津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■季節外れの桜の話

2020-05-31 17:56:04 | 熊本

          

 季節外れの桜の話・・・
自衛隊正門前の左へ四本目の桜は、1キロほど続く桜並木の中で、この樹だけ一月ほど前に開花する。(去年も今年も)
普通のピンク色の花と違って、白っぽい色の花が特徴である。

 今朝、散歩の途中この樹の下に、数粒のサクランボが落ちているのに気付いた。鳥がつついたものだろう。
染井吉野にはサクランボはならないと思い込んでいたから、驚いて見上げると、6~7㎜ほどの小さな実が幾つかなっていた。
この一本だけ花が白く、開花もひと月も早いところからすると染井吉野ではないのかもしれない。
他の木に実がなっているのは見たことがない。どういう品種の木だろうかと気になって仕方がない。

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■「乃美・小篠人の出入」の顛末

2020-05-31 17:18:45 | ご挨拶

 寛永五年の正月廿日、二月九日の記事に乃美主水と小篠次太夫との人の「出入」についての記述がある。
この場合の「出入」とは「でいり」であり争いごとをさす。
このことは忠利の耳にも達していたらしく、殊の顛末を知らせるようにとの御意である。
事は、乃美主水の下人が小篠次太夫の許へ奉公替えをすることに端を発している。乃美は快く了解をしたらしい。
しかし小篠の方からはこのことに付、特別の挨拶がない。この出入について扱いを一任されたのは、坂崎道雲・志水伯耆・小谷又右衛門などである。
奉行からであろうか、坂崎道雲に尋ねたところ、三人の衆が小篠を同道して、乃美主水の許へ出かけてようとしたが、いろいろの理由で延引した。
しばらくして小篠小は乃美たくへ出かけてはいるが、この件に対する「礼」としての発言はしていない。「無言」という表現が面白い。
小篠はこれをもって、事は済んだと理解している。一方乃美方では「礼」としての発言があってないと理解している。
双方に食い違いが生じている。

その後2月9日の記事は、事が意外な方向に進展したことを記している。
小篠次太夫は奉公替えで受け入れた下人に「暇=いとま」をだし、宿(次太夫家の長屋か)を出るように促している。
ところがこの下人・小左衛門が切腹してしまったのである。
かっての主人と新しい主人の間で、自分のことで「出入」があり、それが原因と思われる「雇止め」が行われたのである。
小左衛門の心中は計り知れないが、死を選んだ。

事は役所に届けられ、忠利にも伝えられ「御構なき旨仰出され候」とあるから、当事者たちには何のお構いもなかったということである。
小篠次太夫は当時の奉行の一人である。一言の「礼の言葉}があって居れば、小左衛門も死を選ばずに済んだのかもしれない。
事は三年に及んでいるという。以下関係記事再掲する。

   ■寛永五年正月廿日・日帳

         |         脱)                  (成定)  (元五)
忠利乃美景嘉ト小 |一、乃美主水小篠次夫と人ノ出入あつかい被申候衆、坂崎道雲・志水伯耆・小谷又右衛門、此三人
篠次大夫トノ人ノ |                    (成政)      清左衛門の養父
出入ヲ聞カシム  |  にて御座候由ニ付、落着之様子を、坂崎清左衛門を以、道雲ニたつね可申 御意ニ御座候間、則
         |  清左衛門にたつね申候処ニ、道雲被申候ハ、あつかい調申候後、主水かたへ、あつかいノ衆次
         |  大夫を同道仕候て、礼ニ参候筈ニ御座候処ニ、いろ/\と候て延引仕不参候、此儀ニ付而主水・
無言       |  次大夫無言にて御座候つれ共、あつかいノ後、久敷間御座候而、主水方へ次大夫礼とハ不申参
         |  候へ共、主水ハ見廻と相心得、人出入済たる故ニ、次大夫礼ノ心得にて被参たるとハ、主水不存
         |  様子ノ由、道雲被申候由、清左衛門被申也、

乃美小篠人ノ出入 |一、乃美主水・小篠次大夫人ノ出入之儀を、坂崎道雲あつかい人ノ内にて御座候ニ付而、其節之様子
ニツキ扱人坂崎道 |  を道雲ニたつね可申旨 御意ニ付、道雲を御城へよひ候て、相たつね申候処ニ、道雲申様之
雲ノ口上     |  事、

 

