(廿ニ)
一丹後田邊城攻寄手衆
小野木縫殿助 石川備後守 谷出羽守 川勝右兵衛
藤懸三河守 長谷川 鍋 高田河内守 毛利勘八
早川主馬 中川修理 竹中源助 杦原伯耆守
別所豊前守 小出大和守 赤松左兵衛 山崎左馬助
木下右衛門太夫 源仁法印 生駒雅樂頭 御使番二人
(廿三)
一田邊御籠城の衆
寺井吉右衛門 荒木善兵衛 日置善兵衛 丸山助左衛門
加藤新助 大塚源次 松山権兵衛 佐野三允
加納曲斎 麻生喜左衛門 神戸喜右衛門 坂井半助
寺井道雲 村野庄助 久代右近右衛門 大野源十郎
築山五右衛門 上羽小右衛門 山本三郎右衛門 矢野七助
中村甚左衛門 上原甚七 上林助兵衛 上羽新兵衛
宮村出雲と改名
北村甚助 入江淡路 北村勘三郎 前田七郎右衛門
蓑田甚之允
右者絵圖之表名付有之面々合三十也 不分明二ヵ三ヵ也
外ニ嶺山衆各 宮津衆各
(廿四)
忠興公籠城之衆へ被遣候御書之写
明廿日龜山迄可着候處尓 城可相渡由尓候へ共徳善院事
尓候間 可成程馳走可申と様子 内府様へ申入候 其御返事次第
可下國候 扨々二度逢候ハん事夢とのミ思ふ事尓て 面々
籠城さへ奇特と存候尓 か勢きともの由無比類 尓
けおち候やつ者ら餘りの事尓にくけなくおかしく
候 恐々謹言
九月廿一日 越忠興
宮津尓て
籠城之衆中