津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

細川家譜--細川藤孝譜 ・・ 4

2010-03-11 18:32:27 | 細川家譜

十月朔日義昭信長ト共ニ大軍ヲ卒シ攝河ノ方へ進發セラル 藤孝モ相従フ 所々ノ城或ハ逃レ
或ハ降リ三好義継・松永久秀モ降参シテ其罪ヲ免サル 此時二至テ畿内治リシカ十五日義昭
歸洛藤孝先駆シ義昭ハ故細川氏綱ノ館ヲ假ノ座所トシ信長ハ清水寺ニ在テ洛中ノ法制ヲ定ム
十八日義昭参内アリテ征夷大将軍ニ補セラレ参議兼左近衛中将ニ任シ従四位下ニ叙セラル
此度将軍宣下ノ規式悉ク藤孝へ命セラル 米田求政モ此間ノ勤労ヲ賞セラレ従五位下ニ叙セ
ラレ壹岐守ト改ム 義昭ヨリ紋附ノ羽織采百石ヲ與ヘラル 廿二日假ノ屋形ニテ将軍宣下ノ祝ア
リ 観世金春ニ散樂申付ラレ今度粉骨ノ輩ニ見物ヲ許サル 此時久我通興ヨリ藤孝・和田伊賀
守惟政等ヲ以テ信長ニ副将軍カ管領職ヲ望ムヘシトアリケレ共辭退セリ 廿四日信長へ尚藤孝
并和田惟政ヲ使トシ感状ヲ給ハリ紋所ヲ免サル 此時織田氏正五位下ニ任セラル 弾正忠ト改
ラル 廿五日京ヲ立廿八日岐阜ニ歸城アリ 将軍家假ノ屋形細川氏綱ノ舊宅ハ分内セハク要
害アシケレハトテ座所ヲ六條本國寺ニ移サル

永禄十二年巳巳正月四日四國ノ三好山城入道笑岩・日向入道釣垂・下野入道釣閑其外一族
等兵ヲ發シ六條本國寺ニ寄来ル 松永モ是ニ興シ先手トナリテ攻寄ル 折節味方無勢ナリケル
共三淵大和守・細川右馬頭・野村越中守・明智十兵衛等ノ面々ヲ先トシテ各爰ヲ先途ト防戦ス
藤孝ハ青龍寺ニ於テ此ヨシテ聞キ沼田勘解由左衛門・青野因幡守・松井胃助・革嶋市助・志水
新丞・同悪兵衛・長須兵庫介・弓削三郎四郎・有吉将監等彼是貮百餘ニテ駈付ル 其外攝河江
ノ諸大将モ聞付々々馳上ル 三好義継モ三千餘ニテ本國寺ノ後巻トシテ若江ノ城ヲ打出駈向フ
途ニテ三好釣垂・松永・岩成等二手ニ分リテ攻カゝル 義継駈立ラレ散々ニ成テ引抜ク 折節藤
孝桂川ニテ行逢慕ヒ行敵ノ横合ヨリ鑓ヲ入レ稠敷戦フ 敵ハ新手ノ勢ニ當ラレテ氣勞レ備亂レタ
ル處ニ池田八郎次郎・伊丹兵庫介・荒木村重等此所ニ押来リ三好カ本陳ヲ切崩ス 三好方若干
ウタレ逃退ク 藤孝ハ池田・荒木・伊丹ノ人々ト逃ルヲ追ヒ捨テニシテ直ニ洛中に入本國寺ノ後
詰エヲナス 将軍方ニハ諸方ノ後詰三好カ陳ヲ攻討ヨシ聞へケレハ細川右馬頭・三淵大和守・野
村越中守等ノ面々門ヲ開テ突テ出藤孝并伊丹カ後詰ト門外ヨリ揉ミ立數刻戦ヒケルユへ敵捴敗
軍ニ及フ サレ共本國寺無勢ナリトテ長追セス各引返シ打取處ノ首ヲ将軍ノ實撿ニ備へ感賞ニ
預ル 藤孝ヘハ感状ヲ以テ桐引両筋ノ紋ヲ免サル サテ三好黨洛中ニ亂入ノヨシ六日岐阜ニ聞
へ信長驚キ七日出馬九日京着 義昭ニ謁シ小勢ヲ以テ大敵ヲ討破ラレシ威勢ヲ感賞セリ 内外
ノ面々働アルウチ殊ニ藤孝カ勇気ヲ賞セリトソ 信長迅速ノ上洛義昭感悦不斜 サテ洛中ニ三好
黨ノ屋敷各金銀ヲチリハメタル家アリ 是将軍仇敵ノ家ナレハ立置へキ二アラストテ信長一宇モ
不残破却ス 又将軍ノ屋形ヲ攻メ築クヘシトテ織田家随従ノ面々ニ沙汰アリテ新ニ幕府ヲ二條勘
解由小路武衛ノ陳ニ造營セリ

