いつもなら、とはいっても数年前までは大崎八幡宮のどんと祭と言えば14日の夕方以降、夜等に家族で出かけてものですが、この頃は同じ14日ではあってもまだ点火される前に、混まないうちに出かけて行くというやり方に代わっていきました。そして、翌日の午前中に再度出かけてまだ燃えている御神火に当たってくるというやりかたが定着してしまったようです。
その方がまだしも混まないし、ゆったりとマイペースでお参りができます。年寄り向けと言えばそうですかね。若い人たちの迷惑にならないようにという気遣いもあります。裸参りを見てみたいという気持ちはありますが、こちらも寒さに武者震いするようではあまり意味がないかなとも思います。でも、男女の裸参りの伝統は絶やさないでほしいと切に思います。
これが裸参りの正装です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/1c/208bf5856db8482c56bc1283b9080dd5.jpg)
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ということで、今年も午前10時過ぎに夫婦でゆっくりゆったりと歩いて行ってきました。とはいっても、奥様が正月飾りを持ち、常に先を歩き、時々立ち止まって私を待つということの繰り返しで行ってきました。約100段の石段は、今年初めて鉄製の赤い手すりを握りながら登り、かつ降りてきました。(笑)
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さすがにお昼前です。本殿は混んではいませんでした。
またしても数年前の話になりますが、どんと祭のお参りのあとは仙台名物の『仙台駄菓子』を3種類買ってくるのが恒例でした。しかしばがらコロナ禍のためか、仙台駄菓子を扱うお店が出店しなくなりました。飴とかいろんなおこしがあり、3袋で1000円だったものです。我が家の年寄り連中が(今は我々が年寄りになってしまいましたが)好きだったもので、何をおいても買ったものでした。
でも、こういうものは数店でていました。ほっとしました。我が家では買うことはないですが、やはりこの時期に見ないとさみしいものですから。こういう店です。
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最後になりましたが、仙台市民が持ち寄りました正月飾りの山です。
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プラスティックや燃えないものは別に回収されています。この正月飾りが轟々と燃えだすとこの御神火の回りは猛烈な熱さとなります。裸参りの人たちが御神火の回りを歩く分にはちょうどいいかも・・・。
何にしても、これも昔々のことになるのかなあ~、大崎八幡宮(以前は神社)のどんと祭の頃は冬の中でも一段と寒い時期にあたっていましたし、雪が降ったりもざらでした。
この頃ではそれさえも信じられないくらいの暖冬といっていいのかな。
もっともっとさかのぼると、私が小学校の低学年んころまでかなあ、大崎八幡神社のお祭りの時にはよく見かけました、””白衣を着た傷痍軍人””たちを。戦闘帽をかぶり、アコーディオンを弾いていたり、片腕や片足がなかったり、何とも哀愁を漂わせていましたが、それ以上に子ども心に怖さを感じたものでした。