鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

大川小学校

2013-10-25 15:15:24 | 思いつくまま

  きょうも一日シトシトと降り続いています。 大雨にならないだけ恵まれていると感謝しなければなりませんが、雨と寒さであしたのKスタでの日本シリーズ第1戦はどうなるのでしょうか。あすの午後からは雨も止むようなので、試合はできそうですが、選手も観客も寒いでしょうね、暖かくして観戦してください。 楽天の選手は”てっぺん”取ることに集中しているでしょうから、寒さなんか吹き飛ばして””打倒巨人””に燃えることと思っています。 ということで、この寒さは楽天に有利に働くのではないかと思っているのですが、結果はどうなるか?!あしたが楽しみです。 こたつに入って暖かくしてテレビで観戦しようと思っています。(テレビ放送はありますよね?)

  ちょっと古いことになります。 10月9日に石巻の大川小学校に行って来ました。 花束を持ってご冥福をお祈りしてきました。 その時のことは、10月11日と12日(14日も)で取り上げましたが、肝心の大川小学校のその後の様子等については取り上げませんでした。 心の中で葛藤やわだかまり、やりきれなさがあり、まとまりがつかなかったものでそのままになって現在に至っています。 でもいつまでもこのままにしておくわけにもいかず、途中経過みたいなものになるかもしれませんが、思うことを書いていきたいと思っています。

 9日に撮った写真をまずご覧ください。 被災した建物はそのままの状態です。

 

 建物以外のところはそれなりに整備されてはいます。

 

 本当にモダンな建物の学校でした。

 

 津波のすさまじさを改めて感じます。

 

 

 

 慰霊碑と校舎の間には水溜りが出来ていました。

 

 コスモスが咲き、瀬戸物の風鈴なのでしょうか、ぶら下がっていました。

 

 

 誰もが自由にお参りのできる慰霊碑です。 写真撮影もOKです。 何回も紹介しています。

 

 このときもバスで団体の人たちが来ていました。 震災の語り部ボランティアでしょうか、その人の話しを聴いているところです。 学校の周辺にはトラロープが張られていて、校庭等には入れないように(入らないように)してはいます。 でも普通に歩ける人たちは自由に入っていますし、何が何でも中に入るなという雰囲気ではないので、慰霊に来たからには現場を隅々まで見て回って脳裏に焼き付けておこう、できるだけ写真も撮って自分の周りの人たちにも知らせてやろう、知らせなければならないという気持ちで大川小学校に来ているものと思っています。

 この団体のみなさんはロープを超えて中に入ることはなかったです。語り部の人がそうさせたのかもしれません。 下の写真の左端の慰霊碑が新しく建立されたとても立派な慰霊碑で、大川小学校の犠牲になられた子どもたちや先生方、また地域の亡くなられた方々の名前が刻まれています。 

 

 この慰霊碑の前で手を合わせることはできます。でもこの慰霊碑はロープの中にあり、本当は関係者でなければ入ってはいけないところなのでしょう。 現実は誰でもこの日の前で黙祷することはできます、それまで禁止ということはしていないようです。

 でも(「でも」という言葉が多いですね、よろしくない)、写真撮影はだめなのです。 一般参拝者はもちろんのこと、マスコミ関係者も写真撮影禁止という立札が立っています。慰霊碑の左右に2本ずつ立てられています。 その理由は遺族の気持ちを思えば当然のことです、というものでした。

 この慰霊碑は地元の人々だけの聖域であり、部外者は一切立ち入りを禁止する、写真撮影なんて、観光ではないのだからもってのほかと言わんばかりのように感じました。ショックです。悲しいです。寂しいです。 なぜ拒絶するのか、なぜそこまで頑なになってしまうのか、残念な気持ちになってしまいました。

 大川小学校に来る人に物見遊山で来る人はいません、私はそう断言してもいいと思っています。 それだけに地域の人でない人たちを拒むかのような行為がとても残念で悲しく思い沈んだ気持ちになってしまいました。 その気持ちは現在も続いています。慰霊碑の写真を単なる記念として撮るという人も全くいないというわけではないでしょうが、ほとんどの人は目で見たことを写真化して、自分の周囲の人たちにも事実を現実を知ってもらいたいという気持ちを強く持っているはずです。

 遺族の方々はまだ心の整理がついていない、まだ見つかっていない人もいますし、そのためにまだそっとしておいてくれという気持ちのため、当分の間は写真撮影は禁止ということにしたのかもしれません。自分の子どもが津波の犠牲になって、まだ遺体が見つかっていないとしたら、突然そういう状況になってしまった遺族の身になってみれば、当然軽々しいことはいえないのは自明の理です。 でもこの違和感、もやもやしたやりきれなさはなくなりません。

 大川小学校の悲劇は何が何でも後世にきちんと伝えていかなければなりません。それも大川小学校の地域だけではなく、石巻地域だけではなく、宮城県だけではなく、みちのくだけでもなく、日本全体で共有するくらいの覚悟が必要と思っています。 

 それだけにこの前20日に、大川小学校の惨事を調査する検証委員会が「事実情報に関するとりまとめ案」を発表しましたが、それに対する遺族のみなさんの思いは当然んことと思っています。 山への避難を促す児童や先生の声が盛り込まれなかったといいます。 

 なぜ盛り込まなかったか、校庭での児童の会話は 『ゲームやマンガのこと』など 『日常的に行う会話だったと考えられる』 とし、『危機感のない様子』 だったということです。(朝日新聞から引用)

 地元の河北新報の記事では、「(児童たちが逃げたがっていたという)証言は聞いているが、そうでない証言もある。信頼性を精査しなければならない」(室崎委員長)と言いつつも、「遺族の立場で検証しようと思っている」とも言っています。

 2年前ですか、奇跡的に助かった児童の証言をテレビで見たことがありますが、とても”ゲーム感覚での会話”とは思えませんでしたが。 80余人の生徒がいたわけで、その中には面白半分での発言もあったかもしれませんが、山に逃げようと言っていた児童がいたことは確かなわけで、それを少数の発言だからといって全体の中でなかったかのように取り扱うこと自体がおかしい、間違っていると私は考えます。

 児童や先生から山に逃げようという声があったのであれば、そのことこそ重視し、なぜそれが取り上げられなかったのか、それこそ検証しなければならないことなのではないでしょうか。 検証委員会の姿勢に疑問を感じます。 そして、助かった児童や先生からこそ徹底的に事情を聴くべきではないかと思います。(聞く環境については最大限の配慮が必要と思いますが。)

 長くなってしまいましたが、思っていることを文章化することの難しさを痛感しています。


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