そういう事じゃなくって、ばぁちゃんのように寝たきりになるって
どんなものなんだろうなぁ~って考えたりする時がある。
こうして十何年か介護をしていると時々思う事があって
一日のほとんどを寝て暮らす生活をどう思っているのだろうか。
退屈だとか、動きたいとか…つまらないなどなど。
一度数年前に、そういう事を主治医に聞いてみた事があったけど
脳のダメージもかなりなものだし、寝たきりになって長いので
認知もかなり進んでいると思われるので、そんなふうに感じる事はないでしょう…と。
確かに認知症は話す事もなく動く事もなかったら
おかしな言動を発する事もなく、異常な行動を起こす事もない。
だから認知症に陥ってるかどうかも定かではないわけで
ひょっとしたら、脳の動きは正常だったりする事もありえるのではないかと
つい そんな事を考えてしまったりする。
もしも 私がばぁちゃんだったら…。
朝 お尻にかなりの不愉快さを感じている。
でも誰かがそれを交換しない限り不愉快さを取り除く術はない。
前日の夕食は5時半頃だった…朝は早くにお腹も空いている。
早くご飯を…と思うのだが、誰かが持ってくるまでは、やっぱり我慢するしかない。
食事も思い通りにはいかずに、次から次へと食べ物が口に運び込まれる。
介助する誰かは、何かを喋りながら、美味しいのかとか
次はこれを食べる?とか、今度はお茶で次はご飯だとか…話しかける。
でも返事する事すら要求をすることすら出来ずに眉を少しくもらせてみるが
意思表示ができなかったら、口に差し出されたものを食べるしかなく
時々 違うものが食べたい時は、口をつぐんで抵抗を試みたりする。
痒い所があっても掻く事も出来ずに、ただ動く手だけは
日がな一日パジャマの胸元をクシャクシャにするだけが唯一の動きか。
時おり目が覚めて辺りを見ても、いつもと同じ部屋の風景
それでも何とか目を外に向ければガラス越しの景色が白々と…。
ラジオの音が聞こえる。
退屈しのぎになる時もあったり好きな歌謡曲が聴けたりするけど
ニュースだとかアナウンサーのバカ笑い声だったりとか
静かにしていたい時があってもラジオは延々と話したり歌ったり。
時には聴きたくない時もあるけど…でも自分で消す事もできない。
夜中に眠れない時は一番悲惨だなぁ~と思う。
目を開けても見慣れた天井には小さな室内灯がひとつポツリと。
後は何も見えずに話し声も聞こえなくて…時間だけがのろのろと過ぎていく。
いったい 時は時間通りに進んでいるのだろうか。
明るくなるから朝になったのだとか、暗くなったから夜になったのだとか
そんな些細な情報だけが、一日の時間の流れだったりするのは…辛いだろうなぁ。
まるでカフカの『変身』を地でいってるようなもので…。
ある時、テレビのスイッチを切るように、何も分からない瞬間があって
気がついた時には、体も動かせず言葉も出てこない。
もしも私がそんな状態に置かれたら、神経がおかしくなってしまうかもしれない。
出来ればまるっきりの認知で、そんな事も感じられない状態であったほうが
幸せなんじゃないかと思ってしまうのだが…どうなんだろう。
葉先についた水滴にはいろんなものが写っていた…。
例えば我が家…例えばカメラのレンズだったり。
もしも自分がばぁちゃんのようになったら
そんな事を考えながらお世話しています。
自分の思い通りにならない事が、かなりのストレスとなると思います。
意志の疎通も出来ずに…なるべく思いに添うようにと思ってるんですけど
なかなか難しい事だと思います。
自分が寝たきりになったら、あまりにも自分の都合が通らないということで簡単に命を投げ出してしまうことでしょう
本当に、もしも自分の事で認知もなく意識もハッキリしてたら辛いですよね。
動けない話せない、一日の時間は有り余るほどあるのに思い通りに過ごす事ができないんですもん。
