津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■江戸期 「 肥後国熊本藩士 松見家の古文書 」 熊本県/歴史資料

2018-12-22 17:56:58 | オークション

 江戸期 「 肥後国熊本藩士 松見家の古文書 」 熊本県/歴史資料  
                   江戸期 「 肥後国熊本藩士 松見家の古文書 」 熊本県/歴史資料

 先祖附から宗門覚書、御奉公之覚、各代の宛行状、奉行所の書類などすべてが揃った状態は非常に珍しいと思われます。
 その代わり高い~~~ ご子孫の方は居られませんか?

         ■ 松見太郎八  (南東38-15) 
           1、上田長三郎(長右衛門)
           2、長右衛門
           3、文左衛門・貞仲  百石 御番方十一番御留守居組
           4、吉之允       百石
           5、権次(長右衛門) 二番与 百五十石
           6、喜平次(仁左衛門)  
           7、卓右衛門   八代御城付八代御番頭組 文武稽古所見繕役 高百石之御擬作
                      
細川斎護公御書出(弘化四年)百石
   
        8、太郎八   須佐美権之允組 御留守居御番方 御擬作高百石

          不明:松見仁左衛門  御奉行処触組 五人扶持拾五石 (御侍帳・元禄五年比カ)

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■溝口家のこと

2018-12-22 12:56:10 | 人物

 細川忠利の室千代姫の弟・政房は、千代姫の実家小笠原家の重臣・溝口氏(美作貞康)の養子となっている。小倉小笠原藩にあったものと思われるが、承應元年に肥後に罷り越したとされる。この時代忠利、千代姫、光尚はすでに亡く、幼き藩主六丸はまだ綱利の名乗りもしていない。とすると溝口家の肥後入りは誰の肝煎りによるものだろうか。考えられるのは、綱利の後見役であった豊前小倉藩主の小笠原忠真(実兄)ではなかったろうかと推察される。高名な家臣としては、召しだしの時期が一番新しいのではないか。二千石を領して番頭などの要職を務めた。

先にご紹介した日出藩主・木下延俊の弟・外記の娘がこの政房に嫁いでいる。
つまり溝口家には信長・家康の血と共に、秀吉の正室お寧々の実家・木下家(豊臣氏)の血が混じっていることになる。
まさに貴種だから、細川家としても承應元年という、やや下った時代に迎え入れたという事であろう。

                 +--忠脩---長次(中津藩初代)
                 |
           小笠原秀政   +--忠真(小倉藩初代)
  徳川家康---信康          ‖ーーーー|
       ‖ーーーーーーー---登久姫  +--千代姫(保寿院)
  織田信長---徳姫         |    ‖
                 |  細川忠利---光尚---綱利
                 |
                 +--忠知(杵築藩初代・三河吉田藩)
                 |             岩槻藩・遠州掛川藩・陸奥棚倉藩・肥前唐津藩に転封
                 
                 +--松平忠重---英親(杵築松平藩初代)
                                        |
                 +--忠慶
                 |
                 +--長俊
                 |
         +--木下延俊  +--溝口政房
         |       |    ‖
         +------外記--------------●          
                 |  
                 +--昌行

              

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■度支彙凾 寛政元より文化七迄 法令條論・十七(17)

2018-12-22 09:54:08 | 史料

 六ニ七
 享和二年
一在中居住之御家中幷寺社支配之諸浪人之儀、都て之御觸
 殊其支配/\より時々無滞觸付有之筈之處、間々不行届
 儀も有之、在中一統之抑揚ニ相障候儀も有之様子相聞候
 右之通ニては不相濟事候處、小身之面々至候ては其時々
 飛脚を以觸付有之儀可為難澁哉ニ付、以來は都て御觸事
 士席浪人へハ御郡代より通達、其以下之諸浪人へハ御惣
 庄屋より夫々通達いたし候様ニ被仰付候、然上は御觸之
 趣不守之輩も有之節は、其支配方え答ニ不及、御郡代又
 は御惣庄屋より相糺、自然懸合事等有之節は時宜ニより
 呼出、向方ニも可及達候條、左様被相心得此段支配/\
 より可被申聞候、尤御侍中育従類之名目ニて在宅之面々
 幷譜代之家來は相省候條、右之面々えは其主人/\より
 諸御觸事時々不洩様達有之候様、勿論前條支配之浪人た
 り共、男子人別達・宗門觸状・影踏除差出は今迄之通支
 配/\より取計有之候様、右之趣可及達旨御用番被申聞
 候條、以下例之通
   六月            御奉行中

