田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

興味ある企画 札幌ギター音楽祭

2024-09-10 18:21:23 | ステージ & エンターテイメント
 興味あるとは…、札幌市民芸術祭「ギター音楽祭」はコンペティション形式をとっていることだ。ステージに上がったギター奏者の演奏は市民芸術祭大賞や市民芸術祭奨励賞の対象となっているのである。

 9月8日(日)午後、札幌コンサートホールKitaraの小ホールにおいて札幌市民芸術祭の「ギター音楽祭」が開催され、昨年に引き続いて鑑賞した。ギター音楽祭は「独奏部門」には〈小学生の部〉に3名、〈一般の部〉に7名の参加があり、「合奏部門」に4つの団体が参加した。このうち、〈一般の部〉が大賞や奨励賞の対象となるという告知だった。
 昨年は私が最も優れた演奏だと思われた方が奨励賞に輝いたのをみて、「これは面白い企画だな」と思ったのだが、今年も7名の中から「果たして大賞や奨励賞を受賞する奏者が現れるだろうか?」という興味を持ちながら演奏に聴き入った。
 〈一般の部〉の出場者は、予めオーデションが行われて通過した人だけが出場できるという仕組みだけあって、出場者のレベルは高かった。昨年度奨励賞を獲得した那須朱音さんも大賞に挑戦するため7名の一人として登場した。
 私は私なりに個人的な感想をメモしながら各人の演奏に聴き入った。そのメモには次のような記述が残っている。「う~ん」、「テクニックは相当。やや硬かった?」、「情感のこもった演奏。2曲目が…」、「歳に似合わず若々しく」、「ただ弾いていただけ?」、「聴かせた演奏。あるいは?」、「さすが!」などにメモが残った。
 那須さんの演奏は、やはり他の出場者と比べると一段上のレベルの演奏と感じられ、私の感想は最後の「さすが!」だったが、残念ながら大賞とはならなかった。
 残り6名であるが、3番目の演奏は1曲目が情感のこもった演奏で良かったのだが、2曲目に明らかなミスが2~3度あったのが残念だった。その点、6番目の演奏者は演奏技術も表現もまとまった演奏に聴こえた。
 演奏会の最後に審査員から結果が公表されたが、残念ながら今年は大賞も、奨励賞の対象者は無しという残念な結果となった。しかし、惜しくも受賞を逃した方もいたという講評があったが、それがどなただったのかは知る由もないが、あるいは私が「惜しい!」と感じた方だったのでは?などと夢想している。
 大賞、奨励賞の対象外だった〈小学生の部〉や「合奏部門」も楽しませてもらった。小学生の段階からクラシックギターに親しむことは将来楽しみである。
 「合奏部門」は、ギター教室等の指導者がいる教室の合奏が主であったが、「札幌室内ギター合奏団」はサークル的集まりのグループだったが、会員の高齢化が顕著だった。若者のクラシック離れが背景にあるような気がした。
 札幌市民芸術祭の「ギター音楽祭」…、ただ聴くだけではなくて結果を予想しながら聴くという企画は、なかなか興味深いものである。

歴史散歩~創成川の西と東

2024-09-09 21:31:47 | 講演・講義・フォーラム等
 札幌の街の始まりの地ともいえる創成川の界隈を歩いた。札幌の古き佳き時代を調べることをライフワークとしている案内人に連れられて興味ある数々のお話を聴くことができた歴史散歩だった。

 9月7日(土)午前、(一社)新渡戸遠友リビングラボが主催する「歴史散歩~遠友夜学校時代の創成川の西と東」に参加した。案内人は札幌建築鑑賞会代表の杉浦正人氏が務めた。

       
       ※ この日の案内人を務めてくれた杉浦正人氏です。

 私は以前に札幌建築観賞会が主催した「札幌軟石」製の建築物を探す催しに参加したことがあり杉浦氏は顔なじみの方だったが、杉浦氏は主として札幌の歴史的建造物を調べ、その保存に奔走されている方である。
  杉浦氏に案内されて見て回ったところは次の12ヵ所である。
① 都通に面する札幌軟石の元倉庫(現パタゴニア店舗)  南3条西2丁目
② 京城屋の小路(南北の仲通り)  南4条西1丁目
③ 竹山食品・Hさん宅  創成川界隈
④ 新渡戸記念公園  南4条東4丁目
⑤ 日本清酒工場・千歳鶴酒ミュージアム  南3条東5丁目
⑥ 三叉路  南2条東4・5丁目
⑦ 森田たま生家跡  南1条東4丁目
⑧ 創成川公園  
⑨ 豊平館跡 ハルニレの古大木 大通西1丁目
⑩ 「新渡戸稲造住居跡」銘板  北3条西1丁目
⑪ 札幌農学校演舞場跡碑  北1条西2丁目
⑫ 札幌時計台  北1条西2丁目
以上を見て回ったが、杉浦氏の説明の中で特に興味深かったのが、札幌の条・丁目がどのようにして定められたか?という説明だった。よく札幌市の街は碁盤の目状で分かりやすいと言われているが、実はそうでもない複雑さを内包している。

