六ニ七
享和二年
一在中居住之御家中幷寺社支配之諸浪人之儀、都て之御觸
殊其支配/\より時々無滞觸付有之筈之處、間々不行届
儀も有之、在中一統之抑揚ニ相障候儀も有之様子相聞候
右之通ニては不相濟事候處、小身之面々至候ては其時々
飛脚を以觸付有之儀可為難澁哉ニ付、以來は都て御觸事
士席浪人へハ御郡代より通達、其以下之諸浪人へハ御惣
庄屋より夫々通達いたし候様ニ被仰付候、然上は御觸之
趣不守之輩も有之節は、其支配方え答ニ不及、御郡代又
は御惣庄屋より相糺、自然懸合事等有之節は時宜ニより
呼出、向方ニも可及達候條、左様被相心得此段支配/\
より可被申聞候、尤御侍中育従類之名目ニて在宅之面々
幷譜代之家來は相省候條、右之面々えは其主人/\より
諸御觸事時々不洩様達有之候様、勿論前條支配之浪人た
り共、男子人別達・宗門觸状・影踏除差出は今迄之通支
配/\より取計有之候様、右之趣可及達旨御用番被申聞
候條、以下例之通
六月 御奉行中
六ニ八
享和二年七月御達
一賣藥之儀は容易難被成御免儀ニ候處、間々紛敷筋も有之
趣相聞候、依之於再春館見合ニ相成候間、當時迄被成御
免候賣藥、幷賣藥と申ニて無之望之者え相應之價を以遣
候儀被成御免置候分共、其藥方相傳之次第御免之年月共
委ク相記、當八月中筋々相達候様、左候ハヽ取揃一同再
春館へ可相渡候、尤以來新規之賣藥願は堅難叶旨ニ候、
右之趣支配/\へも可被達旨候條、此段已下例之通
七月廿日 學校方御奉行中
六二九
享和二年七月御達
一輕輩・陪臣・士席以上之面々へ對し、不敬ヶ間敷儀無之
様可相心得儀勿論之事候處、間二は心得違之者も有之様
子ニ相聞不都合之事ニ付、以來堅分限を相守恭敬之心得
を忘却不仕様、寛政十二年八月一統被及達置候、然處近
來御家老中行列ニ行懸り候節抔も不敬之儀多く相見、別
て下々ニ至候ては供向門前ニ扣罷在候中なと甚不敬之躰
も相見候由ニ付、以來右躰之儀有之節は程ニより姓名を
承せ被申儀も可有之由ニ候間、不敬之躰無之様、支配或
ハ主人/\より可被申付置候、且又輕輩幷陪臣・中小姓
以下之内近年日傘相用候得共、以來日傘は不相用様可被
申付候、此段一統可及達旨候様、左様御心得、以下例之
通
七月 御奉行中
六三〇
享和二年八月御達
一御家中子弟之内、時習館両榭え出席之節、風躰を取飾り
候儀は無用之事ニ候得共、間ニハ亂髪異風之躰ニ相見
或は於途中雑言等有之輩も有之哉ニ相聞、右等之儀は士
席之躰を失ひ、自然と下方より慮外を致し候ものも有之
候ては難相濟事ニ候條、以來館榭之出席は勿論平日共右
躰之儀無之様、父兄より屹ト心を付候様、若心得違亂髪
異風ニ相見候面々有之節は、於時習館御使番幷學校御目
附より姓名承届、於両榭は右御目付より同様承届出席差
留可申候、様子ニより候ては被仰付候筋も可有之候、且
又文武藝御覧之節、慎方之儀教示有之儀は勿論之事ニ候
處、試業之砌師範ニより門弟中騒敷相見へ候茂有之、不
敬之事ニ候、此儀も慎方之儀屹ト父兄より心を付候様、
此段組々支配方へも可被達候、以上
八月 奉行所
六三一
享和二年
一士席浪人・輕輩より致養子相續致候もの、名目は士席浪
人ニて衣類等家風共士席之衣服致着用來候得共、此以後
輕輩より養子いたし相續候ものハ輕輩浪人ニ被仰付、士
席之衣服等着用致候儀は難叶候、尤是迄軽輩より致養子
致相續居候ものは、今迄之通ニて被閣候條左様被相心得、 閣=とどめる、さしおく
此段組々へも可被達候、以上
八月廿七日 奉行所
六三二
享和二年十一月御達
一御勝手向御難澁ニ付格別御省略被仰付置、當年迄年限ニ
候へ共、連年之御跡繰を以今以御難澁ニ付、來亥年より
丑年迄三ヶ年御省略年延べ被仰付候間、彌以所持是迄之
通一統相心得可申旨被仰出候條、被奉得其意、組中へも
可被申渡候、以上
十一月 奉行所
六三三
同年十二月御達
一鷹場拝領無之面々は、向後大鷹・隼を所持いたし候儀は
被禁之候條、奉得其意、組々えも可被達候、以上
十二月 奉行所