もうすぐクラス会があるということで、幹事の男の子が前回のクラス会の写真を送ってくれた。
誰が誰だかさっぱり分からん。。。(+o+)
私は高校生活にあまり思い入れがなかったのか、卒業してからもほとんど思い出すことはなかった。
いや。
高校に限らず中学も大学も学生時代のことを懐かしむ習慣がない。
小学校や幼稚園はいじめられていたので、思い出したくもない。
あんなに写真をたくさん撮った、kekeの小さい頃のことさえ懐かしむことがない。(それとも離婚しなければ笑って懐かしむこともあったのだろうか??)
いつも今その時で精いっぱいだ。(脳が動物的なのかもしれぬ)
だから写真を見ても誰が誰だかサッパリ分からず、じっくり見つめて5人ぐらいまではどうにか分かったがそれ以外は分からなかった。(また分かった所でだからどうなると言うものでもないと思われた。)幹事の男の子に分からないと送ると、全員の名前を教えてくれた。
失礼ながら、幹事の子がどこに写っているのかさえも分からなかった。
それでも改めて顔を覚えようとしていないので、たぶん当日も分からないだろう。
私自身もクラスで目立たない存在だったので、皆覚えていないだろう。
いちいち「お宅はどちら様ですか」と尋ねることになるだろう。
ほぼ、初対面に近い集まりである。
そして写真を見て、女子みんなの服装が自分の服とはどこか違うような気がしてきた。
そうは思いたくないが、何となくどこか、違う。
あまり友達がいないから、同世代の女性がどんな服を着ているのか知らなかった。
誰も覚えていない、行っても「空気」で終わるだろう自分がわざわざこの日のために服を準備することもないはずなのだが、やはり気になる。
一応服を見に行くことにした。電車を乗り継いで某街まで行くことにした。
最初に入った店舗は若い人の服っぽいが値段も妥当だ。
「これイイナ」と思う服を見ると試着させてもらうが、鏡を見るとよくない。
マネキンが来てるとカッコイイ服でも私が着ると横に伸びるからであると気がつく。
年に何回か「やせたい」とゆるく(真剣にではない)思うのは決まってこのシチュエーションである。ともかく痩せてさえいればどんな服でもそこそこ着こなせるのではないだろうか。
哀しい。
次に年齢的に相応かも思われるデパートに行く。(高いのを知っているので最初から買う気はあまりない)
サマーセーターを見ているとお兄さんがやってきた。これはここのデザインこうで、素材が何でと教えてくれる。タダなので試着だけしてみることが多いのだが、この兄さんの売り込み方がキョーレツなのでここでは袖も通さずやめる。
あちこち歩きながら、ココシャネルさんは晩年は服をあまり持ってなかったと言うことを思い出した。(記憶が定かでないのでもしかしたら間違いかもしれません。)私のかすかな記憶では一番似合う同じ型のスーツを着る事しかなかったのではなかったか。
私ももはやそれでいいのだ。
自分の体形、好きな色合い、そんなものを組み合わせて「これがsakeさんの服」と言うものがあれば、とっかえひっかえ着る必要はない。それをずっと大切にしたい。
数は要らないが、自分の似合う服が1着ほしい。
しかしそれが分からない。探しても手に取るのは自分が着ると横に伸びる服ばかり。
運命の赤い糸で結ばれた相手も、もしかしたら似たようなものなのではないのだろうか。
とっかえひっかえする必要はもうないのに、相手がみつからない。
服も人間も、これこそ私の!と思うものは簡単には手に入らないのだ。そしてそれを一生探し続けるのだろうか。
最後に駅について、駅がまたまどろっこしく、どこが改札口方面なのか分からない。
最後に服屋があるので、また冷やかしで試着させてもらった。イタリア人の風の外人店長が「このヨウフクは下もハズセルヨ」などとやたら愛想がいい。
でもやはり買わずに改札口に向かう。
そして電車にゴトゴト揺られながら帰る。
もう気にしない。いつもの服でクラス会に行こう。
着て行くジャケットはこれにしようと思う。
2年前に買ったスプリングコートもあるんだけど、スプリングコートだと中で脱がねばならない。下に着るのはこれまた8年前に買ったヨレヨレのニットしかないのだ。今日はそのニットの代わりを買いたかったが、どれを着ても横に伸びるばかりなので諦めた。
ジャケットも検索すると9年前に買ったようだが、これだったら着たままで良さそうなので下に何を着てもごまかせる。
そんなことを考えながら家に帰る手前で気がついた。
傘が無い!!
