モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



 フェリーで行って翌日のフェリーで帰る・・・滞在12時間の京都旅行 再び・・今回は滋賀県白鬚神社(しらひげ神社)からです。

 壱の鳥居は 海、じゃなかった琵琶湖 湖の中です。前は車がひっきりなしに通ります。 

 

残念ながら雨、雨、雨。 境内から 弐の鳥居 その先が 湖中の壱の鳥居です。 

 

鳥居の全身を撮りたいけれど 道路が怖いです。

 

本殿です。 中には 和歌の絵馬が並んでいました。

 

白鬚神社 のご由緒書きです。 また境内の案内板・・・近江最古の大社で、現在の本殿は慶長8年(1603)に 豊臣秀頼、淀君が建立したとありました。

 

社務所の横に 与謝野寛(鉄幹)晶子 の歌碑がありました。

  しらひげの 神のみまへに わくいずみ これをむすべは ひとの清まる   上の句 寛  下の句 晶子

夫婦歌碑は よくあるけど 2人で1首って珍しいですね。

 大正初年参拝の2人が、社前に湧き出る水の清らかさを詠んだもので、上の句は寛(鉄幹)、下の句は晶子の作である。
 大正7年(1918)京都延齢会が手水舎を再建、その記念として同年12月この歌碑を建立した。揮毫は寛の手であり、全国にある与謝野の歌碑の中で最も古い頃のものといわれる  (高島町観光協会)

 

上の方にもお社が見えます。雨ですから ゆっくり上りました。

 

紫式部の歌碑

 みおの海に 網引く民の てまもなく
            立ちゐにつけて 都恋しも

 

平安時代の長徳2年(996)、越前国司として赴任する父藤原為時に従って、この地を通った時に詠んだものであり、「近江の海にて三尾が崎といふ所に網引くを見て」という詞書がある。(鷹島町観光協会)

 

 

猿がいたんですよ。みえませんよね・・・柱2本の左側  トリミングしてるけど遠いんです。

 

白鬚神社末社 若宮神社本殿 一間社流造 こけら葺き (桃山時代)・・・案内板より

ながれづくり 初めて聞きました。

 

長いこと御朱印からご無沙汰してましたが 平成最後ですからね。

靴も濡れて バスに戻ったら・・・ 添乗員さんがおっしゃいました。 残念なお知らせがあります。って。。。

雨で残念なのを 猿を見て やっと まっ いいか と納得したばかりなのに・・・何があったのかな?



コメント ( 19 ) | Trackback ( 0 )




このブログでもたびたび登場した 弟のうちの あら です。 もう歳でお彼岸過ぎなのに 湯たんぽ3個 と ほかほかカーペットです。

 

 

 水が飲みたくなったようです。 ヨタヨタ立ち上がりました。

 

 

戻ったら ぐったり・・・

 

猫もいるはず と 聞いたら 仏間に居ました。 この家では家の中は外なんです。

犬猫は自由で 人間が草履をはいている。

 

10kg以上ありますね。 猫の名前は・・・ まあ です。。   犬と合わせて あらまあ です。

 

お腹は トトロ です。。

 

何かわからないでしょうね。。 弟が4人の姉ちゃん(私と姉妹)に 作ってくれた 鹿の角 のペンダントです。

紐が大きく見えるのは 写真が拙い・・・

 

桜は かつがつ間に合ったかな? 弟のたった一人の孫 真妃ちゃん 今日小学一年生の入学式です。

お祝いを持って行ったわけです。 覚えたてのひらがなで お礼のお手紙が来ました。

 生まれたときの記事です。   

 

コメント欄は閉じています。 お越しいただきありがとうございます。

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今年の初石橋も この永山橋でした。 大好きな石橋です。 友人が 明日阿蘇にいかない? と誘ってくれたドライブ 4月7日です。 

 やっぱり花があるといいですね。

 

これが 大河ドラマ、韋駄天 で 金栗四三の実家として出てきますよ~

 

