津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

大笑い

2010-03-21 15:59:27 | 歴史
 3/17(時慶記・第三巻を)「読み始めました」を書き、今日は早々に「時慶記に見る加藤清正&下津棒庵-慶長八年」UPしたのですが、二件とも先程消去しました。
読みながらデーターを書き写している内に、「おかしい」と気づきました。第三巻はとっくに読んでいて、このブログでも詳しく報告をしておりました。本の奥付の発行日「平成二十年」を完全に勘違いして、昨年出版と思い込んでの大ミスでした。(老耄が進化しています)

 言い訳では有りませんが、改めて詳しく読むと面白い事にも出くわします。
西洞院時慶の周辺に「ヤゝ」という女性に関する記述が度々登場しますが、どうも清正(加藤主計頭)や下津棒庵と何らかの関係があるらしい事が伺われるのです。ひょっとすると時慶の息子嫁なのではないかとも思われ、棒庵娘(?)とも考えたりしていますが、皆目手がかりが有りません。「判りました~~~!!」とご報告できることができればと思っています。
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幽齋公歿後四百年

2010-03-21 11:11:38 | 徒然
「細川家譜--細川藤孝譜」のUPは別段、「幽齋公歿後四百年」を意識したものではないが、タイミングとしては good だったかもしれない。現在「九州道の記」のUPを目論んでいる。歿後四百年にあたって、熊本では何の動きもなく淋しい思いをしていたら、熊本日日新聞が幽齋公に関してなにやら連載を始めるらしい。「細川家譜--細川藤孝譜」のUPを通じて随分勉強したつもりだから、どういうことになるのか大変興味深い。

 一年後にせまった九州新幹線全線開通だが、いろんな機会を捕えて花を添えて欲しい所だが、不景気もあろうけれども今一つ活気が感じられない。「幽齋公歿後四百年」などもよいタイミングだと思うのだが、熊本の人間には馴染みないのだろうか・・・歴史狂いの遠吠えかとふと思ったりして、砂を噛む思いである。
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