田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ワンコインランチ紀行 39 麺屋サスケ 時計台店

2019-02-18 16:36:40 | ワンコインランチ紀行 

 食券発券機による会計だったり、テッシュが店内に一カ所しかなかったりするのは、どうなのだろうか?ちょっとチープな店に入ったような感覚を持ってしまったのは私だけだろうか?

 ※「冬の石狩川河岸を遡る」関連の投稿がしばらく続いた。その間、ワンコインランチ紀行も行っていたので、ストックしていた分をサンドイッチ状に投稿することにしました。


           

          ※ 麺屋サスケは、地下一階といっても一部青空が見える地下部分という造りになっていた。

 麺屋サスケ 時計台店は時計台ビル地下の飲食店街の一角にあった。入店するとスタッフから「先に食券を購入してください」と指示された。発券機のところを見たが、ランチパスポートの項目は見当たらない。「ランチパスポートメニューをいただきたいのですが」と話すと、「本日の一品料理の500円のところから購入下さい」とのことで、その指示どおり食券を購入してスタッフに渡した。う~ん。このあたりのシステムをお客さんはどう思っているのだろうか?その点については後述する。

                

               ※ この自動発券機がねぇ…。

 やがてスタッフによって運ばれてきたのは「醤油ラーメン」(通常価格700円)だった。例によってスープを一杯口に含んだ。「うん!魚介の出汁が効いているぞ!」という感じだった。麺はかんすいがやや強めの縮れ麺だったが、茹で方は少し硬めで私の好みとはやや違った。しかし、スープとの相性も抜群で美味しくいただけた。チャーシューも、メンマも文句のない美味しさだった。

           

          ※ 背脂が浮かび、やや濃厚な美味しい醤油スープでした。

 さて、食券販売機である。店にとっては直接現金の授受がなく、省力化できる点は魅力だと思われる。しかし、一般的に食券販売機が使われているのは、社員食堂や激安牛丼店などである。そのことから、どうしてもチープな印象が否めない。ラーメン店はある種“いなせ”なところもある商売である。店主やスタッフの粋な掛け声が飛び交っているところに美味しさが増幅する部分もある。一杯のラーメンに満足して店を退去する際に会計をし、スタッフに「ごちそうさん!」のひと声もかけると「ありがとうございました!」という店員からの掛け合いがあれば、満足感もひとしおである。それが食券販売機の登場で薄れてしまうような気がするのだが…。

          

          ※ かんすいがやや強いかな?と思われた縮れ麺でした。

 どこからか「そんなことどうでもいい。ラーメンは美味しければそれで良い!」などと言われてしまいそうだ。まあ、味が良ければ文句はないんですけどね…。

           

          ※ 店内はご覧のように清潔感に溢れた店でした。

麺屋サスケ 時計台店 データー】 
札幌市中央区北1条西2丁目 札幌時計台ビルB1
電  話  011-210-7333
営業時間  11:00~22:00
(ランチパスポート可能時間11:00~15:30)
定休日   不定日曜 
座席数   20席(テーブル席・カウンター席)
駐車場   無
入店日  ‘19/01/31

国民体育大会スキー競技会 開始式

2019-02-17 18:57:44 | スポーツ & スポーツ観戦

 トワエモアが歌う札幌冬季オリンピックテーマ曲「虹と雪のバラード」が会場に流れたとき、自分の若き頃を思い出すとともに、国体のスキー競技会の開始式が大いに盛り上がったと思った。

           

 今日(2月17日)まで札幌市内各地で熱戦が演じられ、幕を閉じた「イアンカラプテくしろさっぽろ国体 スキー競技会」の開始式が2月14日(木)午後、札幌文化芸術劇場hitaruで開催され入場券を入手できたので参加してきた。 

 参加しようとした動機は、歓迎アトラクションとして札幌交響楽団とトワエモアのミニライブがあるということ、そして国体の開会式(開始式)に参加する機会などそうはないだろう、と思ったのがその動機だった。

          

         ※ 開式前の1階選手席の様子です。まだ選手は着席していません。私は2階の最前列でした。

 「開会式」ではなく「開始式」と銘打ったのは何故だろうか?おそらくは冬季大会が釧路(スケート競技)との分散開催となったことからそう名付けられたのではと推察する。

 アトラクションは期待どおりだった。札幌交響楽団は金管楽器とパーカッションによる格調の高い曲を2曲披露してくれた(題名不明)。

 続いてトワエモアの二人が登場し、まずは「イランカラプテ」という歌を披露した。この曲はアイヌ民族文化の継承、創造発展の拠点施設として「民族共生象徴空間」が来年オープンするのと軌を一にするように新井満さんらが創ったものだが、その曲をトワエモアの二人がカバーしている曲だ。とても歌いやすい曲で、今後道民の中に静かに浸透していくだろうと思えた。そして名曲「虹と雪のバラード」である。二人の歌声は色あせることなく、私を50年前(正確には47年前)に誘ってくれた。初めて日本で冬季オリンピックが開催されるという高揚感、そして日本自体が右肩上がりの希望にあふれた時代だったことを懐かしく思い出された。

           

          ※ 日本スポーツ協会長をはじめ関係者が揃い、開式前のステージ上です。

 そうした感動の余韻に浸りながら開始式が始まった。

 選手たちはあらかじめhitaluの一階観客席に陣取り、各県の選手団の旗手のみが札幌市消防音楽隊の演奏にのって県旗とともに入場するという形式だった。詳しくはチェックしなかったが、沖縄県をはじめ全都府県が参加していたようだ。

          

          ※ 各都府県の機種はステージ右から左に向かいステージ上を行進しました。

 選手宣誓は、北海道の女子選手(大学生?)が非常に落ち着いて宣誓した。

          

          ※ 北海道選手団の女子選手の旗手を従え、やはり女子選手が宣誓しました。

 開始式は他に数人の関係者の方々の挨拶があり、型通り終了した。 

 意外にあっさりした開始式だなと思ったが、選手団にはどのように映っただろうか?

