今日の記事は長いですから お急ぎの方 どうぞスルーしてくださいね。
長崎市西坂の教会から 記念館を見ています。今井兼次氏のレリーフの壁 【長崎への道】 です。
記念館から教会を見ています。レリーフは見えていませんが右側です。
r
光って読めませんね。
1,597年1月4日に京都を出て 2月5日長崎に到着するまで歩き続けた26聖人の苦しい旅と英雄的心とを このレリーフは表現したものである。以下略
レリーフの裏側が 26聖人の像です、 長崎旅行でご覧になった方もおられるかもしれません。
ルイス・フロイス 信長や秀吉に謁見 二十六聖人や天正使節団の記録を書いた人です。
ロレンソ・・ルイス像 長崎奉行から 棄教させるため拷問を受けたけど 棄教せず 穴吊りの刑に処せられました。1,637年9月27日殉教(案内板より抜粋)
本で読みましたが 狭い穴に逆さに吊って 片手だけ自由にした。 棄教の意思を伝えさせるため
そして 血がたまらないように 身体の一部に少し穴をあけたというのですから 読みながら苦しくなりました。
記念館の中に入りました。 入館料500円 フラッシュを焚かなければ撮影OKですが 私は自主規制して3枚だけ 撮りました。
聖パウロ三木 十字架の像 と案内板です。
2階に上がる階段 左が 聖ヨハネ五島 右が 聖パウロ三木
お寺でいえばご本尊かなと思い 撮らずに ポストカードを買いました。 雪のサンタマリア像です。
それでは26聖人のお名前です。 像の右から 便宜上番号を付けてあります。
少し大きくしますね。 右から9番目と10番目 子供だと分かるでしょうか
そして26聖人のうち数人ご紹介します。 教会の記事で本の写真 この記念館の初代館長 結城了悟 著 【二十六聖人と長崎物語】より
右から6・7・8番目の 3人です。この中で 右(6)聖パウロ三木、 中央(7)聖パウロ茨木、
左(8)聖ヨハネ五島
聖パウロ三木 信長 秀吉 などに会っています。 信仰のため領地を失くした高山右近とは暫くの間、共に過ごしています。最高の学問を持ち優れた知識人は聖パウロ三木であった と書いてあります。
館内の階段の写真で 右が 聖パウロ三木 左がヨハネ五島 で この像では左です。 中央はパウロ茨木 この人はあとでご紹介する ルドビコ茨城の父です。
右 9番 聖ルドビコ茨木 左10番 聖アントニオ
ルドビコさまは十二才 耳をそがれてしばられて 歩む千キロ 雪のみち小さい足あと 血がにじむ
長崎の鐘 の 永井隆博士作
聖ルドビコ茨木 については 浦上天主堂の記事 でも書いています。
聖アントニオ 中国人の父と日本人の母の間に長崎で生まれた 京都に上って勉強 イエスの囚人として長崎に帰り
西坂で出迎え 泣く両親に微笑みながら泣かないようにといった
ルドビコと二人で子供たちよ 神をほめたたえよ という歌を 十字架から高らかに歌った。
自分たちも子供ですよね~
まだまだ一人ひとりご紹介したいけど この辺で・・・
コメント欄は閉じています。 お越しいただきありがとうございます 。