傘を置き忘れたのである。
どこだ。
買う気もないのに試着ばかりしていたので、バチがあったったのか!
でも傘を試着室の脇に置いた記憶は何回もある。たぶん最後のイタリヤ風店だろう。
今から行くのか?あそこまで。電車代もバカにならない。
それで傘が買えるじゃないか。
でもあの傘は妹から去年の誕生日にもらったプレゼントだったのだ。
どーして、100均の傘にしなかったのか!
今日の座右の銘
「服を見に行く時はこれからは100円の傘にすること。又はスイカに”傘!”とフセンをセロハンテープでしっかり貼っておく」
妹からの傘である。
行ってもなければ諦めがつく。行かなければ一生このままだ。
kekeに「傘を探しにまた行ってくる」と言って出て行った。電車代がもったいないから今度は車である。首都高は金がかかる。高速に上がらねば時間はかかるだろうが後悔には代えられない。
駅近辺には駐車場が少ないしデパートも満車だったが、どうにか入れる駐車場があった。
駅まで走る。
あの店になかったら、次はどこを探そうか。
イタリヤ人の店に行き「さっき試着したのですが傘を忘れました」と言うと、スッと取り出してくれた。
「ありがとうございます」とありったけのお礼をいったが、彼の顔は露骨に無愛想だった。
それでもイイ!
どうでもイイ!
傘が戻ってきたのだ。神様に感謝。
駐車代400円で。
家に帰るのはクタクタ8時を過ぎ、私は今日何をやっていたのだろう。
kekeはもう仕事に出てていない。
誰が誰だかさっぱり分からん。。。(+o+)
私は高校生活にあまり思い入れがなかったのか、卒業してからもほとんど思い出すことはなかった。
いや。
高校に限らず中学も大学も学生時代のことを懐かしむ習慣がない。
小学校や幼稚園はいじめられていたので、思い出したくもない。
あんなに写真をたくさん撮った、kekeの小さい頃のことさえ懐かしむことがない。(それとも離婚しなければ笑って懐かしむこともあったのだろうか??)
いつも今その時で精いっぱいだ。(脳が動物的なのかもしれぬ)
だから写真を見ても誰が誰だかサッパリ分からず、じっくり見つめて5人ぐらいまではどうにか分かったがそれ以外は分からなかった。(また分かった所でだからどうなると言うものでもないと思われた。)幹事の男の子に分からないと送ると、全員の名前を教えてくれた。
失礼ながら、幹事の子がどこに写っているのかさえも分からなかった。
それでも改めて顔を覚えようとしていないので、たぶん当日も分からないだろう。
私自身もクラスで目立たない存在だったので、皆覚えていないだろう。
いちいち「お宅はどちら様ですか」と尋ねることになるだろう。
ほぼ、初対面に近い集まりである。
そして写真を見て、女子みんなの服装が自分の服とはどこか違うような気がしてきた。
そうは思いたくないが、何となくどこか、違う。
あまり友達がいないから、同世代の女性がどんな服を着ているのか知らなかった。
誰も覚えていない、行っても「空気」で終わるだろう自分がわざわざこの日のために服を準備することもないはずなのだが、やはり気になる。
一応服を見に行くことにした。電車を乗り継いで某街まで行くことにした。
最初に入った店舗は若い人の服っぽいが値段も妥当だ。
「これイイナ」と思う服を見ると試着させてもらうが、鏡を見るとよくない。
マネキンが来てるとカッコイイ服でも私が着ると横に伸びるからであると気がつく。
年に何回か「やせたい」とゆるく(真剣にではない)思うのは決まってこのシチュエーションである。ともかく痩せてさえいればどんな服でもそこそこ着こなせるのではないだろうか。
哀しい。
