熊本市に隣接して、人口36,000人弱の菊陽町がある。急激な人口増と都市化が進んでいる。そんな中に、JR豊肥線に並行するように走る豊後街道(旧国道57号線)の三里木から北に折れると、細川家の鉄炮衆が住まいした鉄砲小路という集落がある。現在もその子孫の方々が多く住んでおられるがその町並みが素晴らしく、多くの人を魅了している。(素晴らしいサイトを御覧下さい)
文書には「大津(大津新所・鉄砲町)」等と表記されている。
【鉄砲小路】 http://fureainosato.net/teppookoji.html
【場所】 http://www.kikuyou.hinokuni-net.jp/
http://fureainosato.net/teppou-map.html
この鉄炮衆は「地筒」と呼ばれ、郡方ではなく掃除方の支配下におかれたいわゆる農兵である。「大津」は寛永十二年正月に設置され、100人がこれに属したとされる。外様足軽格とされ、勤方は御城内御作事所御用とされ、月の「四の日」には訓練等に参加した。天草島原の乱や、幕末の小倉出兵にも参加している。
これら「地筒」のご子孫がこの集落を維持管理され、素晴らしい景観を残しておられる。地域社会の連帯が崩壊していく昨今、素晴らしい教訓を与えてくれる集落であり、ぜひともお尋ねいただきたい場所である。
文書には「大津(大津新所・鉄砲町)」等と表記されている。
【鉄砲小路】 http://fureainosato.net/teppookoji.html
【場所】 http://www.kikuyou.hinokuni-net.jp/
http://fureainosato.net/teppou-map.html
この鉄炮衆は「地筒」と呼ばれ、郡方ではなく掃除方の支配下におかれたいわゆる農兵である。「大津」は寛永十二年正月に設置され、100人がこれに属したとされる。外様足軽格とされ、勤方は御城内御作事所御用とされ、月の「四の日」には訓練等に参加した。天草島原の乱や、幕末の小倉出兵にも参加している。
これら「地筒」のご子孫がこの集落を維持管理され、素晴らしい景観を残しておられる。地域社会の連帯が崩壊していく昨今、素晴らしい教訓を与えてくれる集落であり、ぜひともお尋ねいただきたい場所である。