熊本の植木町周辺は西瓜の全国に知られる有数の生産地である。
今年も良い西瓜が出来上がったと聞くが、このコロナ禍の中で消費が落ち込み売れ行きが悪いらしい。
嘉永六年八月、薩摩藩主・斉彬の養女となった「篤姫」は、再び相まみえることがない故郷薩摩を発って将軍家に嫁ぐべく江戸へ向かっている。
宮尾登美子による長編小説「天璋院篤姫」によると、篤姫は海路出発したとされるが、実は薩摩・豊後街道を通っている。
半田隆夫氏著「薩摩から江戸へ・篤姫の辿った道」に詳しい。
参勤などでは御供は男ばかりであるが、篤姫の道中には多くの女中を伴ったため、道筋の人たちは珍しげであったといわれる。
熊本では河尻の御茶屋に宿泊し、翌日八月廿九日は熊本城下を抜けて、御茶屋・御馬下の角小屋で休憩をしている。
ここで篤姫は「西瓜」のもてなしを受けている。
御茶屋の記録に次のようにある。
一、薩劦様御息女様
御茶菓幷柹西瓜御献上申上候付
金子弐百疋被為拝領有頂戴仕候候
藩主の参勤交代では三百疋だというが、行列も小規模であり二百疋となったと思われる。
「疋」も又、「銀一枚」同様賞賜目的などに用いられた貨幣単位である。
岩波日本史事典によると、「銭10文を1疋と称したが、金1両が銭4貫文と公定されたことから、小判・一分判(金)をそれぞれ金400疋・金100疋と称して授受した。」とある。
つまり、弐百疋とは二分であることが判る。半田氏は「弐百疋(四万円)」とされているが、一両を80,000円と仮定されたものである。
一分金二枚を包んで「弐百疋」の包金として渡されたのであろうか。