ばぁちゃんを看てると、そんな事がないのかなぁ~と、つい思ってしまう事でした。
介護をしていて私は完全に認知で何も分からない状態でいてほしいと思います。
でなきゃ、とても生きて行く事が辛い事のように思えるからです。
Mayumiさんのお父さんや伯母さんのように、意思の疎通があるのは
本人にとって辛い事ではあると思いますが、自分の事を分かってくれてるって嬉しいですよ。
ばぁちゃんは話せないから、分かるのか分からないのか分からないです。
でも理解できるのも辛い…どっちにしても長年寝たきりで生活していくのは辛い事だと思います。
自分の時はぽっくり逝きたいなぁ~と思うんですけど…。
こればっかりは神のみぞ知る…ですよね。
アルツハイマーなども、徐々に人格がなくなってしまう…恐いでしょうね。
自分でも気をつけて、辺りの人にも気をつけてもらって
おかしいな?ってとこがあったら、すぐに診察する。。
治る事はないですが進行を遅らせる事は出来るって事ですよね^^
でもおばあちゃんのように認知症を伴っていたら寝たきりであるってことも感じてないと思うのでそれはその方が幸せかもしれません。
反面寝たきりでも意識があったらいろんなこと考えることができ、また、考えたことを行動に移すことができないもどかしさもあってわがままになるかも知れません。
実際のところどうなんでしょうかねェ。
私の父は最後まで少しですが意識があったように思います。
最後の目を落とすまで私の顔を見つめていました。そして、目がトロンと焦点が合わなくなって間もなく数分後に息絶えました。
思い出すととても切ないです。
かえって、意識がなく枯れ木のように逝ってくれた方が切なくなかったなあと思います。
父の兄の奥さん、つまり私のおばさんですが、例の私のターニングポイントとなったあのおばさんです。
現在寝たきりです。もう90歳近いんですが、遺漏の手術をして栄養をそこから取ってるので元気なんです。でも寝たきりですけどね。
もう意識は半分ないのですが、いつもいつも介護者に「ありがとございます」と繰り返しているんですよ。不思議ですね。
いつも目を開けないのですが、私がお花を持って行くと(年に一度くらいお見舞いに行きます)きれいねって言ってくれます。
もう私だと認識してないかもしれませんが、私にとって大切なおばさんです。
妹さん一家があととりしておばさんを看ています。近くの病院にもう10年以上入院してるんです。
おばさんは「ありがとう」と言えるだけ幸せなのかも知れません。
さあ、私はどんな人生の最後を迎えるんだろうか。そんなことを考えさせられた今回のpochikoさんの記事でした。
また、消えちゃわないといいけど。
なるようにしかならないんですよね。
きっと 暴れる事もなく泣きわめく事もないので、考えられる事なのかもしれません。
後ほど、やくさんの所へもオジャマさせてくださいね。
寝たきりになって言葉も出ずに、そんな状態が長く続くと
何も分からない方が幸せじゃないかと思いますよね。
辛い事を嫁なり娘なりに、介護をしてくれる人に
当り散らす愚痴る…辛いからでしょうが介護する者は辛いですよ。
クッキーさんのお義姉さんも苦労されたようですね。
誰でも良いから、そういう愚痴を聞いてもらえただけでもストレスは少なくなると思います。
うちのばぁちゃんは文句を言わないですけど、それでもストレスがたまりますね。
Micchiiさんのお母さんも脳梗塞でしたか。
うちのばぁちゃんもそうなんですよ。
昔の人が頑丈で、ちょっとやそっとのことも重く考えずに働いていたのでしょうね。
寝たきりになってしまって…。
そんなお母さんを奥さんと二人で介護されてましたか。
肺炎で亡くされた…後を追うように奥さんも。
大事な人を一度に亡くされたMicchiiさん。
なんと言葉をかけたらいいのか思いつかないです。
お二人の分を、一生懸命に前向きに生きて行くことが残された者の勤めなのでしょうね。