   ■寛永五年二月九日・日帳

小篠ト乃美トノ人 |一、小谷忠二郎・熊谷九郎兵衛被申候ハ、小篠次太夫と乃美主水人之出入ニ付而、次太夫いとまを遣
ノ出入一件    |     (小左衛門)
小左衛門暇ヲ出サ |  被申候もの、此中やとをもかへ候へと、申付候処ニ、日からあしき由申、今日、やとをかへ可申と
レ切腹      |  内々申候、然処ニ、今朝ほの/\あけニ切腹仕候、かの女房見付候て、こへをたて申ニ付、見付、
         |                       (息)  
         |  忠二郎・九郎兵衛両人も参見申候、それ迄ハ少いき御座候へ共、そのまゝおち入申候、則式ア殿
         |                                       (友好)
ソノ後ノ処置   |  へ参、此段申候へとも、御奉行衆へ可申通妃仰ニ付、如此之由被申候間、当番松井宇右衛門尉ニ
         |  申、与之衆両人被仰付、かの切腹仕候者書置なとも可有之候間、左様之儀、其外妃相改候ハヽ、
         |  其上を以、立 御耳可申候間、御与之衆被仰付候ヘと、申渡し候事、
         |一、稲葉民ア殿へ之御返書出申候間、御与之衆被仰付候へと、申渡候事、

乃美ト小篠人ノ出 |一、乃美主水・小篠次太夫人ノ出入在之小左衛門と申もの、今朝未明ニ切腹仕ニ付、其段書付を以申
入一件  小左衛 |  上候処、無御構旨被仰出候事、則書付ハ得 御諚相済との袋ニ入置候也、
門切腹構ナシ   |
得御諚相済トノ袋 |

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■御恵贈御礼「家系研究・第69号」

2020-05-31 11:56:19 | 書籍・読書

 家系研究協議会発行の「家系研究・第69号」をお送りいただいた。厚くお礼申し上げる。
あとがきを読むと新入会員3名の方の記事が掲載されているが、ご発展のご様子で羨ましい限りである。
会のますますのご発展をお祈り申し上げる。

          

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■細川小倉藩(247)寛永五年・日帳(二月九日)

2020-05-31 06:28:24 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正二月)九日 

         |
         |    九日
         |
久留島へ太刀折紙 |一、久留嶋殿へ被遣御太刀折紙、幷式ア殿ゟ熊谷忠右衛門方へ被遣御文箱、内ニ 御書有之由也、右
         |  歩之御小姓松岡角太夫ニ相渡候事、
         |   (一通)室は細川忠興女・多羅
稲葉一通ヨリ音信 |一、稲葉民ア様ゟ、ゑひ壱籠・みるくひの貝壱籠、御文箱壱つ、御飛脚持参仕由にて、式ア殿ゟ御
持海老海松食ノ貝 |  せ、御上候事、

         |
小篠ト乃美トノ人 |一、小谷忠二郎・熊谷九郎兵衛被申候ハ、小篠次太夫と乃美主水人之出入ニ付而、次太夫いとまを遣
ノ出入一件    |     (小左衛門)
小左衛門暇ヲ出サ |  被申候もの、此中やとをもかへ候へと、申付候処ニ、日からあしき由申、今日、やとをかへ可申と
レ切腹      |  内々申候、然処ニ、今朝ほの/\あけニ切腹仕候、かの女房見付候て、こへをたて申ニ付、見付、
         |                       (息)  
         |  忠二郎・九郎兵衛両人も参見申候、それ迄ハ少いき御座候へ共、そのまゝおち入申候、則式ア殿
         |                                       (友好)
ソノ後ノ処置   |  へ参、此段申候へとも、御奉行衆へ可申通妃仰ニ付、如此之由被申候間、当番松井宇右衛門尉ニ
         |  申、与之衆両人被仰付、かの切腹仕候者書置なとも可有之候間、左様之儀、其外妃相改候ハヽ、
         |  其上を以、立 御耳可申候間、御与之衆被仰付候ヘと、申渡し候事、
         |一、稲葉民ア殿へ之御返書出申候間、御与之衆被仰付候へと、申渡候事、
         |      (舞阪、敷智郡)
舞阪ノ宿主九左衛 |一、遠江ノ、前坂之御宿九左衛門・同子九兵衛御見廻ニ罷下候事、
門父子見舞ニ来ル |
大坂城普請ノ鉄炮 |一、大坂御普請ニ罷上候御鉄炮衆御借銀之切手、彦進・甚丞ゟ上せ申候間、其切手次第可被相渡由、
足軽借銀ノ切手  |   (親英)     (氏久)  
         |  仁保太兵衛・田中猪兵衛所へ之状、寺尾左介与ノ小頭坂本七兵衛ニ渡、上せ申候事、
大工発狂スルニヨ |一、藤本勘介被申候ハ、大工ノ新兵衛狂気仕、以外ニ候間、御医師ヲ被遣、御見せ被成被候様ニと
リ診療ヲ乞ウ   |  被申候、心得申由、返事申候事、
         |                     (藤田宗利)
伏籠ノ用ニ矢竹ヲ |一、御ふせこの御用ニ、矢の竹をためさせニ、宗理所へ遣候、三宅勘三郎奉、
矯メシム     |
乃美ト小篠人ノ出 |一、乃美主水・小篠次太夫人ノ出入在之小左衛門と申もの、今朝未明ニ切腹仕ニ付、其段書付を以申
入一件  小左衛 |  上候処、無御構旨被 仰出候事、則書付ハ得 御諚相済との袋ニ入置候也、
門切腹構ナシ   |
得御諚相済トノ袋 |
薩摩へ枇榔子縄買 |一、さつまへ、つぐつなかいニ被遣御鉄炮衆、寺本八左衛門与福嶋少太夫也、御船頭ハ野間惣兵衛と
松井興長有吉英貴 |
ヨリ依頼ノ状ヲ持 |  申候也、式ア殿・頼母殿ゟ、彼地御奉行比志嶋宮内少・喜入摂津守方へ、つぐつなかいニ、小倉
タシム      |           (表示不能、異の異体字)
         |  ノ町人参候間、其元無儀かい出申候様ニ頼申との状、持せ遣候事、
         |            (通春)
久留島通春ヨリ人 |一、式ア殿ゟ被仰聞候ハ、久留嶋殿ゟ人戻之儀ニ付、鉄炮之ものさうなるもの弐人参候間、賄之儀、
返シノ請取    | (住江元明)
         |  甚兵衛へ可申付由、被仰越候、得其意存由、御返事申候事、

