モモちゃんへ
日々の出来事を亡きモモに教えます。
 



福岡県 篠栗八十八ケ所 の1番札所 南蔵院の釈迦涅槃像です。 大きいですよ~

ブロンズ像としては世界一だそうです。 長さ41m 高さ11m  重量300t

 

御足の裏です。 珍しい紋様ですね。

 

紋様には名前があるんですね。 真ん中の大きいのは 千輻輪相(せんぷくりんそう)というんですね。

 

南蔵院本堂入口の下に小さな池があります、亀がいーーーっぱい甲羅干ししていました。

 橋?にも並んでいます。

 

地蔵豆腐篠栗店で昼食 これにバイキングの 冷ややっこ サラダ デザートなどがあります。

 

同じ篠栗町 九大の森です。 池に浮かぶヌマスギ ラクウショウ をみたい・・・5回目です。

 

これでも今までの中では 一番水につかってたんですよ。

 

池を半分まわって 違う角度から見たけれど・・・

 

最初の場所近く やっぱりこれまで・・・ また次に期待しよう・・・

 

南蔵院さんの 納経印

八十八ケ時 結願して持っていますが 令和になったから 頂きました。

 

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 前の記事 日輪寺と同じく山鹿市ですが 山鹿市はとっても広く 鹿北町、田中橋です。

 

 

この左の コンクリートの横から 降りようか止めようかと迷ってるんです。 坂道を転がったら怖いし。。

 

親柱が保存してありました。 化巖矼・・・・ふぅ~ 変換するのに大変でした。

さて何と読むでしょう・・・

 

田中橋・・ たんなか橋 化巖矼・・・けごんこう 車橋 

 

岩野川水系にかかる石橋の中で最も古い・・・ 石工は 藤左衛門 藤兵衛 

 

親柱 岩野川 たなかばし・・・・たんなか橋じゃないの?

 

坂道 やっぱり下りたんですよ。  この写真です。 

 

 

通りがかりのお花 藤でした。。 この作り方が新しくていいなと思いました。 5月6日の事です。。

 

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 ここには、よく行きます。 石段に銀杏の葉っぱが散り積もる時期には本当に美しい山門です。

 

梵鐘は見えませんが 鐘楼です。

 

芭蕉句碑があります。 芭蕉翁 というのは読めますね。

 

 句のところ 大きくしますね。  己が火を 木々の蛍や 花の宿 

 

案内板 山鹿市指定文化財   工芸・・・ 石の細工がいいのかな?

 

鎌倉時代 菊池武時が手植えしたと伝えられています。言い伝えが事実ならば この羅漢槙の樹齢は660年以上と考えられます。

幹回り 2.4m  樹高 24m  樹冠 南北14.4m  東西16.4m  山鹿市天然記念物の指定されています (案内板より)

 

 

菊池家12代 菊池武時の息女 了心素覚尼のお墓と伝えられています。(案内板より)

  

 

色々 知った風なことを書きましたが 私の目的はこれ 湯町橋です。

 

 

ツツジの頃はみごとです。 湯町橋の右手の山全体にツツジが咲きます。 大きな釈迦涅槃像は道路からも見えます。

今は・・・・・草がボー―っと生えて 全体がボー――っと見えます。

 

たった1本だけツツジがあった5月6日の事です。

 

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長崎に行ったなら、 少しだけ時間があったなら 私は迷わず 眼鏡橋に行きます。

西坂教会の後、長崎駅から路面電車に乗りました。 袋橋から見た眼鏡橋です。

 

眼鏡橋から見た 袋橋です。  間に ケンケンパー橋があって 見つめあってる感じです。

 

では眼鏡橋の方からご紹介します。

 

 

 

 

 

 

袋橋です。 川は 中島川です。

 

 

 

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今日の記事は長いですから お急ぎの方 どうぞスルーしてくださいね。 

長崎市西坂の教会から 記念館を見ています。今井兼次氏のレリーフの壁 【長崎への道】 です。

 

 

記念館から教会を見ています。レリーフは見えていませんが右側です。

 光って読めませんね。

1,597年1月4日に京都を出て 2月5日長崎に到着するまで歩き続けた26聖人の苦しい旅と英雄的心とを このレリーフは表現したものである。以下略  

 

レリーフの裏側が 26聖人の像です、 長崎旅行でご覧になった方もおられるかもしれません。

 

ルイス・フロイス 信長や秀吉に謁見 二十六聖人や天正使節団の記録を書いた人です。

 

 ロレンソ・・ルイス像  長崎奉行から 棄教させるため拷問を受けたけど 棄教せず 穴吊りの刑に処せられました。1,637年9月27日殉教(案内板より抜粋)

本で読みましたが 狭い穴に逆さに吊って 片手だけ自由にした。 棄教の意思を伝えさせるため

そして 血がたまらないように 身体の一部に少し穴をあけたというのですから 読みながら苦しくなりました。

 

記念館の中に入りました。 入館料500円 フラッシュを焚かなければ撮影OKですが 私は自主規制して3枚だけ 撮りました。

聖パウロ三木 十字架の像 と案内板です。

 

 

2階に上がる階段 左が 聖ヨハネ五島 右が 聖パウロ三木 

 

お寺でいえばご本尊かなと思い 撮らずに ポストカードを買いました。 雪のサンタマリア像です。

 

 それでは26聖人のお名前です。 像の右から 便宜上番号を付けてあります。

  少し大きくしますね。 右から9番目と10番目 子供だと分かるでしょうか

 

 

 

そして26聖人のうち数人ご紹介します。 教会の記事で本の写真 この記念館の初代館長 結城了悟 著 【二十六聖人と長崎物語】より

右から6・7・8番目の 3人です。この中で 右(6)聖パウロ三木、 中央(7)聖パウロ茨木、 

左(8)聖ヨハネ五島

聖パウロ三木 信長 秀吉 などに会っています。 信仰のため領地を失くした高山右近とは暫くの間、共に過ごしています。最高の学問を持ち優れた知識人は聖パウロ三木であった と書いてあります。

館内の階段の写真で 右が 聖パウロ三木  左がヨハネ五島 で この像では左です。 中央はパウロ茨木 この人はあとでご紹介する ルドビコ茨城の父です。

 

 

 

右 9番 聖ルドビコ茨木   左10番 聖アントニオ

ルドビコさまは十二才 耳をそがれてしばられて 歩む千キロ 雪のみち小さい足あと 血がにじむ

長崎の鐘 の 永井隆博士作

聖ルドビコ茨木 については 浦上天主堂の記事 でも書いています。

聖アントニオ 中国人の父と日本人の母の間に長崎で生まれた 京都に上って勉強 イエスの囚人として長崎に帰り

西坂で出迎え 泣く両親に微笑みながら泣かないようにといった 

ルドビコと二人で子供たちよ 神をほめたたえよ という歌を 十字架から高らかに歌った。

自分たちも子供ですよね~

 

まだまだ一人ひとりご紹介したいけど この辺で・・・

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