    
     ※ ②の京城屋の小路で杉浦氏の説明を聴く参加者です。

 札幌の街が本府と山鼻屯田兵村が別々に街づくりが行われた結果、その二つの街の道路の結節点で微妙に曲がっていることは「ブラタモリ」でも紹介され有名であるが、創成川界隈もちょっと複雑になっていることが説明された。もともと札幌の街は南北に貫く南1条通りを基本に道路割が決められていったそうだが、創成川の西側と左側では条・丁目区画の間に造られた仲通りが西側では南北に造られているのに対し、創成川の東側では仲通りが東西に通っている。これは東側が創成川の流れに沿って街づくりが進められたために、西側とは異なった通りが造られたそうだ。
 また創成川の西側は大きな通りを境に条・丁目が割り振られたが、東側は大きな通りに面する商店や事業所を同じ条・丁目とするために、条・丁目の境目が仲通りを境にして定められたという違いもあるそうだ。このあたりは、札幌を訪れた人たちには戸惑うところではないかと杉浦氏は説明された。
 札幌市の条・丁目の表示が大きな通りを跨いで定められていることに、もともと札幌人でない私は札幌に転居してから戸惑ったことがあったが、さらに複雑な決め方をしていることが今回の街歩きで知ることができた。
 また、「遠友夜学校」がなぜ南4条東4丁目に立地したのか?ということについても、「遠友夜学校」が創立された明治27年当時、辺りは商店とか工場などが密集していて、そこの子弟、働く人たちが満足に学校に通えない子が多かったことから、豊平川の分流となっていた河原のところ立地したそうだ。つまり繁華街の外れに位置していたということだった。

    
    ※ 遠友夜学校記念公園で新渡戸稲造の像の前で集合写真を撮りました。

 というように、私にとっては未知だったことが杉浦氏から次々と聴かされ、非常に興味深い歴史散歩となった。
 私は併せて、杉浦氏が最近刊行した著書「さっぽろ探見(たんけん)~ちょっとディープなまち歩き」を杉浦氏から購入したのだった。

        


先生、どうか皆の前でほめないで下さい

2024-09-08 20:00:21 | 講演・講義・フォーラム等
  1.  現代の若者論としては頷けることは多々あったが、はてして「北海道青少年育成大会」の講演として相応しかったのか、否か?いささか疑問が残った講演会でもあった…。

     
 9月6日(金)、かでるホールにおいて「北海道青少年育成大会」が開催され、午前中はすでに投稿したように「少年の主張」全道大会があったが、午後は講演会が行われた。その講演は、金沢大学の近間大介教授「先生が求める答えを提供する若者たち~いい子症候群の実像」題して講演された。今回のタイトル名はその近間教授の著書の題名でもある。
 近間教授はまず、次のようなエピソードを披露した。最近の若者は、高校や大学の授業において「皆の前でほめないでほしい」と言うそうだ。それは今の若者が周りから目立つこと、ひいては仲間内から特別な目で見られることを極端に嫌うという性向だという。

      
        ※ 講演をする近間大介金沢大教授です。

 そうしてリクルート社就職みらい研究所が大学生や大学院生に対して調査したある調査結果を示した。それによると、現代の若者の就職先志向が見事に現れていたという。それは、若者が望む就職先は「歴史や伝統がある企業」、「安定し、確実な事業成長が見込める企業」、「意思決定の際は、迅速性より正確性を重視する企業」等々、若者の安定志向が顕著だったそうだ。
 このことから今の若者の志向は、親の教えに従って一生懸命勉強し、失敗の恐れがあるような冒険はせずに、良い大学に入り、一流と言われる企業に就職して、周りと協調して皆と同じようにそこそこ出世すればそれで良い、的な考えの若者が多いということか?
 「拒否回避欲求」という言葉があるそうである。「拒否回避欲求」とは、他者から「嫌われたくない」、「変な人だと思われたくない」といった否定的な評価を回避しようとする欲求のことだという。つまり今の若者は、どんなに弱い拒否でもされることが怖い、あるいは拒否されそうなことは最初からしない、「ちょっと変わってる」「何それ」って思われるのが怖い、という傾向が強いそうだ。
 ここからは会社の上司論になるのだが、「拒否回避欲求」が強い現代の若者に対して、叱責したり、失敗を指摘したりすることは厳禁であるという。それよりは良いところを見つけて「ほめる」ことを心がけるべきと強調する。その「ほめ方」も留意する必要があるという。ダメなほめ方は「みんなの前ほめ」、「比較ほめ」、「デモグラほめ」、「裏があるほめ」だという。(それぞれがどのようなほめ方なのかはお調べください)反対に良いほめ方は「ラフほめ」、「最中ほめ」、「引用ほめ」などだそうだ。
 いやいや、ここまで私は聴いていて、もうお手上げだった。時代と共に価値観が流動していることは私でも肌で感ずるところがある。しかし、人生の先輩である会社の上司がここまで若者におもねなければならないのか?確かに組織を上手く回転させていくためには、過去の価値観だけにとらわれていては拙いことは分かる。しかし、だからといって「本当の人間の価値はどこに」、「組織人として在り方は?」等々、人生の先輩として教え諭すことも時には必要ではないのか?
 青少年の健全育成に携わっている方々への講演として果たして適切だったのか?私の中では???が頭の中で渦巻きながら会場を後にしたのだった。
(私の論旨が適切だったか否か、自信はないが本日の投稿とします)

200回記念!北一条教会昼休みコンサート

2024-09-07 17:53:48 | ステージ & エンターテイメント
 200回記念のコンサートは、教会音楽の主役でもあるパイプオルガンの演奏をたっぷりと聴くことができた。プログラムにも北一条教会のオルガニストの総出演と謳っていた。教会音楽というとJ.S.バッハである。バッハの曲が大聖堂内に響き渡った。

   
    ※ 札幌北一条教会の全景です。北一条通(旧国道5号線)に面しています。
 プログラムによると、札幌北一条教会の「昼休みコンサート」が始まったのは1993年9月が第1回目だという。そして今回が200回目だから、実に32年間にわたって営々と積み上げてきた実績である。その間、毎回無料で市民に開放しながら今日を迎えたのだから大変な地域貢献である。私もその恩恵をこうむってきた一人である。

     
     ※ 札幌北一条教会の礼拝堂です。私たちはこの椅子にかけて聴きます。

 上述したように今回は200回記念ということで、北一条教会のオルガニスト4名がそれぞれパイプオルガンの演奏を披露してくれた。その曲目と演奏者は…、
 ◇J.S.バッハ/トッカータとフーガ ニ短調 BWV565       〈山田 悦子〉
 ◇J.S.バッハ/「おおひとよ、汝の罪の大いなるに涙せよ  〈岡崎 恵子〉
 ◇J.S.バッハ/「主キリスト神の一人子」         〈岡崎 恵子〉
 ◇J.ブラームス/「おお神よ、汝慈しみの神よ」       〈中井美津恵〉
 ◇E.エルガー/「希望と栄光の国」            〈小泉 優香〉
  ◇T.ハーヘン/詩編150編「神を賛美せよ」        〈小泉 優香〉
以上だったが、前述したように教会音楽というと、やはり最初に来るのはJ.S.バッハである。
 1曲目の「トッカータとフーガ」は印象的な出だしから始まる。曲全体が不協和音のオンパレードのようにも聴こえてくるが、それがなぜかいつまでも耳に残る一曲である。続いての曲は、正反対に耳に心地良く、どこかホッコリとした柔らかな和音が耳に優しく届いた。この対比が面白いと思った。

    
    ※ パイプオルガンは私たちが座った椅子の後方にあるので背を向けながらオルガンの音を聴きます。

 私には音楽的な背景が分かっていないため、一般的に教会音楽はイマイチその良さを感得できないのだが、この日の演奏では5曲目の「希望と栄光の国」がどこかで聴いたことのある曲に聴こえてきた。それもそのはずである。原曲は行進曲「威風堂々」だったのだ。オーケストラとは一味違っていたが、その特徴あるメロディーはどこかホッとさせるものがあった。
 予告では次回もパイプオルガンオンリーのコンサートとなるようである。奏者は今回とは違う5名が演奏するとのこと。都合が悪くない限りまた聴かせてもらおうと思っている。

※ 最近はどこのコンサートも写真撮影NGとなってしまった。そこで今回はウェブ上から札幌北一条教会の写真を拝借してお茶を濁すこととした。


瑞々しい感性はお爺の心に響いた!少年の主張大会

2024-09-06 20:29:59 | イベント
 中学生が発表した主張の数々はお爺の胸の胸を激しくノックした。世情の垢にまみれたお爺には中学生が発する瑞々しい感性が眩しすぎた。彼らが今の思いを忘れずに成長してほしいと願うばかりだった。

