枝豆や酒量の増えしコロナ暇
(寛永五年正月)十二日
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| 十二日
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鶴飛去ル |一、昨日城の村ニすハり申靏、夜ノ四つ時ニたち申由、今朝平井五郎兵衛ゟ申来候事、
| (延俊)
山犬ヲ木下延俊へ |一、山犬弐疋、木下右衛門様へ今日引せ被遣候、則 御書箱壱つ、幷大島ノ絵ノ由ニて、右ノ犬引ニ
索進ム 大島ノ絵 | 持せ被遣候、御小人喜介与左衛門・弥左衛門与與吉、両人ニ渡遣候事、
|一、飯田才兵衛方ゟ、長舟十右衛門・貴田権内へ参候文箱、国友半右衛門与西村六兵衛ニ持せ遣候、
| 此六兵衛ハ 殿様中津へ御礼ニ被成御座候御進物、持せ遣候さいりうニ参候ニ、言伝遣候事、
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硯屋土佐年賀ニ丸 |一、下ノ関ノ大森土佐、年頭之御礼ニ、丸硯壱つ持参申候事、
硯ヲ献ズ |
| (規矩郡) 御奉行ニ
蒲生山下刈かりわ |一、蒲生山之下かりの儀、御鉄炮衆申付、かりわけニからせ可申ニ極申候事、
けニ刈ラシム |
| 釜
風呂家ノ行水釜洩 |一、御さうり取猪介申候ハ、御風呂やノ御行水桶鎌もり申候間、鋳させ可申由申候、幷御風呂やのし
ル | 〃
| やうしも繕度由申候事、
|(一脱)
米舟白石ニテ破損 | 国東郡武蔵浦之平左衛門と申船頭、御米を積罷上候処ニ、白石にて破損仕由候間、御浦奉行衆各
浦奉行へ立会処理 | 被立合、御吟味候て、埒可有御明候、以上
ヲ命ズ |
| 切かミ
船頭惣奉行ヘノ切 |一、右之通白井兵介・鏡善右衛門方へ遣候事、
紙 |
| (長岡忠隆)
長岡忠隆飛脚来ル |一、休無様ゟ御飛脚参候、坂崎清左衛門所へ落着被申候由、被申越ニ付而、則御町奉行衆へ申、町宿
町宿ヲ申付ク | 申付候事、
鍋島勝茂使者鷹師 |一、鍋嶋様ゟノ御使者ニ御小袖弐つ、御鷹師両人ニ銀子三枚宛、御ゑさしニ銀子壱枚被遣候、御使者
餌差へ小袖銀子ヲ | ハ坂崎清左衛門、右之御横目ニ、歩之御小性嶋田勘右衛門申付遣候事
給ス |
| (山村)
宇佐大貞宮ノ貸米 |一、宇佐・大貞ノ社米借シ付分、取立人御定候は、高下可在之由、弥一右衛門申候、宇佐は千石ノ
宇佐宮千石 | (坂崎成定ヵ)
大貞社百石 | 分、大貞百石分ニて候、まへ/\ゟ高下在之由候事、付、先御代ニ内膳殿御存之時は、高五百石
内膳代ハ貸米取立 | 分ノ役を、内膳殿手前を御引被成被遣、取立人へは、内膳殿ゟ三人ふちニ十五石ノ合力ニて仕
人二三人扶持十五 | 来被成候、其後永勝院ノさばきニ成候てハ、方々ゟノ祈進米之内を以、十石ニ三人ふちほとの心
石合力 永勝院 | 付ニて、半左衛門と申者、只今迄仕来之由候事、
代ニハ三人扶持十 |
石心付 |
| (曽根村、規矩郡)
寛永三年鶴打ノ札 |一、寛永三年十二月廿ニ日ニ、規矩郡にて靏被成御打せ 御印、そねの源兵衛ニ被成遣候ヲ、時分ハ
猟期以外ハ奉行所 | つれ候てハ、御奉行所ニ上置候ヲ、時分/\ニハ渡申候、又只今も可被成御打せ旨、 御意ニ
へ上グ | 付、右ノ御印ヲ源兵衛ニ渡申候事、
|一、中津ゟノ御飛脚、仕方半兵衛もの少兵衛と申候ニ、 御返書出申候ヲ、相渡候事、
| 歩ノ御小性
長岡忠隆ヘノ返書 |一、休無様へ之 御返書〇菅八左衛門ニ持せ遣、吉田少右衛門案内者ニつれ候而、御飛脚ニ可被相渡
| 旨、 (野脱)
京都借銀ノ前書 | (景延)(弥兵衛)
| 申渡候事、又京都御借銀之前書之儀、宗像・富嶋所へ被遣状も、御舟頭中靏二左衛門二被相
| 渡候へと、申渡候事、
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森銑三という人物がある。写真を拝見すると、おだやかで端正な面持ちの中に秘めた気骨を感じさせる。
学歴がないため大変苦労をしているが、史料編纂所に就職している。ただし図書係としてである。
歴史小説などを書く人たちには、森銑三の膨大な研究成果である『著作集』(全13巻)・『著作集 続編』(全17巻)は必須の史料であるとされる。
私はこの人物について詳しく知ることになったのは、森田誠吾の著作「明治人ものがたり」を読んでのことである。
森は自らを「伝記家」とし、多くの資料を読み漁り、5,000人を超える人物に関する記事を収録された。
森は悲劇の人である、この資料を火事の為に失っている。茫然自失の中で再び立ち上がり、井原西鶴の著作の研究を始めた。
西鶴自身の著作は「好色一代男」一本のみであるというのが、彼の主張である。西鶴の作品だとされる他のもの(署名がない)を精読分析しての結論であり、他人の著作だと結論付けている。
学歴のない彼の主張は学界から受け入れられることはなかった。無視されたという。
どこの世界でも「学会」の権威主義は、このような在野の研究は異端であり、評価に値しないと切り捨てる。
検証しようとする気配もないのだろうか。
その後森は雑文家として生計を立てるとともに、その生きた証として完成させたのが正続30巻に及ぶ「著作集」である。
5,000人にも及ぶ人物に関する記事が残されていたら、貴重な史料として重宝されたことであろう。
多くの在野の人たちが、色々な資料を読み込んで独自の論拠により本を出版されたり、論考を発表されたりしている。
其の努力には大いに敬意を表したいと思うが、中にはいかにも独善的で的外れなものにも出会うことが有る。
まさに世の中はITの時代、其の内にはある個人の名前を打ち込めば、これに関する記事がたちどころに見ることができるようになるのだろう。
森銑三の大いなる不遇を感じざるを得ないが、「著作集 正続30巻」は上梓を目指す多くの作家に利用されていることを想えば、以て冥すべしであろう。
森田誠吾は「学歴のない学歴」としている。