3/17(時慶記・第三巻を)「読み始めました」を書き、今日は早々に「時慶記に見る加藤清正&下津棒庵-慶長八年」UPしたのですが、二件とも先程消去しました。
読みながらデーターを書き写している内に、「おかしい」と気づきました。第三巻はとっくに読んでいて、このブログでも詳しく報告をしておりました。本の奥付の発行日「平成二十年」を完全に勘違いして、昨年出版と思い込んでの大ミスでした。(老耄が進化しています)
言い訳では有りませんが、改めて詳しく読むと面白い事にも出くわします。
西洞院時慶の周辺に「ヤゝ」という女性に関する記述が度々登場しますが、どうも清正(加藤主計頭)や下津棒庵と何らかの関係があるらしい事が伺われるのです。ひょっとすると時慶の息子嫁なのではないかとも思われ、棒庵娘(?)とも考えたりしていますが、皆目手がかりが有りません。「判りました~~~!!」とご報告できることができればと思っています。
読みながらデーターを書き写している内に、「おかしい」と気づきました。第三巻はとっくに読んでいて、このブログでも詳しく報告をしておりました。本の奥付の発行日「平成二十年」を完全に勘違いして、昨年出版と思い込んでの大ミスでした。(老耄が進化しています)
言い訳では有りませんが、改めて詳しく読むと面白い事にも出くわします。
西洞院時慶の周辺に「ヤゝ」という女性に関する記述が度々登場しますが、どうも清正(加藤主計頭)や下津棒庵と何らかの関係があるらしい事が伺われるのです。ひょっとすると時慶の息子嫁なのではないかとも思われ、棒庵娘(?)とも考えたりしていますが、皆目手がかりが有りません。「判りました~~~!!」とご報告できることができればと思っています。