 3年前熊本大地震で高欄の石が落ちたとき・・・ この岩だったら砕けますね~ 

 

 

この温かい ぬくもりの感じられる線が好きです。

 

民家の敷地に入らないよう ギリギリのところから撮りました。 奥様がいらっしゃるときはお話して 先まで行ったこともあります。

 永山橋をご紹介しました。

 

永山橋のすぐ近くの 立門橋をご紹介します。 石工は宇一 (橋本勘五郎の兄)

 

右から 立 門 の文字は 架橋当時 万延元年(1860)から 漆喰が塗りこまれています。

 

アーチの内側 良ーくご覧くださいね。 【新酒ができました】の 杉玉くらいの大きさ  ハチの巣 でした。 まん丸いんですね~

 

 門 の文字の左下 水神様があります。

 

大きくしますね。

 

この角度から見ることはないんで隙間から覗いてみました。

 

それから 上流側にまわって ここで 石橋を見に来られたご夫婦と会いました。 石橋ファンのようで 大窪橋がいいですよって言われてました。

もう行きました。。。って私 

 

道路に出たら ひときわ美しい大きな山桜が咲いていて 金毘羅様でした。

 
コメント欄は閉じています。 お越しいただきありがとうございます。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




志賀島(しかのしま)と言えば 福岡の人じゃなくてもご存じのはず 【漢委奴国王】の金印が見つかった島です。

そこの 志賀海神社(しかうみ神社)に行きました。3月21日の事です。駐車場から最初は雨です。

 

この石垣の花(枠内)を 初めて見て・・・ 連れて帰りたいけど 神社だし 岩でしか育たないかもしれない そう思って撮るだけにしたら あとでいっぱいありました。 

 

帰りはこちらの鳥居 こっちが正門!でした。 空もすっかり晴れて・・ あー これは帰りの写真 今から行くんです。

 

万葉歌碑がありました。    

      ちはやぶる 鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ志賀の皇神 

 

鐘の岬・・・鐘崎です。

鐘崎の 織幡神社と言えば 1月 偶然行ってるんですよね~   お時間のある方 こちらをご覧くださいね。

 

 

海神社なのに 山ノ神の社 がありました。 山ガールと一緒だったから 彼女の無事を願いました。

 

 

おー 思ったより 大きな神社です。立派な楼門が見えました。

 

おーーーーー 思ってもみなかった 石橋がありました。

 

 

 

あとで宮司さんにお聴きしたら お祭りの時にだけ渡られるそうです。

 

本殿です。

 

そもそも なぜ志賀海神社に行ったかと言えば 友人から貰った今年のカレンダーの1月の写真なんです。 行きたい行きたいという私に 別の友人が計画してくれました。

 

同じところを撮りました。天皇陛下御在位三十年 意味ある30年になりますね。

 

まだまだご紹介したいんですが また次回に・・・

コメント欄は閉じています。 お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




3月3日 1カ月過ぎてしまいました。 京都旅行、最後の訪問 三十三間堂です。

春桃会の催しがあってました。

 

 

中の人は見えないから なんだか一休さんが募金してるようで・・・・チャリン 100円です。

 

まぁ あまり運のいい人間ではありませんが  この時 寂聴さんのお話会が 終わって片付けるところでした。

聴きたかったなぁ~  同じ 戌年生まれ

 

 

千手観音座像 国宝です。 もちろん写真は撮れません。 本の中から。。。です。

 

修学旅行などで 多くの方がこの景色を観られていると思います。今回 この下の写真の左側にスロープが作られて 高い所から拝観することができます。

それを見たときに 上でこの景色が見え それと並んで仏様の数の数倍 観光客が渋滞しながら一歩ずつ進んでいます。 ご想像できましたか?

