田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ブリリア会納涼ビアパーティ

2018-08-11 21:53:45 | ボランティア

 昨年に続いて2度目のビアパーティだった。参加者は昨年より少なかったが、和やかに楽しいひと時を過ごした。会の中では、マンションコミュニティを築くための貴重な意見もいただいた有意義なパーティーだった。

 

 近代美術館前の歩道の清掃ボランティアに取り組んでいる「近美を愛するブリリアの会」では、昨年初めて懇親のためのビアパーティを開催した。ところが時期を逸し、8月31日に開催したこともあり、「往く夏を惜しむ会」と称しての開催だった。

 

 今年は夏の盛りの開催ということで「納涼ビアパーティ」と称して昨日10日(金)に開催した。

 会場は昨年に引き続き、ニューオータニイン札幌のダイニングラウンジで行った。

 ニューオータニインには「カジュアルナイトフェア」と銘打って90分食べ飲み放題で2,900円というリーズナブルなコースがあり、私たちシニアにはちょうど良いコースがあるのだ。

 参加者は日程の合わなかった方も多く7名の参加だった。

           

 会はいつも陽気なMさんがリードする形で楽しく歓談が進んだ。

 シニアの会らしく、身体のこと、孫のこと、マンションライフのこと、等々…。

 そうした歓談の中で、Mさんから一つの提案があった。

 「マンション入居以来、10年が経ちそれぞれ年齢を重ねて、かなりの方がシニア世代の仲間になってきた。その方々との交流の場があってもいいのでは?」

という提案だった。

 私に異存はない。もともと私たちの「近美を愛するブリリアの会」もそうした思いを抱きながら呼びかけ、これまで活動を続けてきたのだ。ただ、残念なことにその輪が願っていたほど広がらなかった。(まあ、ボランティアに対するいろいろな思いがあるからだろうが…)

 私は以前からマンション内にそれぞれのプライバシーを尊重しつつ、緩やかなマンションコミュニティが作れないものか、と考えていた。

 Mさんの提案は大きな勇気をいただいたように思えた。

 Mさんと相談しつつ、何らかの形でシニア世代の方々の交流の場ができないものか、少し考えてみたいと思った「納涼ビアパーティ」の夜だった。

 


「神宿る島」宗像・沖ノ島を観る

2018-08-10 15:23:47 | 「めだかの学校」関連

 女人禁制の島として知られる「沖ノ島」を含む関連遺産が2017年世界文化遺産に登録された。日本の世界遺産を学ぶ「めだかの学校」では、この度「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」に関するDVDを鑑賞し、その神秘性に迫った。

            

          ※ 「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の中核的存在の沖ノ島全景です。周囲4キロということです。

 

 私が所属する「めだかの学校」の8月第1月曜日の講座は「日本の世界遺産」をDVDで学ぶ講座だった。(月の内もう一回は野外講座を行っている)

 この回の対象は、「ル・コルビュジェの建築作品」と前述した「沖ノ島」に関連するDVDの鑑賞だった。ル・コルビュジェについては、東京にある西洋美術館が彼の手による設計・建築ということだが、世界遺産となった対象の多くは海外の建築物ということで、彼の作品に論及することは割愛する。

 

 さて、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」の概要について簡略に説明している文章を見つけたので、それを紹介する。

 沖ノ島は九州と朝鮮半島の間に位置し、島全体が信仰の対象とされる。4~9世紀、朝鮮半島や中国大陸との交流成就や、航海の安全を祈る大規模な祭祀が行われた。この変遷を示す考古遺跡が、ほぼ手付かずの状態で残されていた。

 島では朝鮮半島からの金製指輪やペルシャ(イラン)からシルクロードを通じてもたらされたと考えられるカットグラスわん片など約8万点の奉献品が出土。全て国宝に指定され、「海の正倉院」とも呼ばれる。小屋島、御門柱、天狗岳の3岩礁は、沖ノ島の鳥居の役割を果たしている。

           

          ※ 三つの宮、そして韓国・釜山の位置関係を示す図です。

 この「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は多くの構成遺産とその位置関係が複雑なので、ここで整理してみたい。

