モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



14日の事です。 この日、夕焼けがとっても美しい 雲ぶり(今、作った言葉です)のいい日でした。

蔵のある、薔薇づくりの上手な友人宅のお庭で お月見です。 15人くらいいました。

 

いかにも私の好きそうな石の建物 友人ちの野菜保管庫?です。 お月様の方角は皿倉山方向かな?

 

この赤いバラは アカペラ という品種だそうです。 黄色の方は聞いてないけど お月様のようだと思うんですが・・・「月光」にしようっと・・・

 

これから お月様にお供え物をして テーブルセッティング みんなの揃うのを待ちます。

 

新しい相棒のカメラ 使いこなせず 写真は使い物にならん・・・  お供え台には ススキとお庭に咲いている フジバカマ (どちらも秋の七草)

大きな三宝 には 梨 柿 林檎 栗の代わりの栗饅頭 など・・・ 小さいお皿には手作りの月見団子 写真は真っ暗 想像してくださいね。

 

テーブルの方、準備 クロスをかけて・・・ 丸テーブル入れて4卓だったかな? 光りはお月様じゃなくライトです。(^_-)-☆

 

若い方たち手造りの和紙行灯 3個とも灯りがついたのを撮ったのに・・・ ウフフ 繰言ばかりですね。

 

 

さぁ みんな揃って 私は早めの夕飯済ませていきましたが 誘惑に負けて 翌日分まで食べました。

七輪を起こして サンマを焼く これは楽しかった・・・おいしかった・・・ 写真はありません。

お月様はと言えば・・・ ホントは私この写真好きです。。

 

少しだけ大きいのにしますね。 目で見たらこんなお月さまでした。

 

そして・・・カメラの使い方もわからず涙の一枚・・

これ 火鉢の睡蓮鉢  そこにお月様が映りこんで・・・・ 友人と二人で頑張って撮ったけど私は見事失敗 

まぁ こんなもんでしょう。 ガクリ・・・ 想像してくださいね。 他の人達からは 「まぁ 風流ですね~一句・・」 なんておだてられたけど イックどころかショックです。

 

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柳川と言えば・・・・立花家  その立花家の迎賓館として建てられた西洋館です。。 下は資料館 春に行ったから今回は入っていません。

 

御なじみ いつもは行き交う、どんこ舟が平日のせいか 繋がれたままです。

 

恵比須さんの手前 船頭さんの後ろ姿を撮らせてもらおうと思ったら 視線の先に・・・ 花嫁さん

 

モデルさんみたいにスタイル抜群 おきれいな方でした。

 

白秋生家の向かい側のお店 ムツゴロウさんがいました。

 

白秋公園の方に入りました。 矢留小学校の児童たちが 黒い大きな蝶々を追っかけてました。

 

北原白秋の文学碑 左に石橋が見えています。 その後ろ 白秋の母校、矢留小学校です。

 

石橋です。。 個別に 私の宝物 に写真を追加しています。 ご覧いただけるとうれしいです。

 

ぐるっと廻って 矢留小学校正門の方からみた空です。

 

これから勤務先の会社が工事に関わった 沖端大橋に行きました。 離れたところからですが・・・

 

 ウフフ うまく撮れたでしょう?  カメラを買いました。 通販で買った2万円台 の物ですが これから私の相棒です。

 

ランチは御花のレストランで・・・ デザートがおはぎとは珍しい・・・・ このおはぎ 誾千代姫のお墓の形だそうですよ。

(柳川藩主 立花宗成は誾千代姫の夫、 小説で読みました。)



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もしここに・・・・掛け干しや 案山子があったなら・・・ 私 大喜びですけどね・・  稲刈りした後 案山子はないよね。

 

日本の棚田百選 農水省の認定なんですね。 東峰村、竹地区です。

 

どの角度がいいかなぁ~  カメラマン達は真剣です。 

 

石垣 石積みは綺麗ですね。

 

もうすっかり 時季外れになったけれど 真っ赤な彼岸花は 最後の力を振り絞って咲いていました。 9月27日のことです。

 

あ~ ほんとにもうおしまい・・ ワタクシ もう だるくって・・・・

 

私だって きれいでしょう? 

 

のどかな里山の風景です。 後ろの山も山らしい。。

 

 

農作業をされてる方も見えました。

 

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小石原の行者杉・・・ 3年ぶりです。 遠賀川源流の続きですからね・・・暑いんです。。 (こればっかり・・・)

 

手前の方 切り株が見えますが 平成3年の相次ぐ台風で 倒れたものです。

 

私これでわかりました。 写真が左上の1/6 くらい全部ぼけてる・・・・宝の持ち腐れの一眼レフ レンズがきっと汚れてるんですね。 トリミングしたのは解らないけど・・・

 

樹齢200年から600年 森の巨人たち 行者杉の父 行者杉の母  会いに行きます。

 

まず行者杉の父、大王杉です。

 

行者杉 の母 霊験杉です。

 

そして国境石の傍にある・・・・・ 子の境目杉が・・・・国見太郎さんです。 筑後川は筑紫二郎っていうけど 樹もあるんですね。

 

