鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

エグザイルと志津川中学校と朝日歌壇と

2011-05-02 20:36:30 | お知らせ

 回数は減ってきているとはいえ相変わらず余震は続きます。昨日から今日にかけて強風が吹き荒れました。

 歳をとったからというばかりではなく、このところ本当に涙もろくなってきました。見たり読んだりしただけで、涙がいやでも滲んできます。巨大地震もそうですが、何といってもあの大津波の情け容赦ない怒涛の破壊力、ショックでした。電気が消えてしまったためにラジオでいろいろ聞いてはいましたが、ラジオではかなり抑えに抑えて放送していたのですね、今思えばすぐにあの映像を見なくて、見れなくて良かったのかもしれません。2,3日経っても、ラジオである程度聞いていても、あの画面を見たときの激しいショック、これは応えました。立ち直れないくらいにメチャクチャ圧倒されました。今でも思い出すたびに胸が締め付けられます、苦しくなります。張り裂けそうです。なんで、なんで、なんで、ここまで痛めつけるのか。お恥ずかしいようですが、テレビの画面しかみていないのにPTSDになってしまったかのようです。本当に悔しくて悔しくてたまりませんでした。現場を見たら、現場に居合わせていたら、もしかしたら発狂していたかも、そこまでいかなくても大声で絶叫していたかも。海に向かって、天に向かって。何か話しが暗くなってしまいました。仕事ではともに前に進みましょうなんて地域の人を励ましていたというのに、お恥ずかしい次第です。

 

 今日の朝日歌壇です。今日も勝手に引用させてもらいます。お許しください。

 零歳も一歳もある悲しさの棺を作れば如何に小さき

                      (東久留米市:田村 精進さん)

 なんとなく皆がやさしくなりにけり余震が続く雑踏の街

                      (仙台市:福原 幹夫さん)

 走り行く「福井」と書いたレスキュー車何とはなしに涙溢るる

                       (仙台市:海老塚 忠さん)

 写経にも似て丁寧に震災の歌を写しぬ朝日歌壇の

                       (埼玉県:吉野 ミヨ子さん)

 みんな心に沁みてきます。そのとおりです。お互いに助け合うということは何と素晴らしいことなのでしょう。いつまでも持ち続けたい。

 

 今日宮城県の志津川中学校の避難所にエグザイルが来ました。テレビのニュースで見ました。卒業生が歌うことになっていた「道」という歌をアカペラで歌っていました。子どもたちは大感激の様子。嬉しかったですね。

 その志津川中学校の校長先生は菅原貞芳先生。3月12日に予定していた卒業式を28日に行いました。その時の校長先生の式辞を読み、何と素晴らしい校長先生であることかと感激してしまいました。

 これは新潮ムックとして出版された「これからを生きる君たちへ」という冊子です。小学校・中学校・高校・大学の校長(学長、総長)の式辞11編が収められています。その中に志津川中学校の菅原校長先生の式辞もあります。

 とっても子どもたちへの愛情あふれる感動的なあいさつです。地域の人たちがいかに学校を、子どもたちを支えてきたかということをきちんと伝えています。

 それを紹介する前に、この中学校では、合唱コンクールでもう15年以上も「ベートーベン交響曲第九番(歓喜の歌)」を、全校合唱という形で歌っているそうです。恒例の全校合唱だそうです。このことを知ってなおのことこの中学校が、校長先生が好きになりました。とっても親近感を持ってしまいました。(余談ですが、30日に、4月10日に演奏されたN響の第九、ズービン・メータ指揮の第九のコピーを頂きまして、第1楽章から第4楽章まで聴いたばかりでした。)中学生に「第九」を歌わせる、その感動を味わせる、なんとすばらしい教育でしょう。

 先生は、「自助・共助・公助」について、今回の大震災が学び直しの機会や実践の機会を与えてくれた、ということを話し、避難所の地域の人たちが「力をあわせ、自分のできることをきちんと行い、協力し合えることを進んで行い、互いに支え合うという『自助と共助』の姿を示してくれたといい、「この志津川に住む大人として『つながり』と『共に生かされた命』を大切にして、弱きものを慈しみ、出来ることから自らの役割を果そうと笑顔で頑張っている大人たちの姿を君たちの瞼にしっかりと焼き付けて欲しい」といいます。   (また揺れました)

 そしてただ悲しみ嘆くだけでなく、顔を上げ、前に進むこと、前を向くことが大切で、持続可能な南三陸町の町づくりに君たちの若い力が必要なので、そのために、「人が何で困り、何を必要としているかに心配りができる人間になってほしい、相手を思いやり、我慢する気持ちを持ってほしい」といいます。

 また、今日の小さな夢が明日の大きな夢へとつながるので、「夢を抱き、夢を追い、夢を「志」に変えていく努力を一人一人がしていってほしい」、と。

 最後に贈る言葉として、「かかわる・もとめる・はたす」を校歌と関係付けて話し、「十年後に社会の中で責任を果せる大人になること」を期待しています。

 子どもたちは卒業を前にして大きな惨事に見舞われましたが、素晴らしい校長先生や諸先生方に見守られて勉強できたことはきっと一生の財産になることでしょう。是非ともなって欲しいと思います。

 同書では、釜石小学校の加藤孔子校長の式辞も掲載されています。紹介は略しますが、校歌は紹介したいと思います。作詞はこの前亡くなった井上ひさしとのこと。いかにも彼らしい詩です。

       釜石小学校 校歌

一 いきいき生きる いきいき生きる

  ひとりで立って まっすぐ生きる

  困ったときは 目をあげて

  星を目あてに まっすぐ生きる

  息あるうちは いきいき生きる

二 はっきり話す はっきり話す

  びくびくせずに はっきり話す

  困ったときは あわてずに

  人間について よく考える

  考えたなら はっきり話す

三 しっかりつかむ しっかりつかむ

  まことの知恵を しっかりつかむ

  困ったときは 手を出して

  ともだちの手を しっかりつかむ

  手と手とつないで しっかり生きる

 

 どんな旋律かはまったく分かりませんが、とっても良い詩ではないですか。生きるために必要なこと、心構えを分かりやすい言葉で表現しています。難しいことを分かりやすくという信条の彼らしい詩ではありませんか。

コメント (2)
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