モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



前回は中間市でしたが 今回は直方を越え飯塚まで遡上しました。鯰田橋から見たこいのぼりです。。
車が1台と、人の姿をご覧いただけますか? 鯉のぼりを今とりつけていますねー。

上流から見ています。川の流れは鯉のぼりと並行していて右岸をず~っとJR筑豊本線が通っています。
そして少し先で川を横切って鉄道橋があります。





河川敷に降りて、橋の下で妹とコカリナを吹いていたら、右側でゴットンゴットン電車の音がしました。。
途中でプツリとやめて電車を待ちます。鯰田(なまずた)鉄道橋に電車が来ました。ちょっと地味な電車でした。。。




飯塚から更に上流に進みます。嘉麻市 大隈橋です。川幅はぐんとせまくなり鯉のぼりは川を横切っています。
上流に向かって泳いでほしかったけど “風の吹くまま”で下流を向いているんです。





今度は下流側に向かって 左側にに大隈橋がみえます。橋のの親柱には秀吉の陣羽織の絵があります。
(記事の最後に一夜城伝の説明をしています)





語り部さんに会いました。。杖で指された方角 秋月種実が袴を脱いで降参した場所はあの辺りで、
そのあたりに生える土筆はいまでも ハカマ がないそうです。





また一夜城の絵図面は (今度は梅ケ谷酒造さんの方を指され) あの裏の林田さんの先祖が書いた事
その絵図面は今では秋月城の資料館にあること....などと話して下さいました。





そんな説明よりも 川向うのその辺を ずっと眺めながら繰り返し繰り返し 50年前は川向こう
にず~っとさくらが咲いてそれは美しかった....としみじみと話されたのが印象的でした。


お元気で。。。。と見送りました。。



今日ご紹介した 鯰田橋は 河口芦屋町から約28km 大隈橋は約45km遡上した地点です。


   一夜城伝

天正15年(1587)豊臣秀吉は30万の軍勢とともに小倉城に入り、4月1日には秋月攻略の火蓋が切られた。 
秋月二十四城の一つ 豊前の岩石城を1日で陥落させた豊臣の軍勢が怒涛の如く大隈の町に押し寄せた。
岩石城の落城の知らせを受けた秋月種実は種長の守る古処山本城へといちはやく逃れた 秀吉はまず 嘉麻 穂波の村々に篝火を焚かせた。
次に大隈町民に命じて 町中の戸や障子を益冨城へと運ばせ 一夜にして仮城を築いた その光景を前にした秋月父子は恐れおののき 闘わずして降伏した。
秀吉は協力した大隈町民に対し愛用の陣羽織を与えお墨付きをもって永代貢税を免除した。


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