津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川小倉藩(222)寛永四年・日帳(五月廿七~九日)

2020-05-07 15:37:46 | 細川家譜

                      (寛永四年五月)廿七~九日 

         |
         |    廿七日  加来二郎兵衛
         |
知行方奉行ノ要請 |一、諸御郡之者、こへつほを請取、そこ/\ニ預置、とりこミ、すへ不申由申候、急度被仰付可然
ニヨリ肥壺ノ居付 |    (喜左衛門)  
ヲ諸郡中へ厳命ス |  由、金子被申候ニ付、御郡中へ堅被申触、如 御意すへさせ可被申由、ふれ状遣候事、
荒川與三国ヲ払ハ |一、荒川與三殿儀、筑紫大膳殿をよひ、様子申渡候処ニ、奉得其意候、いつかたへ成共、成次第他国
ル  母親ヲ残ス |                        御頼候    
         |  可仕候、母儀ハ爰元ニ残置申候間、万事可然様ニとの儀、大膳殿使ニ〆被仰聞候、得其意申由申
         |  候事、
福嶋八兵衛ノ下人 |一、福嶋八兵衛下人ノ口をきかせ可申ため、奥村少兵衛・古庄次左衛門を遣申ニ付、米田與右衛門殿・
ノ口ヲ開ク    |  吉田少右衛門方へ右之通申、切かミ遣候事、
         |
細川興昌ヨリ来ル |一、式ア殿ゟ、山本源太夫使ニて被仰聞候ハ、玄蕃殿ゟ参候御馬を、稲葉彦四郎様へ可被進との被成
馬ヲ稲葉延通へ贈 |  御約束候間、あなたゟ人参次第、渡可遣旨、先日式ア殿へ被 仰下候、左候ヘハ、此御馬やせ申
ル        |  由、今朝承候間、今少かいを増、やせ不申様ニ可申付由、被仰聞候、委細得其意申由、返事申候
飼料ヲ増ス    |  事、
         |

         |
         |    廿八日  山崎伝左衛門
         |
織田信長法事ノ用 |一、信長様之為御吊、中津ゟ来二日之御法事之御奉行ニ、佐藤伝兵衛・荒木久八被罷越候付、河田八
意        |  右衛門を呼、何も御用之儀共候ハヽ、可承之通可被申由、申渡候事、
         |                                (除)
泰巖寺清掃    |一、式ア少輔殿ゟ。御使ニて被仰聞候ハ、泰岩寺へ見廻申候ヘハ、掃地已下も坊一段念を被入、無残
         |  所候、各ゟも、何も御用共候ハヽ、可承とて、使者を被遣由承候、一段可然存候事由、被仰越候
         |  事、
福嶋八兵衛下人ノ |一、町籠ニ居候福嶋八兵衛下人之口を開せ申ために、奥村少兵衛今日も遣申候事、
尋問       |
         |

         |
         |    廿九日  奥村少兵衛
         |
宇佐郡去免相違ノ |一、宇佐郡ゟ、去免違之書物調、持せ差越候事、
書物来ル     |
         |一、御奉行衆、今日泰岩寺へ御見廻候事、
泰巖寺法事ノ警固 |一、御鉄炮衆ノ小頭野田角右衛門、当月行事ニ付、よひ候而申渡候ハ、明後二日、泰岩寺ニ而、中津
ヲ鉄炮足軽ニ命ズ |  ゟ御吊被仰付候間、御鉄炮衆をけいごに可被申付候、人数之儀は、毎年のことく可被申付通、
         |  申渡候事、
         |                                    (田中氏次)
質部屋入ノ御蔵手 |一、しちへやニ居候吉用忠右衛門手伝之物書喜右衛門、火急ニ相煩申ニ付、今朝兵庫殿へ申入候へハ、
伝ノ物書急病   |  
         |  修理殿御談合候て、御医者可被遣由被仰候つるか、于今御医者不被参候間、又上り候由、しちや
         |  御番大塚勘介申来候、御医者急度被仰付候様ニと申候事、御奉行衆泰岩寺へ御出候間、御戻候ハ
         |  ゝ、其段可申通申渡候事、
         |

 

        (寛永四年分はこれをもって終了です。六月~十二月分は欠落しています。
         次回からは寛永五年分を一月から取り上げます。)

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■休会を決意

2020-05-07 13:21:28 | 熊本史談会

 

 熊本ではもう10日以上コロナ感染者は出ていない。しかし若干ながらも感染者が増えている福岡がお隣さんである。
まだまだ気をゆるわけにはいかぬ。
「緊急事態宣言」が延長される中で、一部緩和の動きが出てきた。熊本県では美術館は今日から再開されたが、図書館では再開の動きがない。県と市では温度差があり、市の図書館・美術館・博物館などのオープンは未だになりそうである。
史談会で使わせていただいている熊本市民会館の使用は今日から再開の予定であったが、逆に13日まで延長された。
5月例会予定の16日は、再度延長はないとは思うが、熟慮の上安全第一を考慮して休会とすることを決意した。
早速その案内をしなければならない。そして6月開催に前向きに取り組もうと思っている。

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■瓦版 北亜墨利加国船圖

2020-05-07 06:26:17 | オークション

        瓦版 北亜墨利加国船図 木版 合羽刷り 米東インド艦隊司令長官ビッドル 開国 浦賀来航 ペリー来航 和本 古文書 幕末 ペリー提督 アメリカ船

    

 かわら版だとしているが、非常に状態が良い。
ペリーの来日の嘉永6年(1853)6月3日より7年前、弘化三年(1846)閏6月に来た黒船の図である。
長さ50間(≒91m)だというが、人物の描きようがでかくて、スケール感を感じないが良く書いてある。
この船は亜米利加の東インド艦隊のビッドル艦隊司令長官が今一隻の船と共に浦賀に来航した折のものである。
     参考論考:「弘化三年ビッドル提督の来航

この図で面白いのは左上の図である。
「右舩へ水運■致参後者もらひ参候菓子の圖なり」下には「厚サ三アほど ■■後に喰」とある。
水運びをした者たちが貰ってきた御菓子の絵である。厚さ三アのアは部=分か、つまり9㎜ほどで、■■は「さん」とも見えるがよく判らない。
絵の具合や暑さ9㎜からすると乾パンの類であろうか。ウイキペディアの「乾パン」に類似のものが紹介されている。

                   
              19世紀ごろのアメリカの軍用堅パン(ハードタック)


初めての異国からの来訪者に対して、臆することなく交流した人たちがいたことが面白い。貴重な史料である。
オークションは高額になりそうな予感がする。

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