今日も暑くもなく寒くもなく過ごしやすい一日でした。一言で言えば爽やかな一日ですか。でも寒がり屋の私にとっては、掘りコタツには電気が必要でした。足元が寒くて。
仙台藩祖伊達政宗(本来呼捨てにはできないのですが)の376回忌が、瑞宝殿でありました。1636年5月24日、江戸にて死亡しました。70歳でした。確かに藩祖は素晴らしかった。世界に目がいっていた。スケールがでかかった。それだけにその後の藩主はパッとしなかった。伊達騒動があったし、最後には吉原の太夫にも振られたり、明治以降になってもしかり。いつまで経っても政宗一人におんぶに抱っこ、乗り越えられない。これからもずーとそうなのでしょう。さびしいですが。
今度の地震で仙台城の石垣や塀も数箇所崩れました。交通も遮断されています。
下のブルーシートが掛けられているのは仙台城大手門の隅櫓の向いの石垣と白壁の塀ですが、塀の一部が崩れたようです。
それはそうと、ここ仙台城の跡地は明治以降陸軍第2師団の司令部やいろんな舞台の駐屯地となり、敗戦後はアメリカ進駐軍の駐屯地、アメリカ軍が撤退した後は東北大学の川内教養部となって現在に至っています。 若い人たちが一杯勉学やスポーツに勤しんでいますが、昔々はわれわれの子ども時代の遊び場所でもありました。
きょうは仙台城下にある博物館で6月5日まで「ポンペイ展」が開催されていて、それを夫婦で見学してきました。
大理石の人物像がいっぱいありましたが、一番驚いたのは大理石のお風呂でした。ボイラーでお湯を沸かして、金属製のパイプでバスタブまでつながっています。水のパイプもあります。追い炊きもできるようになっています。湯船自体はちょっと細くて狭いように感じましたが、それにしてもビックリです。紀元前後にこのようなお風呂の仕組みが出来上がっていたのですから。
でも、貴族たち支配者は贅沢三昧、「食べるために吐き、吐くために食べる」ということをしていたのでは文明は滅びます。何故か滅びて当たり前だと思ってしまいました。まさに自業自得です。火山の噴火はまさに天罰でしょう。
ポンペイ展の帰りに東北大学に寄って学生食堂に入り早めの昼食を食べて来ました。市民も自由に入れます。夫婦で11品くらい頼んで、920円でした。ご飯が何故か半額でした。一番高かったのはキムチ野菜炒めか、これが150円でした。食堂も広々としていて、明るく快適です。今後も利用します。
で、そこの食堂で見つけたのが下のチラシです。大学といえばチラシですよね。むかしむかしは学生自治会等のチラシ(というよりはビラですね、当時は)、これが学生生活を象徴していました。
そのチラシによると、5月29日はビキニ水爆の被爆者である大石又七さんの講演会が仙台国際センターであるそうです。これは4月10日、5月7日に東京で実施された「原発反対」のデモ行進を受けて、仙台でも反原発デモに立ち上がろうということです。
東電福島第一原発から仙台までの直線距離はたったの100キロです。福島第一原発が爆発すれば仙台市もおしまいでしょう。助かるためにはどこかに逃げなければなりませんが、逃避するところはありません。我々夫婦は仕方がないとしても、若い人たちには何とかして助かって欲しいもので、であれば何とかしてこれ以上ひどくならないようにして廃炉にしてほしいものです。廃炉にしても周辺20、30キロの地域は当分は住めないでしょうが。
そのチラシの裏面掲載の福島県の高校生の手紙を読んでショックを受けましたが、これが原発被害者の偽らざるところなのでしょうか。南相馬市の女子高校生の手紙です。掲載させていただきます。
『 助けてください 福島県南相馬市の女子高校生です
わたしは友達を 津波でなくしました 私の友達は 両親をなくしました 私の無二の親友は 南相馬市で ガソリンがないため 避難できずにいます
電話やメールで 励ますことしか できません
親友は今も 放射能の恐怖と 戦っています
だけど、もう諦めてました
まだ16なのに 死を覚悟してるんです じわじわと 死を感じてるんです
もし助かったとしても この先、 放射能の恐怖と 隣り合わせなんです
政治家も国家も マスコミも専門家も 原発上層部も 全てが敵です 嘘つきです
テレビでは 原発のことが 放送されなく なりつつあります 同じ津波の映像や マスコミの心ない インタビュー 口先だけの哀悼の意 被災を「天罰」と 言った政治家 政治家はお給料でも 貯金でもはたいて 助けてください
命令ばかりしないで、 安全な場所から 見てないで、 現地で身体をはって 助けてください
私達は ・・・見捨てられました おそらく福島は 隔離されます
完全に見捨てられます 国に殺されます
私達、被災地の人間は この先ずっと 被災地を見捨てた国を、赦さないし恨み続けます
これを見てくれた人に 伝えたいです
いつ自分の大切な人が いなくなるか わからないです
今隣で笑っている人が 急にいなくなることを 考えてみてください
そしてその人を 今よりもっと 大切にして下さい 今、青春時代を過ごす学校が 遺体安置所に なってます 体育や部活をやった 体育館は もう二度と動かない 人達が横たわってます
どうしたら真実を 一人でも多くの人に 伝えられるのか・・・ 一人でも 見て貰えれば幸いです 考えた末 勝手ながら この場を お借りしました
ごめんなさい そして ありがとうございます 』