ただ寝たっきりじゃ、退屈だろうなぁ~とか面白くないだろうな~とか
自分に置き換えて感じた事でした。
きめ細かい観察っても、毎日同じことの繰り返しですもん。
たいして変わった事もなく、繰り返し繰り返し十何年過ぎてしまいました。
良い意味での慣れでゆとりが出来たから感じられるようになったのかもしれませんね。
体も精神的にもキツイ場所だと思います…病院ってとこは。
私も発症後から退院までの3ヶ月通いっぱなしでした。
まぁ うちのばぁちゃんは文句を言いたくっても失語症だったから
そんなにストレスも感じなかったけど、それでも疲れましたね…。
文句や愚痴をぶつけるのは、甘えや信頼感何だと思います。
親と子供の立場が逆になっちゃってるのでしょうね。
頼られちゃってる久美子。さんには辛い事でしょうが。
親子だもん、たまにぶつかったってしょうがないと思うな。
それよか、久美子。さん自身我慢しすぎてストレスをためないようにね。
自分は認知症にはなりたくないと思いますがはてどうなることか?これだけはどうしようもないことで。アルツハイマーになってると気づいたときには出来るだけ早く脳神経外科へ連れて行く事とよく言われています。現状維持することが出来るから。直るわけはありませんと医者が言う。最近我が家の周りお葬式だらけで財布がています。
そんなこんなを理解しようとしてくれるpochikoさんがいることが、すごく素晴らしいことだと思いました。
こんな風に相手の気持ちを考えて介護されてるpochikoさん。
少しでもおばぁちゃんに伝わってると良いですね。。。
あ!でも何も判らない方が本人にとっては幸せなのかな?
寝たっきりの義親を看取った義姉は。。。それでも意識だけはしっかりとした義親に何度も泣かされてました。
自分の状態を受け入れたくなかったのでしょうね。。。
イラつく感情をぶつける相手は介護してくれている義姉しかいなかった。。。
聞いてる私は義姉の方に同情してましたが。。。寝たっきりにになった方も相当辛かったのでしょうね。。。
そんな昔の事を思い出してしまいました。
今日は静岡は冷たい雨です。
福島は雪かな?
僕の母は脳梗塞が元で認知症になり妻と二人で7年間介護を続けました。
最期まで病気もせず元気でいてくれたのに、体調をくずして入院した病院で肺炎に感染してあっけなく逝ってしまいました。
母の長生きが僕の自慢の一つでしたし、どんな姿でもいいからずっとそばにいて心の支えになって欲しいと思っていたのに・・・
そのわずか9ヵ月後に妻を末期ガンで亡くしました。
それも考えてみると常套語のように簡単に使っています。
考えさせられました。
pochikoさんのように、きめ細かい観察をしてのお義母さんの立場。
これが本当の相手の立場を考えるでしょう。
どんな人の立場にもなれるpochikoさんなんでしょうね。
素晴らしい記載でした。
病院へ行くと、母は「あんたに私の辛さはわからない」って、結局喧嘩になります。
わからないわけじゃないけど…じゃ~母さんには、私の辛さがわかるのか?
ナンテ言い合うことが出来るうちが、幸せなのか…辛さなのか。
たった一画ないだけで、大違いですね。
なんだか、わけわからないコメントで、ごめんなさい。
明日は、ちゃんと母の愚痴…聞いてあげようと思いました。
そうそう、こうしたいのかなぁ~
ああしてあげた方が良いのかな~とか、いろいろ考えちゃいますよね!
(ほらほら、カニーさんったら鼻水が…^^;)
どんな状態であれ、介護をする気持ちは同じだと思います。
カニーさんも長いもんね~
認知症になったからって、やっぱり正常な所があって
そういう部分があるかぎり、苛立ちがあったり悲しさがあったりなんでしょうね。
だから情緒不安定になる時だってあるのは仕方ない事なんですよね。
自分が介護される立場?
