シーズン後半にはおおよその統一見解のもと試合が運営されるようになったようだ。

 次に審判員の資質向上について語った。審判員にとって静止視力は問題ではなく、問題は動体視力だという。動体視力といっても、「瞬間視力」、「深視力」、「周辺視力」、「追跡視力」、「遠視力」といった視力があるそうだ。審判員はこれらをバランスよく鍛えることが必要だという。そのためには、個々の視力を自らを鍛えるとともに、経験を積むこと大切
だという。量をこなすことによって到達できる神様からのプレゼントだ、と山崎氏は語った。

 選手については、現ソフトバンク監督工藤公康とイチローについて触れた。
 工藤氏はプロ入団当時に指導者から「スピードを求めるな」と言われ、その助言を守り、徐々にスピード増して、38才の時に彼自身の最高速148kmを記録したという。そのように身体に負担をかけなかったことが45才まで現役を続けられた秘訣ではないかと山崎氏は語った。大谷はどうなのだろう?ちょっと心配にもなる話だ。

 イチローについては、非常に信念の強い選手で、いくら指導者からフォームの改良を指示されても変えなかったそうだ。そのような時出会ったのが仰木監督だった。イチローが今あるのは仰木監督との出会いが大きいという。山崎氏は、今の日ハム・栗山監督と仰木監督がダブって見えるという。

                       
               ※ 仰木監督と親しく歓談するイチロー選手です。マリナーズ時代のようですね。               

 そのイチローの隠された秘話を山崎氏は披露した。シーズンオフに日本に帰ってきたイチローは少年院施設を訪れ、問題を起こした少年たちに真剣に語りかけたという。その姿に山崎氏は感動したそうだ。

 山崎氏は最後に、近年は審判の判定に対してビデオ判定が持ち込まれるようになった現状を嘆いていた。判定の正確を期す、ということに反対ではないが、もっと審判を信頼してほしいと…。山崎氏は言う。「選手たちから信頼される人間になれ!そしていつかビデオ判定がなくなるように…」と…。

 山崎氏はプロ野球の審判として輝かしい(?)勲章を一つ持っている。それは、日本のプロ野球審判として最多となる17回の退場を選手・監督に言い渡していることだ。
 山崎氏は最後に「退場!」と大きな声で宣言し、会場を後にした。

                       
                       ※ まさにこのようなフォームで「退場!」を宣言し、退場していきました。

映画 177 植村直己物語

2016-11-18 21:14:48 | 映画観賞・感想

 植村直己氏というと、世界初の五大陸最高峰登頂者であり、さらには北極圏12,000kmを犬ぞりを駆って横断するなど、数々の冒険に挑戦した冒険家として名高い。そんな植村直己の冒険の軌跡を追った映画である。 

                    

 11月14日(月)午後、「めだかの学校」の「映画の中の北海道-昭和編」で「植村直己物語」が取り上げられた。
 映画は1986年製作・公開である。ということは植村直己が北米のマッキンリーの冬の山中で行方を絶ってから2年後ということになる。かなり早い段階での映画化である。記録では植村の生存が絶望視された後、国民栄誉賞に輝いていることなどから、彼に対する世の中の注目度が高かったこともあり映画化が早まったのかな、と想像される。

               

 映画は、植村の行った冒険、そして彼の家庭生活、彼の人がらなど伝記風に余すところなく映像化されているという感じだった。
 しかし、そのことが私には映画全体が平板に思えてしまい、ちょっと物足りなさを感じてしまった。
 エヴェレスト登頂のシーンや、北極犬ぞり冒険のシーンなど、当時としてはかなり高度な撮影だったということだが、今年初めに観た「エヴェレスト 神々の山嶺」とか、少し以前に観た「アイガー北壁」などと比べると、やはり時代が違うのだろうか、映像がもう一つ迫力に欠けるように思えた。

               
               ※ 在りし日の植村直己氏ご本人の顔写真です。

 また、平板に思えたということでは、植村の数ある冒険の中からどれかにフォーカスして、そのことを深く掘り下げることによって印象はまた変わったかもしれないと思うと少し残念な気もする。やはり映画の製作・公開を早めたことの影響が出ているように思える。

 植村役を演じた西田敏行は当時まだ39才だったようだが、芸達者ぶりを発揮して違和感なく植村直己を好演していたと思う。面白いと思ったのは、当初植村直己役に予定されていたのは作家の椎名誠だったそうだが、スケジュールが合わなくて断念したとナビゲーターの方が紹介してくれた。椎名ならどんな植村直己になったのだろうか?

