水仙の花が咲くと死んだ母を想います。
命名の墨の香ほのと春立ちぬ
二男が生まれたときの作です。37年たちました・・独身です・・
生きよとて胸のうちなる嵐かな
人生思いがけない事に遭遇します。祈るばかりの最近です。
孫のゆびの先なる枝の初音かな
実は今年はまだホーホケキョを聞いていません・・
芹の香をめであと一椀を所望する
芹ごはんは私の大好物です。今年も度々いただいています。
ゆび栞してうたた寝や春の風
今日の作です。本を読んでいてついうとうとしてしまいました。
四月六日二條ノ屋形造營畢リテ義昭移徒シ翌日祝ノ散樂アリ五月信長岐阜へ歸城ス
六月義昭権大納言ニ任シ従三位ニ叙セラレ参内ノ規式厳重ナリ藤孝モ随従ス
元亀元年庚午六月信長浅井長政・朝倉義景ト江州姉川ニテ合戦ノ催アリ 将軍家助勢有ヘシ
トテ藤孝へ畿内江州ノ豪族浪人等ヲカリ催スヘキ旨命セル 義昭進發ノヨシヲ觸レ三上兵庫頭
輝房ヲシテ催促ノ面々ニ書ヲ賜ハリ藤孝ヨリモ書ヲ添ル コレニ依テ佐々木・京極・朽木等ヲ初
メ軍勢ヲ催シ進發有ヘキ筈ノ處江州ノ軍散シケレハ其事止ヌ 廿八日信長徳川家康ト両旗ニテ
浅井朝倉ト姉川ニテ合戦アリ 浅井朝倉敗軍シケレハ七月六日信長上洛シ姉川ノヲ将軍家
へ獻シ岐阜へ歸ル
八月三好笑岩・同釣垂攝州ニ蜂起シ野田ノ要害楯籠リ三好備中守政久・同式部入道為三・同
新左衛門長徳・東條紀伊守頼長・篠原玄蕃允・奈良但馬守・岩成主税介古通等七千餘人ニテ
馳加ル 安宅武蔵守・同甚太郎・齋藤龍興・長井隼人興重等五十餘福嶋ノ城ヲ守リ逆意ヲ震
フ 信長ハ廿日岐阜ヲ發シ廿八日攝州ニ至リ所々放火シ九月三日義昭京ヲ進發セラレテ攝州
中嶋ニ着陳アリ 信長ハ天満森ニ陳取十二日義昭浦江ノ古城ニ入ル 藤孝・三淵・上野・一色・
仁木・大館・沼田等随従ス 信長ハ川口二向ヒ城ヲ築キ平手監物清澄・佐々内蔵助成政ヲシテ
守ラシム 信長モ本陳ヲ寄セ諸勢段々ニ仕寄攻近ク敵方ニハ紀州根来寺雑賀ノ一揆本願寺ノ
門主モ三好勢ニ加ハリ大ニ勢ヲ震フ 十四日ヨリ稠敷鉄炮ヲ發チ掛廿日殊ニセリ合ヒ強ク信長
ノ兵利ヲ失ヒ引返ス 義昭モ共ニ危ク見ヘケル處ニ藤孝ヲ初メ三淵・和田・一色ナト取テ返シ各
血戦シテ競ヒ来ル敵ヲ追退ケ義昭恙ナシ 信長モ危ナカリシニ前田又左衛門數多ノ敵ト戦ヒケ
ルユヘ難ナク引取タリ 斯テ猶對陳ノ處浅井・朝倉大軍ヲ卒シ宇佐山ノ城ヲ攻メ京へ亂入スヘ
キヨシ廿一日ノ夜聞へケレハ信長驚キ先ツ三好退治ヲ差置味方ノ城々ニ軍兵ヲ残シ江州ニ馳
向フ 義昭モ人數残シ歸洛アリ
十月廿一日高槻城主和田伊賀守将軍家暱近ノ衆ヲ語ラヒ一揆共ノ楯籠ル御牧ノ砦ヲ攻ムヘシ
トテ翌廿二日藤孝・一色式部少輔・和田伊賀守ト牒シ合未明ヨリ取懸テ攻崩ス
元亀二年辛未十月三好兵庫頭長勝・同式部入道為三・津田新太夫光房ヲ将トシ其勢四千餘ニ
テ江州動亂ノ隙ヲ伺ヒ攻上リ城州佳山ニ出張ス 依之将軍義昭ヨリ藤孝并三淵・二階堂等大津・
松本・洛中ノ諸浪人舊臣等ヲカリ催シ三千餘ニテ打向フ 又伊勢國長野ノ城主長野宮内大輔植
藤へ将軍ヨリ加勢ノ事命セラレシニ植藤病気ニ付一族細野壹岐守藤敦ヲ大将トシテ五百餘ニテ
