鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

三島由紀夫の死

2008-11-25 18:00:32 | お知らせ

 本当に寒くなり、周りは冬模様。 昨日は作並温泉にてある会合のパーティがあり、盛り上がってきました。

 夜の9時頃ですか、外を見たら大粒の雪が森々と降り続いているではありませんか。 ヤバイ! 明日無事に帰れるだろうかと心配になりました。 すでにスタッドレスタイヤに交換はしているのですが。

 幸いにも6センチくらいの積雪で済んで、国道は除雪されていて安心して運転することができました。

 

 こんなに寒いのに、サケはまだ冷たい水の中で泳いでと言いたいところですが、じっとしていますといった方が正確な感じです。 健気にも分流の10余匹のサケは流れに対面しておとなしくしています。 人間に気配を感じるとさっと散ってしまいますが。 もうまともな姿のサケはいません。 

 牛越橋のサケは下流の澱みに3匹見つけただけでした。 力尽きた死骸が2匹ありました。

 

 またまた例によって前置きが長くなってしまいました。

 下の写真は、1970年12月11日号のアサヒグラフです。 写真の人物は誰あろう「三島由紀夫」です。 こぶしを振り上げて檄を飛ばし、自衛隊員の決起を促しているところです。

 

 

 1970年11月25日、三島由紀夫は”楯の会”のメンバー4人と市谷の陸上自衛隊東部方面総監部に、益田総監を人質に立てこもり、自害したというか、切腹して首を切らせたものです。

 

 

 この時、私はまだ学生で、ニュースで事件を知ってビックリしたものです。そのときのアサヒグラフがようやく見つかりました。 絶対にどこかにあるはずだと思っていたのですが、まさか中国画報の中に挟まっていたとは思いませんでした。

 当時は中国画報のほかに人民中国、北京週報をとっていました。 前2者は月刊誌、後者は週刊誌です。 まあ、どうでもいいことですが。

 

 今日11月25日は、その三島由紀夫が市谷で割腹自殺をした日だということ、そして、そのときの介錯された首が掲載されていたということをお知らせしたかったわけです。 下の写真です。

 今なら、ゴシップ専門の雑誌なら掲載するかもしれませんが、アサヒグラフのような雑誌では掲載は難しいのではないでしょうか。

 

 

 割腹自殺ですが、腹の傷は深さ5センチ、長さ13センチにわたり、真一文字だったということです。

 森田必勝が介錯して、首を切り落とし、その森田もまた介錯されたわけです。

 その二人の首が写真の左隅に載っています。 手前が三島のようです。

 

 

 刀は、関の孫六です。 関の孫六というと、新撰組副長土方歳三の愛刀も同じだったと思います。

 

 「仮面の告白」や「潮騒」を書いた作家とは同じとは思えないような出来事でしたが、「憂国」や「豊饒の海」を書いていた頃から代わっていったのでしょうか?

 

 

 

コメント (4)
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