                    
                    ※ 私が今最も注目している探検家・角幡唯介氏です。

 冒険家というと、今私が最も注目しているのはノンフィクション作家であり、探検家を標榜する角幡唯介という人である。彼の冒険は半端でない。彼のデビュー作となった「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」を読むと、命のやり取りをしながら冒険に挑んでいるといっても過言でない激しさである。
 そんな彼が今冬、太陽が昇らない暗闇の冬の北極圏を5カ月にわたって旅するということを企てている。
 今頃は植村直己も根拠地としていたグリーンランドの最北の村シオラパルクで出発の時を待っているころかもしれない。
 きっと無事に帰ってきてくれると信じているが、その時には彼の圧倒的な筆力でまた素晴らしい冒険噺(ノンフィクション)をモノにしてほしい願っている。


石黒浩氏 アンドロイドの未来を語る

2016-11-17 21:04:53 | 講演・講義・フォーラム等
 石黒氏の名が世間に広く知れ渡ったのは、マツコ・デラックスそっくりのロボット(マツコロイド)を作製して公開したことだったではないだろうか?その精巧さとそっくりな動きに驚かれた方も多かっただろう。その製作者である石黒氏のアンドロイドにかける思いを聴いた。 

               

※ アンドロイド(android)とは、人間そっくりな人工生命体の事である。つまり人造人間のことである。

 11月11日(金)のビジネスEXPOにおけるセミナー第2弾として、人間型ロボット研究の第一人者である大阪大学の石黒浩教授「ロボットと未来社会~ロボットから学ぶ未来社会~」と題する講演を聴いた。

               
               ※ 講演をする石黒浩氏です。

 私が石黒氏の存在を知ったのは、確かTBS系の番組「情熱大陸」だったと思う。その中で石黒氏は人間型のロボットを作り、より人間に近い動きをいかにロボットに与えるかについて研究されていたと記憶している。その一コマとしてマツコロイドも登場したと思う。

                    
                  ※ 石黒氏の名を一躍有名にしたマツコ・デラックスのアンドロイド「マツコロイド」です。

 石黒氏は講演の冒頭、自分の研究は「人と人、人とロボットとの関わり方を調べる」ことだと自己紹介した。
 そして、なぜ人間型ロボットを探求しようとしたか、ということについて「人は人を認識する脳を持っている」こと、さらに「人にとって最も関わりやすいのは人である」という認識から人間型ロボットを追求しているそうだ。
 つまり将来、ロボットが人間社会の中においてさまざまな場面(シーン)で活躍するとき、より人間に近い形の方が人間社会の中に受け入れられやすいということだろうか。

 石黒浩氏の研究について、簡潔に表現している文を見つけたので紹介することにする。
 「石黒研究室では,未来の人間社会を支える知的システムの実現を目指し,センサ工学,ロボット工学,人工知能,認知科学を基礎として,知覚情報基盤・知能ロボット情報基盤の研究開発、そしてこれらに基づき、人間と豊かにかかわる人間型ロボットを創成する研究に取り組んでいます」

               
               ※ 石黒氏は自らのアンドロイドも製作したそうです。

 この日の石黒氏の話は、終始「人間とは何か?」ということこだわった話だった。彼の思いとしては、「人間とは何か?」を追求することが、より精緻なアンドロイドを作り上げることに繋がっていくということだろう。
 彼は研究室のスタッフに対して、「人の気持ちを考えなさい」、「大人になるとはどういうことか?」、「なぜ大人は知ったかぶりをするのか?」というようなことを常に問いかけているという。

 研究はまだまだ発展途上であるが、人間型ロボットには大きな未来があるという。
 現状ではソフトバンクが開発・販売を開始したロボット「pepperくん」が各所で試験的に導入されているが、難点は価格だという。現在180万円くらいするそうだが、これが20万円を切るようになると世の中が変わると石黒氏は予言した。
 そうなると、高齢者介護、病院の待合室、公共施設の案内、学習・言語教育、デパート・小売店、駅・交通機関などさまざまな場面(シーン)で人間型ロボットが活躍するようになるだろうという。

                    
               ※ ソフトバンクが製作販売した人間型ロボット「pepperくん」です。

 石黒氏はまだまだ未来を見る。
 石黒氏の製作するアンドロイドはかなりの程度会話も可能となっているが、氏の現在の研究のテーマは「対話における理解とは何か」という段階だという。つまり、アンドロイドが人間の話をいかに理解し、適切な言葉を返して対話できるようロボットの開発を目指しているということだろう。

 また、「感情」についても言及した。人間の感情というのは、そもそも他から教えられたことによって感情を育てたという。だからロボットにも教えることによって感情を持たせることは可能であるという。
 さらには、人間では考えられないことをロボットが発見する可能性すらあると石黒氏は示唆した。

                    
               ※ 石黒氏が講演会場に唯一持ち込んだ人間型ロボットです。

 う~ん。私のような凡人には石黒氏がイメージする人間型ロボット(アンドロイド)の未来図がどのようなものなのかはっきりと描けないが、近い将来に私たちの周りには人間型ロボットがごく普通に存在する時代が割合早くやってくるのかもしれない。


近大をぶっ壊す!?