          

          ※ 各都府県の旗が勢ぞろいしたステージ上です。

 私たち観客は開始式を盛り上げるために集客された面は否めないが、それでも二つのアトラクションを楽しめ、「(株)きのとや」と「石屋製菓(株)」の菓子、さらにはミネラルウォーターもプレゼントされ、お得で心楽しい開始式の参加となった。


冬の石狩川河岸を遡る エピローグ Ⅲ

2019-02-16 17:47:59 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 エピローグの最後は、このプロジェクトに費やした32日間を総体的に振り返り、私の記録として記憶に残したい。 

【冬の石狩川河岸を遡る 全体像】

◇実施期間     2014年1月 ~ 2019年2月   通算6年間、32日間を要した

◇宿泊回数    13泊

◇距  離    233km(石狩川河口⇒大雪ダム 直線距離)

◇交通手段    石狩川河口 ⇒ 愛別橋(公共交通機関 JR・バスなど)

         愛別橋   ⇒ 大雪ダム(自家用車・公共交通機関の併用)

 

プロジェクト 1年目

◆2014

 ◇第1日   ‘14/01/22  石狩川河口  ⇒  石狩河口橋

 ◇第2日  ‘14/01/30   石狩河口橋 ⇒ 札幌大橋

 ◇第3日  ‘14/02/09  札幌大橋  ⇒ 新石狩大橋

          

   ※ '14/01/22 プロジェクトの初日です。右岸を歩いているのだから右手に川が見えていたのに、左手にこのような流れを見てビックリ!私は川の上を歩いていたのでした。

プロジェクト 2年目

◆2015

  ◇第4日  ‘15/01/29  新石狩大橋 ⇒ 美原大橋

  ◇第5日  ‘15/02/05  美原大橋  ⇒ 川下集落

  ◇第6日  ‘15/03/01  たっぷ大橋 ⇒ 月形大橋

  ◇第7日  ‘15/03/13  川下集落  ⇒ たっぷ大橋

           

          ※ '15/03/01 朝焼けに映える石狩川と「たっぷ大橋」です。

プロジェクト 3年目 

◆2016

 ◇第 8日  ‘16/01/22  月形大橋  ⇒ 札比内

 ◇第 9日  ‘16/01/28  札比内   ⇒ 美浦大橋

 ◇第10日  ‘16/02/19  美浦大橋  ⇒ 奈井江大橋

 ◇第11日  ‘16/03/06  奈井江大橋 ⇒ 於札内

            ◎ 浦臼休養林センター泊

 ◇第12日  ‘16/03/07  札比内   ⇒ 砂川大橋

 ◇第13日  ‘16/12/16  砂川大橋  ⇒ 徳富川河口

 ◇第14日  ‘16/12/28  徳富川河口 ⇒ 尾白利加川河口

            ◎ たびびとやど「ゆき・ふる・さと」泊

 ◇第15日 ‘16/12/29  尾白利加川河口 ⇒ 江竜橋

                ◎ たびびとやど「ゆき・ふる・さと」泊

 ◇第16日 ‘16/12/30  江竜橋     ⇒ 石狩川第一橋梁(鉄橋)

          

          ※ '16/02/19 浦臼町付近の石狩川の流れです。

プロジェクト 4年目

◆2017

 ◇第17日 ‘17/01/03  石狩川第一橋梁 ⇒ 向陽橋

 ◇第18日 ‘17/01/23  向陽橋     ⇒ 深川橋

          ◎ くつろぎの里 旅荘「イルム館」泊 深川

 ◇第19日 ‘17/01/24  深川橋     ⇒ 納内橋

          ◎ くつろぎの里 旅荘「イルム館」泊 深川

 ◇第20日 ‘17/01/25  納内橋     ⇒ 神納橋 

 ◇第21日 ‘17/02/14  神納橋     ⇒ 観魚橋

          ◎ 東横イン「旭川駅前一条通」泊

 ◇第22日 ‘17/02/15  観魚橋     ⇒ 旭橋

           

          ※ '17/02/15 旭川市の中央部に架かるアーチ型の「旭橋」と石狩川です。

プロジェクト 5年目

◆2018

 ◇第23日 ‘18/01/03  旭橋  ⇒ 永山橋

              ◎ 東横イン「旭川駅前一条通」泊

 ◇第24日 ‘18/01/04  永山橋 ⇒ 麻布橋

            ◎ 東横イン「旭川駅前一条通」泊

 ◇第25日 ‘18/01/05  麻布橋 ⇒ 愛別橋

 ◇第26日 ‘18/01/23  愛別橋 ⇒ 中愛別駅周辺

            ◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊

 ◇第27日 ‘18/01/24  中愛別駅周辺 ⇒ 愛山渓入口

                ◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊

 ◇第28日 ‘18/01/25  愛山渓入口  ⇒  留辺志部橋

           

         ※ '18/01/05 愛別町付近を流れる石狩川です。

プロジェクト 6年目

◆2019

 ◇第29日  ‘19/02/06 留辺志部橋 ⇒ 白雲橋(白川)

              ◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊

 ◇第30日  ‘19/02/07 白雲橋   ⇒ 層雲峡オートキャンプ場

              ◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊

 ◇第31日   ‘19/02/08 オートキャンプ場 ⇒ 層雲峡温泉

              ◎ 上川町 ミニホテル 「くうねるたにぐち」泊

 ◇第32日  ‘19/02/09 大函       ⇒ 大雪ダム

            ※ 銀河トンネル部分危険のためパス   

           

          ※ '19/02/07 上川町上流の石狩川の流れです。

 全体を振り返ってみて、前日のゴールが翌日のスタートとなって繋がっている。ところが、2015の第5日と第6日が繋がっていない。第5日のゴールは「川下集落」なのに、第6日のスタートが「たっぷ大橋」になっている。本来は「川下集落」から「たっぷ大橋」を目指すべきなのだが、実施した3月1日が日曜日だった。すると周辺を走るコミュニティバスが日曜休便のために「たっぷ大橋」から戻ることができなかったために、交通の便がある「たっぷ大橋」⇒「月形大橋」間を先に実施し、「川下集落」⇒「たっぷ大橋」間を後日の3月13日に実施した。

 もう1カ所、今回実施の第31日目のゴールと第32日目のスタート地点が繋がっていない。このことについては、ライブレポでも再三触れたが「銀河トンネル」の部分の河岸は非常に危険な区間と考えられ、私のような素人が近寄るのは危険と判断し、パスした区間である。この区間のパスはかえすがえすも残念であるが、層雲峡のネーチャーセンターが時にはガイドツアーを実施しているとも聞いた。「いつか…」という思いを残しながら、6年間にわたった厳しくも楽しかった日々のプロジェクトを終了することにした。 

 私はこのプロジェクトに挑むにあたり、二つのことを自分に課した。一つは、①できるだけ石狩川を視界に入れながら進むこと。そしてもう一つは、②けっして川の上を歩かないこと。の二つだった。①については、掘割や石狩川に入り込む川のために度々石狩川から遠ざけられることはあったが、それ以外はできるだけ石狩川が視界に入るところを歩くように努めた。②については、実はこのプロジェクトの第一日目(‘14/01/22)に知らず知らずに石狩川の中を歩いていることに気づかされ肝を冷やしたことがあったが、それ以外はけっして川面に下りることはなかった。 