 まず、この世界遺産の中核をなす「沖ノ島」である。沖ノ島は九州本土から約60キロの海上にある周囲約4キロの島である。島は宗像大社の神領(御神体島)として「沖津宮」が鎮座する。沖ノ島の周囲には鳥居の役目をしている小屋島、御門柱、天狗岳の岩礁が取り囲んでいる。

              

              ※ 沖ノ島に鎮座する「沖津宮」の拝殿です。

 続いて、宗像市神湊港から約6.5キロ沖合には「筑前大島」がある。ここには宗像大社「中津宮」が鎮座するとともに、「沖津宮遥拝所」がある。島は「神守る島」とも称されているそうだ。

          

          ※ 筑前渡島にある「中津宮」の拝殿です。

 そして九州本土・宗像市田島にある宗像大社「辺津宮」である。実質的にこの辺津宮が本宮的存在である。

          

          ※ 宗像市田島にある「辺津宮」の拝殿です。

 この「辺津宮」から「中津宮」、「沖津宮」を一直線に結んだ145キロ沖合には韓国釜山があるという。そうしたことからも4~9世紀において中国大陸との交易にあたって航海の安全を祈願する宗像大社の存在感が大きかったことが想像される。

 関連遺産には、さらに宗像市の隣にあたる福津市にある「新原・奴山古墳群」も含まれている。

 

 とまあ、その構成遺産、そしてその位置関係だけ把握するだけでも大変である。

 DVDにおいては、特に沖ノ島におけるおびただしい遺品の数々、あるいは女人や一般人の入島を禁止する措置により、その神秘性が強調され興味をそそられた。しかし、神の世界のお話は難しい…。


歌舞伎の世界の話を聴く

2018-08-09 16:22:51 | 講演・講義・フォーラム等

 私にとっては縁遠い存在の歌舞伎の世界である。第一に浮世離れした物語の展開についていけない。さらには、次々と俳優の名跡が代替わりしていくのに付いていけない。などなど…、どうも馴染めない歌舞伎であるが、その歌舞伎を楽しむ勧めを聴いた。

          

 8月8日(水)午後、「ほっかいどう学」かでる講座の8月講座が開講された。

 今回のテーマは「歌舞伎を楽しむ ~歌舞伎と北海道~ と題して、能・歌舞伎サロンを主宰する大野洋子氏が講師を務められた。

          

 大野氏はいわゆる歌舞伎ファンが高じて、歌舞伎について深く探求され、その成果を市内の喫茶店において定期的に歌舞伎について講じているという。

 お話はご自身の歌舞伎愛好歴を語られた後、歌舞伎のあれこれについて語られた。

 その概要を記すと、歌舞伎は日本を代表する演劇であり、総合芸能だとした。そして他の演劇にない特徴として「女形」、「花道」、「隈取」などの特徴があるとした。

 そして歌舞伎の魅力を、目に楽しく(美男と美女・豪華の衣装・アッと驚く舞台転換)、耳に楽しく(音楽)、奇抜な設定や意外な展開にワクワク、ドキドキ! 役者に惚れてハマリ込む、とし庶民の娯楽であると語った。

                

 その他についてもさまざま語られたが、話をお聴きしているうちになんだか歌舞伎についての参考書を聞かされているような思いになったのは私だけだろうか。

 そうした中で、歌舞伎の家と屋号についての話になったのだが、この辺りになると私は話についていけなかった。歌舞伎の世界の特徴として、後継者が次々と先代の名を継承していくという風習がある。(落語などの世界にもあるが…)そうなると、私のような関心の薄いものにとっては誰が誰なのかまったく分からなくなってしまう。

 そのことが歌舞伎を縁遠いものにしているようにも思う。

           

 大野氏のお話で唯一興味深かったことは、北海道における素人歌舞伎(農村歌舞伎)の存在である。北海道(特に札幌周辺)において明治年代に本州から移住してきた開拓民によって新琴似や篠路において農村歌舞伎が盛んになった時期があったという話である。

