(寛永四年五月)廿ニ日
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| 廿二日 加来二郎兵衛
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| (鑑)
江戸へ上ル物ノ覚 |一、明日江戸へ、山岡書かん・藤田宗利・岡十兵衛被参候ニ、差上申物之覚
金ノ茶碗 | 一、金ノ御ちやわん ふた共ニ壱つ
| (是ハ皆川治ア丞ゟ遣被申候、送状ハふわ太郎吉・佐ふり彦右衛門ゟ也)
銀ノ矢立印籠 | 一、銀ノ御矢たていんろう 拾
鳥甲形ノ頭巾 | 一、とりかふとなりの御頭巾 壱つ
| (国遠)
唐絵ノ重箱 | 一、からゑノ御重箱 ニくミ 是ハ道倫ゟ送状
枕箱 | 一、御枕箱 十 是ハ道倫・上田忠蔵ゟノ送状、
空穂ノ緒見本ノ | 一、御うつほの緒 五十筋 但、御ほんのしま相そへ、進之候、以上
縞 |
光尚ノ合羽 | 一、御六様 御かつは 弐つ 是ハ忠蔵ゟノ送状、
馬衣腹当 | 一、御馬きぬ 五つ はらあて共ニ 同人ゟ送状、
| 右分三人ニ渡遣申候也
| ( マ マ )
革屋兵衛訴状案 |一、 前廉申上候を重々申上候
小倉町奉行宛 |
| (極印) (長門豊浦郡)
極印銀盗マル | 一、正月十日之夜、私盗人ニ相申候ニ付、私銀ニハこくい御座候間、此こくいを持せ、下関・長符・
| (萩、長門阿武郡) (呼野、規矩郡)
| はぎ迄も尋候へ共、しれ不申候、其後又ふせんのよふの御金山、又豊後迄も知人御座候間、私
中津ニテ小倉ノ | こくいを見せ頼候へ共、是ニ而もしれ不申候、其後中津ニて、此こくいの銀、小倉之もの遣申
者使用ス 取替 | 候由承候間、知人を頼、かへ取申候事、
| (日田、豊後日田郡)
盗人日田へ走ル | 一、其後、彼者中津ゟひたへ走り申由承候条、四月十三日ニ、日田へ参候ヘハ、日田之宿弥兵衛と
| 申者ニ而御座候、此弥兵衛ハ留守ニ而御座候間、此女房ニ頼、尋候ヘハ、はしめハかくし、其
草野ヨリ久留米 | (草野、御井郡)
へ行ク | 後我等ふかく頼候ヘハ、かの女申候ハ、筑後ノ内くさのへ参候由申候、其後、爰ニ六七日逗留
| (久留米、御井郡)
| 仕り、筑後ノくるめニ参候由、申候事、
盗人太兵衛 | 一、それゟくさの・くるめニ尋候ヘハ、くるめのもの申候ハ、太兵衛と申者ハ、去年ハ爰元ニ参候
| (博多)(洲崎)
| か、ふひん成躰ニ而候共、其人ハちくせんの内はかたのすさきと申所ニ、殊外仕合能居被申
筑前へ探索ニ行 | 候、我等則宿居申候間、ゆる/\と咄申候、私共ニ博多へまかい御座なく候間、たつね可参
カズ | 由、ちくこのもの申候へ共、筑前ニ而候間、我等共参不申候事、
| (日田)(煙草)
煙草買入 | 一、私申候ハ、いつ比ノ事そと尋候ヘハ、四月時分ニ、ひたへたはこ馬弐駄かいニ参、こゝもとた
| はこの程能候間、か様かい置申候、何も其方様なと頼、おや共よひよせ、有付加申候由、ちく
| このものニ、太兵衛申候事、
| 一、私共も前かとひたの宿申候ハ、四月十日比ニたはこを弐駄かい申候由申候、一駄ハひたニてか
| (名乗ヵ、筑前上座郡)
| い申候、又一駄ハやかてならひのせきと申所にてかい申候由、宿之女房慥ニ申聞せ候、又筑後
| (調 議)
| のものゝ口も壱つニ而候間、我等」くるめのやとへ罷戻、人をやとい、よひよせ候、ちやうきい
| たし候へ共、其間ニおやもとを、ちくせんの内ニよひとり候ハんと存候而、急罷戻、申上候
| 事、
| 寛永四年五月十九日 かわや
| (是門) 四兵衛
| 米田與右衛門殿 遠藤
| 吉田少右衛門殿 少右衛門
| 右ノ本書、吉田少右衛門方へ返し候事、
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熊本はここ五日ほど新規の感染者はでていない。しかし「緊急事態宣言」の延長は必須の状況となってきた。
街角から人影が途絶え、元気な子供たちの歓声も聞こえてこない。
なんとも異常な状況だが、子供たちも何とか理解してこの困難を乗り越えようとしているのだろう。
娘の長男は高三、大学受験を目の前にしてどうなる事やら・・・
二男は今年中学一年生になったのだが、入学式もなく、新しい友達も出来ず、教科書を受け取りに一日だけ登校して現在に至っている。
九月新学期の話が検討されるというが、その間教育現場は混乱を極めることだろう。
何とか不定期にでも「バラバラ登校」という手はないものだろうかと、爺様の安直な考えである。
身辺では熊本史談会の5月例会の開催をどうしたものかと、頭を悩ませている。
4月は会場の熊本市民会館の使用制限の連絡があって、休会としたが、今月は未だその気配がない。
連休明けの7日とかに連絡が入っても、開催予定が16日だから準備その他微妙である。
「自主的休会」にすべきなのか、大いに悩ましいことではある。
アマビエ様をお飾りして、ただただ「疫病退散」を祈るばかりである。