きのう書こうと思っていて忘れてしまったことから。 (この頃は1階で思っていたことも2階に行くと忘れてしまうもので、自分でも愕然としています。)
おととい(9日)の午後6時からの安倍首相の記者会見の模様を見ましたか? 私は見たくはなかったのですが、一体どの面下げて記者会見するのか見てやろうと思って見ていました。 30分ばかりもしゃべったのですね。 よくじっとこらえて見ていたものだと自分を褒めてやります。
何ですかあの厚顔さ、傲慢さ、自画自賛している。 笑止千万だったのが、特定秘密保護法について「私自身がもっともっと丁寧に説明すべきだった」という発言です。 何をいまさら、白々しいことここに極まれりです。 国民も野党もいろんな団体ももっと慎重に、もっと時間をかけて審議すべきと考え、訴えていたのに、それを無視して数の論理で強行採決したのはどこのどいつですか。 どこまで国民を愚弄すればいいのでしょうか。 こんないい加減なその場凌ぎの政治手法を行使している権力者が「通常の生活が脅かされることは断じてあり得ない。秘密の範囲が広がることはない」なんて何遍何百回言っても信用できるものですか。 官僚の秘密独占の道筋をつけた安倍政権は、日本の戦後の平和主義に基く発展を破壊するものであり、「日本を取り戻す」ということの本質は戦前の大日本帝国への回帰以外の何ものでもないということがはっきりしました。何回も言ってきていますが、富国強兵路線まっしぐらということになるのでしょう。 まあ、考えてみれば福島第一原発の汚染水は完全にブロックされていると国外で堂々とのたまうような輩ですから、国民の願いなんて聞く耳持たない(持つようなポーズだけしていればいい)し、内心では自民党を第一党に選んだのは誰ですか?!と居直っているのではないでしょうか。 経済成長、成長戦略に、ワラをもつかむ思いで自民党に投票した人が多数だと思いますが、国民から白紙委任されたとばかり、公約にないことも含め好き勝手なことをやっている自民党と公明党に必ずや天罰が下ることでしょう。 お天道様はきちんと見ています。
東京都知事の猪瀬の5000万円の件(断じて猪瀬を庇うなんて気はこれっぽっちもありませんので)は、政権と一体となった検察の捜査で、国民の眼を秘密法案からそらすためのマスコミ向けの一連の行動ではないのかなんて思ったりもして・・・。
マクラが長くなってしまいました。 また11日がやってきました。
8日(日)に初めてですが県南の山元町に行って来ました。2年9か月前の地震と津波の被害は宮城県の北部の石巻や気仙沼だけでなく、県南の亘理町や山元町でも大きな被害を受けています。 マスコミの報道は宮城県北から岩手県南部のほうが多くなっていますが、名取市や亘理町、山元町も大きな被害を受けているのに取り上げ方は少なかったように感じていました。
震災遺構について今になっていろいろな動きが出てきましたが、宮城県では市町村で一か所については国が経費を負担するということになり、山元町では「中浜小学校」を震災遺構として後世に残していこうとしているようですので、実際にこの眼で見ておこうと思い行って来ました。 写真が多くなりますが、中浜小学校の現況を見てください。
山元町では先の大震災で613名の人が亡くなり、行方不明が5人となっています。全損家屋が2203棟で、内流失は1013棟となっています。 海沿いの中浜小学校ですが、校舎はかなりモダンですね。 (石巻の大川小学校もとってもハイカラな校舎でした。) 在籍児童数は59名で、教職員は14名でしたが、大震災のときは教職員・児童のほかに、保護者や地域住民、町の職員等90人が屋上で一夜を過ごしたそうです。
中浜小学校は先生の対応がよかったのでしょうか、14:46の地震発生から、14:50分にはテレビから得た情報で校舎の屋上に避難したそうです。 15:45に津波の第1波、第2波が、15:50には第3波、第4波の大きな津波が押し寄せてきた。 16:07には引き波もおさまったが屋上で寝泊まりすることに決定したそうです。 よく12日の6:00に自衛隊のヘリが学校の屋上に避難している学童や保護者を発見して、別のところに避難しました。
(平らな屋上があったのでしょうか?)
上は南側、下は北側のようすです。
上の写真を斜め東側から撮ったものです。
津波は2階の天井近くまで達しています。 屋上に避難しても恐かったことでしょう。
いかにも海沿いの学校という感じです。
以下は校舎の内部の様子です。
松の木も倒されたまま枯れています。
校舎の前に埋まったままになっています。このままにしておくのでしょうか。
タイムカプセルです。
この柱は何だろうと近寄ってみると、
逆から見て分かりました。時計塔だったのですね。3時10分を指しているようですが。