 私もその存在については以前から認識していて、新琴似においては「若松座」という専用に芝居小屋があったということ、篠路歌舞伎を起ち上げた花岡義信の顕彰碑を訪ねたことなどがあり、多少は身近な存在と感じられた。

 二つの素人歌舞伎は現在、それぞれ地域の方々の手によって細々とではあるが復活継承されているという。いずれかの機会にぜひ鑑賞してみたいと思う。

 また、本物の歌舞伎についても機会があれば一度本場において体験してみたいと思わせてくれたかでる講座だった。


青葉児童会館の学習支援に学ぶ

2018-08-08 21:12:20 | ボランティア

 平成22年度にスタートし、8年の実績を重ねている退職校長会厚別支部の方々の学習支援の様子をうかがうべく厚別区の青葉児童会館を訪れた。さすがに実践を積み重ねているだけに学ぶことがたくさんあった。

 

 8月2日付の拙ブログで、私の今夏の学習支援が終了したが、より良い支援の在り方を探るべく7日に厚別支部の様子を見学に行く予定と記していた。

 7日(火)、予定どおり朝9時から始まる厚別区の「青葉児童会館」に向かった。8時に家を出たのだが、通勤時間と重なったこともあり約1時間もかけて住宅街にある青葉児童会館についた。

 

 児童会館に着くと、すでに学習支援に見えた退職校長さんたちが挨拶を行っていた。その内容は私たちのそれとは若干趣が違い、ある程度教育的要素が含まれたものだった。私たちのそれは、まだまだ遠慮がちなところが多いのだが…。

 さらには、この日が学習支援活動の終盤だったこともあって、子どもたちにアンケート用紙を配布していたことが新鮮に映った。聞いたところ、そのアンケートの回答を一覧にしてお便りとして配布し、子どもたちだけではなく家庭とも共有しているということだった。

          

          ※ こうしたフローリングの床に座り机での学習は子どもにもかなり大変なのではと思うが、熱心に取り組んでいた。

 そして、子どもたちの自主学習が始まった。

 退職校長さんたちの役割は私たちの場合と大差はない。躓いている子ども、あるいは学習がはかどっていない子どもへの声掛けに徹していた。

          

          ※ 写真のように学習支援はフェースツーフェースで行われることがほとんどである。

 違って見えたこところは、子どもたちの学習態度である。ほとんどの子は見たかぎり真剣に学習に取り組んでいる様子が印象的だった。

 その一つは、ふだんからの退職校長さんたちの子どもたちへの接し方にあるのだろう、と想像された。また、児童会館職員も陰からサポートしている様子が見て取れた。

          

          ※ これは便利!左側の先生が使用している小型のホワイトボードは学習支援の必携アイテムかもしれない。

 そしてもう一つは、支援学習活動が開始される最初に日にもアンケート調査を実施し、自らの目標や心構えなどを記入させ、それをお便りの形で家庭も含めて全体で共有しているとのことだった。

                  

             ※ この日配布されたアンケート用紙です。低学年も多いことから、適度な質問内容です。

 まだまだ工夫されている点があるのかもしれない。

 ともかく、私たちも何らかの工夫や手立てが必要なことを今回学ぶことができた。

 次期の学習支援活動(冬季休業)に向けて、皆で一度話し合ってみることを提案したいと思う。


北大法学研究科公開講座「アジアと向き合う」②

2018-08-07 19:31:37 | 大学公開講座

 「海禁」、「抜荷」などというワードをご存じだろうか?恥ずかしながら私は知らなかった。その昔、中国と我が国の間には「海禁」の制度が敷かれたり、抜荷による密貿易が密かに広まっていたそうだ。

 

 北大法学研究科の公開講座「アジアと向き合う ~温故知新~」の第2回講座が先週2日(木)に開講されたが、ようやくレポしようと重い腰を上げた。

 第2回講座のテーマは「近世日本の抜荷とその文芸化にみるアジア観」と題して、同大法学研究科の桑原朝子教授が講義された。

 