2016-11-16 21:56:59 | 講演・講義・フォーラム等
 なんとも物騒なコピーである。最近何かと話題になる近畿大学には世耕広報部長という仕掛け人がいるらしい。その世耕氏の講演を聴いたのだが、講演前のスクリーンには下のようなポスターが掲げられていた。その世耕氏の話とは…。 

          

 11月11日(金)午後、アクセス札幌(白石区流通センター4丁目3番)で開催されていた「ビジネスEXPO」なるイベントが開催された。
 私のお目当てはEXPOそのものではなく、同時に行われていたビジネスセミナーを聴くことだった。セミナーは期間中の10日、11日の両日にわたって八つのセミナーが用意されていたが、私が申し込んだのは、近代広報部長の世耕氏と大阪大学教授の石黒氏の人間型ロボットの講演だった。
 その中から、今回は近大広報部長の世耕石弘氏「知と汗と涙の近代流コミュニケーション戦略」と題した講演をレポすることにする。

               

 世耕氏は講演の冒頭で次のように宣言した。「自分は教育者でもなければ、研究者でもない。ただの広報マンである」と…。
 近大の最近のトピックは、2014年の入試において、志願者数が10万5千人を超え、早大や明大を上回り全国一位の志願者数を獲得し、以後3年連続してその座を獲得しているという。わずか2年前の2012年には8位だったというから驚きである。
 その要因について同大学では、(1)メディアへの露出増加 ~養殖魚専門料理店「近畿大学水産研究所」オープン~、(2)「近大エコ出願」による広報効果 ~全国初の出願完全インターネット化~、(3)女子志願者数の増加 ~女子学生を意識したキャンパス整備の推進~、を挙げているという。
 世耕氏の講演はその詳細について述べるものだった。

 さて冒頭の「近大をぶっ壊す」だが、近代ではちょうど各キャンパスの校舎が建て替え時期に入っていたこともあったのだが、それと同時にこれまでの近大の在り方を壊す、これまでの固定概念をぶっ壊す、という意味を込めたものだったという。
 固定概念(これは近代の造語だという)、それは関西の大学には、「京大・阪大・神大」、「関・関・同・立」、「産・近・甲・龍」という予備校がランク付けした言葉が存在し、そのランク付けが抜き難いものになっていると世耕氏は言う。「近大をぶっ壊す」には、そうした世間の評価をぶっ壊したいという思いを込めたものだという。

 そこから世耕氏を中心とした近代広報部の怒涛の攻勢が始まったようだ。第一弾は世間的にも大きな注目を浴びた完全養殖による「近代マグロ」の誕生である。これを大々的に売り出すことから近代の攻勢は始まったようだ。
 その攻勢の要諦はインターネットを徹底して活用するという戦略だったそうだ。既成概念にとらわれないポスターやコピーは若者から注目を浴び、またたく間にネット上で拡散され、近大の名が認知されていったという。特徴的なポスター、コピーの何点かを添付してみる。

                 

                 
                 ※ いやいや、なんともドキッとさせるようなインパクトのある募集広告です。

 次に近代の名を高めたのが「エコ出願」という入学願書のペーパレス化だという。このペーパレス化に踏み切った際のコピーなど秀逸である。

     

               
               ※ このコピーなどクスッと笑わせますよね。

 女子志願者数の増加については、世耕氏が受講者に手渡した「近畿大学 大学案内」が何よりそれを物語っている。名付けて「近大“青春”グラフティ」と題した大学案内である。学外からは「大学がファッション雑誌作るなんて」と眉をひそめられたというが何のその、女子高校生をはじめ若者には大受けだという。

 まだまだ語りつくせない。ともかく世耕氏はエネルギッシュに近大を売り込むこと、近大をメジャーにすることに邁進している。
 近畿大学の教員たちはこうした近大の変容をどう受け止めているのか、それを知る由もないが、世耕氏がなぜこれほどドラスティックに近大のイメージを変えていけたのか、少々不思議な気もして調べてみた。

 彼自身は近畿鉄道の社員としてキャリアを積んでいて、近大の広報部に転職したということだったが、実は世耕氏の祖父の世耕弘一氏が大学の創設者であり、父親や叔父、そして兄(世耕弘成参議院議員、経産大臣)は大学理事長を経験されたというバックボーンがあって、改革にも辣腕を発揮できたのでは推察される。

 世耕氏は強調する。近大の建学の精神は「実学教育」であると…。としたとき、今の近大の在り方は一つの私立大学の在り方として注目に値するものかもしれない。
 多くの学生を集めることによって、大学の質もまた高まっていくことが期待できるということだから…。


