写真は3枚とも14日朝の撮影です。
9日ですか、仙台市の豊齢学園で宮城県の歴史を勉強した時、869年に発生した貞観11年の大地震と大津波の惨状について、「日本三代実録」の記述を紹介しました。 9日のブログをご覧になっていただければありがたいです。
その時は如何に地震や津波の被害が凄かったかが中心だったですが、きょう別の講師により「仙台の古代」の勉強のついでに?どうしてもこの際みなさんにお知らせしておきたいという講師の強い願望がありまして、貞観11年5月26日の大地震後の平安時代の政府・官僚の対応についての説明があり、それがとっても素晴らしいものだったので改めてみなさんに紹介させていただきます。
地震の発生は5月26日(旧暦)でした。 それから3ヶ月10日後の「9月7日」の記述です。
従五位上行左衛門権佐(ごんのすけ)兼因幡權介(ごんのすけ)紀朝臣春枝を以て陸奥国の地震を撿(かんが)ふる使と為し、判官一人、主典一人あり。
紀春枝を今でいう”復興長官”に任命して派遣したというのです。地震発生から3ヶ月ちょっとですよ。 きょうは7月15日、大震災から4ヶ月を経過していますが、担当大臣は決まったものの復興庁なるものはできてはいません。
さらに、それから1ヶ月余の「10月13日」の記述です。
詔に曰く、・・・、陸奥の国境あたりの地震尤も甚し。・・・。百姓に何の辜(つみ)あらん。・・・。責め深く予に在り。・・・。民夷を論ぜず、・・・、既に死する者には尽く(殖の左辺に賓・かりもがり)を加収し、其の存する者には詳らかに振恤を崇からしめん。其の被害の太甚しき者には租・調を輸(はこ)ばしむるなかれ。鰥(かん)・寡・孤の窮して自立能わざる者には、在所を斟量して、厚く宜しく支済せしむべし。・・・。
国民や蝦夷を問わず、死んだ人は仮安置し、生き残ったものには施しをし、税金を免除し、男やもめや女やもめ、孤児には手厚く救済するようにというお触れのようです。
よく貞観12年9月15日の記述です。
新羅人廿人をして、諸国に配置せしめり。・・・。五人を武蔵国に・・・五人を上総国に・・・十人を陸奥国に・・・。
当時としても文化の進んでいる外国人(新羅人)を被災地に派遣したということで、20人の半分の10人を被害の甚だしい陸奥国(宮城県・岩手県。福島県)に派遣しています。
こうしてみると、昔の人々は素晴らしいではないですか。支配者としてきちんとやるべきことをやっています。9世紀の日本です。インターネットはありません。奈良の都と陸奥国を往復するのは大変なことだったろうと思います。 それでもきちんと情報は中央政権に届き、中央政権は政権として的確に判断し、救済策を実施しています。
それに引き換え、いまの日本の現状は惨憺たるものです。比較することさえ昔の人に失礼になるのではないかと思います。
日本人はさっぱり進歩発展していないのではないかとさえ思ってしまいます。悲観的になってしまいます。
歴史を勉強しないといけないようです。というか歴史研究家に、大学等で日本史を研究している学者に、もっともっと真剣に歴史を研究し、その成果を国民に知らせて欲しいと思います。
まだまだ知られていない貴重な文献があるのではないでしょうか。歴史から学ぶことはとても多いようです。