考えたくない~~ 夫や子供に世話掛けたくない~~
出来れば施設に入れて欲しいです!
その代りに時々顔を見せてくれたら、それで良いと思ってます(^-^)
ほんと、そういうコメントってどこへ行っちゃうんでしょうね??
気にしないで、ゆっくりとお休みくださいね^^
ここ数年はすっかり手抜きも覚えちゃって
だからかな~いろんな事を考え見られるようになってきました。
まぁ 考えても現実は現実でどうしようもないんですが^^;
尊厳死を望むような寝たきり状態。
「海を飛ぶ夢」の青年も…私は昔の映画で「ジョニーは戦場へ行った」を思い出します。
どちらも正常な考えを持っているのが辛いですね。
自分で死を選ぶ事もできない悲しさもどかしさ。
それでも命ある限り人は生きていかなければならない。
考えさせられますよね~ あまり深く考えすぎちゃったかも。
たぶん主治医のいう事が間違いないところなのかもしれません。
ひょっとして分かる部分があるのでは…とか考えてしまうんですよね。
でなきゃ、あまりにも厳しい現実じゃないかと思います。
分からない方が幸せって事もあるんじゃないかと…。
うちのじいちゃんも一日見てもいないテレビをつけて、コタツから動かなかったです。
言葉も少なく…azamiさん、言葉が少なくなると認知に移行する時があります。
少しでも話しかけてメリハリのある生活に心掛けた方が良いと思います。
出来そうな事は率先してさせる…これも必要だと思います。
うちのじいちゃん…ばぁちゃんの入院で話し相手がいなくなってから急速に認知へと進みました。
介護は不安がいっぱいでしょうけど、面と向かったらけっこう出来るものなんですよ。
大丈夫! 私でさえ出来てるんです(笑)
でも出来れば介護しなくて済めばお互いに良いんですけどね^^;
母親の精神年齢は2歳児くらいですか。
介護は必須だと思います。
兄弟で早期退社して母親の介護をされるとか。
正直…甘い考えかなぁ~と思いました。
早期退職をして生活はどうするのでしょうね。
病院や奥様には介護させたくないと…。
時にはそれも必要になるのではないかと思います。
いい話はいい話として、介護はもっと現実的に考えないと
必ずつまづき後悔する事も有るかと思います。
特に男の人って母親に対して強い思い入れがあるでしょう。
その思いが足かせにならない事を願っています。
母親を大事にする事には大賛成です。
まさかtonaさんの仰るように神戸から東京までではありませんが
うちのじいちゃんは、我が家からトンでもなく山奥までふっ飛んで行っちゃってましたから。
まぁ 認知かそうでないかは、動けたり話せたりで分かりますが
うちのばぁちゃんのように、動けず話せずだったら認知なんて分からないですよね。
ある日気づいたら寝たきりになってしまっていたなんて辛すぎますよね。
それでもどうする事も出来ないのが現実なんですけど
介護する方もされる方も大変なんです…これが答えなのかもしれません。
3番目にですよ。確か9時前に。
長~~~い長いコメントを。
あんまり長すぎてUPされなかったんでしょうか。
確認しないで、そのまま出かけたのが悪かった!!
不思議です。
ごめんなさいまたあしたし直しします。
おやすみなさい。
浜通りの方だって…。
ダッシュ村は「福島県双葉郡浪江町大字下津島字阿掛」ってとこだよ~
あ~~、tyakomamaさん、すぐに行きたがるなぁ~^m^
でも立ち入り禁止らしいよ~
以前火事騒ぎがあって詳しく分かったらしーです(^^)v
本当にそうですよね
私もまったく同じようなこと、よく考えます。 そしてついつい世話をやいてしまう・・
pochikoさんちのおばあちゃんとは状態が違うけれど、やはり介護する気持ちって一緒なのかなと思います。
私も思うんですけど、認知で何もわからなくなってしまう、ってことは、やはりないですよね。
何もわからないように見えても、きっとわかってることはすごくよくわかってるんだよね・・・
だからこそ人間としての尊厳みたいのは大事にしなきゃいけないんでしょうね・・自分が介護してもらう立場になったら・・ね~~!