明日の観光を考える Vol.1

2016-11-15 18:23:23 | 大学公開講座
 北大の公開講座「明日の観光を考える」が始まった。今回の講座は、講師から一方的に話を聞くだけの講演型ではなく、講師からの「宿題」に対して、受講者が任意で回答を提出し、その回答をもとに講師が再び解説するという講座だそうだ。第1回目、日本にも広がりつつある「ロングトレイル」についての講座だった。 

 北大の公開講座「明日の観光を考える」が11月10日(木)から始まった。講座は7回シリーズと公開講座の中では長丁場である。(12月22日まで続く)
 第1回目は、「大地を自ら歩きぬく『ロングトレイル』を楽しむ滞在」と題して、木村宏特任教授が担当された。

                    

 講座の概略は、最近日本でも注目され出した「ロングトレイル」についての解説と、その魅力を紹介するものだった。
 その中で、リード文にも書いたように、木村特任教授から私たちに「宿題」が出された。
 その宿題とは「札幌にロングトレイルを造るとしたらどのようなコースが考えられるか」というもので、そのコース設定にあたっての付帯条件も何点か付加された。

 そこで私は翌日に下記のような回答を書き送った。その回答から、講座の内容が類推することができるのではと考え、全文をここに掲載することにした。

                    
              ※ 今年7月末に全国公開されたアメリカ映画だそうです。残念ながら見逃しました。


北海道大学 観光学高等研究センター
        木 村   宏   様

 昨日の講義は私にとって思いがけなくワクワクするような素晴らしい講義でした。
 と言いますのも、私は軽登山、フットパス、そしてロングトレイルも趣味として楽しんでいるからです。
 私のロングトレイル体験は、北根室ランチウェイ(2泊3日)、熊野古道(3泊4日)、中山道木曾7宿(4泊5日)、富士山 0 to Summit(3泊4日)など、その他にも泊を伴わないロングウォークの体験がかなりあります。先生に紹介いただいた数々のロングトレイルコースも憧れのコースばかりです。
 加藤則芳氏のアパラチアトレイルを往くBSの番組も視聴していましたので「今回の講座で繋がったぁ!」という思いでした。

 さて、課題についてですが「札幌にロングトレイルコースを作るとすれば…」という問いをいただいたときに、すぐに思い浮かべたのが「札幌緑の回廊構想」という計画でした。何かの講座でその構想を記した厚い冊子をいただいた記憶がありましたので、帰宅して探したのですが残念ながら見当たりませんでした。
ネット上を検索してみると、確かにそうした構想は存在しているようです。
 構想としては札幌の周囲をぐるっと緑で取り囲むという構想です。ただし、その実現はかなり難しそうだなあ、というのが講義を受けたときの印象でした。
しかし、その緑の回廊構想と、札幌を取り囲むロングトレイル構想はリンクして考えるには夢のある話だと思います。

 次に思い出したのは、フットパス・ネットワーク北海道の代表の方が、やはり札幌を取り囲むようなフットパスコースを構想していることを耳にしたことがあります。

 もう少し実現性のあるプランとしては、札幌市内には札幌市(各区)が提唱する計130余りのウォーキングコース、また25のイヤーラウンドコースが設定されています。(そのすべてを私は歩いた経験があります)
 そうした既存のコースをうまく繋いでロングコースを設定するという方法もあるかと思います。
 コースの中には観光都市サッポロを見てもらうようなコースもあります。ただし、市内のウォーキングコース設定の主目的はあくまで市民の健康づくりに役立てようという目的なのですが、それをうまく転用・活用できると良いと思いますし、実現の可能性も高いように思われます。

 札幌市内に限るのではなく、札幌をスタートあるいはゴール地点とするコースとなると選択の幅はぐっと広くなると思います。
 札幌市内、あるいは近郊の道路や散策コースに熟知した人たちから情報を集めることによって魅力的なコース、チャレンジングなコースの設定が可能になるのではと思われます。

 問題は誰が音頭を取るのか、ということだと思います。
 〝歩く″ということに関して、既存の組織として私が認識しているのは、「札幌歩こう会」と「フットパス・ネットワーク北海道」があります。しかし、この二つの組織はその趣旨、目的に微妙な違いもあるようで、どちらかが音頭を取り、他方が協力するという体制は取りづらいのかな、と思われます。
 ここはやはり先生のような有識者が両組織、ならびに関係機関、あるいは興味のある個人などに呼びかけて、まずは雰囲気づくりから手を付けるべきかな?と思います。