次に年齢的に相応かも思われるデパートに行く。(高いのを知っているので最初から買う気はあまりない)
サマーセーターを見ているとお兄さんがやってきた。これはここのデザインこうで、素材が何でと教えてくれる。タダなので試着だけしてみることが多いのだが、この兄さんの売り込み方がキョーレツなのでここでは袖も通さずやめる。
あちこち歩きながら、ココシャネルさんは晩年は服をあまり持ってなかったと言うことを思い出した。(記憶が定かでないのでもしかしたら間違いかもしれません。)私のかすかな記憶では一番似合う同じ型のスーツを着る事しかなかったのではなかったか。
私ももはやそれでいいのだ。
自分の体形、好きな色合い、そんなものを組み合わせて「これがsakeさんの服」と言うものがあれば、とっかえひっかえ着る必要はない。それをずっと大切にしたい。
数は要らないが、自分の似合う服が1着ほしい。
しかしそれが分からない。探しても手に取るのは自分が着ると横に伸びる服ばかり。
運命の赤い糸で結ばれた相手も、もしかしたら似たようなものなのではないのだろうか。
とっかえひっかえする必要はもうないのに、相手がみつからない。
服も人間も、これこそ私の!と思うものは簡単には手に入らないのだ。そしてそれを一生探し続けるのだろうか。
最後に駅について、駅がまたまどろっこしく、どこが改札口方面なのか分からない。
最後に服屋があるので、また冷やかしで試着させてもらった。イタリア人の風の外人店長が「このヨウフクは下もハズセルヨ」などとやたら愛想がいい。
でもやはり買わずに改札口に向かう。
そして電車にゴトゴト揺られながら帰る。
もう気にしない。いつもの服でクラス会に行こう。
着て行くジャケットはこれにしようと思う。
2年前に買ったスプリングコートもあるんだけど、スプリングコートだと中で脱がねばならない。下に着るのはこれまた8年前に買ったヨレヨレのニットしかないのだ。今日はそのニットの代わりを買いたかったが、どれを着ても横に伸びるばかりなので諦めた。
ジャケットも検索すると9年前に買ったようだが、これだったら着たままで良さそうなので下に何を着てもごまかせる。
そんなことを考えながら家に帰る手前で気がついた。
傘が無い!!
傘を置き忘れたのである。
どこだ。
買う気もないのに試着ばかりしていたので、バチがあったったのか!
でも傘を試着室の脇に置いた記憶は何回もある。たぶん最後のイタリヤ風店だろう。
今から行くのか?あそこまで。電車代もバカにならない。
それで傘が買えるじゃないか。
でもあの傘は妹から去年の誕生日にもらったプレゼントだったのだ。
どーして、100均の傘にしなかったのか!
今日の座右の銘
「服を見に行く時はこれからは100円の傘にすること。又はスイカに”傘!”とフセンをセロハンテープでしっかり貼っておく」
妹からの傘である。
行ってもなければ諦めがつく。行かなければ一生このままだ。
kekeに「傘を探しにまた行ってくる」と言って出て行った。電車代がもったいないから今度は車である。首都高は金がかかる。高速に上がらねば時間はかかるだろうが後悔には代えられない。
駅近辺には駐車場が少ないしデパートも満車だったが、どうにか入れる駐車場があった。
駅まで走る。
あの店になかったら、次はどこを探そうか。
イタリヤ人の店に行き「さっき試着したのですが傘を忘れました」と言うと、スッと取り出してくれた。
「ありがとうございます」とありったけのお礼をいったが、彼の顔は露骨に無愛想だった。
それでもイイ!
どうでもイイ!
傘が戻ってきたのだ。神様に感謝。
駐車代400円で。
家に帰るのはクタクタ8時を過ぎ、私は今日何をやっていたのだろう。
kekeはもう仕事に出てていない。