 桑原氏の講義は一風変わったものだった。今では一般的となっているパワーポイントはまったく使わず、黒板もほとんど使用されなかった。そして、まるで用意した原稿を読み上げるがごとく、滔々と淀みなく終始講義された。

 そのため私は効果的なメモを残すことができず、今回のレポは私の中の記憶をもとに掘り起こしてみたい。

 

 まず、講義前に私が調べた前記「海禁」と「抜荷」について記しておくことにする。

 「海禁」とは、「中国明朝時代に行われた領民の海上利用を規制する政策のこと」、

 「抜荷」とは、「抜け荷は江戸時代に幕府の禁令を破って行われた密貿易のこと」ということだ。

 

 近世東アジアにおいては、その「海禁」体制の中で、民間人における「抜荷」によって密かに密貿易が横行していたという。

 江戸幕府はご存知のように鎖国体制を敷いていたが、長崎など四口(長崎、対馬、薩摩、松前)を通して細やかな交易が行われていたことも多くの知るところである。

 

 こうした体制の中で、海外との交易で一儲けをたくらんだり、海外への関心をいだく民間人が「抜荷」という形で密貿易という形で唐との間で交易をしていたという。

 交易品は、日本からは銅、銀、金、俵物が輸出され、唐からは生糸、絹織物、毛織物、薬種、砂糖、獣皮、書籍などを輸入していたそうだ。

 こうした「抜荷」が明らかななったときには、幕府は厳罰で臨んだということだが、なかなか根絶は難しかったようだ。なぜ幕府が厳罰で臨んだかというと、やはり幕府としては貿易の利益を独占したいという背景があったという。また、国内で産出される金・銀などが流出することを恐れていたともいわれている。

 

 桑原氏の講義はここまではある意味で前置きであって、氏の講義は前置きのような時代背景の中で国内に広まった文芸の世界について解説することだった。

 この時代、浄瑠璃作家として一世を風靡した近松門左衛門が「博多小女郎波枕」という作品を発表している。この作品は抜荷で捕捉された田中屋半兵衛事件を取材しながら、直截的には表現せずに、庶民への共感を呼ぶような物語に仕立て上げたところが受けたようである。その粗筋についても紹介されたが、その内容を私が伝えるのは至難であるので省略したい。

 

 近松に続き、浄瑠璃や歌舞伎の世界で次々と類似のものが発表されたという。

 例えば、並木正三の歌舞伎「三千世界商(やりくり)往来」とか、近松の「博多小女郎波枕」を歌舞伎に翻案した「和訓(やまとことば)水滸伝」などがあるという。

 このように庶民は逞しく生き、そしてまたそのことを浄瑠璃や歌舞伎の世界に変えて楽しんだという。

 

 このことから、桑原氏は江戸幕府時代において幕藩体制は変わらない中、民間においては抜荷によって大きな変化があったという。

 このことから、桑原氏は今回の講座の統一テーマの「アジアと向き合う」意義について、民間レベルの個人的な対外交流の存続と意義の大きさを指摘した。欧米や、南米、アフリカなどの諸国と比べ、民間交流が比較的容易なアジアの重要性を見直す機会となってほしいと結んだ。

 

 桑原氏の講義は、その特異(?)な講義方法もあって私には難解な部分もあった講座だった。しかし、近年東アジア、あるいは東南アジアとの共存共栄は日本の重要なテーマとなっているが、違う角度からその重要性を指摘された講義だったと受け止めた。

 

 

 


2018 AMOEBA in SAPPORO

2018-08-06 20:51:24 | その他

 夏の恒例行事である。年に一度、遠い昔道東のある小学校で職場を共にした5人が札幌に集まり旧交を温める行事である。2000年にスタートして、今回は実に20回目の会合となった。(途中、諸事情で一年に2回集まったことがあった)今回もまた、それぞれの健在を確認し、楽しく有意義に過ごした一日だった。

 

 何の因果か?(いやいや、それぞれは十分に分かっているのだが…)5人は離れがたく繋がっている。

 今回も5人集まる予定だった。ところが、現職のY氏が生徒を引率して姉妹都市であるロシアのサハリンの近郊にある某都市を訪問・引率する期間とぶつかり止むを得なく欠席する事態となり、今回は4人での会合となった。

