津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■目には青葉・・

2020-05-06 17:10:58 | 徒然

 散歩の途中、中学生(?)らしい女の子が二人、楽しそうに話している。
少し離れた後ろから何気なく聞いていたら、「目に青葉って、あれおかしかよね」という。
「木の葉っぱは緑だけん、何で青葉ていうとだろか?」今一人の子は「信号も赤・青・黄であれもおかしいけん」

元気な二人は、後ろの爺が聞き耳を立てていたことは知らずに、歩みのおそい爺様を置いてきぼりにして去って行った。
いやいやご尤もな話ではある。
「目に青葉」とは山口素堂の句「目には青葉」を言っているのだろうと思われる。
木々の鮮やかな緑が青空に生えているが、どう見ても緑と青がひとくくりにされた感覚が理解できないが、まさに日本語の成り立ちの不思議さが伺われる。
学校で良く教えていただきたいものだ。

「目には青葉、山ホトトギス初かつお」とつぶやいているうちに、「かつお、喰いたいな・・」と変なところに飛躍してしまった。
もっとも魚市場が休みだから、おいしいカツオを食するには少々待った方がよさそうである。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■難儀な「御侍帳・家紋入り」

2020-05-06 10:28:23 | ご挨拶

「御侍帳・家紋から考える」がとん挫している。№17を昨年12月19日にUPしてこの方、大いに難儀している。
細川家家臣の方々の家紋は非常に多岐にわたり、又独特なものが多く、正式な名前が判らない。
私の推測の域を出ない説明は、大いに誤解を招きそうで躊躇している所である。
そんな中、「稲葉氏」の記事をご覧になった同姓稲葉様からあるお問い合わせをいただいた。
熊本・稲葉氏の家紋とよく似た紋をつかっているとのお話である。
熊本稲葉氏の家紋は以下の如くである。
№17に於いて私は「釘抜きに梃子紋」としたのだが、「名前は知らないが違うのではないか」とのご指摘を受けていた。

                         
                                               

今回お問い合わせいただいた稲津様のお宅の家紋は「丸に棒が三本」と仰る、そして後便で漢字が判らないが「みつやげん」だとの事であった。
疑問が一偏で氷解した。「薬研」だ。(何で気が付かなかったのだろう・・)
一見家紋帳に記載ありそうに思えるが、私が所蔵する家紋帳には登場しない。
ましてや、取っ手が三本とは驚きのデザインではある。また貴重なご教示によってひとつ解決して前進できた。感謝・・・
しかし、「御侍帳・家紋から考える」については、後悔の念が募るばかりだが、やめる訳にはいかず間違い・勘違いをいとわず進めようとは思っている。そして皆様のお叱りやご教示をいただきたいと思っている。
 
                    クリックすると新しいウィンドウで開きます

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■細川小倉藩(221)寛永四年・日帳(五月廿六日)

2020-05-06 06:35:01 | 細川小倉藩

                      (寛永四年五月)廿六日 

         |
         |    廿六日  山崎伝左衛門尉
         |
中瀬左太郎扶持方 |一、中瀬左太郎殿内衆、ふち方取ニ御蔵へ遣申候ヘハ、来月分ハ何も麦を御渡し申候間、麦を可被下
自賄       |  通ニ候、自賄ノ仕合ニ而、何共こしらへ旁不相成候間、いかゝ可有御座やの由候間、左太郎殿へ
麦ナルモ米ニテ渡 |  ハ、米まてを被渡候而可然候間、其段御蔵奉行へ被申越候へと、彦進・甚丞方へ申渡、得其意
ス        |  由、返事候事、
宇佐郡惣庄屋病死 |一、宇佐郡惣庄や麻生次右衛門、今月廿三日ニ病死仕由、上村甚五左衛門方ゟ被申越候事、
         |  (米田是季)                                           (是友)
米田是季松葉ノ貸 |一、長岡監物殿ゟ、松葉御座候ハヽ、五六俵ほと被成御借候はかしとて、米田甚左衛門を以被仰候ニ
与ヲ願ウ     |  付、御路地ノ半七をよひ、尋候ヘハ、三十俵ほと有之由申候、しからハ、監物殿へかし申候へ
         |  と、申渡候事、
         |                                  (志水元五)
朝山斎助留守賄方 |一、朝山斎助留守賄方礑相切申候、御借米を被成、留守相つゝき申様ニと、伯耆殿ゟ節々被仰越候、
切レ借米ヲ願ウ  |  何も御小々生衆ニハ御借米不被借遣候へとも、斎助ハ妻子賄礑相切候由、かたく理ニ付、相談之
         |  上、少ハかし可申ニ相定、請人を被相極、借状を被調、留守居米請取候様ニ被仰付候へと、志伯
              ひねり
         |  を以、申入候事、
                                          クリックすると元のサイズで表示します 捻文

黐付ノ雀ヲ鷹ノ餌 |一、松ノ御丸大松ノ下ニ、もちニうて申すゝめ壱つ在之を、加来二郎兵衛見付候、則御鷹ノ餌ニ可被
ニ渡ス      |          (山本仁介)     
         |  仕由申候間、御鷹師二介所へ、御使番左右衛門二持せ遣候事、
         |         (仁)                   (田川郡)
武具奉行へ鉄炮台 |一、林與兵衛・安場二左衛門へ、切帋にて申入候ハ、香春に有之御材木ノ内二、御鉄炮ノ台木ニ罷成
         |  かた木有之由、貴殿被仰ニ付、方々へ遣申御材木をもひかへ相待申よし、御郡奉行衆被申候間、
台屋少五郎    |  大屋少五郎を被遣、御見計せ、御台木ニ罷成候をハ御とらさせ候而、残御材木をもそこ/\へ相
         |  渡候様ニ尤ニ存候通、申入候事、
         |一、御船頭糸川長右衛門事、大坂へ水橋五郎助替ニ、今晩罷上候、何も御用ハ無之かとて登城候、今
         |  ハ何たる御用も無之候、御用候ハヽ、あとゟ可申入由、申渡候事、
的場平三郎借米ノ |一、豊岡甚丞をよひ、申渡候ハ、的場平三郎手前借米ノ日限もはや無余日候、是ハ御借米方之儀候
催促を借米方奉行 |  間、彦進・甚丞ゟ人を遣シ、さいそく可被仕由申候、御てつほう衆両人宛遣被申可然ニ相定、則
ニ命ズ      |  其分ニ被仕候事、
         |一、栗野伝助煩之由ニ而、登城不被仕候事、
入牢中之中津ノ者 |一、中津馬場村之與助、筑前之金山へ参候様子尋ニ、加来二郎兵衛・古庄次左衛門新籠へ遣、書物取
ニ筑前金山ニ行キ |  候事、
シ様子ヲ尋問ス  |
         |

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする