モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



国見町のギャラリーめぐり 最後に行くのは 涛音寮 同行の友人が一番見たいという屏風があるそうです。小さな川を渡ります。

上流側は彼岸花が咲いています。。。 堰があってとっても上流っぽく見えますが橋から下流側を見ると もうすぐ海です。

 

川を渡ると まるで天守閣のような3階建ての建物が見えました。 明治初期 前身である“造り酒屋橋本屋”が建てたそうです。涛音寮(とういんりょう)さんです。

 

ここに展示してあったのは古い着物を屏風にしたものでした。。 蒔絵の時計がポツンと・・・ありました。

 

 

ポストカードや ストラップ 手ごろなものは色々売ってるけど ここは入館料払ったから買わなかった。

お茶室を観ることはあっても お稽古を止めたら水屋を観ることがありません。。久しぶりでした。

 

 

お庭には 小さな石の橋がありました。 元は池だったんでしょうね。

 

ここでは食事をすることができます。。  この日のランチ タコ飯御前 1050円でした。

 

 

3階だてです。。ここは3階  窓の縁側っていうか ちょっと腰かけるようなところ そこに出て撮りました。 遠くの島は キツネ踊りで有名な姫島だそうです。

 

後で気付いたんですが ここに出てはいけませんって書いてありました。。。 体重オーバーなのに壊れなくてよかった。

 

つづきですので 今回もコメント欄は閉じています。



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国見郷愛記念館です。 社長夫人(半世紀近い友人)のお伴で行ったんですが ホントは私達 興味の対象は少し違うんですが誰もが楽しめるイベントだと思います。


 

もともと精米所だった所、  左は精米機 右は製粉機です。 暗くてスミマセン。なるべくフラッシュをたかないようにしています。(写真・絵画展示あり)

「中島式製粉機」の銘板がありました。  この中島式ってうのは ゼロ戦の戦闘機を作っていた会社ですが 戦後は用がなくなって変わったそうです。

 

 

精米機も製粉機もとても大きくて吹き抜けの2階になってます。 2階から観ています。

手前が製粉機 奥が精米機 精米機の方が更に高く 天井に届きそうです。 これは小さかったらお米の温度が上がって美味しくないそうです。

 



カウンターにあったレジです。 絵が少し残っていました。。 お聞きしたら今でも入館料200円を入れるのに使ってるそうです。 作りが美しいと思いました。 

 

お向かいの亀屋さんでは 日田から来ている工房 月のあかりさん の影絵が好きでした。  入館料も要らないので応援の意味で 800円の楽譜?を500円に負けて貰って買いました。

 

お人形の着物はいかにも古そうな布で作ってあります。。 ウフフ 表情がなんとも・・・・ 後ろに見えているのが影絵です。

 

ラパロマさんは陶芸とガラスの工房 ご家族3人でなさってます。国東といえば鬼  鬼猿がたくさんありました。楽器を持っているのが可愛かった。

 

息子さん(21歳)の作品には感動しました。

失敗作の怪獣  足の部分が欠けてるけど 手が独創的です。 ピースじゃないですよ竜の頭です。 右は完成品です。

 

 

こんな可愛い怪獣なら 会ってみたい・・・・ ご両親は息子さんの作品をたくさん説明して下さいました。

 

恐竜は 図鑑を見ながら 作るそうですよ。。 すごい・・・・   息子さんの応援のために恐竜を一頭!買いました。

 

 

あっ! タイトルですが 会社のかんママちゃん 占いの本が好きで よく読んでくれますが 私の前世 職人か学者だそうです。占いは気にいった事だけ信じます。

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この写真をご覧になって あれ~? と思われる方 あなたは芸術の秋 にふさわしい・・・・

 



では今度はこれを・・・・ 私は、これだって分かりませんでした。。。  オルセー美術館にある「アルルの寝室」という絵でゴッホの部屋だそうです。

 



そうです。。。 ご紹介するのは、ゴッホに魅せられて この絵の通りの部屋を再現している方なんです。。 絵の中の家具が ご自分の作る家具と似ていると思ったのがきっかけだそうです。

絵の中に  壁にかかった絵がありますが その絵は・・・・お友達が模写されたそうです。 お布団の色 ベッドのまくら元に 掛けてある服や帽子 全部同じですね。。

 

この台、 絵の中で取っ手の質感が陶器だから・・・・取っ手一つさえ探すのが大変だったそうです。

引き出しの周りに継ぎ目がないんですね。 絵なら簡単かもしれないけど(彼は本物もそうだと思うとのこと) 引き出しを くりぬいてあるんですよ。

 

北九州の若松から 昭和50年代に国東が好きで移住されたそうです。。ロマンがありますね。お歳は私より10歳くらいお若いかな? 芦屋の事も御存じでとても嬉しかったです。。

私の方が年長だし 同郷!でもあるから ”立って”・・・ ”椅子に”・・・・と注文をつけて撮らせて頂きました。 くにさき六郷舎 のオーナーです。 

 

では少し ひいて このお部屋の階下から・・・・・ 

 

もっとひいて・・・・・・素敵な家具達です。 手作りの温かさが伝わります。。。 お値段は特別高くはないと思いました。

 

この心地よい建物の外観です。

 

 

モダンな建物は母屋(ご自宅)です。。  工房も見えています。 あんなに広い所 何人でお住まいですか? って聞いたら 「二人です。。」とのことでした。

 

坂道の右側には 国見町指定文化財の庚申塔があります。 

もしも国見町で この景色を見かけたら 坂道を上り お訪ねくださいね。。。 若~い イケメンの職人さんもいて 小物を作っておられます。

 

くにさき六郷舎 さんをご紹介しました。    

あっ! 念のため 知り合いではなく偶然です。。。 町おこしのギャラリーまわり? で 北九州出身と教えてくださいました。



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今日の夕方  ベランダから観た空  こんな雲  箒で掃いたようでした。

ジカ目ではもっともっときれいでした。

 

臨時便のため コメント欄は閉じています。



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川にあっても  田圃にあっても  どこにあっても 可愛いコスモス

 

   

     丘の上の 西洋館

     しまったままだよ あの窓は

     いつごろ 誰がしめたのか

     コスモスコスモス

     花盛り

 こんな詩だったと思います。 小学校の教科書です。

 

通勤途中の北九州市が管理する グリーンパーク の 私の花壇(自称です)

 

上の詩を 朗読した女子は スモス スモス って読みました。。

今は私もそう言います。   でも 芦屋弁が標準語だと思っていた子供の頃 コモス って言ってました。

だから・・・・・・・みんな笑ったんです。

 

 

その子が東京に引っ越すことになりました。。。  転居先は大田区中(仲)六郷 って言ったんです。

子供ですからね。。。 ナカロク5 って聞こえます 中野区やないと? ( いや大田区っていってるよ)

 

コスモスの頃には必ず思い出す1日の事ですが 私は隠れいじめっ子だったかもしれない・・・とちょっと苦い思い出なんです。

毎日 水を遣る ホントの「私の花壇」の コスモスは ヒョロヒョロしている・・・

 

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いつまでたっても上達しないコカリナですが これを通じて出会いもあります。 子育て支援センターたんぽぽさんにお邪魔しました。  家から歩いて行ける場所です。



赤ちゃん 1才 2才児のチビッ子ちゃんとママ達です。。 町外からでも自由にこれますが 親が一緒でなければいけません。

お弁当を持ってきた親子は このランチルームで食べます。



いつもは学童のお部屋です。  施設長さんは図書館のイベントなどでお会いしてますが この日はリコーダー奏者と初対面です。

 

リコーダー奏者の 笛田千裕(ふえだちひろ)さんです。 幼少期に重いご病気で普通の生活が 出来ませんでした。 ご自分では女性だと言われました。

壁には コカリナのリクエスト どんぐり と さんぽ の歌詞が貼ってありました。

 

千裕さんは 一通り ご自分のこれまでの事を簡単に話された後 ドラえもんを演奏  私 あんなこといいな しか知らなかったけどいま違うんですね、

2曲目は 小さい秋 これも間奏に自由に秋まつりの笛のような曲を入れ・・・・3曲目はご自身の作曲だと思います。  リコーダーに出会ってよかったですね。

 

 

私達は  どんぐり と  さんぽ 千裕さんが尺八のような低い音のリコーダーを選んで 思いがけないコラボになりました。

そのあと もう一曲 とのことで 見上げてごらん を演奏 私はバリトン担当でした。 

小さなお子さんだから長時間はムリ コンサートの後は どんぐり探し このお部屋に たくさんあります。

 

いつもは お外でどんぐりを拾うけど 今年はスズメバチがいるそうで・・・・・室内   千裕さんも探して!います。(並べてあるけど・・・)

 

小さなお手手で袋に入れてます。 

 

台風で落ちた小さなどんぐりに色をつけ ラメをぬってお土産を作って下さってます。 一つ頂きました。

窓の外は桜の紅葉です。。

 

終わったあと お茶の準備をして下さって 私達と千裕さんだけになり いろんな話をしました。

また会う日があるかどうかは分かりませんが この日 この時 この場所で 一度っきりの時間を過ごしました。

    千裕さんのブログです。  

 



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ふぅ~ コメント欄を閉じたとはいえ もう6回目なんですね。。 宮崎最終編です。都城市に向かっています。 行き先より途中の景色が気になるんですね。

とりあえず 川があったら 線路があったら 橋があったら そしてアーチがあったら 何でも気になります。 河川敷の公園のようです。

 

 

41番札所 天長寺さんです。 ご住職が写真撮っていいですよ~ って仰り 珍しく本堂内陣の写真です。

 

珍しい樹だったから見上げていたら、和尚さんが来られ 栴檀菩提樹ですよ って教えてくださいました。 撮る位置が悪くてなんか怖いですね。

 

栴檀菩提樹です。。 小さな石像が守っていました。

 

これは何だかお分かりでしょうか・・・・  もしかしてお謡いとかはこんなんでしょうか。。。 楽譜? なんですね。お寺のご詠歌です。ちなみに 私は 全く分かりません。

 

 

宮崎のお遍路 最後のお寺はえびの市  半月以上たち もうなんにも覚えて いません。

 覚えているのは車窓から観た雲   雲に全部 目があって 人や動物に見えたことです。

 

 最後にお参りしたのは42番札所 弘泉寺さんです。  白い萩の花が咲いていました。。。 月一ですから花に季節を感じます。

 



バスは大型バスに 18人  ホントにゆっくりできました。   お寺ではそれぞれお接待のお茶やお菓子を頂きます。

お茶や お漬物 個包装してないお菓子はその場で頂きますが ブログネタに!と 持って帰りました。

 

 

コメント欄は閉じています。。。   退屈なお遍路記事 ご覧いただき有難うございます。



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9月27日 満50歳のお誕生日を迎えたのは 若戸大橋です。 15日にはトンネルが開通し 少し荷が軽くなりました。

建物は旧古河鉱業ビル です。この日は ちょうど出勤日で、若松税務署に行きました。税務署の前からみた若戸大橋 誕生日の朝です。。。。  

 

若戸大橋ができたとき 私は高校2年生 担任のK先生が若戸大橋の若松側 白山に住んでおられました。

 

  

この50年前の建設に携わった方に 私は鹿児島県の石橋で 会いました。 江之口橋です。橋の名前と同じお名前の方でした。

 その時の記事です。 もし鹿児島のテレビで 架橋当時の様子などが 放送されたなら懐かしく思い出されれたでしょう。

 

 

税務署のとなりに若松海上保安部があり  海上保安庁の船が停泊しています。 洞海湾の向こうに見えるのは八幡東区の皿倉山です。

  

税務署のあと 県税事務所(八幡東区)に行くため  若戸大橋を通ります。 運転中で写真はこれまでですが、帰りは トンネルを通りました。。 車では初めてです。。 トンネルを出たら  そこは会社の前でした。。。

若戸大橋50歳誕生日と 初めて車で通った若戸トンネルの 通行料領収書 です。 役所って味気ない 記念スタンプくらい押したらいいのに。。。

 

 

 

 今日から10月ですね。     棚田に行った時に通った 藤波ダムのダム湖です。 巨瀬川に流れます。

 

 

 

     台風の影響はありませんでしたか? お見舞い申し上げます。



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