どうします~?pochikoさん 私も恐いわ
特に大層な事ではないのですが
ただ寝たっきりでいるのは辛いんじゃないのかなぁ~とかよく考えています。
きっと、こういう時はこんなふうに考えるのかな…なんて思いのままにまとめてみました。
相手の立場にたって考えるのは大事な事で
それは弱者に対してではなく、誰に対してもそうだと思います。
自分の事を気に掛けてくれる人がいるのは幸せですよね。
最初は自分の為の介護だったような気がします。
でも年数が経ってくると、相手の事を見る余裕が出来てくるのかもしれませんね。
私も時おり、そういう事を感じたりします。
主治医が言うように、まるっきり分からないわけではないと思うんです。
声をかけると見るし、食べ物も食べたい時とそうでない時と
オムツを取り替えるときは腰をあげてくれるし
爪を切ろうとすると嫌がるし…きっと分かる部分もあるのだと思います。
そう思うと、ただ寝て過ごす事の辛さもあるんだろうなぁ~なんて考えますね。
まぁ しょうがない事なんでしょうけど…。
うちのばぁちゃんも、何度か入院生活を送ったことがあり
そのたびに覚悟しといてください!って言われて
もしもの時に延命処置…云々と話がありましたが
出来ればしない方が良いかなぁ~
自然のままにと思ってるんですけど。
tyakomamaさんも頑張ってましたよね。
生前ディへ送っていったりとか…ありましたね。
認知もなく、年相応に生きてこれたのもtyakomamaさんのおかげかなぁ~なんて思ってます。
ポックリでもなく、かと言ってそんなに人の手も煩わす事もなく…そういうのが理想なのかもしれませんね。
>自分を大事にしてくださいよ
はーい、シッカリ食べてシッカリ寝て遊んでストレスを溜めないように頑張ります(^^)v
そんな風におばあちゃまのことを考えてあげることができたかしら。
もしも私が寝たきりになったら・・・考えるのも怖いけど
自分ではどうすることもできないのでしょうね。
ケースはちょっと違いますが、前に観た「海を飛ぶ夢」という映画を思い出しました。
海で頭を打った若者が、首から下が付随になってしまい、誰かの支え無しでは生きられない。
長い(確か20年以上)寝たきりの生活で、尊厳死を望むようになる・・・というお話でしたが、
彼が望む尊厳死を支援する人、反対する人、生と死について考えさせられる映画でした。
その時、尊厳って何だろうと思いました。
寝たきりの人には尊厳がないのだろうか・・・
生が与えられたものなら、死も与えられるもの。
限りある命を生きているからには、ありのままを受け止めなければいけないのかなと。
「変身」の主人公も虫になった自分を享受するしかなかったわけだし。
とっても不条理なことだけれど・・・
そういえば「変身」はとても不条理なお話でしたね。虫になった彼が死んでしまって
めでたしめでたしみたいな終わり方をしていましたよね。
何も感じられない状態であったほうが・・・
どうなんでしょう・・・
毎日身の回りのあらゆることで向き合っていらっしゃるから、もしかしておばあちゃんの頭が正常に働いているかも?だとしたら・・・本当の心の内はどうなんだろう~。。。と思いやって上げられるのでしょうね。
そして、それをわが身に置き換えてみたら・・・と。
私も毎日、殆どテレビの前で座っているかベットで横になっている父を見ていると、
特に何に興味を持つわけでもなくて、ぼんやり過ごす一日が長く感じないのかな?とか、
こんな暮らし方に不満の一言も言わず、ただ座っている父の気持ちを量りかねています。
自分も同じ年齢に達した頃には、こんな風になるのかな?なりたくないな、とか考えます。
もっとも、その年齢まで生きて居られればですけどね。
たとえ認知症であっても、自分に対する優しい気持ちを持ってくれている相手、自分が心を許せる相手の事は判っていると言いますよね。
pochikoさん、毎日お忙しいでしょうけど、気分転換を上手く取りながら、ガンバッです。
何れやって来るだろう介護の日々に不安だらけの私、でも、やるっきゃない!と思っています。
弟も今年退職して一緒に母を介護するんだと
母の精神年齢は2歳ぐらいだろうと言われ
僕達兄弟の母だから僕達が見るんだと、妻や
病院には頼めないとかわいそうで、痴呆で僕達が解からないのならともかく まだ僕の事がわかるんですと話されました こんな方もおられるんだなと、胸が熱くなりました
それもかなり高級なコートを着られた紳士でした 田舎の家に着くと僕にお母さんを大事にしてくださいねと、言われ、小さな集落5~6軒しかない家の一軒の入られました
きっと良い母親だったのでしょうね
思わず 家を少し見ていました
認知症も動けて活発な人の家族の苦労を聞きました。神戸からパジャマ姿で東京駅まで行ってしまって迎えに行ったのは序の口とか言っていました。
しかし動けない人の介護もpochikoさんをみていますと、これまた大変ですね。
>まるでカフカの『変身』を地でいってるようなもので…。
本当にそうですね。この話も難しかったけれども、この状態にあまりにもぴったりです。
自分がもしお義母さんの状態になったら、何か思ったところで、書いていらっしゃっるように何も訴えるすべがないのですね。
pochikoさんの温かさが伝わってきた今日のブログでした。
不覚にも、知りませんでした。
どこ、どこ教えて、お願い。
健康な人でも笑っていても、心の中では泣いているかもしれないように、
どんな人にも当人の気持ちはわかりませんね。
ただ言えるのは、自分の立場を相手に置き換え
「想像」してみるっていうのはすごく大事で、
思いやりの原点に思います。
昔、私のことを気にかけてくれる人がいました。
「そんなぁ、私は元気、だいじょうぶ」って答えました。
最近、思うんです。
もし私がその人の立場なら、心配しないでというより、
安心できる行動をし、心配事を取り除いて、お心を軽くすることだと。
pochikoさんのそういうおばあちゃんへの想いは素晴らしいと思います。
想うとは相手の心と書くんですね。
そりゃ、お辛いとは思いますが、すごく救われていると思います。
毎日、できることじゃないっですもの。
私は信仰はないんですが、
仏教に興味があります。
仏様の教えは一人称だということにひかれます。
あなたのことを私と置き換え見る、
他人との比較はしない・・・そういうところが好きです。
家の中心にベッドを置いてもらい、口は利けなかったけれど、何件先の柿の木にいくつ実がついたかまで知っていました。
頭はしっかりしていました・・
おばあさまの立場から考えた。。
お優しいですね。
私は逆の立場からこんなに具体的に考えたことがなかった。。
ちょっとショックでした。
はぁ・・・つらいわねぇ。
誰にも最後はくるのよねぇ。。。
こんな風に考えられるpochikoさん、最高の介護士だと思います。
私もじい様のおばさんを、2ヶ月全身チュウブでつながれたのを見取りました。意識もなく、機械の音と、酸素のブクブクという音を聞いていると、本人は何も知らないままつながれていて、どうなんだろう、機械を止めて、楽にしてあげたほうがなんて考えました。
認知症、できればならないで、スイッチが切れるように逝きたいね。
我が家のばば様は、体は不自由だったけど、つかまったり、這ったりしながら、口は人より達者、食は少なくも日に3度は食べた。娘には、言いたいことを言って、じい様がなことも有ったり、私がもあったりしたけど、年齢から来る、物忘れが多くなった程度で、寝たきりにもならず、まあまあの人生ではなかったかなーと思います。
pochikoさんは、返事の返ってこない生活、長いこと大変ですね。自分を大事にしてくださいよ。