    

 本日午前、道民活動センター「かでるホール」において「少年の主張 全道大会」が開催され、少年たちの主張に耳を傾けた。(この大会はこの日開催された「北海道青少年育成大会の一環として開催された)
 出場者は16名。それぞれが管内大会(札幌市だけ代表が2名)で最優秀に選ばれた生徒たちばかりだった。

     
                 ※ 出場者全16名が初めに壇上に立ちました。(この写真で個人は特定されませんよね)


 出場者の氏名・学校名・主張テーマは次のとおりである。
 ① 細川 優菜 札幌市立日章中学校    「ジェンダーの平等の実現に向けて」
 ② 光枝 美優 礼文町立香深中学校    「『かわいそう』は無責任
 ③ 貝島 優羽 倶知安町立倶知安中学校  「一歩踏み出して」
 ④ 尾坂 空音 岩見沢市立明成中学校   「しあわせの形」
 ⑤ 山本結千花 浦幌市立浦幌中学校    「私らしい生き方」
 ⑥ 篠田 涼帆 長万部津町立長万部中学校 「多様性の時代」
 ⑦ 河本さくら 別海町立上春別中学校   「雑草」
 ⑧ 白井遥ノ椛 洞爺湖町立虻田中学校   「言葉の力とは」
 ⑨ 糸畑  雫 江差町立江差北中学校   「男女差別」
 ⑩ 藤原 拓也 鶴居村立鶴居中学校    「未来の舵取りを担う」
 ⑪ 鎌田 千弦 札幌市立平岡緑中学校   「とくべつなくふう」
 ⑫ 高林  恵 遠軽町立遠軽南中学校   「挑戦」
 ⑬ 平田 琴音 様似町立様似中学校    「青春のありか」
 ⑭ 田村里々香 遠別町立遠別中学校    「油断から広がる危険性」
 ⑮ 大串 雪花 北海道教育大旭川中学校  「性別をこえた平等へ」
 ⑯ 数馬 灯里 恵庭市立恵み野中学校   「未来に咲く今」
 テーマを見ると多種多様だったが、それぞれが自分の身の回りに起こったことへの疑問や改善案、あるいは自らの将来に対する思い、等々…。その中で特徴的だったのは「ジェンダー」に関する思いや提案を訴える主張が多かったことだ。(私のカウントでは5名)
 そのことと出場者の多くが女子生徒で、男子生徒は1人のみだったのはこの年代のある意味での特徴なのだろうか?
 各人の主張を聴いていると、どの生徒も論旨が明快で、堂々と主張する様子はさすがに選ばれた生徒たちといった印象だった。

      
      ※ 少年の主張の発表の様子です。

 私は各生徒の主張を聴いていて、どの主張にも頷けるところがあり、彼らの思いに共鳴しながら聴いていた。そしてこうした主張に優劣を付けることの難しさを感じていた。しかし、結果は発表された。
 その結果、最優秀賞は恵庭市立恵み野中学校の「未来に咲く今」をテーマに発表した数馬灯里さんが選ばれた。数馬さんの主張は、数馬さんのお兄さんがけっして模範的な学生生活を送った人ではなかったために希望どおり職種に就職はできなかった。しかし、就職したお兄さんがその職場で不満も漏らさず、一生懸命勤めることによって職場でも認められ、今生き生きと生きている姿から、自分もお兄さんのように今の境遇に不満を漏らすことなく、「今を懸命に生きたい」と主張した。印象的だったのは主張の中にノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの名言「おかれた場所で咲きなさい」という言葉を効果的に挿入したところだ。
 数馬さんの力強い主張は、この後全国でも主張の機会を得た。数馬さんの健闘を祈りたい。同時に、他の生徒たちも自らの主張に自信をもって生きていってほしいと願うばかりである。

無声映画「番場の忠太郎 瞼の母」を観る、聴く

2024-09-05 16:43:36 | 映画観賞・感想
 久しぶりに活動弁士の名調子を楽しもうとしたのだが、思わぬアクシデントにより、その期待が不完全燃焼に終わってしまったのは残念だった…。

     