どことどこの国境の境目かというと・・

 

 

筑前領 と 豊前小倉領 の境目です。

 

さぁ これから修験の路に進みます。

 

英彦山に峰入りする修験者たちの行者堂 のぞいてみました。 なんのぞきよるんね  (何を覗いてるの!)とたしなめられました。

小さな鳥居の向こうは権現様 ここものぞきました。。 まんなかの護摩壇は  径3.1m 1782(天明2年)造立 平成元年解体修理だそうです。(ネットより)

 

この行者堂を出るときに 戻らずに進むと・・・ 役行者の 木の鳥居があります。 行者はこちらから入るんですね。

 

さらに下がると 石の鳥居  これで最初の道路に戻ります。。

 

  2013年に行った時の記事です。   小石原 行者杉 大きすぎて根元しか撮れませんでした。

 

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パソコンの会 みあれ祭は仲間のお世話で実現したんですが その前に恒例の行事 秋のレクリェーション デジカメ撮影会 がありました。 9月27日の事です。

遠賀川源流地点です。 源流はここから300mです。

 

 

10年前に 遠賀川に架かる橋を数えながら遡上したことがあります。 この地点まで行って このあと山の中に300m 妹と歩くのが怖くてやめてました。

   源流地点まで300mで終わった記事です。

道路は小石原に向っています。 その道路沿い右側です。

 

写真はボーっとしてます。。何故かといえば みあれ祭撮影の練習にと 一眼レフカメラを持って行ったんです。 私は後の事、考えずに ちょっとその辺を撮るつもりでハンカチも持たずにカメラだけ・・

 

ふぅ~ 暑い暑い あと200m たった100mしか進んでない・・・

 

大河の一滴まで・・・は 行けないそうです。

 

 

暑くて暑くて・・・ あと100m

 

樹の枝が倒れています。

 

たどり着いた・・・ あ゛ー 真夏日 汗が目に入って・・・

 

ここだけど この上の一滴は見えません。

 

さぁ 半分の人は駐車場で待ってます。 暑かったー 往復30分 でも10年ぶりに、やっと宿題終わりました。 キノコたちが 喜んでいくれてます。

駐車場で待っていた友人が [独りで歩いたような顔しとるね]って言いました。(帽子もハンカチも持たず暑くて汗だくで・・・)



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国指定史跡 津屋崎古墳群の一つ 新原奴山(しんばるぬやま)古墳群、予定表にはなかったけど寄ってくれました。

小さくて読めませんよね。

 

 

【海の中道】といえば 金印の志賀島(しかのしま)ですが 元来はここを海の中道といったそうです。 ガイドさん手造りの絵です。 ハングルでも表示してあります。

勝浦という場所です。 

 

時間的には 雨のみあれ祭の40分後くらいかな? さっきまでの雨がウソのような青空です。 玄界灘を見下ろしながら この青空の下を進む船団を想像しました。

古墳群です。 古墳群の間に見えるのっぽの建物は JAカントリーエレベーター  世界遺産に登録されたならば撤去される とのことでした。

 

新原奴山古墳群の標識と奥の方に (棒しか見えないけれど) 30号墳 の案内板があります。 全部で41基だそうです。(5~6世紀 宗像氏)

 

二つの境界杭は 史跡境界 文部科学省 です。。 現在でも国指定の史跡なんですね~。 近場なのに初めて見学しました。

 

円墳もあるけど この30号分 前方後円墳 でした。 近すぎてわかりにくいかな?

 

この墳墓は まだ横穴式になる前に 上から棺を下したそうです。 上がお餠のように凹んでます。

 

パソコンの会には 色んな達人がいますが Hさん この池に浮かんでいるは ヒシ でこのあと 花が咲いて 菱の実がなるそうですが ソレを採る(獲る?)達人だそうです。

 

この日のツアー 会の仲間が紹介してくれたもので 華杏(はなあんず)さんというお料理屋さんが募集したツアーでした。

ガイド付きで みあれ祭・古墳・放生会・そして このごちそう 5000円のツアーです。 大広間にあった舞台から玄界灘が見えて 絵のように一艘の舟が・・・・

 

オットー 5000円に まだ お土産もついてました。 こんなかまぼこ 懐かしいです。 神湊の人たちにとって みあれ祭はお祝い事なんだなぁ~と思いました。

 

翌日 このめでたい鯛を 塩焼きしました。 それと 放生会の新生姜の生姜ご飯です。

 

世界遺産に登録されたら・・・ 人出が多くなるなぁ~ 今のうちにもっと行っとこう。。 

 

3回にわたって ご紹介しましたみあれ祭ツアー ご覧いただきありがとうございます。 コメント欄は閉じています。



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みあれ祭と同じ日ですが青空で暑い・・・放生会です。

交通安全の神社として、よく行きます。 でもこの日は本堂に行きます。  並んでいます。 立ち止まって進めないんですよ。

 

ここの狛犬さんは一角です。 吽像も撮りたいけど 動いたらまた列に戻れないから・・皇族下乗の碑があります。  離れたところから撮ってます。

 

やっと順番がまわってきそう・・・  宗像宮 本堂・・・拝殿です。 奥に神殿が見えます。

 

神殿です。 左側は拝殿。

 

これから 高宮祭場に行きます。 途中 絵馬堂の横から入ったとこが 大国宝展の会場です。 時間がないから 期間中に出直したいと思います。

会期 11月28日までです。

 

高宮祭場では みあれ祭でお迎えした三媛様おそろいで 高宮神奈備祭(かんなびさい)の儀式が 10月3日夕方執り行われます。

入口は2ヶ所かな?