 少し長くなったエピローグ Ⅲを閉じねばならない。今振り返って、私は石狩川河岸を遡ることで、何か学術的な調査をしたわけではない。また、何かの自然を観察したわけでもない。さりとて他に何かの報償を目的としたわけでもなかった。

 私はただただ厳寒の中、石狩川の上流を目指しただけだった。それは他人から見ると、風車に向かって突進したあのドン・キホーテを見るような可笑しさだったかもしれない。なぜ私がそんなことに取り憑かれたのか?私の中に明確な答えなど存在しない。

 敢えて言えば、それは……… 男のロマン を追い求めた行為だったのかもしれない…。


冬の石狩川河岸を遡る エピローグ Ⅱ

2019-02-15 15:58:28 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 体力的にはけっこう辛い日が多かった。しかも厳寒の冬である。なぜそんなことが楽しいのか?と多くの方が疑問に思われることだろう。しかし、私の中では石狩川を遡るごとにまったく違う感覚を味わっていた。

           

           ※ '16/01/22 月形町付近の石狩川の様子である。川はまだ氷に覆われてはいなかった。

 このプロジェクトのレポの最終日の投稿を終えると、このところしばしばコメントを寄せていただいているマレさんから次のようなコメントをいただいた。 

 初志貫徹おめでとうございます。
 信じられないくらいの難行苦行、文字通り修行の域ですね。更に一回り人間も大きくなられたのではないでしょうか。厳寒の中での歩行、撮影・・・感服です。 

 とても温かなコメントをいただき感激した。しかし、マレさんが“修行”の域と表現されたが、私はこの取り組みをどこかで楽しんでいた。そうした思いがあったので、次のように返信コメントを送らせていただいた。 

 コメントありがとうございます。
 ご指摘いただいた“修行”などとは思っておりません。確かに簡単なことではありませんでしたが、私にとっては心楽しい日々だったと振り返っています。
 まずは、設定した区間の状況がどうなっているのか?そこに至る交通機関はどうするか?宿は取るべきか、それとも日帰りすべきか?などいった事前の計画を立てる楽しみがありました。
 そして実際に石狩川の河岸に立った時、立ちはだかった倒木を前にどのように進もうか?あるいは、どこかに掘割が潜んでいるのではないか?厳寒の中での行動の要諦は?等々、常に問題解決を求められる中で、自分なりに考え、自分なりに解決策を見い出しながらのトレッキングはけっこう楽しい作業でした。
 そうしたことを繰り返しながら、確実に前へ進んでいることを実感できることがこのトレッキングの楽しみでした。
 ともかく歳が歳ですから、安全第一を心がけながら、なんとか当初目的を果たすことができたことに、今は心から安堵しています。 

 この返信コメントは、取り組みを続けた32日間ずっーと思い続けたことである。

           

          ※ '16/03/06 浦臼町付近、この辺りの中流域ではこのような倒木にかなり悩まされた。

 私が取り組んだプロジェクトについて、友人と談笑することが度々あったが、誰もが異口同音に発することが「単独で行動することは危険ではないか?」ということだった。

 友人たちが指摘することはもっともだと私も思う。しかし、そのことが私の単独行を阻止することにはならない。そこには単独行だからこそのメリットを私が感じているからだ。

          

          ※ '16/12/15 新十津川町の付近です。蓮葉氷が流れる石狩川の様子。

 まず、私と同じように厳寒期に川の河岸を遡ろうなどという酔狂なことを考える人などいないだろう、ということだ。さらに、もし同行者がいたとしても全ての行動について意思統一ができて行動できるとはとても思えない。けっして楽ではない、ある意味危険も伴う行動において、その時々の判断において思いが対立することが当然予想される。そうした際は、どちらかが思いを譲るという行為はそこにわだかまりのようなものが当然生ずることになることを、私は最も避けたいと思っている。最近良く言われることだが、「自己責任」によって、自分の判断を信じ、自分一人でコトに対処したい、という思いが私の中で強く思っていることである。

 そして、誰もが踏み入れていない雪原に足を踏み入れること。そこは冬だからこそ現出されるモノトーンの世界。そして静寂の世界。その中に独り身を置くことの爽快さがたまらない。誰と出会うこともなかった孤独の32日間、私は大いに孤独を楽しんだ…。


冬の石狩川河岸を遡る エピローグ Ⅰ

2019-02-14 17:46:07 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 2014年1月から細々と続けてきた私の冬期間における石狩川河岸遡行の旅は、去る2月9日(土)、目標としていた「大雪ダム」になんとか到達し、私個人が取り組んだプロジェクトの終焉を迎えた。このプロジェクトには総計32日間を要した。そして直線距離にして233㎞の河岸を歩き終えることができた。32日間を振り返ってみたい。

          

       ※ この「冬の石狩川河岸を遡る」の原点となった石狩川河口が日本海に注ぐところです。

 それはちょっとした私の思いが始まりだった。石狩川の河岸遡行に取り組む3年前、私は札幌市内を流れる豊平川河岸遡行を思い立った。

 時に2011年2月10日付けの拙ブログの冒頭で次のように綴っている。 

「道なきところに踏み出せるスノーシューで何かをしてみたい。さりとて不案内な山野は危険が伴う。そう考えたときに、「そうだ河原を歩こう!」というアイデアが閃いた。冬だからこそ近づける河原を辿りながら、川を遡ろう!私の小さな冒険は豊平川の上流を目ざした。どこまで行けるのか、事前踏査をまったくしていないのだから皆目見当が付かない。何日かに分けて無理なく行けるところまではと思っているが…」

  こうして私は2011年、2012年の2年間・6日間を要して豊平川河口(石狩川との合流点)から定山渓温泉まで遡った。(2014年には定山渓温泉から豊平峡ダムまでも遡った)

 翌2013年、私はほとんどスノーシューを履かなかった。するとどこかに物足りなさが残った。

 翌2014年、物足りなさを感じていた私はやはりスノーシューで河原を目ざした。しかし、その対象が石狩川である。国内第3位の長さを誇る石狩川を遡るなどという大それたことを考えたのではなかった。豊平川の延長で、「ちょっとだけ河原を歩いてみよう」という考えが最初だった。

           