 

 今回の日程は次のとおりだった。

 ◇札幌市教育文化会館でのレポート検討

 ◇京王プラザホテル 日本料理「あきず」で昼食

 ◇J1コンサドーレ札幌 対柏戦観戦(昨日のレポート)

 ◇東急デパート・ビアガーデンで懇親交流会

 

 なんだ!単なるお楽しみの会ではないか、といぶかる声が聞こえてきそうだが、さにあらず、私たちの会(AMOEBAミーティングと称する)は、日程に提示したようにレポート検討が必須となっている。

   このレポート検討は、現職の者は職場での課題やその解決方法について、現職を離れた者はどのような人生を送っているのか、についてそれぞれレポートにまとめて発表し、相互批評をする場となっている。私たちはこの部分を大切にしながら20回を数えてきた。

 

 今回のそれぞれのレポートの概要を記しておくことにする。

           

          ※ 4人でのレポート検討は少し寂しかったが…。

 ◇退職6年後のT氏 「自治会長の仕事」  

 T氏は道東のある町に住み、自治会長の職を任命され2年目を迎えているということで、町内をまとめることの難しさ、そして氏自身が工夫されていることなどについてレポートした。特に地域住民の災害防止策に注力しているとのことだった。

 

 ◇退職2年目のN氏

 N氏のレポートはタイトルがなかった。T氏は現在某町の幼稚園長を嘱託で務める傍ら、東京農大網走校の非常勤講師を務めている。二つの仕事の掛け持ちということで忙しそうだが充実した毎日を過ごしているようだ。

 

 ◇現職校長のY氏

 Y氏がロシアの姉妹都市交流の引率のため、今回欠席した方である。それでもY氏はレポートを提出してくれた。Y氏は学校課題ということではなく、姉妹都市交流の実状と、退職を1年半後に控えた心境をレポートしてくれた。

 

 ◇現職校長のS氏 「協働を見える形にする」

 S氏は道東地方の大規模小学校の校長である。大規模校ゆえに学校課題が山積しているようだ。しかし、その課題解決のためにS氏なりの創意と工夫で果敢に取り組んでいる様子をレポートしたくれた。

 

 ◇そして私である。

 これまでの会合で私自身の札幌での生活をさまざまな角度からレポートしてきたが、今回は「札幌転居以来いかに人的関係を築けたか?」と題して、現在札幌のおいてさまざまな団体・グループに属して人間関係を築いている現状について報告した。

 改めて自分の現状を振り返ってみると、6つの団体やグループに属し、その中でさまざまな人間関係を築かせていただいていることに気づいた。

 人見知りが結構ある自分としては、まあまあかな?と思っているが、これからもできるかぎり人との繋がりを大切にしていきたいなあ、との思いを新たにすることができた今年のAMOEBAミーティングだった。

           

          ※ 会合の最後はぴあがてーんでの楽しい懇親交流会です。

 レポート検討の後は、楽しい楽しい時間を4人で共有し、来年の再会を約し解散したのだった。


コンサ惜敗、赤黒満員大作戦も実らず…

2018-08-05 23:41:31 | スポーツ & スポーツ観戦

 う~ん、悔しい敗戦だった。キックオフ直前にドームに入った私たちには座席が見つからないほど客席が埋まり、サポーターの期待も高まった対柏レイソル戦だったが、1対2で敗れるという残念な結果となった。

 

 今日(8月5日)は年に一度、昔の職場の仲間が札幌に集結する私にとっては大切な日だったが(そのことについては後日レポする)、そのイベントとして今年はサッカーキチの要望を聞き入れ、コンサドーレ戦を観戦することとしていた。

 

 観戦前のスケジュールが立て込んでいたこともあり、会場のドームについたのはキックオフ10分前くらいだった。すると、会場内はほぼ満席状態で座るところを見いだせず、結局私は終始立ったままの観戦となった。

          