 今春、熊野古道を歩いたとき、目に付いたのは日本人より欧米系の若者でした。熊野古道の場合は、その神聖性もあり外国人には人気なのかもしれませんが、それと同時に欧米人の健康志向が表れた結果だと思われます。
 我が国においても団塊世代がリタイアしたこともあり、街中には明らかに健康を意識したウォーキング族が目立つようになってきました。しかし、街中でポールを握ったノルディックウォーキングに取り組む姿を見るとなんだか物悲しい思いになってしまいます。けっしてそのことを非難するのではありませんが、同じウォーキングをするなら、もう少し自然豊かな中で取り組んだとしたらもっと楽しく、心地よい汗を流せるだろうに、と思ってしまいます。
 そうした方々にも身近に取り組めるトレイルコースがあるとしたら、きっと喜んでそうしたコースを歩く人が増えるのではないか、と思います。

 課題に対する回答になっているのかどうか自信はありませんが、先生にいただいた課題を私なりに考えてみました。

                           「明日の観光を考える」受講者  〇〇 〇〇


          
          ※ 日本のロングトレイルの代表格ともいえる熊野古道です。

 さて、木村特任教授は私の回答に対して、どのようにコメントしてくれるだろうか?
 いや、多くの回答が寄せられているとしたら、私の回答など相手にされないかもしれない。今週木曜日(11月17日)の講座が楽しみである。


少子・高齢社会の日本の行く末は?

2016-11-14 23:34:18 | 講演・講義・フォーラム等
 講師の牧野東大大学院教授は、「これからの社会の大きなテーマは、社会的であること」と主張する。「社会的であること」とは? 教育学者が説く我が国のこれからの在り方について耳を傾けた。 

 11月10日(木)、道立生涯学習推進センターが主催する「生涯学習推進専門講座」に参加した。この講座は市町村の社会教育を担当する職員など行政職員を対象としたものだったが、講座の冒頭の基調講義だけは一般市民にも公開されたために受講した。

 その基調講義は、東大大学院教育学研究科教授の牧野篤氏「学び:自分と世界をつくり出す運動 ~地域に必要なコーディネーターのあり方~」と題して講義した。

                    

 牧野氏は講義の冒頭で、劇作家の平田オリザ氏の「下り坂をそろそろと下る」という著書の中の一文を紹介してくれた。その一文とは…、司馬遼太郎が著した「坂の上の雲」を模して次のように日本の行く末を示唆したという。
 「まことに小さな国の衰退期には三つのさみしさに耐えること」として、「もはや工業立国ではない」、「もはや成長は望めない」、「もはやアジアの先進国ではない」と断じたという。そして「もうこの社会の希望はさがし出せない」とし、「新しい社会をつくる文化 = 生き方を生み出す」ことが必要だと指摘したという。

 牧野氏がこの一文を紹介したということは、牧野氏自身が平田氏の考え方と軌を一にすることを物語っている。つまり、日本の行く末、いやもう差し掛かっている「高齢社会」、「少子化社会」、「人口減少社会」という日本の現実を直視し、その現実を受け止めたうえで日本の将来を語るべきではないか、という問題提起と受け止めた。

 よく言われることであるが、今後我が国においては、これまでの成功モデルが通用しなくなった、ということが良く言われるようになった。つまり良い大学を出て、良い会社に入って、etc、etc …。このような図式が産業社会(工業社会)の終焉とともに崩れてしまい、価値観が転換したと牧野氏は指摘する。
 その価値観とは、個人の人格を完成し、自我を形成して、国家へ帰属する(大きな会社、大きな組織に属する)ことを普遍の原理として社会が統合していたのが日本社会だったが、その考え方が成り立たなくなったというのだ。

 すると人々はどう対応すれば良いのか、というと…。牧野氏は次のように言う。
 「学習」による自己価値の実現をベースに、「学習成果の活用」による社会参加を促し、「生涯学習を通したまちづくり」へ国民が参加することだという。

 牧野氏の処方箋はやや弱い気もするのだが、教育学者として価値観の転換を教育的立場からどう考えるかとしたときには当然の帰結とも言えるかもしれない。
 牧野氏の指摘を誤解を恐れずに、私流に言葉を変えて表現するなら、これまでの「学習」はどこかに所属するため、だれかに認められるための学習であった。しかし、これからの「学習」は自らの自己実現のために学習し、その成果を社会に活用するようなシステムにしていく必要があるとした。それはまた、一時期だけの学習ではなく、生涯を通した学習によって、子どもも、若者も、老人も全てが「まちづくり」に参加するような社会を目ざす社会でありたい、と指摘したと受け止めた。

 牧野氏の講義は、もっともっと多岐にわたったのだが概略上記のようだったと理解した。そして講義題との整合性だが、価値観の転換によって「学習」の質が転換するにあたって、生涯学習を支援する立場の社会教育関係者は、地域の住民が学習するにあたってのコーディネーターとしての在り方を見直そう、という趣旨だったと理解した。

