津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

高橋由一の絵

2009-10-07 11:12:43 | 徒然
 「愛宕山」をキーワードにぐぐっていたら、横浜美術館が収蔵している高橋由一の「愛宕山より品川沖をのぞむ」という絵に行き着いた。
    www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_442/atagoyama.html
1877年(明治十年)に書かれたとあるが、江戸末期の風景とそうかわるものではないのだろう。納得しながらもしやとひらめいた。あの「干し鮭」を書いたのが高橋由一ではなかったか・・・? ウィキペディアで調べると間違いない、「鮭」が本当の作品名で写真が紹介されている。いろいろ調べていると、上記二つの作品が同じ時期にかかれていることが判る。東京藝術大学が収蔵しているらしく、そちらのサイトを眺めてみた。
    http://db.am.geidai.ac.jp/object.cgi?id=4126
こういう状況で作品を見ると、まるで板に書き込まれているような錯覚をしてしまう。
この作品が重要文化財であることは今回知ったのだが、作品自体に興味をもったのは数年前あるエッセイを読んでのことである。(息子達の美術の教科書で見たような気もする)

 昨晩はそのエッセイを探し出すのに一時間ほどを費やした。「86年度ベストエッセイ集」にそれはあった。東京大学教授・芳賀徹氏の 『鮭』の画家高橋由一 その文化史的背景 である。改めて読み直すと、まったく熟読していなかった事に唖然とした。
高橋由一について詳しく紹介されているし、季語ともなっている「乾鮭」についての論考があった。数種の俳句も紹介されているのだが、そんなことさえ覚えていない。しかし、うろ覚えの からざけの帯刀殿の台所 がここに記されているところを見ると、此の文章を読んで覚えたのだろう。

 荒縄でくくられて吊り下げられている一匹の「鮭」が、見る人の五感を揺さぶっている。それは最後に紹介されている正岡子規の 乾鮭の切り口赤き厨かな が、まさにこの絵を解説している。

 よい秋の夜長を過した。
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細川家家臣・・長塩氏

2009-10-07 08:47:23 | 歴史
 当方「新・肥後細川家侍帳」には、長塩清右衛門を祖とする「長塩家」が三軒記されている。召出しは綱利代と下るが、古くは細川京兆家の家臣であったようだ。清右衛門の祖父・長塩阿波守は、阿波国中之郡の領主だとされ、足利義輝に殉死したとされている。

良峰(良岑)流の長塩氏の家紋は、「丸に上文字」紋だとする資料があるが、細川家家臣・長塩氏の家紋は「上」の文字が左右にひっくりかえっている。まずは桓武天皇まで遡る長塩氏の末裔と考えてよいだろう。

長塩清一郎家・・四百石、長塩新兵衛家・・四百石、長塩平格家・・二百五十石、この三家が揃って明治に至った。
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