二月十五日ヨリ将軍ノ屋形造營初リ各請取場アリ上野中務少輔清信総奉行ナリ 藤孝沼田等ノ
一族ハ北ノ方ヲ受取造營ス 或時荒川少兵衛輝宗 幼名與三郎藤孝孺人之甥 ノ歩卒ト上野清信カ足
軽ト口論シ礫ヲ打合ヒ荒川町場藤孝カ小屋ノ内ニモ其石入テ足軽ノ頭上ニ創ツキケレハ傍輩トモ
是ヲ憤リ荒川手ト一ニナリ清信町場ニ押懸ル 三淵・沼田・飯河等ノ人々ハ細川上野ノ喧嘩ト心
得馳集ル 清信ハ日比美ヲ好ミタル上時ノ奉行ナレハ爰ヲ晴ト粧ヒ飾リタルヲ散々ニ打ナサレ逃
退キ町場ニ飾リタル弓鉄炮虎ノ皮ノ敷物ナトモ見へサレハ清信大ニ怒リ今度ノ喧嘩ハ荒川カモノ
ト清信カ者トノ出入ナルニ藤孝己カ縁類タルヲ以テ其黨悉ク荒川ニ同スルノミナラスカク目出度折
柄亂妨狼藉不届ノ至ナリト義昭ニ訴へ藤孝カ振舞謀叛ノ芽ト見ヘタリ屋形ノ造營イマタナラサル
ヲ幸ニ思ヒ立タルト存ス用心然ルヘクナト詞ヲ巧ニシテ申ケルハ清信ハ元来寵臣ナレハ忽讒言
ヲ信セラレ藤孝ヲ疎ミ終ニハ誅セラルへキカトノ趣ユヘ家ニ蟄居ス
此時将軍家ヨリ信長へ細川誅伐ノ命ヲ下サレケレハ信長大ニ驚キ義昭ニ諫言アルハ藤孝先二
君ヲ奉シテ諸國ヲ廻リ碎身粉骨ノ働キ忠節ノ至ナリ 其功ニヨツテ今天下ノ武将ニ仰カレ玉フ事
世ノ知ル處ナリ此度ノ喧嘩ハ畢竟當座ノ事ナルニ片言ヲ聞テ誅ヲ加ヘン事甚タ然ルへカラス急
キ藤孝ヲ召出サルへシト有ケレハ義昭モ理ニ服シ其旨ニ任セラル 是ヨリシテ藤孝愈清信ト不
和ニテ漸々将軍ニモ疎クナリ清信ハ時ヲ窺ヒ折々讒ヲ構へケルトナリ

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八代・未来の森ミュージアムへ行くぞ

2010-03-11 12:04:12 | 歴史
               平成21年度冬季特別展覧会
                  松井家文書の世界
            ―江戸時代の武士が大切にしたもの―

              2010.2.19[FRIDAY]~3.28[SUNDAY]

    http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/2009/2009_win.html

         2月27日(土) 14:00~15:30 博物館講義室 ※聴講は無料
            「女性の手紙」
           講師 川口恭子(熊本大学文学部附属永青文庫研究センター特任教授)

         3月 6日(土) 14:00~15:30 博物館講義室 ※聴講は無料
            「江戸時代の武士が大切にしたもの」
           講師 林千寿 (八代市立博物館学芸員)
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春雲は絮の如く・・

2010-03-11 10:21:41 | 徒然
             飛び立つを思案の鳩や春嵐  津々

 「春雲は絮の如く・・」と正岡子規は云ったが、ここ数日天気が悪く「冬雲は鉛の如し」だった。
春の嵐のせいで軒端の鳩は飛び立つのを躊躇していたし、梅の花はすっかり散らされて地面
に無残に張り付いている。昨日は阿蘇では20数センチの積雪があった。その為か風は冷たい
が久しぶりのピーカンで、まさしく子規先生の言葉通りぽっかりと「わた雲」が浮かんでいる。
大きな片枝を失った桜の老木も、今年も元気に沢山の蕾をつけた。23日あたりが開花だと予想
されているが、春もいよいよ本格的である。

 絮は「わた」と読むが、在熊の西輝喜先生に上田久兵衛を主人公にして書かれた小説「柳絮
の舞い」がある。(当サイトでご紹介しています)
 
 りゅう‐じょ【柳絮】
    白い綿毛のついた柳の種子。また、それが春に飛び漂うこと。
    《季 春》「ひとすぢの柳絮の流れ町を行く/普羅」

 熊本城の長塀の下を流れる坪井川にそって植えられている柳の並木も、近々そんな風情を見
せてくれるだろう。

            舞いまいて柳絮の旅はいずこへぞ  津々
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