         ※ 晴れた日には浮かれて、こんな遊びも交えながらトレッキングしました。         

 2014年1月23日付のブログで私は次のように綴っている。 

 正月以来、初○○と称して、山登りやスキー、クロカンなどを体験してみたのだが、「もっとも今の自分に相応しいのはスノーシューかな?」との思いを強くしていました。スノーシューといっても山には危険が伴います。その点、河原を歩くことは迷う心配がなく、冬を楽しむには最適なのでは?と私一人が思っていることです。
 そこで思い出したのが、2011~2012年にかけてスノーシューで豊平川河口から定山渓まで河原を遡行した体験でした。
 まさかあれと同じようなことを石狩川でやろうとは思っておりません。あのとき体験したようことを少しだけ石狩川でもやってみようか、と思い立ったのです。

 石狩川に出かけたときには、本当にこう思っていたのです。しかし、この「ちょっとだけ…」が私の中に眠っていた何かに灯を点けたようだ。

 このシーズン僅か三日間遡った後、私のブログの最後はこう変わっていた。         

 これだけ辛い思いをしてもスノーシューを止めようなどとは全く思わない。それほど私は今、スノーシューにはまっている。

  たった三日でこの豹変ぶりである。ここから私の長い旅が始まった…。

          

     ※ これも天候の良かった日です。スノーシュー脱いで、雪壁に座席をつくり、カップスープを楽しみました。

 「冬の石狩川河岸を遡る」エピローグ編は一回の投稿で終了しようと考えていた。しかし、私の中では6シーズンも精魂傾けて取り組んだプロジェクトはそれなりに思い入れたっぷりである。もう少し続けてみたい。


冬の石狩川河岸を遡る 32(最終章)

2019-02-13 16:49:14 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

 大函 ⇒ 大雪ダム  トレッキング期日 ‘19/02/09

 「銀河トンネル」の部分をパスしたことで、この日のスタート地点の大函の駐車場から目的地の「大雪ダム」はそう遠くはなかった。しかし、石狩川の最上流部は簡単に私を近づけてはくれなかった。最終日はスリリングにとんだトレッキングとなった。

  ライブレポでも伝えたがこの日(2月9日)、道内は強烈な寒波に見舞われ、大函に向かう私の車載温度計はマイナス27度を示していた。この表示を見た私の気持ちはすっかり萎えてしまった。そんな寒気の中での野外活動は無理じゃないかと…。

 ところが不思議なことに山間に進むにつれて気温は上昇(?)し、大函付近ではマイナス19度になっていた。 

 一度萎えた気持ちを立て直すのに時間がかかったが、意を決めて車外に飛び出した。寒気が頬をピリッと刺激したが、寒さは疲労した気持ちを忘れさせてくれる効果もあるような気がした。

          

          ※ 大寒波が襲来した朝、日の出直後の「大函」です。

 大函のところから直ぐに石狩川の河岸に向かった。すると、地形図上では「本流ダム」と記されているが、川の流れを堰き止める施設があり、一帯はちょっとした湖のような様相を呈していた。そのため河岸を少し行くと、やがて水辺が国道近くまで迫り、私は国道の方へ追いやられるような形になった。しかし、私は国道には降りたくなかった。目を遠くに移すと、灌木の林が見えたので国道から急角度に落ちる斜面を慎重に渡っていった。一歩間違えると水辺(といっても凍っているが)に落ちかねないので、一歩一歩スノーシューを蹴るようにして雪面に足の置き場を確保しながら進んだ。

           

          ※ 大函のからすぐ上流では石狩川が堰き止められ、小さな湖を造っていました。

          

          ※ 堰き止められた石狩川は、ご覧のように広い流れ?(水溜まり?)となっていました。

          

        ※ 広くなった石狩川は、道路ギリギリまで迫り、右下には氷が気味悪く顔を出しています。

          

         ※ 道路と石狩川の間の狭いところを私が通った跡です。もし、足を踏み外したら…。

 この「本流ダム」で水を溜めるのは、どうやら下流にある「層雲峡発電所」に送る水を確保するためらしい。その取水口を確認することができた。小さな湖の辺りはまだ進むのがそれほど困難ではなかった。

          

          ※ 写真の奥に「層雲峡発電所」の取水口が見えます。

 やがて、石狩川はふたたび上流らしい細い川の流れになった。水の流れはけっこう勢いがあるように見えた。

          

          ※ ようやくこれまでと同じような河岸になったと思ったのですが…。

           

          ※ 元の細い流れになった石狩川が顔をみせました。

 そこからは細い川の流れに沿って上流へと向かったのだが、やがて掘割というよりはもっと大きな流れが目の前に現れた。右側は本流の流れが、目の前にはもう一つの流れが…。

          

       ※ 写真の奥では、石狩川が二手に分かれています。その後の流れは4分、5分していました。

 行き場を失った私はもう一つの流れが途切れそうなるところまで後退せざるをえなかった。流れに雪が被っていて何とか渡れそうなところが見つかると、慎重にそこを渡り前へ進んだ。

          

          ※ 写真のよう複雑な地形となり、前へ進むことが困難となりました。

 そうしたことが2度、3度と続いた。やはり最上流部が近づいてくると水の流れも複雑になってきたようだ。

 私の感覚の中ではかなりダムに近づいたのではないかと思われたころ、ついに支流の流れが崖のすぐ横を流れる状況になってしまった。逃げ場がない。先を見ても同じような状況が続いていそうだった。

 ここで私は観念した。これ以上河岸を歩くことは困難であろうと…。

          

          ※ やがて私はこのような斜面に押し付けられる形となりました。 

          

          ※ 頭上にある取り付け道路を目ざして、この斜面を四苦八苦して上りました。

 頭上には道路が走っている。そこまでよじ登らねばならない。素人目にはその崖の斜度は45度を超えているように思えた。ようやく雪が張り付いている感じである。私はジグを切りながら慎重に上り始めた。一歩間違って転んだりすると、そのまま川面まで転落してしまう。悪戦苦闘、どのくらいの時間を要したのだろうか?ようやく道路へ出ることができた。

 ところがその道路の交通量がとても少ないような気がした。というより、除雪はしっかりされているのに車がまったく通らないのだ。「おかしいな?」と思いながらダム方向を目ざした。ほどなくして先方から一台の車が走ってきた。私は手を挙げて「この道路はどこへ通じているのか?」と聞こうとしたら、先方から「ここは北電の所有地なので、退去してほしい」と注意を受けた。えーっ?私は知らず知らずのうちに立入禁止区域に入っていたらしい。

 私が歩いていた道路は、どうやら北電の取り付け道路らしかった。私は来た道路を反対に歩いて国道に向かった。

          

          ※ 私はこの取り付け道路の奥の方の斜面を上って道路に出たのでした。(左上が国道です)

 ようやく国道に出て、スマホのGPSで現在地を確認したら、「大雪ダム」まではまだ残り1キロ前後あった。 

 ここからはひたすら国道上を「大雪ダム」へ向けて歩を進めるのみだった。国道を歩くこと30分、午前9時40分。私はとうとう「大雪ダム」に到達した!

