鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

恐れ多くも畏くも

2007-11-13 22:36:21 | お知らせ

 今日の朝日新聞(に限りませんが)に(起立!)天皇陛下の恐れ多いお言葉が掲載されていました。

 何となんとナント南都は南都祐次、外来魚の代表格の”ブルーギル”は1960年に当時は皇太子だった天皇陛下がシカゴ市長から寄贈を受け、水産庁の研究所に再寄贈したものだそうです。

 琵琶湖には、1963年に国から琵琶湖の県水産試験場にブルーギルが分与され、注意して飼育していたものの何らかの経緯で逃げ出し、1960年代末までに一般水域で確認されるようになったということです。

 1960年といえば、敗戦からまだ15年くらいしか経っていなくて、池田内閣の所得倍増計画の前でしょうか、国全体がまだ貧しかったし、食べ物だって豊富にあったわけではありません。正にもったいない精神で国民は生きてきたのではないでしょうか。

 当時は鯨の肉がとっても貴重なものでした。鯨肉は、味噌付けにしてよく食べた(食べさせられた)し、(”尾肉”なんて食べられず、貧乏だったので筋金入りの鯨肉で、噛み切るのが大変でした。)学校では肝油も給食のときに出されました。

 でも、鯨の肉が当時の国民の栄養状態を悪化させなかった、または栄養状態を向上させたといっていいのかも。鯨様様だったはずです。無駄なく余すところなく鯨を利用しました。食べるだけではなく、骨や歯、ひげも民芸品として、装飾品として利用しました。

 何でブルーギルから鯨に話しが移ったのか??

 そうそう、当時の皇太子がブルーギルを持ち帰った背景には、国民の食生活、栄養状態の問題があったのです。『食用や釣りの対象になれば・・・』という考えで持ち帰ったということです。

 なぜか?、ブルーギルは食べてうまいからだそうです。だから、釣ったら持ち帰って食べて欲しい、と願っていたそうです。

 アメリカではブラックバスも食べているということです(前にこのブログでも紹介しました。)し、それが、何故か日本では「キャッチ&リリース」がバス釣りの世界では確立され、その旺盛な繁殖力で今やいないところがないというくらいに増えています。

 でも、ブラックバスは本当に汚いとしか言いようのないため池や野池にもいますし、とても食べられるような環境にいないことが、食べられない、食べる気にならないということになってしまったのでしょう。

 同じ日の朝日新聞の「天声人語」によると、滋賀県庁の食堂にブラックバス料理が登場したそうですし、金沢市ではブルーギルのバーガーが試食されたとのこと。

 これからは、少なくとも綺麗なところで釣ったブラックバスやブルーギルは持ち帰って食べましょう。リリースが禁止となっている河川等が大半ですから、食べないのなら肥料や猫、鳥類の餌ですか。

 これを契機に河川や湖、沼等はみんなの力で少しでも綺麗にしていきましょう。自然を大切に、環境をよくしていこうではないですか。

 ”外来魚から環境・食料を考えよう”

 

 写真は昨日に続いて古い紙芝居のレプリカです。「魔境横断」


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