洞爺湖畔フットパス 四十三山コース

2016-11-13 16:55:43 | フットパスウォーク & トレッキング
 このコースは洞爺湖温泉と壮瞥温泉の間に位置する「四十三山(よそみやま)」、別称「明治新山」とも称される小さな山を登りながら周囲を周回する軽登山コースだった。本来は洞爺湖を眼下に望めるコースなのだが、降雪のために眺望は効かず退屈な軽登山となった。 

     

 この日(11月9日)、朝一番に「金毘羅山コース」を巡った私は、続いて洞爺湖温泉街の外れにある公共駐車場がスタート&ゴール地点となっている「四十三山コース」を歩くことにした。

               
               ※ このようにコース閉鎖の表示が出ていたのですが…。

 ところが!スタート地点に立ってみると、「平成28年8月31日の台風による倒木被害のためコースを閉鎖します」と表示が出ているではないか!
 「ここまで来て、それはないでしょ」という気分だった。そこで注意を促してくれている方には大変申し訳ないけれど、私自身の責任において、倒木のところまで行ってみて、そこを越えられないようであれば引き返して来ようと考え、コースに入らせてもらうことにした。スンマセン(m(._.)m)

               

 スタート地点直後は写真のように流路工沿いの緩い傾斜を上がっていくが、やがて流路工沿いを離れ、本格的な階段登行となる。この階段が丸い自然石を並べた階段になっていた。
 この「四十三山コース」では、ある程度の斜度がついているところのほとんどに自然石が使われていた。30cm前後の丸い自然石をよく集め、そして運んだものだと感心した。

               
               ※ 写真のような自然石を並べた階段が延々と続いていました。

 斜度が緩くなったところでコース閉鎖の理由となった倒木がコースを塞いでいた。しかし、それほど酷い倒木ではなく、難なく倒木の横をすり抜けることができた。
 その後のところどころで小さな倒木がコースを塞いでいるところがあったが、特に問題はないと思いながら進んでいたところ、コース最大の難関が待ち構えていた。太い倒木3~4本コースを大きく塞いでいた。倒木の横をすり抜ける隙間も見つからなかった。そこで横たわった倒木の上に乗って、そこを乗り越えた。以前、冬に豊平峡ダムを目ざした時の倒木と比べるとそれほど難しいとは思われなかった。

               
               ※ 最初に現れた倒木ですが、こちらは難なく脇を通り抜けることができました。

               
               ※ こちらは大木が二重、三重に折り重なって、なかなか大変でした。

 コースの道標で気付くことがあった。それは「金毘羅山コース」との共通性がなかったことだ。こちらの「四十三山コース」の道標の方が新しいと思えたのだが、現在地が表示されていないのはどうしたことか? マップの表示と、現地の道標とを見比べて現在地を確認するウォーカーが多いと思われる。そこへの配慮がほしいなぁ、という思いだった。

               
               ※ 立派な標識なのですが、現在地を知る手がかりを得ることができませんでした。

 そうするうちに四十三山の山頂に到達した。山頂には展望台が建てられていた。本来であれば展望台からは眼下に洞爺湖の眺望が広がっているはずだか、厚い雪に阻まれて何も見えなかった。

               

               
               ※ 展望台からはごらんのように何も見えませんでした。

 このコースには、私が取り寄せたマップには表示されていなかった「噴気口コース」というのが併設されていた。そのため少々迷うところもあったが、なんとか正規のコースを辿ることができた。
 その中で、現地の標識の案内で、近くに一つの噴気口があると知って寄ってみた。
 四十三山(明治新山)が明治43年の噴火活動によって形成された山という証の一つなのだろう。

               
               ※ 噴気が出ている孔の周辺だけは緑色が鮮やかです。

 四十三山からの下山コースも、階段のところには丸い自然石が並べられていたが、雪が乗って滑りやすい状態だったので慎重に下山した。
 下山口のところには旧火山観測所の廃屋がたたずんでいた。
 そこを過ぎると、壮瞥温泉の端に出て、国道をスタート地点まで戻った。

               
               ※ 下山コースもご覧のように丸い自然石が敷き詰められた階段でした。

               
               ※ 旧火山観測所の廃屋です。

 時間としてはもう一つくらいフットパスコースをウォークする時間はあったが、二つのコースを巡り、雪の覆われたモノトーンの世界は今一つ魅力に乏しく、さらには時折り激しく雪が降り続くコンディションのために断念した。
 やはりフットパスウォークが似合うのは、緑の季節が相応しいということだろう。他日を期したいと思い、この日は終了することにした。

               
               ※ 洞爺湖畔の駐車場から灰色に煙る洞爺湖を撮りました。

コンサ 優勝を手繰り寄せる劇的逆転勝利! By パブリックビューイング

2016-11-12 17:30:15 | スポーツ & スポーツ観戦
 まだ優勝が決定したわけではない。ぐっと優勝に近づいた価値ある勝利なのだ。しかし、試合は完全に千葉が支配していた。私はまたまたコンサの疫病神となるのか、と傷心の思いで試合を見守っていたのだが、戸倉が!内村が!やってくれました! 