          ※ 写真のように会場はほぼ満杯の状況でした。

 試合の詳しい経過について、今回は省略することにしたいが、前半の入りが良かっただけにその間に先取点を取っていれば結果は違ったのではないかと思われたが、反対に前半終了間際に柏に先制点を取られてしまったのが痛かった。

 後半一度は同点とするものの、終始試合の主導権を柏に握られる形で、再び突き放されると、再び追いつく力が残っていなかった。

           

          ※ 一時はジェイの同点ゴールで会場内は大いに盛り上がったのですが…。

 コンサドーレの運営会社は、この日の試合を「赤黒満員大作戦」と銘打って、入場者全員にユニフォーム型Tシャツをプレゼントするサービスを行ったことは反映して26,805人の観衆を集めたのだが、それも実らぬ結果となってしまったのは残念だった。

           

          ※ Jリーグの試合では、必ず写真のように観客数が会場内に報告されます。

 観戦後、J1の試合などほとんど観戦する機会のない仲間と勝利の美酒を共にしたかったのだが、若干苦い試合後の懇親会となってしまった。

 これからもコンサの戦いは簡単ではないと思うが、精いっぱい声援を送り続けたいと思っている。


ばんけいミュージックフェスティバル2018

2018-08-04 21:53:14 | ステージ & エンターテイメント

 今年も参加しました!ばんけいミュージックフェスティバル!数えて6回目の参加は、知人のH氏の誘っての参加だった。このところの連日の暑さも一息ついたのか、心地よい気温の中、ばんけいの山並みに響き渡るサウンドに酔った一日だった。

        

      ※ 例年は花火大会とBMF(ばんけいミュージックフェスティバル)は別日程だったが、今年は同じ日としたため人出が多かったようです。

 今シーズンの野外ライブ第三弾は、今回で6回目の参加となる「ばんけいミュージックフェスティバル」だった。これまで誘うのをためらっていた音楽好きのH氏に声をかけてみたところ同行を快諾してくれたので二人して参加することにした。

 

 今年のフェスティバルに登場したグループは次の7つのグループ(バンド)だった。

 ステージでの写真と、私の簡単な感想を添えることにする。

 

◇札幌市立簾舞中学校スイングジャズオーケストラ

 

        

 毎回、オープニング演奏を務めている中学校のジャズオーケストラである。10数人のメンバー全てが女生徒だった。各パートの音は十分に出ていたように思われたが、さらなる熟成を図るとビッグバンドの良さが出てくるものと思われた。

  

 ◇NATSUKI (バンド名を)

        

       

 NATSUKIもここ数年、毎回登場する方である。いつもはボイスライトというゴスペルグループと登場するのだが、今回はサックス、キーボード、ベース、ドラムスと共に登場した。そして、ゴスペルソングではなくジャズソングを披露した。彼女の歌唱力は定評があるが、それでもやはり彼女はゴスペルが似合うと思われた。

 

 ◇K-BANDO

        

       

      ※ K-BANDOのリーダー(名前は?)と目される方の内藤やす子のカバー曲「弟よ」、「想い出ぼろぼろ」が妙に存在感のある歌い方だった。

 私の記憶とは違い、K-BANDOはボーカル付きのバンドだった。和製ポップスや歌謡曲をカバーするバンドだった。三人のボーカルが登場したが、三人共にかなりの歌唱力で聴かせてくれたバンドだった。

 

 ◇アンサンブルグループ奏楽(そら)

        

 唯一のクラシックグループの登場だった。奏楽はクラシックグループとはいっても、とても柔らかな考え方をするグループである。ミュージックフェスティバルの雰囲気を壊さないような選曲で、クラシックファンでなくとも楽しめる編成であり、その安定した演奏はいつものとおりだった。

 

 ◇ソウルパワー・メモリアルバンド & ビリーキング 

        

               

                ※ 圧倒的な歌唱力で会場を魅了したビリーキング

 メンバーはかなり年齢を重ねた面々だったが、そのパワーは並外れた若々しい演奏だった。加えて、ビリーキングの圧倒的な声量は会場を圧するほどだった。  

 

 ◇ザ・キッパーズ

        

               