          

          ※ トンネルは北見方面、手前から右手に曲がるとダムを通り、帯広方面に抜けます。

 「大雪ダム」は「豊平峡ダム」のようなアーチ型をしたダムではなく、ロックフィル型ダムといって、岩石を積み上げて水を堰き止める方式のダムだったことを、その形状を見て思い出した。ダムの下には「北電 大雪発電所」の建物があり、先述の取り付け道路はそこまで伸びているようだった。

          

          ※ ロックフィルダム方式の「大雪ダム」の躯体です。

          

          ※ ダムの下には「大雪発電所」の施設がありました。取付道路はここに通じていたようです。

 反対側のダム湖はもちろん氷結していて一面真っ白だった。そこから「大雪ダム到達!」のライブレポを発信したが、素手ではかなり堪える寒さだった。

          

          ※ 2枚の写真は、ダムの反対側、通称「大雪湖」と呼ばれているようです。

          

 石狩川河口から32日間かけて到達した「大雪ダム」だったが、あまりの寒さに感激もどこへやら、そそくさとダムを後にして、本日のスタート地点の大函の駐車場に向かった。             

 スタート地点から「大雪ダム」に到達するまで要した時間が2時間30分だったのに対して、国道を下った復路はわずか1時間程度だった。スノーシューで河岸を往くことがいかに時間の掛かることかを如述に示すデータではないだろうか?

 帰路、前日は雪に隠れて見えなかった「流星の滝」、その横にある「銀河の滝」を写真に写し、さらにはライブレポでも触れたとおり「層雲峡ビジターセンター」に寄って情報を収集した後、一路札幌を目ざした。

               

               ※ 「流星の滝」が氷結した様子です。

               

               ※ すぐ隣にある「銀河の滝」です。クライマーが二人登っていました。

           

          ※ 「層雲峡ビジターセンター」の正面です。

 かくして年老いたオヤジのちょっとした冒険は完結したのだが、明日はこの「冬の石狩川河岸を遡る」全体を振り返ってみることにしたい。 

※ この日の歩数 16,661歩 距離 11.6km(前半の行きはスノーシュー、帰りは国道上をツボ足の歩数)


冬の石狩川河岸を遡る 31

2019-02-12 16:55:18 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

層雲峡オートキャンプ場 ⇒ 層雲峡温泉   トレッキング期日 ‘19/02/08

 この日(2月8日)は全道的に寒波に見舞われ、上川地方でも出発時の温度はマイナス17度を指し、ピリッとした寒さだった。深雪ラッセルも三日目を迎え、なんとなく身体が順応し始めたのか、あるいは諦めか、これまでのような辛さをあまり感ずることもなくスノーシュートレッキングを続けることができた。 

 この日はあろうことか寝坊をしてしまうという失態を演じてしまった。(緊張感の欠如?)そのためスタート地点となった層雲峡オートキャンプ場をスタートしたのが午前8時となってしまった。気温が低いうえ、雪が降り、風も吹いているという最悪のコンデションの中のスタートとなった。

           

     ※ スタート地点の「層雲峡オートキャンプ場」をスタートすると、直ぐに左岸にわたる「万景壁橋」を渡ります。

 今回の遠征の三日目となるこの日は、国道が一カ所だけ石狩川の左岸側を走るところがある。その橋(万景壁橋)を渡ってから、石狩川の左岸側に降りた。左岸側から右岸を見ると、川面から崖が立ち上がっていて、とても歩けそうにない地形だった。しかし、その左岸側を歩いたのは1キロに満たないくらいだった思われる。またまた橋(胡蝶岩橋)が現れ、右岸に導かれる。これは両岸が極端に狭くなり、道路も隙間を縫うように建設されたことが窺えた。その右岸の川岸も狭い。時には道路ギリギリまで追いやられる。

          

          ※ 左岸から対岸の右岸の大きな岸壁を眺めます。

          

          ※ 初めて進行方向の左側に石狩川の流れを見ました。

          

          ※ 写真の橋は現在使用されていなく、旧国道に架けられていた橋のようです。

          

          ※ その直ぐ隣に現在使用されている「胡蝶岩橋」が架けられていました。

 そうしているうちに覆道があり、石狩川と覆道の間に通れるような隙間がないことから、覆道に追いやられた。ここから層雲峡温泉まで、なんと4カ所も覆道が現れ(①四の岩覆道、②観音岩覆道、③残月峰覆道、④屏風岩覆道)その都度私は覆道を歩くことになった。覆道には人が歩くための側道が取り付けられていて、そこは除雪されていたために歩くのは容易だった。

 覆道を渡り終えると河岸に戻り、また覆道が現れると覆道まで戻るということを繰り返しながら前へ進んだ。

          

          ※ 石狩川はさまざまな表情を見せてくれます。

          

          ※ 河岸が狭くなり、国道と河岸に挟まれた斜面の部分を歩くことになります。

          

          ※ 第一の覆道「四の岩覆道」の入口です。

          

        ※ 覆道には写真のように車道とは別に、側道が取り付けられ人が歩くことができるようになっていました

         

         ※ 写真のように石狩川が覆道のギリギリまで迫っていて、とても河岸を歩くことはできません。      

 この日は寒波が来ると報じられていたので、私は通常の際には着用していないフリースをアウターの中に着込んでトレッキングしていた。通常、私は下着の上にインナーを着込み、その上はアウターだけで行動している。というのも、冬の活動の場合は汗をかくことが禁物である。厚着をして行動すると汗をかいてしまう場合がある。しかし、この装備だと休憩中はやはり寒い。だから休憩を取るときは少々面倒ではあるが、持参したフリースを着込み、身体を冷やさないようにしている。このように冬の行動の場合は、体温を適度に保つために神経質になることが重要だと思っている。しかし、この日は通常とは違う。最初から厚着をして行動していた。 

 行動開始から2時間を経過し、第一の覆道「四の岩覆道」を通過した後だった。対岸に建物のようなものが見えた。対岸から流れ込む川の流れを堰き止める施設のように見えた。私は地形図上に表示されている「層雲峡発電所」と判断した。(しかし、後から本来の発電所はもっと上流方向にあった)

           