関某飯銅坂井ノ取 |一、関與三右衛門と申仁、飯銅上右衛門めしつれ■被参、被申候ハ、坂井七郎右衛門・私両人にて申
次ニテ歩ノ小姓ニ |  上、歩之御小性二被 召抱候、今晩御礼相済申候、両人申上ニ付被 召置候、いつれも望申もの
召抱ヘラル    |  数多御座候へ共、不被 召置候旨 御意にて、殊外 御懇にて御座候つる由、被申候事、
生源寺甚斎預リシ |一、生源寺市兵衛被申候ハ、甚斎儀、下をおり候て養生仕候へと、被 仰出候付、只今御礼申上候へ
北ノ丸櫓ヲ下リ養 |  は、被 仰出候ハ、甚斎儀、御番を被成 御免候間、ゆる/\と養生仕候へと、御意にて、忝仕
生スルヲ免サル  |  合難申上候由、被申候事、
了三孫を誅伐サル |一、中津之松満了三孫、夜前被成御誅伐候、了三儀ハ孫を被成御誅伐、かんにんも成間敷と存候ハヽ、
喧嘩相手ヲ惨殺ス |                                  (表記不可、口篇に花)
喧嘩ハ理非ニ構ナ |  他国仕候へ、左もなく候ハヽ、其儘居可申旨被 仰出旨候、孫之儀ハ喧を仕、合手をきりころ
ク成敗      |  し申たる事候間、理非ニ御かまひなく御成敗之旨 御意之由、永良長兵衛物語被申候事<
         |一、金子喜左衛門、中津ゟ被罷帰候事、
舞阪宿主ヲ謁見ス |一、前坂之御宿九左衛門・九兵衛、親子共ニ今晩御礼相済申候事、
         |  (国遠)         
あんめんとの種子 |一、道倫被申候ハ、あんめんとゝ申ものゝたねにて候、廿御座候、上林ニ被仰付、畠ニうへさせ可
ヲ植へシム    |  申由ニ、持被出候事、
         |        (武居ヵ)                       (藍島、規矩郡)                         (白井)
船頭藍島ノ隼巣ヲ |一、南次兵衛・高家勘介両人を、あい嶋へ、隼ノすをかけ申所、見せニ遣候由ニて、兵介めしつれ参

見分スルニ鳶ノ様 |  候、寛元・弐年ゟ、とびノ様成たか、すをかけ申鐘楼由、所ノもの申弐付、古キすを見申由申候、
         |                        ( 腰 白 )                     (横山)
ナル鷹  役ニモ |  此たかノこハ、前かと御城ニ上ヶ申由申候、併、こししろノやくニたち申ものニ而ハ無之由、修理
立ツモノニテナシ |  申候事 
明寰長崎ノ妻子ニ |一、明寰、米拾石ほと長崎妻子所へ下申度候、今度さつまへつなかいニ被遣御船参由候、此御舟ニ積
         |                (鏡)
米ヲ運ハントシテ |  下申度由、此方へ申候、兵介・善右衛門両人ニ申候て、つミ候へと申候、然所ニ、兵介登城被仕
便船ヲ願フ    |  ニ付、談合申候処、つミ下可申由申候事、
大坂へ鶴ノ箱ヲ上 |一、大坂へ、杉山藤兵衛持上り被申靏ハコ三つ、重田吉左衛門ニ今晩渡候事、
ス        |

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