馳加ハル 藤孝ハ佳山邊焼キ拂ヒ廿日早天ヨリ合戦アリ 互ニ苦戦シ二階堂駿河守討死三淵モ
深入シテ危カリシニ藤孝是ヲ助ケ横合ニカゝツテ突崩シ敵ヲ討取ル 藤孝ハ三上兵庫頭カ勇士
宇野孫七郎ト鑓ニテセリ合ケルカ宇野透間ナク突カゝリ藤孝カ鑓ヲ打折シユヘ刀二テ働キケルヲ
畑野壹野守小高キ所ヨリ見テ押隔テ横鑓ヲ入レ壹野守家老真柄伊右衛門持タル鑓ヲ藤孝へ與
ヘシカハ藤孝其鑓ヲオツトリ無二無三ニ突カゝリテ宇野ヲ突フセ首ヲ取ル 真柄カ差物ハ一間半
ノ棒ヲ漆ニテヌリ金ノ麾ヲ附ケルニ其時棒ヲ抜鞘ヲハツシタレハ大身ノ鑓ナリ其鑓ニテ相働ク 此
時石山ノ世尊院宥山ト云僧モ働アリ 三淵ト藤孝ハ鬨ヲアケ攻カゝレハ敵悉ク崩レ津田ハ討レ三
好ハ攝州サシテ敗走ス 藤孝并三淵ノ手ニ討取處ノ首三百餘ナリ 其夜藤孝細野カ方へ往テ今
日ノ事ヲ謝シ包永ノ脇差ヲ贈リ真柄ニハ金子ヲ遣セシナリ
興福寺ノ僧徒松永ニ心ヲ合セ南都ニ蜂起ス 将軍ヨリ討手トシテ藤孝并三淵ニ五百餘ヲ添テ差
向ラル 僧徒大和國多門ノ城ヲ出テ三所ニ備フ 依之下筋ハ渡邊小四郎中筋ハ津田與三郎上
筋ハ細野壹野守打向フ 興福寺ニ名ヲ得タル荒三位ト云フ悪僧鑓ヲ以テ十三人突伏セ細野ト鑓
ヲ合セ細野既ニ討ルへカリシニ藤孝十文字ノ鑓ニテカゝリ暫ク勝負ナカリシニ鑓ヲ弃テ荒三位ト引
組ミ抑ヘテ首ヲ取ル 猶進テ士卒ヲ励シ敵陳ヲ討破リ首百三十ヲ得タリ 夫ヨリ渡邊・津田・細野
モ一ツニナリ敵ヲ追立三淵手モ勝利ヲ得歸陳ノ上将軍感状ヲ両人ニ給ハリヌ
松永ニ與スル山城ノ諸浪人奥田三郎兵衛尉秀尚ヲ将トシテ上山城ノ内戸野ト云所ニ要害ヲ構へ
山田ノ城ト號ケ楯籠ル 将軍ヨリ藤孝并三淵・上野ニ命セラレ二千餘ニテ打向ヒ攻落ス 松井康
之ヲ始トシテ各働キアリ 細野ハ将軍ノ近習ニ有ケルカ俄ニ命ヲ受ケテ跡ヨリ駈付敵ヲ追崩ス
将軍ヨリ藤孝并三淵ニ感状ヲ與ヘラル
三年壬申此比三好義継・畠山昭高専ラ心ヲ将軍家ニ委ス 既ニシテ昭高義継ト睦カラス 松永久
秀父子共ニ義継ニ與シテ時節ヲ待處ニ昭高家老遊佐河内守政賢主人昭高ニ不快ヲ挟ミ遊佐カ家
臣等昭高ヲ滅サント欲シテ義継ヲ頼ミケレハ直ニ加勢ノ人數ヲ遣シ四月十五日昭高ヲ滅シ高屋城
ヲ取ル 松永モ是に助勢スルノ由聞ユ 信長上洛アリテ此由ヲ聞キ遊佐カ罪一日モ寛スへカラスト
テ柴田勝家・佐久間信盛ヲ大将トシテ軍勢ヲ差向ル 将軍ヨリモ藤孝并三淵ヲシテ助勢セシム
彼是三萬餘兵高屋城ヲ取圍テコレヲ取ル 藤孝カ手ニ討取ル首凡五十三級ナリ 三好義継ハ私ノ
意趣ニテ遊佐ニ加勢シ昭高ヲ討取ルノ由信長ノ不審ヲ蒙リケレハ義継ハ若江城松永久秀は和州
志貴城子息久通ハ同國多門城ニ籠リテ罪ヲ謝ス 八月信長ヨリ書ヲ以テ河内國遊佐ヲ討ヘキトノ
事申越ケレハ藤孝兵ヲ發シ遊佐ト河州正覺寺ニテ合戦ス 三好義継・同山城入道若江枚方ヨリ進
テ遊佐ヲ助ク 依之松井康之ニ遊佐ヲ抑へサセ藤孝ハ三好ト合戦シテ義継ヲ若江ニ追退ケ直ニ枚
方ニ至リテ山城入道カ要害ヲ取巻キ二日ニ夜手痛ク攻ケルユヘ三好方ノ茨木・三宅・高槻・大坂・
若江・全體寺・正覺寺・吹田等ヨリ各兵ヲ發シテ山城入道ニ後援ス 藤孝九月中旬ヨリ十一月末マ
テ攝州・河州ニ在陳シテ吹田・三宅・茨木等ノ諸城ヲ攻落ス