      ※ 私が「層雲峡発電所」と間違えた施設です。しかし、発電所で使用した水を放水する施設のようです。

 この後からは、前述したように覆道が次々現れ、また層雲峡温泉に近づいたからだろうか人工の造営物も目立つようになった。「観音岩覆道」、「残月峰覆道」、「屏風岩覆道」と次々現れ、その覆道に取り付けられた側道を通った。

           

          ※ 覆道が近づくたびに、こうして国道との境となる斜面を歩かねばなりませんでした。

          

          ※ 「観音岩覆道」の入口です。

          

          ※ こちらは「残月峰覆道」から出てきたトラックです。

          

          ※ 覆道から石狩川河岸に戻ったときの川面の表情です。

          

          ※ この日四つ目の覆道「屏風岩覆道」です。

 行動を開始してから3時間半が経過した11時40分過ぎ、ついに建物が目に入った。その建物は護岸がされ、石狩川との間には大きな石がゴロゴロ転がっていた。その部分は行けそうな気がしたので近寄ろうとしたとき、いきなり滑り落ちてしまった。思わぬ事態にたじろいだ。そういえば、ブログ友のマレさんが「温泉近くは踏み抜きに注意すること」とアドバイスをいただいていた。ここは用心するにこしたことはない。私は国道を往くことにした。国道に出て、その建物の表示を見ると「層雲峡下水道処理場」と出ていた。ということは処理された水が石狩川に注ぐところがあり、結局通過できなかったと思われる。

          

          ※ この施設の河岸は通過できると思ったのですが…。(層雲峡下水処理場)

          

          ※ その施設の河岸に近づいた時、予想外に私が滑り落ちてしまった跡です。

 そこからは温泉街に広がるホテル群が立ち並んでいた。何度か河岸に降りることができるところがないか探したが無理だった。

          

          ※ 下水処理場の後は、こうしたホテル群が軒を並べ、河岸には近づけませんでした。

 そのまま国道を行き、12時10分石狩川河岸で開催されている「層雲峡氷瀑まつり」会場のところに到達することができた。

           

          ※ この日のゴールに設定した「氷瀑まつり」の会場入り口です。

 予想していたより早い到達は、ライブレポでも記した通り、層雲峡オートキャンプ場から層雲峡温泉までの距離が思っていたより短かったこと、途中4カ所の覆道がありその側道を歩くことになったこと、層雲峡温泉が近づくと河岸を往くことができず国道を歩いたことなどがその原因と思われた。 

 この日の目標を一応クリアしたこと、さらには寒気が厳しかったことから、ここからバスでホテルへ帰ることにした。バス時間(13時30分)まで時間があったので、近くのラーメン店で、ラーメンを食して体を温め、バスを待った。(暖房の効いたバス営業所内で)

 バスを待っている間、翌日の予定に頭を巡らしていた時、「待てよ。ホテルに早く帰ってもすることがない。バス時間を遅らせて、「銀河トンネル」の近くまで往復してこよう、と思い立った。それはライブレポでも記したが、「銀河トンネル」の部分は素人の私には危険すぎると判断し、トンネル部分をパスすることにしたので、翌日のスタート地点をトンネルを越えた「大函」の駐車場とするために、トンネル入り口近くにある「流星の滝」まで往復することにしたのだ。吹雪模様の道路上のトレッキングだったが、往復約1時間半で往復して、15時40分発のバスでホテルに帰った。

          

          ※ 層雲峡温泉街より上流の石狩川の様子です。この頃は吹雪の状態になっていました。

          

          ※ 少しわかりにくいですが、前方に「銀河トンネル」の入口が見えます。

           

          ※ この日は「流星の滝」も雪に隠れて見ることができませんでした。

※ この日の歩数 25,260歩 距離 17.3km(層雲峡温泉から流星の滝まで往復した距離も含んだもの)


冬の石狩川河岸を遡る 30

2019-02-11 15:43:56 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

白雲橋 ⇒ 層雲峡オートキャンプ場 トレッキング期日‘19/02/07

 この日(2月7日)も、一日中深雪との格闘だった。前日の疲れを感じていたが、ある意味あきらめの気持ちもあったのだろうか?淡々と歩を進めたことで意外に距離を稼げたと思った。トレッキングを終えたとき、翌日に層雲峡温泉に到達できる見通しが出てきた。          

 前日(2月6日)ホテルに帰り、計画通り進むことができなかったことから私はすっかり弱気になっていた。あるいは層雲峡温泉に到達するには4日間を要するのではないかと…。 

 二日目の朝、疲れは感じていたが5時30分に起床し、準備を整え6時30分にはホテルを出て、昨日のゴールの「白雲橋」に向かった。ところがライブレポで「ちょっとしたアクシデント」と記したが、大切なものを忘れてホテルへ舞い戻ったために、結局スタートは前日より遅く、7時50分近くとなってしまった。

          

          ※ この日のスタート地点となった「白雲橋」です。

          

          ※ この日もまた、こうした河岸の灌木地帯を往くトレッキングでした。

 この日はさっそく掘割が私の前進を阻んだ。昨日同様、渡ることのできそうな立木が横たわっているところをモデル歩き(という言い方があるのかな?)で通過した。

          

          ※ スタートして間もなく現れた大きな掘割です。

          

          ※ その掘割に横たわっていた木が橋の役割をしてくれます。

          

          ※ 私が渡った跡です。もちろん向こう側からこちらへ渡りました。跡が細いのが分かりますか?

 そこを通過してしばらく行くと、これまでの灌木地帯とは全く様相の異なった地帯に足を踏み入れた。それは明らかに人の手で植林されたと思われるエゾマツの人工林だった。なんで河岸にそうした植林を施したのか素人の私には想像できかねるが、あるいは河岸も有効な木材の産地とする試験地としているのだろうか?それにしてもそのエゾマツ林は密生しすぎではないだろうか?私はその間を通過するのに苦労するほどエゾマツは密生していた。

          

          ※ この木の立っている様子は明らかに人工林でしょう。

 エゾマツの人工林をようやく通過すると(エゾマツ林は4~500mあったろうか?)、なにやら小さな石標が目に入った。近づいてみると「マクンベツ十九線官設渡船場(跡)」(“跡”の字は確認できなかったが)とあった。周りを見回してみると、なるほど渡船場の台座跡のようなものがあった。川向いにもそれらしき跡を認めることができた。

          

          ※ 雪の中にひっそりと立っていた石標です。

           

          ※ 石標の傍には渡船場の台座跡と思われる造営物が残っていました。

 問題はその後だった。右岸は川面のところからいきなりせり上がり、とてもそこを行くことは不可能だった。私はそこを回避して崖の上に上ることにした。その崖を上がるのが一苦労だった。ようやく上がったところは、国道の除雪された雪が積み重なったところだった。

          

        ※ 渡船場跡の先は、写真で見るように右の川面とそこから屹立する崖に前進を止められました。

          

        ※ 左は国道、右は激しく落ちているため、私は除雪した雪が堆積している頂点を往きました。

 川面に灌木を繁る地帯が戻ってきたのを確かめ、国道のところから戻ることにしたときだった。あまりに急角度だったこともあり、私は滑り落ちてしまった。雪の中にもんどりうった私は立ち上がるのに苦労してしまった。

          

         ※ その国道から河岸に戻るとき、あまりにも急斜面のため滑り落ち転んでしまった跡です。

 再び石狩川の河岸を往く私だったが、ここで私には似合わない迷文句が思い浮かんだ。それがライブレポに投稿したものだ。曰く「周りは白い雪と木肌の灰色、時おり顔を出す石狩川の黒い流れと、完全なモノトーンの世界です。聞こえるのはスノーシューが雪を踏みしめる音だけ。歩みを止めると石狩川の流れがかすかに聞こえてきます。誰もいない、何も聴こえない。雪原の中、孤独を楽しんでいます」と…。 

           

          ※ 石狩川と対岸の様子です。        

 行動開始後2時間を経過したころだった。遠くに人口の造営物が目に入ってきた。「真勲別発電所」である。傍にはその発電所に通ずる橋も石狩川を跨いでいた。

          

          ※ 灌木の向こうに建物が見えています。

 真勲別発電所のところを通過して、再び石狩川沿いに近づくと対岸は川面から激しく切り立っていた。木が斜面にかろうじてしがみついている様子だった。さらには、夏は滝となって流れ落ちているであろう青氷の塊が見えた。

               

               ※ 対岸も激しく切り立っています。

          

          ※ 私が見た唯一の青氷です。

 この日の特徴の一つはエゾシカに3度出会ったことだ。いずれも一頭ずつだったが、カメラを向ける前に逃げられてしまい一枚もモノにできなかった。そのエゾシカは素晴らしい跳躍力を誇るのだが、足跡を辿ると雪が深いため腹を雪面にこすりながら移動していた。

 私はそのエゾシカの跡と進行方向が同じ場合は、少しでもスノーシューの沈み込みを避けるためにその跡を辿りながら前へ進むのだった。(エゾシカに遭遇したのはこの日だけだった)

          

          ※ この跡は私のものではありません。エゾシカが腹をこすりながら進んだ跡です。

 石狩川に目をやると、川底が浅くなったからだろうか?川底から顔を題した岩石の上に雪が載って、その情景はなんだかほっこりした思いを抱かせる童話の世界のようだった。

           

          ※ 単調な光景が続く中で、とても気に入った一枚です。        

 河岸の灌木地帯を歩いているとまた大きな掘割に遭遇した。仕方がないのでそれを避けようと国道の方へ向かうと、国道ではないのに橋状のものが目に入った。近づくとその橋には「ウグイス橋」と名が付けられていた。その名前を見て、私はピーンときた。以前、旭川から延びていたサイクリングロードの橋には野鳥の名前が付けられていたのだ。この橋は層雲峡温泉に延びるサイクリングロードだった。

           

          ※ 層雲峡までのサイクリングロードは、専用路と国道を走るところと混在しているようです。

 その橋を渡り終えたとき、「そうだ!橋の下を昼食ポイントにしよう!」と思い立った。雪が降っていたこともあり、さらにはある程度風も避けることができる。しかも、腰を下ろすこともできる絶好の昼食ポイントと考えた。

          

          ※ これは雪を被った「ウグイス橋」です。

          

          ※ その「ウグイス橋」の橋下が絶好の休憩場所となりました。

 昨日同様、カップスープを飲み、さらにはインスタントの味噌汁まで作った。さらにはこれも昨日同様調理パンを頬張った。腰を下ろすことはできたが、寒さのために長居はできない。休んだのは15分くらいだったのではないだろうか?

 昼食を終えた後、しばらくはサイクリングロード上を歩いた。しかし、やはり面白みがない。直ぐに河岸に戻って前進を続けた。河岸には真っすぐ進むのが困難なところも次々と現れたが、そこをどのように避けて進むのか考えながら進むのも自然を対象としたスノーシューの楽しみである。

          

          ※ 時にはこうした風倒木が私の前進を阻止しました。

          

                            ※ この写真も私がちょっと気に入っている一枚です。

 そうしているうちに、灌木の中に高い塔が目に入った。その塔は「大雪ダム」が放流した際に注意を促す警報を鳴らす警報塔だということだ。

          

          ※ ダムの放流の際に警報を発する警報塔です。

 警報塔に続いて橋が目に入った。「層雲峡オートキャンプ場」に通ずる橋だった。時に14時50分、スノーシューを脱ぐ時間だった。

          

          ※ 層雲峡オートキャンプ場(青少年旅行村)は、対岸の左岸に造成されているようです。

 そこにはきっとバス停があるだろうと予想していたが、案の定「陸万」というドライブインなどがあるちょっとした集落だった。バス時間まで約30分待ち、車を駐車した「白雲橋」まで乗り、車をピックアップしてホテルに戻った。

 「層雲峡オートキャンプ場」まで至ることができたということは、層雲峡温泉まで 国道の直線距離にして6~7キロである。翌日中に到達できる見通しが立ったことで少し元気が出てきた。 

※ この日の歩数 24,840歩 距離 17.5km 

※ ライブレポでは「層雲峡青少年旅行村」と表現していたが、それは手持ちの地形図に表示されていたからだが、現地では「層雲峡オートキャンプ場」の方が大きく表示されていた。おそらく両者は近接してあると思われるが、ここでは現地の表示を採用することにした。


冬の石狩川河岸を遡る 29

2019-02-10 15:28:09 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

留辺志部橋  白雲橋 トレッキング期日 ‘19/02/06

 一年ぶりの石狩川との再会だった。いつものシーズンより入念に準備をして臨んだつもりだったが、市民が楽しむために整備された公園や市民の森とはわけが違った。誰も足を踏み入れていない河岸の深雪に苦しめられた私だった。 

 2月6日(水)、朝3時自宅を出発して3時間半、6時30分頃に昨シーズンゴールとした上川町の郊外「留辺志部橋」の袂に着いた。

          

          ※ スタート地点となった「留辺志部橋」は雪に覆われて橋そのものはまったく見えなかった。

 ちょうど日の出を迎えた時刻だったが、ライブレポの一報を投稿し、準備を整え7時過ぎから行動を開始した。この日の行動を開始するときの気温はマイナス8.5度だったが、この地方の、この時期としては特別低い気温ではなかったのではないだろうか? 