 いつも言っているようにスポーツの結果は生もの、2日も、3日も置いていては価値はなくなってしまう。フットパスレポは明日以降に回して、パブリックビューイングで観戦したコンサドーレ戦をレポすることにする。

                    
               ※ 動物園内に掲示されていたパブリックビューイングの告知板です。

 今日(11月12日)コンサはアウェーでジェフユナイテッド千葉との戦いだった。その試合をなぜか円山動物園内でパブリックビューイングが行われると知って駆け付けた。
 円山動物園には、西口イベントハウスという倉庫のような建物があって、そこに200席の椅子が設けられて会場になっていた。会場が小さいこともあって、道新ホールのパブリックビューイングより画面を大きく感じながら観戦することができた。
 席はもちろん満員で、立見の方も目立った。

               
               ※ 一番早い人はいったい何時から並んでいたのでしょうか?

 試合は前半立ち上がりこそ互角の試合運びだったが、徐々に千葉に押し込まれる場面が続くようになった。千葉はゴール前でボールが面白いように繋がり分厚い攻めを繰り返す。      
 一方コンサは、チャンスが訪れたと思っても、ボールを繋ぐことができず単発の攻撃しかできない。いったいどちらが首位を走っているチームなのか、と嘆きたくなるほどだった。
 そうした中前半31分、千葉の分厚い攻めが功を奏し、先制点を許す展開となった。その後も札幌にはチャンスらしいチャンスは訪れず、観ているサポーターをやきもきさせる試合展開で前半を終えた。
 ため息ばかりの私だった。そして「私はコンサにとって疫病神なのではないか」と思い始めていた。何せドームで観戦した対ヴェルディ戦、道新ホールのパブリックビューイング観戦の対熊本戦と二連敗して、今日の前半戦の戦いぶりなのだから…。

               
               ※ 敵地千葉のスタジアムを埋めた赤黒のサポーターたちです。

 後半が始まっても試合展開は変わらない。千葉にいつ2点目が入っても不思議でない戦いが続いた。千葉の攻勢の前に最後のDF、あるいはGKの守りでかろうじて2点目を防いでいるといった戦いぶりだった。
 そうした中、後半も残り20分を切った26分、フリーキックを得た札幌が、キッカー福森のクロスに戸倉が反応して得意のヘッドで得点し同点とした。
 私も、会場内の空気も「あとは守って引き分けで終わり、勝ち点1でも積み上げてくれ」という雰囲気だった。何せ千葉の攻勢は続いたのだから…。

               
               ※戸倉選手がゴールを決めた後の会場内の盛り上がりです。といっても暗くてほとんど写っていませんねぇ。

 そんな試合展開のまま、アデショナルタイムに入った後半50分、DF河合からのクリアボールにも思えるロングパスにFW内村が反応し、右足を一閃!ボールは見事にゴールに吸い込まれるというコンササポーターにとってはたまらない一瞬を迎えた!
 もう会場は興奮の坩堝!私も周りの誰彼となくハイタッチを繰り返し、喜びを分かち合った!
 奇跡的な勝利によって、札幌はJ2優勝をぐっと手繰り寄せたのだ!

               
               ※ 奇跡的な逆転勝ちを喜ぶ敵地に駆け付けた札幌のサポーターたちです。

               
               
 今日現在の戦績では、札幌が勝ち点84で頭一つ抜けて、2位に松本と清水が勝ち点81で並ぶという情勢である。
 札幌は最終戦に引き分け以上で優勝が決定する。最終戦はホーム札幌ドームでJ2の21位に低迷するツエーゲン金沢が相手である。よもや負けることはないだろう、と思いたい。
 疫病神の呪いも消えた。20日14時キックオフの最終戦を札幌ドームで見届けることにしている。優勝を信じて…。

               
               ※ 殊勲の内村選手がハンドマイクでサポーターに挨拶しているところです。

 しかし、パブリックビューイングを観るのも大変である。
 私は今日10時過ぎに家を出た。円山公園までは自転車で行き、そこから歩いて動物園に向かった。というのも、観戦券の配布が午前11時からとなっていたからだ。
 円山動物園の西口イベントハウス前に着くと、すでに100人位の人が並んでいた。そこで約20分位並び観戦券を手に入れたのだが、その観戦券は自由席である。
 続いて良い席を確保するため、再び開場時間の12時まで並ばされることとなった。
 文庫本を手に1時間並んでようやく会場に入り、ちょうど真ん中付近に席を確保した。
 キックオフは13時である。この1時間の間に昼食を摂り、用便を済ませた。
 そして2時間の観戦だった。帰宅したのは16時近くだった。
 都合、私は今日のパブリックビューイングでの観戦のために6時間近くを費やしたのだった。
 ふーっ、時間が自由なリタイア族だから我慢できるが、現役世代の人たちにとっては相当な犠牲を自らに課して観戦していたのだろうなぁ(そうした現役世代の方々が多かった)
と思うと、今日集まった方々は相当に熱いコンササポーターなのかもしれない…。ごくろうさま。

