暑い、猛烈に暑い日です。広瀬川の水量は減るばかり。釣り人は誰もいない。もう見放されてしまったのでしょうか。釣れなければ釣り人は来ません。それはもう現金なものです。
だからこそ今日川に入ってみようかなと思ったのですが、止めました。体力温存。その代わり、天上糸の仕掛けを4組(0.6号と0.8号2くみずつ)とハナカン回りし掛け(ハナカンハリス0.8号、ハナカンは5.5ミリ)を9組作りました。
今日は7月9日。明日は10日。仙台空襲の日。1000以上が焼き殺されました。仙台空襲のことは父に聞いたことを過去に書きました。
きのう分かったのですが7月9日は、東日本大震災を語るときによく引き合いに出される貞観大地震が発生した日なのだそうです。
きのう出席した豊齢学園の授業で教わりました。(月から木までは義援金支払いの仕事、金曜日は豊齢学園に通っています。
「多賀城と古代の宮城」と題する大学教授の講義でしたが、とってもためになりました。
貞観大地震は貞観11年5月26日の夜に起きたようです。これを西暦に直すと、869年7月9日となるようです。
「日本三大実録」によると、(変換できない漢字があります。)
陸奥国、地大いに震動して、流光昼の如く隠映す。 しばらくの間、人民叫呼して伏して起きること能わず。 或いは屋仆れて圧死し、或いは地裂けて埋もれ殪(たお)る。 馬牛駭(おどろ)き奔(はし)り、 或いは相昇り踏む。
(多賀城の)城郭・倉庫、門櫓・墻(しょう・土が月へんの漢字)壁の頽(くず)れ落ち顛覆(てんぷく)するもの、其の数を知らず。 海口(みなと)は哮え口孔(さけ)び、声雷?(いかづち)に似たり。 驚濤涌潮(おほなみわきあが)り、さかのぼ(さんずいに斥、さんずいに回)り、漲長(みなぎ)りて、忽ち城下に至る。 海を去ること数十百里、浩浩として其の涯涘(がいし=水際)を弁ぜず。 原野も道路も、惣て滄凕(そうめい=海原)と為る。
船に乗るに遑(いとま)あらず、山に登るも及び難く、溺死する者千許(ばか)り。 資産も苗稼(びょうか=なえ)も、殆んどけつい(?遣=わずかな残り)無し。
当時の「里」は3.75キロではなく、500から600メートルだったらしいです。十里=5キロから6キロ
また当時の日本の人口は、500万人とか。1000人は0.02%です。これは多賀城周辺の被災者数でしょうから、実際はもっと多いでしょう。 今回の死亡者と行方不明者の合計は22,000余人となり、総人口に占める割合はほぼ同じになります。
こう見ると1,200年前の大地震・大津波と今回の震災は被害の規模がよく似ています。不思議です。 やはり歴史はきちんと勉強しておかないと。歴史から常に学んでおかないと。
崖崩れの工事現場です。本当に大規模な工事となっています。
あしたはシマノのジャパンカップです。ことしはじめての大会ですが、嬉しいことに二人で明日早朝(深夜)出発します。どちらかが、できれば二人が予選を通過して、決勝戦に進めれば嬉しいのですが。
最善を尽くすのみです。早く寝るために、ブログも早く書きました。
アユベルトは二つ、タモも二つ用意しました。念のため。