 留辺志部橋を越えたところの住宅のところからスノーシューを履き、早速石狩川沿いに向かった。雪の中に踏み入れた途端、柔らかな雪の中にスノーシューがすっぽりと埋まった。「これはなかなか骨の折れるスノーシュートレッキングになるな」と直感した。

 石狩川河岸に向かって歩を進めて間もなく、石狩川を跨ぐ旭川紋別自動車道の橋の下を潜った。

          

          ※ スタートして直ぐに、その下を潜った旭川紋別自動車道の橋です。

 灌木が生い茂る中、河岸に向かって進んで石狩川の河岸に出たが、石狩川はすっぽりと雪に覆われていて川の流れは見ることができなかった。          

          

          ※ この日ばかりでなく、河岸はこうした灌木地帯が非常に多かったです。              

          

          ※ 初めに目にした石狩川は雪に覆われて、その流れを見ることはできませんでした。              

          

          ※ やがて雪の覆いが取れてからの流れの一部が顔を覗かせてくれました。

 石狩川沿いの灌木の中を進んでいると、突然灌木のない広いところに出た。どうしたのだろうと思い周囲を見回すと、そこは送電線が走っている真下だった。送電線は地形図の写しを持ち歩いている私にとっては現在地を特定する手掛かりとなるものだ。それによると、疲れに反し意外に進んでいないことが判明しガッカリした。

          

          ※ 送電線が通っているところは写真のように灌木が払われて、広い雪原となっていました。

 石狩川は国道39号線と付かず離れずの距離を保ちながら上流へと向かっている。だから時おり工場の資材置き場や夏の観光施設らしきものを背後から遠望することができた。

          

       ※ この写真から雪の深さを想像してください。写真では十分その深さが表現できていないようですが…。   

          

          ※ これはコンクリート会社の資材置き場のようでした。

          

          ※ こちらは夏季間の宿泊施設の「チロリン村」の施設ではないかと思われます。

 河岸の景色は変わらない。灌木の中、深雪をラッセルしながら前へ前へと歩を進める。しかし、スピードは上がらない。十歩進んでは一息、五歩進んでは一息、という感じでまるでのろまなカメさん状態である。そうした状況でも周囲への注意を怠ることができない。どこに掘割が潜んでいるか分からないからだ。

          

          ※ 石狩川の流れは、この日ずっとこうした様子でした。対岸がすぐ傍に見えるようになりました。

          

          ※ こうした灌木地帯を右に左に適切なところを見つけながら進みます。

 そうした中、渡ることができない大きな掘割に遭遇して、国道まで押し戻されて橋を渡って、再び河岸に近づくこともあった。

           

          ※ ときには掘割のために、国道の橋まで押し上げられることもあります。

 給食の方は休むところなど全くないので、行動食の「SOYJOY」をかじりながら進んだが空腹を抑えられなくなった。風が届かない灌木の中で立ったまま昼食を摂ることにした。

 今回私は、熱く甘い紅茶と、何も加えていない熱湯の二本のステンレスボトルを持ち歩いている。その熱湯を使いカップスープ(コーンポタージュ)をつくって飲んだが、寒い中で最高のご馳走だった。その後、調理パンを熱い紅茶で押し込んだ。こうした寒気の中ではおにぎりは凍ってしまい適していない。水分の少ない調理パンが適していると私は思っている。

           

          ※ 昼食はこうして灌木の中で、立って摂ることになりました。

 昼食後も深雪の中、ゆっくりと進んでいるのだが、現在地がよく把握できないのがつらかった。スマホのGPSで時おり確認するのだが、周りに目印になるものがなにもないため川の形状だけでは判断できないのだ。

          

       ※ 河岸にはこうして立木が前をふさいでしまい、迂回を余儀なくされることが多々ありました。

 疲れてはいても灌木地帯に潜む「掘割」の存在を絶えず気を付けながら進まねばならない。掘割が現れると、その周囲を歩き回りどこか渡れるところがないか探す。すると立木がうまい具合に掘割を跨ぐように倒れているところがあった。そこを渡るにはかなり慎重に渡ることが求められる。倒れている立木の中心部分を歩かねばならないのだ。以前に慎重を期さなかったばかりに、立木から見事に滑り落ちた体験があったからだ。

          

          ※ 掘割にうまい具合に倒れていた立木の上を渡ったこともこの日2度ほどありました。 

          

          ※ 倒れた立木の上を通過するときは、モデル歩きのように脚を交差させながら慎重に進みました。                  

 行動開始からおよそ6時間30分(13時50分)を経過したころ、ようやく目前に石狩川に架かる橋が目に入った。「白雲橋」である。川向に広がる「大雪牧場」に通ずる橋のようである。

 「白雲橋」は、この日の第一目標の地点だった。しかし、私の気力、体力はいっぱい、いっぱいだった。私はここでスノーシュー脱ぐことを決断した。

          

          ※ この日のゴールとした「白雲橋」です。

 白雲橋の近くには「白川」というバス停があった。しかし、バス時間まで40分以上も時間があった。そこで私はスノーシューを片手に、国道上を次の目的地だった「真薫別発電所」まで歩いて移動し、そこからバスに乗車して上川町に予約したホテルに投宿した。  

※ 私はこの石狩川河岸のレポの際“掘割”という言葉を使っているが、これは石狩川河岸の低湿地帯に自然にできた水路のことを指して使っている言葉で、正確性には自信がないが、これからも使用させてもらうことにする。

 ※ この日の歩数 24,888歩 距離 17.6km(白雲橋から真薫別バス停まで歩いた距離も含む)

 

 


石狩川河岸遡行 32 ライブレポ④

2019-02-09 17:14:39 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

先ほど16時30分、無事に帰宅しました。これにて一件落着です。
今回は深雪と寒波に見舞われ大変でしたが、曲がりなりにも計画をやり終えることができ、ホッとしているのが本音です。
帰る前、層雲峡ビジターセンターに寄り、銀河トンネルの部分の河岸のことについて取材しました。「この時期だと、川に張った氷の上を行くことはできる。しかし、一般の方には勧められない」との回答でした。氷の上を行くことは、私の中ではご法度です。したがって、私の企てはこれにて完了としたいと思います。

明日から今回の「石狩川河岸遡行」をゆっくり振り返ってみたいと思います。

写真はゴール地点とした、氷に覆われた「大雪ダム」です。

 

※ 2月5日に投稿した「冬の石狩川を遡る 最終章達成計画」を当初投稿したものと振り替えました。興味のある方は覗いてみてください。