 

左側の入り口から入りました。 そこに ご神木の楢の樹があります。 樹齢約550年 広ーく枝を張ってます。

 

ご神木と 神紋の案内板です。

 

 ご神木がまたありました。 相生の樫 と書いてあります。 2本仲睦まじく伸びていますね。

 

そしてここが 高宮祭場です。 以前は柵がなかったような気がするけど・・・ 何もない広場だけど神秘的な空気があります、

 

湿気が多いせいか 色んなキノコが 生えていました、

 

参道はずっと賑わってました。 

 

名物は新生姜だそうです。 一束500円 二束買って 友人1人と姉妹 5人で分けました。

 

 

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 ユネスコ世界文化遺産国内推薦候補 「神宿る島」 宗像・沖ノ島と関連遺産群 ここは神湊(こうのみなと) 向こうに見える船着場から大島行きのフェリーが出ています。

10月1日 9時44分です。   場所はわが芦屋町から玄界灘沿いに・・・30分 かからないかな~(追記 6:55) 

 

宗像大社 は・・・沖津宮(沖ノ島) 中津宮(大島) 辺津の宮(本土) その全体を宗像大社というそうです。 みあれ祭とは簡単に言えば 沖津島と大島から 神輿を御座船で運び 神湊で待つ神輿・・・・島は女神にたとえられ・・・・三女神が集まります。

それが毎年10月1日です。 

9時53分 どの方向から来るかも知らず ワクワクします。 大島を9時20分に出たということで10時20分ごろ着く予定で、花火が」到着を知らせるそうです。

 

 

雲海が見えます。。もう雨が降りそう・・

 

あ゛ーー 雨が降り出した・・・・ パソコンの会の仲間たちと今か今かと待っています。 みんな初体験です。

9時55分  こういう場所にいます。 私は雨合羽の友人の手前に 岸壁に腰かけています。

 

 

 御座船を地元の漁船が迎えるんですよ。。 かすかに船団の姿が見えました。

  10-20です。

 

10時24分です。 切り取ったから近く見えるけど まだ遠いんですよ。

 

 花火がなりました。。 上の方に花火の跡が残っています、 ニュースでは この晴れがましい漁船団 240隻で迎えと発表されました。。

 

雨は降ってるし・・・ ボーーーっとしていますが 源平壇ノ浦の合戦を思い出しました。

 

10時39分です。 御座船です。 カラー写真なんですけどね・・・

 

10時40分です。 真竹に日の丸 国家鎮護 宗像大社 の 幟をつけた御座船です。

 

私の写真では 私の感動はとても伝わりません・・・ 会の仲間 Fさんの写真を借りました。 船団です。

 

 

これなら 港で待つ神様もわかりますね。。  幟もはっきり読めるし・・

 

 

詳しくは こちら  宗像大社みあれ祭 を ぜひご覧くださいね。



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先にご紹介した 二俣福良渡目鑑橋・大窪橋は 美里町指定ですが 霊台橋は国指定重要文化財です。

石橋を守る会の会報によると、熊本地震の被災ケ所は 【壁石のはらみ 高欄にわずかなずれ】 となっています。 

霊台橋上部がスーッと見えてアーチは向こうの方です。 右のアーチは森林鉄道の隧道だそうです。

 

ここから取り付け道路があって 一度は行きたいお料理屋さんがあるんですが 壊れていて 階段で降りるようになってました。

 

この日は水が 泥色でした。

 

並行 して車道の新橋があります。 新橋を大型バスで通りながら停めてくださいって言ったことがあります。

 

72人の石工・・・ わずか7ヶ月間で・・・人海戦術で・・・ それが地震にも耐えて・・・感動しますね。 

 

高欄にわずかなずれ・・・ こういうのですね。 楔がはめ込んでありました。

 

みえますか? 小さな石がはめ込んであります。

 

 

 

きっと神様が守ってくれたんでしょう。 遠くに唐戸が見えます。

 

途中寄ったレストランの方が上流の方に 彼岸花の名所があるって教えてくださった・・ あー 石橋優先の私は・・・

 

今日から10月です。 小さい秋みつけた・・・・作詞はサトウハチロー 作曲は中田喜直

作曲者 中田喜直 は 早春賦の作曲者 中田 章の息子さんだそうです。

父親の春の歌があるから 中田喜直 は 【夏の思い出】 【小さい秋見つけた】 【雪の降る街を】 を作曲しているけど春の歌は作ってないそうです。

 

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