きのうの最高気温は19.5度で、きょうは27度くらいまで上がるだろうということでしたが果たして上がったのでしょうか。体感としてはせいぜい25度くらいかな、そこまでも上がっていないかも。
上ったと言えばこれですね、山形のサクランボ。 東根市の原田さんが手塩にかけて作ったサクランボ”佐藤錦”、東京の市場で1キロ30万円とか。サクランボがです。確かに見た目はまるで赤い宝石です。
ご祝儀相場ということもあるのでしょうが、そのサクランボは最終的にはどこの店に行くのでしょうか。そして誰が食べるのでしょうか。その時の値段は一体いくらになっているのか。誰か追跡調査をしてみてはどうでしょうか。食べるのは、今国会を何とか逃げ切ったと安堵している独裁者安倍でしょうか?菅でしょうか?金田でしょうか?安倍夫婦にだけは食べてほしくないな、みちのくのニンゲンとしては。
私の楽しみにしている新聞のコラムに、「福岡伸一の動的平衡」というのがあります。4人が交代で執筆しているのかな。きょうの福岡先生の題は、これです。 「『記憶にない』ことこそ記憶」というものです。 記憶とは物質ではなく、脳細胞と脳細胞に間にあるそうで、シナプスで連結されてできた脳細胞の回路に電気が通るたびに「生成」されるのが記憶だそうです。
「記憶にない」ことは、実は前後の記憶があるからこそ認識できる。記憶にないことこそが記憶なのである。」 だから、「『記憶がない』のは、記憶があってしかるべきなのに、うまく思い出せませんという、一種の二日酔い状態であることを告白しているにすぎない。」
「あるいは、実は記憶にあることを、うそにならないよう言い繕うときに使うための見え透いた方便でしかない、全く身に覚えのないことなら、端的に『やっていません』『言っていません』といえばすむことである。」 さすが福岡先生!うまいことを仰る。風刺がピリッと効いていますね。
(焼け石に水の広瀬川本流の水量です。)
あした23日は、本土の防波堤となった沖縄戦の組織的なな抵抗が終わった日です。「沖縄慰霊の日」です。 きのうのこのコラムは、音楽家の後藤正文さんが書いていました。「沖縄の戦没者は基地望むか」という題で書いていました。
沖縄の基地の状況を上手く表現しています。「・・・宜野湾市。米軍普天間飛行場が街の真ん中に鎮座している。周囲は想像以上にのどかだ。」 「・・・嘉手納町。隣接する市町にまたがる東アジア最大級の米空軍基地がある。・・・道の駅から戦闘機の離着陸を見物できる。『隠すことはない』とでも言いたいような風景に唖然とする。」
そして、(国会の現状を憂えているからでしょう)「『国民の代表』という言葉を僕たちはよく使う。その場合の『国民』に含まれるのは、今を生きる僕たちだけだろうか。 平和祈念公園の石碑に刻まれた、戦没者たち。彼らは基地を望んだだろうか。『国民』には、この国に生きてきた死者も含まれるのではないかと思う。 その声を想像することも、『国民の代表』が行うべきことだろう。」
国会の最終日に行った首相の総括演説。 例によって白々しい言葉が次から次と出てきました。国民に分かりやすいように説明していく、とか毎回国会の終了日や法案が通過した後でのたもう言葉を何度聞いてきたことでしょうか。
(押入れから引っ張り出してみました。)
「今後、何か指摘があればその都度、真摯に説明責任を果たしてまいります。」ってか。まあよくもここまで平気でシャーシャーとのたまえるものです。さすが行政府の長にして立法府の長(自ら発言しています)で、司法の長(最高裁長官を指名できるのですから)とも付け加えてもいいのではないかとさえ思います。
(まだ押入れの中に大きなケースが2つあります。)
言った側から萩生田光一官房副長官の発言メモについて、きちんと調査したうえで丁寧に説明すべきなのに、そのような動きは見られない。逆に火消に躍起となっている始末。 如何に口先だけのリップサービス?だったかを物語っています。
(一番多く使っているハリですね。6号から7号)
そういう内閣なのに、支持率が急降下したとマスコミは書きたてていますが、私にしてみればそれでもそれだけ支持する国民がまだいるのかと正直呆れかえってしまいます。信じられません。自民党の広報誌読売新聞は支持率は61%から49%へと低下しています。おなじような産経新聞は56.1%が46.6%へ低下。日経新聞も56%から49%です。サッパリ低くないです。
(5号や5.5号のハリを使う時があるのでしょうか)
30%台にまでなったのは、毎日新聞で46%が36%、ANN・報道ステーションが46.4%から37.9%、NNNが46.1%から39.8%へ低下しています。朝日新聞は47%から41%の低下です。
(趣味で買っている大きなハリや古いハリです。)
これだけ国民の知らないところで好き勝手なことをして、国民の財産を叩き売っていたりしても、結果として総体としてみれば自民党を支持するという基本的なことはよっぽどのことがないかぎり変わらないようです。他に任せられる政党がない、他よりはましだから仕方なく支持するという消去法での支持でしょうが、結果としてそれでは自民党を”困らせる”ことにはならないのです。”反省させる”ことはできません。
(いろんなハリスです。)
この前も「声」欄に投書がありました。今の自民党には失望したと書いておきながら、一番肝心なでは最後にどうするか、”棄権”するそうです。それではだめなのです。懲らしめにはなりません。極端に言えば、どこでもいいから反自民党の政党に、政治家に投票するようにしなければ何の”戒め”にもなりません。かえって自民党を利するだけです。
(チラシバリが入っています。)
予定と違う内容になってしまいました。とりあえず写真だけはアップしておきます。
(各種市販のチラシセットです。)