津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家家臣・西郡氏

2009-10-02 22:19:28 | 歴史
西郡家は丹後以来の家筋である。

■西郡大炊介・清忠、清忍(刑部) 
   岐阜戦功吟味--与一郎様御意御傍ニ居申候衆(綿考輯録)
   西郡大炊 清忠、天正年中於丹後被召出五百石、鉄砲三十挺頭、勢州亀山城攻の
   戦功五百石、岐阜・関ヶ原・福智山の戦功によつて千石加増、都合二千石、御小姓
   頭御番頭、多分大炊と云違るとて刑部と改候
   大炊二男西郡要人家督相続、大炊か嫡子(長左衛門)ハ若き時病身有之候由、後
   に別禄百五十石被下、今の又右衛門か祖なり
     (1)馬廻組三番 丹後 八百石 (於豊前小倉御侍帳)・・刑部  
     (2)刑部少 御馬廻衆・添頭 八百石 (肥後御入国宿割帳) 

■西郡刑部少輔 (要人佐)
   初め長次郎。西郡大炊助清忠二男。慶長十八年父の歿後、兄長左衛門病なるによ
   り家督、知行五百石。馬廻組。寛永元年頃刑部少輔に改む。のち三百石加増。
   肥後入国の後二百石加増、都合千石。要人佐に改む。寛永十六年より廿年迄奉行
   を勤め、廿年三月十六日千石加増、すべて二千石。承應三年歿。
   要人死後断絶、子供様子有之他国いたし候由
                           (先祖附・豊前御侍帳・相談帳)
      寛文期 番頭(肥後藩主要役職員--肥後讀史総覧)
      人持衆・五番組頭 二千石     (真源院様御代御侍名附)
                           (真源院様御代御侍免撫帳)
 
■細川家家臣・西郡家は大炊介の長男の血筋である。代々百五十石を禄して明治に至った。
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  長左衛門--十右衛門--角右衛門--丹七--十右衛門--吟次--又右衛門--直衛--長左衛門(淳平)
  六代・吟次は、安永六年から寛政三年まで各地の郡代を勤めた。 
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細川家家臣・安富氏

2009-10-02 17:22:10 | 歴史
 確たる証拠が無いのだが、讃岐の安富氏の流れではないかと思っている。しかしながら讃岐の安富氏は「丸に石畳紋」である。
こちらはといえば、なんとも羨ましい美しい「揚羽蝶紋」である。こんな紋が家紋であれば、紋付羽織の一つも作りたくなることだろう。
安富氏は紀氏とも源氏ともいうが、この揚羽蝶紋は平氏のものだと良く聞くが・・・?
古くは細川家(吉兆家)と係わりがあった安富氏だから、近世細川氏に召し出されても何の不思議もないのだが。

 安富氏は代々替わることない、家禄四百石の家柄である。「召し出しは由緒ある家で三百石」と云ったのは忠利であったろうと思うが、だとすれば四百石の安富氏もそうだろうという、単純な発想である。

 天草島原の乱に於いては、岩越惣右衛門与で活躍する安富十右衛門の名前が見える。武門の家か、御側弓頭等を勤めた家である。
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