               


洞爺湖畔フットパス 金毘羅山コース

2016-11-11 20:23:43 | フットパスウォーク & トレッキング
 時折り雪が激しく降る中でのフットパスウォークだったが、2000年の有珠山噴火の爪痕が残る興味深いコースだった。ただ雪が舞い、隆起したり、分断された様子を見る(トレッキングする)には、必ずしも適切な季節ではなかったようだ。 

         
               
 前日、「秘境小幌モニターツアー」に参加した私は、そのまま帰るのも芸がないと考え、洞爺湖畔に一泊し、翌日洞爺湖畔に設置されたフットパスコースを2~3巡ってから帰ろうと計画を立てた。

 洞爺湖畔のフットパスコースは、私が取り寄せたガイドブックでは6つのコースがあった。その中から、私がまず選んだのは、2000年の有珠山噴火の爪痕が残る「金毘羅山コース」だった。スタート地点が宿泊したホテルのすぐ前だったことも選んだ原因の一つである。それはマップの表記とは正反対のスタート地点である「洞爺湖町火山資料展示室」という旧消防庁舎前からの出発だった。

               

 スタート地点の旧消防庁舎は、ちょうど洞爺湖畔のホテル街から小山を一つ越えたところにあり、コースは湖畔との間にある金毘羅山の裾を回って湖畔まで行き、折り返す往復コースだった。(距離にして往復4.5キロ)
旧消防庁舎の裏側は噴火によって大きく陥没し、今は水を湛えた大きな沼になっていた。

               

 そこから金毘羅山へ向かっての緩やかな上りが続く。途中にはこれも噴火によって廃墟となってしまった旧ゴミ焼却場の高い煙突が物悲しく立っていた。

               

 コース脇に立てられていた説明板には、辺りが噴火活動によって土地が隆起したということだが、噴火から15年以上経過したこともあるのだろうか、凹凸は認められるものの雑草が生い茂っていて、写真に撮るには相応しいと思えず、一枚も撮ることがなかった。

 金毘羅山の裾のピークを過ぎ、洞爺湖畔が視野に入ってくると、さまざまな噴火の爪痕を見ることができた。
 まず目に飛び込んできたのが、金毘羅山の山肌が大きく崩落し、草木も生えていない茶褐色の山肌だった。
 また、その沢の部分には砂防ダム(泥流ダム?)が設置されているのが見えた。

               

               

 続いて、2000年にできた噴火口の跡に水が溜まった二つの噴火口が現れた。その二つの噴火口には、「有くん火口」、「珠ちゃん火口」と、ちょっとお茶目な名前が付けられていた。
 この命名は、有珠山噴火を予知するなど、有珠山噴火に対して人的被害を未然に防いだ岡田弘北大名誉教授ではないかと思われるのだが、はたして真相は?

               
               ※ 青い水をたたえた「有くん火口」です。

               
               ※ こちらはノーマルな水の色の「珠ちゃん火口」です。

 二つの火口からやや下ったところに大きな断層が見えてきた。近くにあった説明板によると、「木の実の沢の火山性活断層」とあった。

               

 その後、湖畔に向かってどんどん高度を下げていったが、湖畔に入る直前に大きな壁が周りを覆っていた。その向こうには、噴火の被害を受けて廃墟となった4階建ての町営住宅が建っていた。
 果たして大きな壁は噴火前からあったものだろうか、それとも後なのか?私には判断がつかなかった。

               
               ※ 目の前に大きな壁があり、壁の向こうに廃墟となった町営住宅が見えます。

               
               ※ この写真は町営住宅側から壁を見たところです。 

               

 町営住宅のところまで行くと、スタートの標識が立っていたことと、雪の降りが激しくなっていたこともあり、マップ上のスタート地点である「洞爺湖ビジターセンター」には寄らずに折り返した。

 紅葉が終わり、その上雪が降っていたこともあり、すっきりして光景とはいかず、写真としてはつまらないものとなってしまったのが残念だった。

               
               ※ コース上には写真のような標識が立てられていた。標識に意味は、上からコースの
                レベル(軽登山レベル)、現在位置(T8)、ウォークの方向(右方向)を表します。