               ※ 創立メンバーでもある関東忠勝の若々しい歌声はキッパーズのシンボルです。

 私の毎年のお目当てのバンドである。いつものようにオールディズを息つく間もなく次々と披露してくれた。ボーカルの関東忠勝、合田千春の歌声が心地よく私の耳に響いた。

 

 ◇ジミー東原オールスターズ

        

 毎回、ばんけいミュージックフェスティバルの酉を務めるバンドである。編成が9名+ボーカルの緑川マコということで、いつもよりメンバーが少ないのでは、と思われた。

  選抜メンバーの演奏はいつものパワー溢れる演奏だったが、やはりバンドの中心にいたジミー東原の姿が見えないのは寂しかった。

        

      ※ ちょうど中盤を終えたころの会場内ですが、例年よりは賑わっていました。終盤、花火大会が近くなるとさらに多くの人で賑わいました。

 と、13時から19時まで趣向の異なった音をたっぷりと楽しんだ私たちだったが、最後のオールスターズのステージの頃から雨が落ちてきた。

 私たちはテントの下で楽しんでいたのだが、雨になった途端多くの人たちがテントに集まってきた。その人たちに席を譲ることにして、私たちは少し早めに会場を後にした。

 

 会場では、ミュージックフェスティバルの後、花火大会も予定されていたが、私たちは7つのバンドのライブで十分満足して帰路についたのだった。

 


コンサドーレの本拠地を拝見

2018-08-03 20:53:22 | スポーツ & スポーツ観戦

 北海道コンサドーレ札幌の本拠地というと宮の沢にある「MIYANOSAWA 白い恋人 FACTORY STADIUM」である。1日に長崎に勝利したコンサドーレは、5日の対柏戦に向けてのトレーニング日の予定だったイレブンの様子を拝見させてもらった。

           

          ※ 「MIYANOSAWA 白い恋人 FACTORY STADIUM」の全景です。遠くでコンサの選手たちがトレーニングを行っています。

 連日の好天が続く札幌だが、今日は特に予定がなかったので5日に観戦予定のJ1コンサドーレのイレブンの様子を見に行くことにした。

 地下鉄で「宮の沢駅」まで行き、そこから歩いて「宮の沢白い恋人サッカー場」へ向かった。練習開始は10時と出ていたが、私が着いたのは10時半頃だった。

 私がここを訪れたのは、私の記憶では10数年ぶりのことだった。

           

          ※ 屋根が付いたスタンド席は私が行ったときにはすでに満席でした。

 スタジアムのスタンドにはたくさんのサポーターが詰めかけていた。コンサの最近の好調ぶりにサポーターも期待をもって駆け付けているものと思われる。

 スタジアムのピッチ内ではコンサの選手たちがすでに練習を開始していたが、大きく二つのグループに分かれていた。

 よく見ていると、一つのグループはサッカーボールを使って試合前のようなトレーニングをしていたが、もう一つのグループはピッチの外側を一団となってゆったりとランニングをしていた。

 近くを通ったランニンググループの面々を見てみると、先日の長崎戦の先発メンバーのようだった。

 一方のグループは、ピッチを小さくして紅白戦が始まった。

           

          ※ スタジアム横のコンサドーレ事務所のテラスのところではコンサOBで解説者の吉原宏太さんがTVの録画をしていました。

 そこでコンサの事情をよく知らない私であるが、練習の様子から次のように予想をたててみた。

 ◇8/1(水) 対ファーレン長崎戦(ナイター 3対2で勝利!)

 ◇8/2(木) 長崎から移動日 残留組は15時20分からトレーニング(宮の沢)

 ◇8/3(金) 10時から宮の沢でトレーニング(本日)

         1日の先発組はランニングのみで疲労を癒す(?)

         残留組+ベンチ組 紅白戦などのトレーニング

 ◇8/4(土) 9時30分 前日トレーニング、戦術確認など(ドーム練習場?)

