石光真清の自伝的著「城下の人」に、パンの伊勢屋のことが書かれている。明治十三年横井小楠の一族がパン屋を開店したという。横井家は伊勢新九郎の末裔だというから、「伊勢屋」という屋号も尤もだと納得させられる。
「横井家は伊勢屋という看板をかかげて妙見社の前にパン製造販売業を開店した。この時代にパン屋は稀らしく熊本でも初めてのものであった。これには村の人たちもびっくりした。ふっくりと渦巻型に焼かれたパンが、店頭に並べてあるところは、いかにも美味しそうであるが、この頃の人には、ただ珍しいだけで店頭には見物人が一ぱいだが手を出す人がいなかった。私も一度も口にしないうちに商売にならず廃業してしまった」
横井家ではこの時期小楠も、甥の左平太も太平も既に亡い。私は横井家の動静には全く疎いのでこのパン屋が誰の手によって開かれたのか知る術もないが、さすが開けて居られる。「武士の商法」なのか、「時期尚早」だったのか・・・廃業されたようだ。
熊本のパン屋さんの第一号は、明治21年創業のMパンだとばかり思っていたが、小楠先生ご一族だとは・・・恐れ入りました!!
「横井家は伊勢屋という看板をかかげて妙見社の前にパン製造販売業を開店した。この時代にパン屋は稀らしく熊本でも初めてのものであった。これには村の人たちもびっくりした。ふっくりと渦巻型に焼かれたパンが、店頭に並べてあるところは、いかにも美味しそうであるが、この頃の人には、ただ珍しいだけで店頭には見物人が一ぱいだが手を出す人がいなかった。私も一度も口にしないうちに商売にならず廃業してしまった」
横井家ではこの時期小楠も、甥の左平太も太平も既に亡い。私は横井家の動静には全く疎いのでこのパン屋が誰の手によって開かれたのか知る術もないが、さすが開けて居られる。「武士の商法」なのか、「時期尚早」だったのか・・・廃業されたようだ。
熊本のパン屋さんの第一号は、明治21年創業のMパンだとばかり思っていたが、小楠先生ご一族だとは・・・恐れ入りました!!