現在ヤフオクに 写本 犬追物故伝書抜粋(萃の間違い)という文書が出品されている。
ちょっと興味をひかれるが 25,000円が付値というから、とても手が出ない。
随分厚みのある大部のもののようで内容写真も提示されて、値段の価値はありそうに思える。
以下の文書からの抜粋であると説明されている。
犬追物全書
八廻日記口伝
中原豊後守覚悟巻
高忠覚悟巻
犬追物馬の足
犬追物真鏡の記
犬追物明鏡の記
検見故実記
犬追物馬場打寄の記
犬追物の記
公方御犬記
御犬記
実澄聞書
古鏡の記
益鏡
山下完書
清芸公日記
犬追物の歴史は相当古い。これが廃れてしまったのは綱吉の「生類憐みの令」が大いに影響しているのではなかろうか。
薩摩の島津家や細川家・小笠原家などで伝えられ、細川家に於いては齊藤権之助(芝山)らが天明年間に再興したとされる。
熊本藩の支配機構には次のようにある。
犬追物
一、騎射稽古於大慈寺河原致度由天明三年十一月伺有之 翌年閏正月其通被仰付候事
一、同五年二月ゟ椎田村ニて稽古有之候事
一、同七年二月齊藤権之助騎射師役被仰付 御物頭列ニ相成候 同日江良又十郎右師役被仰付
権之助江差添指南仕候様被仰付候事
一、寛政四年二月ゟ竹丸下ニて稽古有之候事
一、同十年十二月ゟ当時之場所ニ相成候事
一、諸事学校御目附請ニて無之 政府請ニて御座候事
資料をみると馬場に犬を放ってこれを騎馬から特殊な矢を放って競う競技らしいが、犬の数が半端ないもので驚かされる。
藩で犬を養っていたのだろうと思っていたが、そんな記録には今迄出会ったことが無かった。
過日「熊本藩町政史料」を読んでいたら、どうやら足りない分を町方からかき集めたことが伺える。
享和元年の記事として次のようにある。
合七拾目也
右ハ去ル十八日犬追物御見分有之候ニ付、御町中より犬弐拾疋差出候ニ付、
右飼料幷牽人賃錢共ニ一疋に付三匁完被渡下、慥受取申候処如件
享和元年三月
これは惣月行司が御勘定衆御銀支配役衆に宛てた書類なのだが、犬追物が実施されるにあたり20疋の街中の犬が借り集められてその礼金の受領書みたいで町方の協力ぶりが判る。
3匁とは銀勘定であろうが、当時は銀1匁=105文に引替たという記述が同史料にみえるから、1疋あたり315文であることが判る。
落語の「時そば」の話からすると蕎麦が一杯16文(400円?)だから、そば約20杯分としても8,000円、これが高いのか安いのか何とも判断しかねる。
時には犬が死ぬ事もあるというから、なんとも残酷な話ではある。
しかしこの文書、高いけれど気になって仕方がない。