 ◇8/5(日) 9時30分 対戦当日トレーニング(宮の沢)

         14時00分 対柏レイソル戦

 

 ということで、主力組はランニングだけのトレーニングだったようで、11時過ぎにはそれぞれ三々五々クラブハウスへ戻っていった。私は最初に切り上げてきたタイからコンサに移籍し大活躍のチャナテップを間近で見ることができた。

           

          ※ 少年ファンと写真の収まるチャナテップ選手です。

 一方の控え組は、かなり熱が入った紅白戦を行った後も、それぞれが技術練習に取り組み、その後でクールダウンのランニングをしたのでクラブハウスへ戻り始めたのは12時過ぎだった。

 

 さて、本日の投稿はそのトレーニングの様子を久しぶりに多くの写真とともに伝えることにする。

 主力組のランニングの様子からは、まだ先日の長崎戦の疲れが取れていないようにも見えたが、明日のトレーニングでギアを上げて、5日にはトップコンディションにもっていってくれそうな雰囲気があった。5日の対柏戦を楽しみにしたい。

          

          ※ 前列右は進藤選手、中が長嶺コーチ、左が三好選手のようです。進藤選手の後ろがチャナテップ選手です。

          

          ※ 右から、深井、三好、チャナテップ、長嶺コーチ、ク・ソンユ、通訳、ジェイ、一番左は不明です。

          

          ※ 札幌の若き期待の星・菅選手です。

          

          ※ 今やコンサの精神的支柱の主将の宮澤選手です。

          

          ※ 今季コンサに加入し、不動のレギュラーの位置を確保した駒井選手です。

          

          ※ 札幌の顔(?)小野選手も元気そうでした。

          

          ※ 左は都倉、その右はコーチ?、そしてその右は稲本、その横の外国人選手は誰だろうか?

                   

                   ※ 札幌の点取り屋都倉選手です。


夏休み学習支援活動終了!

2018-08-02 22:26:38 | ボランティア

 今季で6度目となる長期休業中の児童会館における学習支援活動だが、本日で私の活動は終了した。ふだんなかなか接することのできない子どもたちとわずかな時間だが共にすることで、元気をもらった学習支援活動である。

                

 私たちのキャリアを社会や地域のために生かす活動の一つが子どもたちへの学習支援だと考えている。

 私たちの退職組織の一つ、厚別支部がずっと以前から長期休業中に児童会館で学習支援活動をされていることをうかがっていた。私たち中央支部もそれに倣おうと、4年前から取り組み始めた活動である。

 

 今季も担当が「二条小はるにれ児童会館」と「緑丘児童会館」と連絡を取り、夏季休業期間中の7月26日から8月6日までの7日間を学習支援に入ることになった。

 私はそのうち、7月26日、30日、8月2日の3日間活動に参加した。

 二つの児童会館は、それぞれ学習時間が違う。はるにれ児童会館が8時45分~9時30分。緑丘児童会館が10時から10時45分となっている。そのため同じ日に二つの児童会館の学習支援を行うことができるのだ。

 

 学習支援といっても大げさなものではない。子どもたちが夏休みの課題に取り組んでいるところを見守り、励ましたり、ほめたりすることが主たる活動である。ときに躓いている子がいたら、できるだけ効果的なヒントを与えることもある。

 あくまで子どもたちの自主的な学習を支援することなので、強制はけっしてしない。

           

 子どもたちはさまざまである。何も言わなくとも黙々と課題に取り組む子。おしゃべりばかりしてなかなか学習に取り組もうとしない子。教室ではないということもあり、伸び伸びとしていて、ひとり一人が個性を十分に発揮しているのも児童会館の特色の一つかもしれない。

 そうした子どもたちと接することからすっかり遠くなってしまった私たちには、彼らからたくさんの元気をもらっている感じがする。

 

 私たちはこれまで自分たち流で子どもたちに接してきたが、「これでいいのかな?」という疑問も湧いてきたので、この夏は学習支援活動の先輩である厚別支部の活動の様子を見学しよう、ということになり来る7日に一部役員で訪れることにしている。

 厚別支部の支援活動を見させていただいて、私たちの活動を見直し、よりよい支援活動の在り方を探り、今後に生かしたいと思っている。