「うこうれんらくせん」と入力しようとしたら、正しく変換されないのですね。
約20年前に廃止になったから仕方がないのかもしれないが、残念でもあります。
正しくは19年前まで宇野市と高松市の間を運行していた連絡船です。当然瀬戸内海を南北に横断します。
今は橋が3本も出来たために廃止されたのですが、その宇高連絡船での讃岐うどんのことが、今朝の朝日新聞に掲載されていました。
「ニッポン人・脈・記 食卓のメロディー⑥ 春うらら連絡線うどん」です。
”まだ本州と四国をつなぐ橋がなかったころ、岡山・宇野と高松をむすぶ宇高連絡船の甲板に、讃岐うどん屋があった。春うらら故郷をひとり出て行く学生、夏はにぎやかな帰省の家族連れが瀬戸内海の島々を眺め、風に吹かれて、いりこと昆布だしのうどんを食べた。・・・・。”
あれは何時のことだったか、学生時代なのですが、四国一周旅行をしたときのことです。東京から夜行の寝台急行に乗って宇野に向かいました。そのときの寝台特急の名前は思い出そうとしているのですが、出て来ません。あっ、もしかして「瀬戸」かも、いや違うかな。
時は夏。連絡船に乗りました。
昔の船は趣がありました。青函連絡船もそうですが、宇高連絡船も出航のときにテープ、色とりどりのテープが飛び交います。当然船のほうから岸壁にいる人に向かって投げるのですが、何十、何百という紙テープが風に舞う中、ドラが鳴り響きます。汽笛が響きます。私は投げる相手がいないので船上から見ていただけですが、いい風景です。いまは見られませんが。
確か宇高連絡船は一時間くらいの船旅ですが、船上で腹がすいたために何か食べるものがないかと見回したところうどん屋がありました。讃岐うどんでした。初めて讃岐うどんを食べたのが船上、宇高連絡船でした。
これがコクがあってキレがあるのではなく、こしがあって食べ応えがありました。腹がすいてたこともありますがとってもうまかったことを覚えています。夏ですが熱い讃岐うどんはとってもうまかったです。
新聞記事の続きです。「連絡船のうどん」を掲げた店がJR高松駅にあるそうです。
またまた古いことで恐縮です。