 昨日(9月4日)午前、札幌市資料館において北海道生涯学習協会主催による「賛助会員の集い」が開催された。「賛助会員」とは、北海道生涯学習協会の趣旨に賛同し個人として寄金する団体である。例年、年に一度その会員の集いが開催されているのだが、今年は札幌市資料館において「無声映画のつどい」が開催された。
 何故に無声映画を札幌市資料館で?との疑問もあろうかと思われるが、一つは歴史的建造物である札幌市資料館がその舞台に相応しい、ということと弁士であるいいむら宏美氏が定期的に札幌市資料館で「無声映画の会」を開催していることから開催会場として選ばれたものと推定される。
 会はまず、札幌市資料館のボランティアガイドを務める武石詔吾氏から「札幌市資料館」の前身である「旧札幌提訴院」についての説明があった。それによると…、

  
  ※ 札幌市資料館(旧札幌控訴院)です。

 ◇旧控訴院は東京、札幌をはじめ全国7ヵ所に存在した。
 ◇その後旧控訴院は地方高等裁判所に衣替えした。
 ◇旧控訴院時代の建物が現存しているのは、札幌市と名古屋市だけである。
 ◇旧札幌控訴院は外壁が札幌軟石、内部がコンクリートの組構造である。
 ◇建設費は当時(明治19年)で22万円、現在価格で22億円程度である。
等々の説明があった。
 続いてメインの「無声映画のつどい」に入った。
 活動弁士は前述したように札幌市内では唯一の「いいむら宏美氏」である。氏によって上映前に無声映画について若干の説明があった。それによると…、

       
       ※ 札幌唯一の活動弁士のいいむら宏美さんです。

 ◇1890年頃に初の映画が制作された。(無声映画)
 ◇無声映画に弁士が付いて楽しんだのはアジア各国だけで、欧米にはなかった。
 ◇アジアで流行ったのは、アジアには「言葉の芸」を楽しむという習慣があった。
 ◇活動弁士の最盛期は1910~1920年代で、札幌市だけで110名もの弁士が活動していた。
 ◇また、同時に楽団も付き、多い場合は14~5名の楽団が付くこともあった。
というような説明があった後、いよいよ映画「番場の忠太郎 瞼の母」の上映、そしていいむら宏美氏弁士の登場となった。映画は長谷川伸の原作、監督は新進気鋭の稲垣浩で1931(昭和6年)制作となっている。
 と、ここまで文章を綴ってきてストーリーの内容を確認しようとウェブ上を繰っていたときに、私のブログの投稿に出会った。なんと私は2020年12月4日に同じ札幌市資料館で開催された飯村宏美氏が弁士を務めた同じ映画をすでに体験していることが判明しのだ!(う~ん。私の記憶装置もかなりガタがきている?)
 その際に私は次のように記している。
「時に主演の片岡千恵蔵は28歳、妹を演じた山田五十鈴が14歳の時の作品だという。片岡千恵蔵は当時から時代劇六大スターと呼ばれて大人気を博していたということだが、私たち世代が知っている片岡は渋い中年俳優として銀幕を飾っていた方との印象が強いが、若き日の表情にその面影を見ることができ嬉しい一瞬だった。」
この思いは昨日も同じだった。
 さてアクシデントのことである。映画はDVDに再収録したものを放映したのだが、前半は何事もなく進行していた。そして忠太郎が苦労の末に5歳の時に生き分かれた、母らしき人・おはま(常盤操子)と出会ったのだが、おはまは頑として母親であることを認めない。それを見ていた娘のお登世(山田五十鈴)が説得するのだが…。

     
     ※ 番場の忠太郎と母おはまの再会の場面です。

 アクシデントはその時起こった。なんとDVDが度々ストップしてしまうのだ。肝心の親子の対面の場面が台無しとなってしまったのだ。
 何としても残念なことだったが、機器が相手だと文句も言えない。ちょっと不完全燃焼に終わってしまった「無声映画のつどい」だった。もっとも、私は一度親子が抱き合う最後の場面を一度観ていたのだが…。

大いに楽しんだ!明大マンドリンサウンド

2024-09-04 19:18:21 | ステージ & エンターテイメント
 歯切れがよい! 迫力がある! レパートリーが多彩! 伝統ある明大マンドリン倶楽部の魅力がたっぷり詰まったマンドリンの音を堪能した一夜だった。

     

 昨夜(9月3日)、札幌市民ホール(カナモトホール)において「明治大学マンドリン倶楽部 札幌演奏会」があり心楽しいひと時を過ごした。
 今回は明治大学OBの友人H氏がチケットをプレゼントしてくれるというサプライズで久しぶりに明大マンドリンサウンドを楽しむことができた。私にとっては今回で3度目だったが、記憶を辿ると前回は8年前だったかもしれない。
   
※ 男子部員は伝統の詰襟学生服、女性部員も黒い上着で明大マンドリンらしく締めていました。

 まずは今回の演奏会で披露された曲目を紹介すると…。
《第1部 古典音楽》
 ◇オープニング 山田耕筰/明治大学校歌
 ◇アルバート・ケテルビー/ペルシャの市場にて
 ◇ガブリエル・アォーレ/シシリエンヌ
 ◇劉鐡山・茅元/瑤族舞曲
《第2部 こころに響く日本の名曲》
 ◇オープニング  米津玄師/さよーならまたいつか
 ◇谷村新司/いい日旅立ち
 ◇古賀政男/影を慕いて
 ◇古賀政男/丘を越えて
 ◇中村八大/上を向いて歩こう
 ◇甲斐靖文(編曲)/青春のフォーク・ポップスメドレーPrat 1
 ◇甲斐靖文/津軽組曲より「夏」
《第3部 マンドリンで描く世界地図》
 ◇ニーノ・ロータ/ロミオとジュリエット
 ◇服部良一/蘇州夜曲
 ◇甲斐靖文/星空と大地
 ◇ジョゼフ・コスマ/枯葉
 ◇ホセ・マンソ・ペローニ/コーヒー・ルンバ
 ◇パスカル・マルキーナ・ナロ/エスパニア・カーニ
 ◇ラファエル・エルナンデス/エル・クンバンチェロ
《アンコール》
 ◇ペレスプラード/マンボ№5
 ◇ジョニ・ミッチェル/青春の光と影
といったラインナップだったが、ご覧いただいてその選曲の幅がとても広いことにお気づきいただけると思う。これが明大マンドリン倶楽部の一つの特徴であり、多くの聴衆を呼び込める秘訣の一つだとも思っている。

    
    ※ 第3部ではユニフォームを黄色に変えて、最後に花束を受け取っていた。

 どの曲も楽しめたが、その中でも私的に「特に良かった!」と思われたのは、「ペルシャの市場にて」、「いい日旅立ち」、「丘を越えて」、「津軽組曲より『夏』」、「コーヒー・ルンバ」、「エル・クンバンチェロ」などだった。
 私たち世代に青春を思い出させてくれたのは「青春のフォーク・ポップスメドレーPart 1」だった。司会者によると実に22曲を織り交ぜたものだったということだが、全ての曲が私をひと時うん十年前に誘ってくれた。
 たくさんのマンドリンの迫力ある演奏も素晴らしかったが、ファーストマンドリンのパートサブトップの学生が弾く抜群の技量のソロ演奏も聴き応えがあった。
  
※ 満員に近い聴衆がカナモトホールに駆け付けたコンサートでした。

 一つだけ残念かな?と思ったことはOBのH氏も言及されていたことだが、団員の減少傾向である。今回ステージに上がった団員は33名である。(プラス金管4名の賛助出演があった)往年の明治大学マンドリン倶楽部というといつも50名は軽く超えていたと思う。学生の志向も多様化されているということだろうか?
 勧誘活動に力を入れて仲間を増やし、伝統の明治大学マンドリン倶楽部を繋いでいってほしいと願うばかりである。

※ 掲載写真は写真撮影NGだったため、いずれもウェブ上から同じように雰囲気の写真を借用しました。

洋上風力発電の現況とは?

2024-09-03 22:09:40 | 講演・講義・フォーラム等
 この春、4月に石狩湾に姿を現した洋上風力発電が本格稼働を始めたことが話題となった。いったい風力発電とはどのようなものか、そしてそのメリットとデメリットは何か?研究者からお話を伺った。

    

 本日午後、札幌コンベンションセンターにおいて「GLOBAL OFFSHORE WIND SUMMIT JAPAN 2024」が開催され、数多くのプログラムの中で一般市民にも開放されたオープンセミナーの特別講演に参加した。
 特別講演は「洋上発電事業と地域の共発展」と題して東邦大学理学部生命圏環境学科の竹内彩乃准教授が講演された。
 竹内氏は私たち市民にも理解できるよう、明快に分かり易く説明いただいた。
 氏のお話の概要をレポしたい。
 まず、洋上風力発電とは文字どおり海上において風力発電をすることで、風車本体を海底に着床する「着床式」と、海上に浮かばせる「浮体式」があるということだ。その「着床式」、「浮体式」にもさらに細分化された方式があるということだが割愛したい。石狩湾で稼働を始めた風力発電は「着床式」(ジャケット式)だという。

   
   ※ 洋上風力発電の着床式、浮体式の概念図です。

 今、洋上風力発電を推進する理由として、次の3点があるという。その3点とは…
  ① 気候変動対策(石化エネルギーからの脱却)
  ② エネルギー自給率の向上
  ③経済波及効果(新たな産業の創出)
 さらに、洋上風力発電を推進するメリットとして
  ① 事業効率の良さ
  ② 大量導入のポテンシャルの高さ(海に囲まれた日本)
  ③ 経済波及効果
  ④ 漁業への影響(海底部にできる漁礁による魚類の増加)
 反対に課題としては
  ① 生態系への影響(バードストライクなど)
  ② 景観への影響(海上に人工物の出現)
  ③ 設置、メンテナンスコストの高さ
 こうしたことを背景にして、洋上風力発電を推進するには “地域共生” が必要となるが、そのための視点として、「双方向の熟議学習」が必要であり、さらには洋上風力発電の導入が「コミュニティの便益」に寄与することが大切と解説された。
 さらに、我が国の洋上風力発電をさらに推進するためには「再エネ海域利用法」の整備、あるいは領海からEEZへの展開が必要であるとした。
 最後のキーワードとして「地域との共発展」(共発展とは私には初耳のワードだったが、産業と地域がともに発展することと私は理解した)のためには再エネ海域利用法に基ずく “法定協議会” を機能することが大切と結んだ。
 陸上の風力発電が風況の難しさ、あるいは生態系への影響などの問題から限界が見えているのに対して、周りを海に囲まれている我が国にとっては可能性のある方向なのではと思われる。
 石狩湾で稼働を始めた洋上風力発電は14基で一般家庭約8万3,000世帯の年間消費量に相当する電力の発電が可能だという。竹内氏のお話では、石狩湾に設置した風車は直径が84mのブレード(羽根)だという。しかし、現在の技術はさらに大きなブレードを造る技術も可能なレベルだという。

  
  ※ 石狩湾で稼働を始めた14基の洋上風力発電です。

 さまざまな課題も多いと思われるが、ポテンシャルの高さは相当である。課題を解決しながら推進していくことに期待を寄せたいと思わせてくれた講演会だった。

Good-Bye フォルクスワーゲン(VW)

2024-09-02 16:59:22 | その他
 大袈裟に表現すれば、本日は私の人生において超弩級の決断をした日となった。というのも50年以上にわたって付き合ってきたフォルクスワーゲン車と分かれる決断をした。ということは、車生活にお別れするということだ。苦渋の決断であるが、高齢者の人身事故が多発していることから、敢えて決断した。

 最初に私のクルマ遍歴を辿ってみたい。まず就職と同時に叔母が使用していたTOYOTAの「ガッツパブリカ」を譲り受けたのが始まりである。
 その後、三菱の「ギャランFTO」、続いてTOYOTAの「ライトエース」と乗り継いだ。しかし私の憧れはフォルクスワーゲンだった。
 というのも、私が学生時代にヨーロッパ・アジアを一年間にわたって彷徨した時に、フォルクスワーゲンの本社があるドイツのブォルフスブルグ市(Wolfsburg)の街に偶然に立ち寄ったことがあった。“偶然” と記したが、私はヨーロッパ内をヒッチハイクで巡っていた。その際にブォルフスブルグ市を通過した際に、あの “VW” のマークを掲げたフォルクスワーゲンの本社工場が目に入った。そこで私は車を降ろしてもらい、本社を訪れたところ幸いにも工場見学を許されて、広大な工場の見学者通路(その長さは軽く1キロを超えていた)を歩いて見学した体験があり、それ以来私の中でフォルクスワーゲンは私にとって特別な車となったのだった。

     
※ ブォルフスブルグ市の本社工場です。(当時の写真ではありませんがイメージは同じです)

 そうした中で、教員風情で外車を所有することに対する躊躇があったのだが、時代は教員の中でも外車に乗っている人が珍しくなってきたことから、35歳の時についにフォルクスワーゲンの代表車種の一つ「ゴルフ」を購入するに至った。真っ赤な車体のゴルフジーゼルを駆って私は北海道のいたるところを旅してまわった。それからはフォルクスワーゲン車オンリーで今日まで乗り継いできた。

       
       ※ ゴルフ

 その遍歴は、「ゴルフ(GOLF)」」⇒「サンタナ(SANTANA)」⇒「ヴェント(VENTO)」⇒「パサート(PASSAT)」⇒「ツーロン(TOURAN)と乗り継いできた。それぞれに思い出があるが、その中、「サンタナ」という車は日産自動車がフォルクスワーゲンから製造認可を取り付けて生産したという、いわば “珍車” ともいわれた車でもあった。

      
     
      ※ サンタナ
       
       ※ ヴェント

       
       ※ パサート  
※ ここまでの写真はいずれも私が撮り貯めた写真ではありません。いずれもウェブ上から、車体の色も含めて当時のイメージを彷彿とさせる写真を拝借しました。        

 いずれも新車を購入して乗り継いできたのだが、唯一最後の「ツーロン」だけは中古車だった。というのも、「パサート」を購入してから10数年が過ぎていたころ、今は故人となってしまった登山愛好家であり、歩き旅の達人でもあった函館在住の坂口一弘氏と知己となり、坂口氏が車中泊の達人でもあったことから、車中泊に憧れを持つようになり、息子が「父さん、ツーロンという車が車中泊には適しているようだよ」と言って格好の中古車を紹介してくれたことで、その車の購入を決めたのだった。以来、私は年間に10数泊の車中泊の旅を楽しみ、2度の本州旅行を楽しんだ車である。いわば私のクルマ遍歴の最後を飾るに相応しい車だったのかもしれない。

      
      ※ こちらの「ツーロン」は今朝私がお別れ前に撮った写真です。
      

 それとは違って思い出深い車はやはり最初に購入した「ゴルフ」である。ジーゼルエンジンということで多少エンジン音が気になったが、燃費も良く、快調に走ってくれた。当時はまだ若かったこともあり道内のあちらこちらとずいぶん走り回ったが、頑丈な「ゴルフ」は実に30万kmを超えて走り、とうと乗り潰してしまった車である。
 日本車を含め、思い返してみると私のクルマ遍歴は55年間にもなっていた。現在、車を駆使している方も同様と思うが、車無しの生活など考えられない生活を続けてきた私である。その生活を、本日をもって断ち切ることにしたのは、まさに私にとっては超弩級の決断だった。

      
     ※ 長年、私の運転時のお尻を保護してくれたVWマークのマットです。

 幸い札幌において市内を移動するには公共交通機関が発達していることからもそう不便は感じないかもしれないが、郊外のイベントや行事に参加すること、あるいは近郊でスキーを楽しむこと、さらに北海道内に出かけることも制限されることになる。
 どのように私の生活が変化するのか計り知れないが、これからの日々、車のない生活でも人生を楽しむ工夫を凝らしていきたいと思っている。
 ともかく今日までの車生活を大過なく過ごしてGood-Byeできたことを是として車生活におさらばしたい。

愛は地球を救う テーマソング「サライ」

2024-09-01 18:34:32 | その他
 ベタとか、やらせだとか、いろいろと揶揄されながらも24時間テレビ「愛は地球を救う」は47年間も続いて、今日も24時間の生放送が続いている。そのテーマソング「サライ」は番組をシンボルともなっているが、私も大好きな歌である。

 テレビ局が24時間もの長時間にわたって一つのテーマで放送を続ける「愛は地球を救う」は、ある意味で国民的なテレビ番組の一つとなっているとも云える。それだけにその評価については姦しい声も飛び交っているが、47年間も継続してきたということ自体が多くの視聴者から支持されているということなのだと思う。そういう意味ではキー局の日本テレビの揺るがぬ姿勢に敬意を表したいとも思う。
 私自身はそれほど熱心にこの番組を視聴してきたわけではないが、健常者だけではなく、障害者や、被災者、難病患者などの実状を伝えることによって、チャリティーを呼び掛けるコンセプトには共鳴できるところがあると見ていた。

   

 その番組を通して流れるメロディー「サライ」の曲がなんとも私たちの心を打つ。この曲は、この番組の第15回目だった1992年に番組中に加山雄三と谷村新司によって生まれた曲だという。
 曲のテーマは「心のふるさと」なのだが、曲名として「サライ」としたのは、ペルシア語が由来で直訳では「宿(または家)」という意味で、「砂漠の中のオアシス」という意味が込められているそうだ。そこでテーマの「心のふるさと」に近いことから「サライ」という曲名になったということである。

   

 遠い夢 捨てきれずに 故郷を捨てた……

 このメロディーが流れると、胸がキューンと締め付けられる思いがする。
 この曲の出だしは、スローテンポで、低音のために私たちでも歌いやすいので、私のカラオケでの十八番になっている。(もっとも最近はカラオケからも遠ざかっているが…)
 今日の24時間テレビで、昼近くにこの曲の作詞者で、毎回のように番組最終盤で歌っていた谷村新司さんが亡くなったことを偲び、彼の懐かしビデオと共に流された。
 その曲の終末

  サクラ吹雪の サライの空へ いつか帰る いつか帰る きっと帰るから… 

をいつかまた心の底から歌って、谷村新司を偲び、24時間テレビ「愛は地球を救う」を応援したい。

        

 今夜も24時間マラソンに挑戦した “やすこ” がこの曲に背中を押されながらゴールする瞬間を見届けたい。