津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

菊池雄星くんの御先祖

2009-10-28 15:37:22 | 熊本
 今年のドラフトの目玉、花巻東高の菊池雄星君は、ご先祖をたどれば菊池一族の後胤であることは間違いなかろうと、密かに思っている。いわゆる陸奥菊池氏の一族であろう。家紋はどちらだろうかと考えたりしている。
           ja.wikipedia.org/wiki/菊池氏
 地元菊池市はどう思っているか知らないが、これは応援しなければまずいだろう。まずは菊池神社の御守りを贈って、怪我などしないように祈らなければならない。イチロー並みの大スターになって欲しいものだ。まずは日本の野球界に身を置くことを決意したこと、何所のチームでも良いという潔さがなんとも嬉しいではないか。そして名前が「雄星」とは、まさにスターに成ることが約束されているようなものだ。ドラフトが楽しみである。

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安永二年重賢公御参勤

2009-10-28 13:51:30 | 歴史
 安永二年重賢公は参勤の年である。発駕は二月廿七日、鶴崎着は三月朔日、海路はあいにく悪天候に見舞われ都合九日ほど足止めを余儀なくされている。四月八日白金邸に御入、旅程41日の長い旅であった。

■二月廿七日 五時熊本御発駕 八時大津御着 (御放鷹)
■同  廿八日 五時大津御発駕 的石御休-(御放鷹) 七半時内牧着
■同  廿九日 五時内牧御発駕 坂梨御休-(御放鷹) 夜五時半久住着
■同 晦日  五時久住御発駕 七半野津原着
■閏三月朔日 五時野津原御発駕 九半鶴崎御茶屋着 (御放鷹)
■同   二日 夕七半被遊御乗船
■同   三日 五半鶴崎御出帆 九半豊州深江御船繋 行程五里
■同   四日~十日 風悪敷御滞船 (七日・九日木下左衛門様御茶屋江被為入)
■同  十一日 暁八時深江御出帆 七時半竹田津御船繋 行程十七里
■同  十二日~十三日 疾風雨御滞船
■同  十四日 四時半竹田津御出帆 暮前防州上ノ関御船繋 舟行十五里
■同  十五日 九時上ノ関御出船 暮前加室御船繋 舟行七里
         bun.dokidoki.ne.jp/users/jr5epq/mikame/simodomari2.html
■同  十六日 六半加室御出船 夜四時芸州御手洗御舟繋 海上十九里
         www.yutaka-kanko.jp/mitarai.html 
■同  十七日 六半御手洗御出船 夜五時過備後白石御舟繋 海上十八里
         www.pref.okayama.jp/kikaku/chishin/ritou/16shiraishijima/index.html
■同  十八日 六半白石御出船 平島ニ暫汐繋 暮時分備前牛窓御舟繋 海上十七里
         www.ushimado.info
■同  十九日 八半牛窓御出帆 昼八時播州御着船 御本陣名村左大夫所着
                                       細川家家臣:播州室津御宿100石
         kobe-mari.maxs.jp/tatsuno/murotsu.htm
■同  廿日  五時室御発駕(これより陸路)御昼休・姫路 暮前・加子川
         kaidoaruki.com/area_chugoku/sanyodo/sanyoudo03.html
■同  廿一日 五時半加子川御発駕 御昼休・大蔵台 七半兵庫着
■同  廿二日 六時兵庫御発駕 西宮御休 七時大坂着
■同  廿三日 (御家中・諸町人御礼等例之通)今晩淀川船ニ被遊御乗船
■同  廿四日 夕八半伏見御着船 (京都・伏見詰之御礼被為受・・その他)
■同  廿五日 六時伏見御発駕 京都御会所へ被為入(諸用)四半御立
          御休・大津 御宿・守山 十一里
         ja.wikipedia.org/wiki/守山宿
         n-minoji.hp.infoseek.co.jp/moriyama.htm
■同  廿六日 六半守山御発駕 武佐御休 暮前醒井御止宿
         n-minoji.hp.infoseek.co.jp/musa.htm
         www2a.biglobe.ne.jp/~marusan/phsamegai1.html
■同  廿七日 五時醒井御発駕 今須御休 七前墨俣御止宿
■同  廿八日 五時墨俣御発駕 清須御休 七半宮御止宿
■同  廿九日 六時宮御発駕 御昼休大濱 暮比御油着 十ニり半丁
■四月朔日   六半御油御発駕 荒井御休 七半浜松着 十一里余
■同   二日 五時浜松御発駕 見付御休 七半過日坂着 十り余 
■同   三日 五時日坂御発駕 嶋田御休 七時過丸子着 八里半十六丁(大井川越)
■同   四日 五時(丸子)御発駕 江尻御休 七時蒲原御止宿 (安倍川越)
■同   五日 五時蒲原御発駕 御休吉原 八半三島着
■同   六日 六時前三島御発駕 箱根御休 暮過大磯御止宿
■同   七日 五時大磯御発駕 藤沢御休 五半河崎御止宿
■同   八日 五時河崎御発駕 四半過白金御屋舗ニ御着 (御老中様方御廻勤)


     中仙道 http://n-minoji.hp.infoseek.co.jp/index.html
     東海道 ja.wikipedia.org/wiki/東海道五十三次

10/28一部訂正:安永元年二月廿九日竜口邸は、目黒行人坂より出火した火災により類焼。
     完成は安政二年十一月であり、白金邸に入られた。



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細川家家臣・竹田津氏

2009-10-28 10:42:22 | 歴史
 
 細川公が参勤の際、豊前の竹田津から出航されることがある。防州の上の関まで舟行十五里とある。記録には「帆或押舟」等の文字がみえ、海路の旅も数隻の舟が取り巻きながら、押したり曳いたりしての事で在ったようだ。

 主題からいささか脱線したが、この竹田津に在ったのが竹田津氏である。
大友氏の没落後、豊前に在った人たちが多く細川家に仕えた。
竹田津氏もその一人である。詳細はサイト「武家家伝」に詳しい。
              www2.harimaya.com/sengoku/html/takedatu.html
「肥陽諸士鑑」には次の記録がある。
    1代、野添弥五右衛門
    2代、竹田津儀右衛門(後・忠助)
    3代、    次左衛門(養子)百五十石 
                   御馬方馬医・御馬方支配 屋敷・内坪井

 これ以降の記録がなく、絶家したのであろうか。

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