 

1,000体もあるある仏像に1人ずつお名前があるって初めて知りました。 この紙 折り曲げてますから 4倍の裏表 8枚にびっしり書き込んであります。

 

三十三間堂と言えば 有名なのが・・・宮本武蔵蓮華王院の決闘 がありますね。ここで撮影したかどうかわからないけど 思い出します。

 

中庭がありました。

 

御朱印です。 三十三間堂、正式には蓮華王院だそうです。

 

 車窓から・・・・ 京都国立博物館でしょうか・・・

 

京都らしい川の景色ですね。

 

これで京都の日記を終わります。

コメント欄は閉じています。 お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




橋と、さくら

 大窪橋に行った日・・・・私にとってはセットになっている 霊台橋にも行きました。 3月26日

 

いつもは向こう側に車を置きますが 今回こちらの駐車場 だから最初に観る景色が違います、

 

橋を渡ります。大好きな石橋をゆっくりわたるのは幸せです。 脚力を鍛えておかなくっちゃ。。。

 

 

通勤のさくら

3月28日 グリーンパークです。。この時 3分咲きかな~ 次の出勤日 4月4日には まだ残ってるかなぁ~

 

神社のさくら

3月31日 宗像市 八所宮 駐車場の桜 桃 みごとでした。 枠内は拝殿

 

お寺の桜

3月31日 宗像市 鎮國寺 です。

 

 

岡垣町 成田山不動寺です。

 

 

 

さくらと海

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \ 成田山ですが 後ろに見えてるのは玄界灘 海沿いにあります。

 

4月2日 長崎市 稲佐山から・・

 

 教会の桜

4月1日 宗像市 ザビエル聖堂

 

広い敷地の端っこが桜で なかなか撮りにくいです。 外からは少し高くおまけに生垣があります。

 

学校の桜

芦屋小学校 お花見に学校へ行くくらい 沢山の桜があります。

 

桃屋と桜

最後に 我が家の旅籠 桃屋  

 

コメント欄は閉じています。 お越しいただきありがとうございます。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




 大きな石の段を、ひたすら上りここに到着 ここから例の国玉神社まで600m ・・・・

 

10時から12時まで神楽があって そのあと友人が準備してくれたお弁当を頂き 1時 メインのお田植祭が始まります。

右側の席は来賓の皆さん 先ずは神様に向かっての儀式です。

 

録音でない歌が流れて 踊りというか 農作業の様子を表現します。

1番目 畦切り (あぜきり)あ~腰が痛い・・・そう仰ってます。 畦切りで疲れたという意味でしょうね。

 

2番目 田打ち 鍬を持っていますね~

 

3番目 畦塗り 農具の名前は、分かりませんが 平べったい鍬?です。

 

 

4番目 田鋤 (たすき)牛が出てきました。 中には人が二人いて暗中模索で周りの人に押されながら進んでいます。

 

5番目は 種まき カメラが不調 撮れませんでした 4番目のも 切り取ったものです。

種まきは 祭壇にお供えしてある モミ?を撒いていました。

 

6番目は田植え 子供さんの場合 ほとんど歩くだけで アクションはありませんでした。

 

7番目 孕み女(はらみおんな)お腹が大きいんですよ。 五穀豊穣と出産は同じなんですね。 

妊婦さんの持っているは 祭壇に供えられました。

 

 

8番目 最後の田褒め(たほめ) 全員が出てきました。写真を撮れなかった種まきは 牛の後ろから歩いている人です。

 

 

さぁ~ イベントは終わり、下山するんですが 登るときにスタッフの方が車で送って下さった所も歩きます。

往き道の見えなかったところもたくさん見ました。

 

まだまだ歩きます。 振り向いたら結界  左側は 【攘災安民】 右は 【護王鎮國】

 

初めて行った 求菩提山(くぼてさん) 修験僧が大勢住んでいたそうで 頂上まで登ったらたくさんの坊跡があるそうです。

では最後に 子供神楽をもう一度・・ 今日から4月 新しい元号が発表される日ですね。このちびっこちゃんたちに似合う元号だといいですね。



コメント ( 17 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »