六五二
一旅詰之面々積合出來不申候ハヽ、於御國許御断申上候様
との旨趣、寶暦九年以來追々委細及達候處、右達之通無
之儀間々有之不都合之事ニ候、以來は彌以追々及達候趣
相守、於旅詰向願ヶ間敷儀無之様可被相心得候、尤非常
之儀有之不慮ニ物入有之節は、其程ニ應し及僉義候儀は
別段之事ニ候、旅詰向ニて有内と申程之物入等之儀は、
兼て覺悟いたし置候儀勿論之事候處、間々有之川支又は
一通り之病災等を申立、御難題ニ相成候儀ハ有間敷事ニ
候、向後は右躰願は決て御取上不被仰付筈ニ候得共、江
戸表等出立難成、或は御外聞ニも係り候儀は其分ニも難
被閣事ニ付、筋を可被附下候間、右之通御難題ニ相成候
輩は追て被仰付筋も可有之候條、着之上相慎居候様申聞
可被置候、且又以來筋をも被附下候上は、御取立相濟候
迄は大小身之無差別身代相當之御扶持方計被下置、御扶
持方迄之輩は御扶持方之内半高御取立被仰付筈候、右ニ
付難澁之儀申出有之候とも決て御取上不被仰付候間、兼
て其覺悟可有候、尤非常之事有之候歟又ハ其人ニより御
様子有之、上之御讃談を以御弛目被下候儀は格別之事ニ
候、此段組中えも可被達候、以上
十月
六五三
文化二年正月公義御觸
一神善四郎秤相用候國々、善四郎方より役人相廻し秤改之
節、秤數多所持之ものも不隠置不殘出し見せ改受候様可
致様、尤紛敷秤は取上候筈ニ付、此旨急度可相守者也
右之趣五畿内・山陽道・南海道・西海道・山陰道之内、
因幡・伯耆・出雲・石見・隠岐・壱岐・對嶋都合三十五
ヶ國え先年相觸候處、過取上秤も善四郎方え不相渡場所
有之、猥秤賣買いたし緒等も手前ニて取替、掛目不同之
秤を遣ひ、又ハ古道具ニ事寄千木秤等賣買いたし候者も
有之趣ニ相聞不届候、前々相觸候ニ付、善四郎方役人相
廻改候節諸秤不殘改を受、東三十三ヶ國秤、西三十三ヶ
國幷壹岐・對嶋ニて通用無之、取上ニ相成候筋之秤は善
四郎方え可相渡、諸秤新古ニ不限善四郎方之外ニて衡幷
錘緒等取替申間敷、若緒秤隠し置改不受、猥ニ賣買いた
し或は手前ニて衡幷緒等取替候者有之候ハヽ、急度咎可
申付候 [領主・缺ヵ]
右之通先達て相觸候、向々え御料ハ御代官、私領ハ地頭
より可被相觸候
子十一月
六五四
文化二年丑二月御達
一歌舞伎・浄瑠璃踊之類、總て芝居同様之人集御制禁之儀
付ては公義被仰出之趣有之、近年一統差留被置候處、今
度江戸御留守居より内々公邊之御様子承合せ有之候處、
於御城下有來候儀は不苦候、畢竟在々ニおいて懦弱之風
俗を見習、自然と耕作も怠候様成行候付て其儀を被制候、
依之費ヶ間敷儀無之、平日之所行ニ不至様堅申付行届候
上は、御城下を離候とも是又有來候儀は不苦候、尤前々
より致來候とも大造之儀ハ無之様との御旨ニ付、以來は
願之趣ニより候ては、興行被仰付儀も可有之候、然處往
々御奉公抔可相勤年立候御侍之子弟之類は、御城下御府
外共歌舞伎之場は不及申、右躰見せ物有之所え入込有之
儀は遠慮有之候様、尤見聞之役方も被差出事ニ候、此段
可申達旨御用番被申聞候條、例文之通
二月九日 御奉行中
六五五
文化二年二月晦日公義御觸
一金銀懸合候分銅、寛永年中改以前之古分銅両替仲間ニて
遣候由相聞候ニ付、京・大坂・堺近郷之分潰等迄外ニて
賣買不致、潰直段を以後藤四郎兵衛方え買請せ申候、目
輕古分銅内々ニて賣買いたす間敷旨度々相觸候處、今以
西國幷長崎筋にてハ古分銅多く賣買いたし用候由相聞
候、此後内々ニて賣買致候儀は勿論不隠置四郎兵衛方え
可相渡候、尤四郎兵衛方より分銅改役人相廻り、紛敷分
銅は取立候筈ニ候、其趣急度可相守者也
右之趣先年も相觸後藤四郎兵衛役人相廻改候處、近來紛
敷分銅をも用候由相聞候ニ付、今度四郎兵衛方え分銅改
役人相廻、紛敷分銅は取上候筈候間、其趣急度可相守者
也
右之通御料は御代官、私領は領主・地頭より可被相觸
候
子十二月 江戸時代に両替商が用いた後藤分銅
六五六
文化二年丑四月御達
一御郡中田方かしき秣之儀、間ニは手永限、村限之様ニ相 かしき 秣(まぐさ)
心得、剪方致來候ヶ所も有之様子相聞、左候ては所ニよ
りかしき秣及不足、田地肥し届兼候儀有之、自然と取實
乏ク御所務ニも係候理事故御僉議之筋有之、以來は彌以
自他村々は、御家中・寺社御赦免開立山内も剪取申筈ニ
候、尤立山等之内ニは家萱抔と年々被立置候所柄も有之
由、右様之場所は勿論其外諸木之障りニ不相成候様、且
又右秣抔ニ事寄せ薪等剪取不申様との儀、精々御郡代よ
り申付有之筈候間、開立山所持之面々も左様ニ被相心得
候様一統可及達旨候條、左様御心得、已下例文
四月 御郡方御奉行中