 六ニ八
 享和二年七月御達
一賣藥之儀は容易難被成御免儀ニ候處、間々紛敷筋も有之
 趣相聞候、依之於再春館見合ニ相成候間、當時迄被成御
 免候賣藥、幷賣藥と申ニて無之望之者え相應之價を以遣
 候儀被成御免置候分共、其藥方相傳之次第御免之年月共
 委ク相記、當八月中筋々相達候様、左候ハヽ取揃一同再
 春館へ可相渡候、尤以來新規之賣藥願は堅難叶旨ニ候、
 右之趣支配/\へも可被達旨候條、此段已下例之通
   七月廿日          學校方御奉行中

 六二九
 享和二年七月御達
一輕輩・陪臣・士席以上之面々へ對し、不敬ヶ間敷儀無之
 様可相心得儀勿論之事候處、間二は心得違之者も有之様
 子ニ相聞不都合之事ニ付、以來堅分限を相守恭敬之心得
 を忘却不仕様、寛政十二年八月一統被及達置候、然處近
 來御家老中行列ニ行懸り候節抔も不敬之儀多く相見、別
 て下々ニ至候ては供向門前ニ扣罷在候中なと甚不敬之躰
 も相見候由ニ付、以來右躰之儀有之節は程ニより姓名を
 承せ被申儀も可有之由ニ候間、不敬之躰無之様、支配或
 ハ主人/\より可被申付置候、且又輕輩幷陪臣・中小姓
 以下之内近年日傘相用候得共、以來日傘は不相用様可被
 申付候、此段一統可及達旨候様、左様御心得、以下例之
 通
   七月            御奉行中

 六三〇
 享和二年八月御達
一御家中子弟之内、時習館両榭え出席之節、風躰を取飾り
 候儀は無用之事ニ候得共、間ニハ亂髪異風之躰ニ相見
 或は於途中雑言等有之輩も有之哉ニ相聞、右等之儀は士
 席之躰を失ひ、自然と下方より慮外を致し候ものも有之
 候ては難相濟事ニ候條、以來館榭之出席は勿論平日共右
 躰之儀無之様、父兄より屹ト心を付候様、若心得違亂髪
 異風ニ相見候面々有之節は、於時習館御使番幷學校御目
 附より姓名承届、於両榭は右御目付より同様承届出席差
 留可申候、様子ニより候ては被仰付候筋も可有之候、且
 又文武藝御覧之節、慎方之儀教示有之儀は勿論之事ニ候
 處、試業之砌師範ニより門弟中騒敷相見へ候茂有之、不
 敬之事ニ候、此儀も慎方之儀屹ト父兄より心を付候様、
 此段組々支配方へも可被達候、以上
   八月            奉行所

 六三一
 享和二年
一士席浪人・輕輩より致養子相續致候もの、名目は士席浪
 人ニて衣類等家風共士席之衣服致着用來候得共、此以後
 輕輩より養子いたし相續候ものハ輕輩浪人ニ被仰付、士
 席之衣服等着用致候儀は難叶候、尤是迄軽輩より致養子
 致相續居候ものは、今迄之通ニて被候條左様被相心得、      =とどめる、さしおく
 此段組々へも可被達候、以上
   八月廿七日         奉行所

 六三二
 享和二年十一月御達
一御勝手向御難澁ニ付格別御省略被仰付置、當年迄年限ニ
 候へ共、連年之御跡繰を以今以御難澁ニ付、來亥年より
 丑年迄三ヶ年御省略年延べ被仰付候間、彌以所持是迄之
 通一統相心得可申旨被仰出候條、被奉得其意、組中へも
 可被申渡候、以上
   十一月           奉行所

 六三三
 同年十二月御達
一鷹場拝領無之面々は、向後大鷹・隼を所持いたし候儀は
 被禁之候條、奉得其意、組々えも可被達候、以上
   十二月           奉行所

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■冬至

2018-12-22 07:31:58 | 徒然

 今朝の散歩はまるで薄墨を流したような霧のなかであった。
随分暖かく、いつもはおるダウンも脱いで腰に巻き、手袋もネックウォ―マーも邪魔になり手荷物となる按配である。
今日は冬至、つまり昼の長さが一番短い日で、10時間と1、2分ほどなのだが、日の出の時間はまだ10日ほどは遅くなる。
こちらの折り返しは年が改まるころではないのか?。

今朝は世の中三連休だしゆっくり寝るかと思ったが、習いせいとなって6時前には目が覚めてしまう。
50分ほど歩いて帰宅しても、未だ日の出の時刻までは20分ほどあって、白濁の空がようやく白々としてくるという具合である。
今日で皆勤180日我ながらよく続いている。こうなると休むわけにもいかなくなって、まだまだ記録更新は続きそうである。

年末だから年寄の世帯ながら一応何となく気が落ち着かない。
お節などは注文済みで、奥方も特段準備は必要ないのだが、それでも何だかバタバタしている。
私はと言えば、ベランダの掃除やらガラスでも拭きあげ様かと思ったりしている。

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