津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■肥後に於ける取り付け騒ぎ

2020-05-20 15:25:50 | 歴史

 熊本藩政史の中で、史料的になかなか表に現れない事件が多々ある。
仮に表れていても、是は藩庁側による記録であり100%真実であるのかは疑わしい。
熊本藩年表稿などもいろんな事柄が羅列されているが、ここにさえ登場しないものがある。

公式な記録は恣意的に伏せられたのかもしれないが、研究者たちはわずかな記録から事件を嗅ぎ出し、その他の状況記録を精査しながらその全貌を明らかにしようと努力する。
例えば、齊茲公時代の「取り付け騒ぎ」である。
考えてみれば齊茲の時代は、京都御所造営費用負担(20万両≒15~20億円)、島原眉山崩壊による大津波被害、白川をはじめとする諸川の氾濫、江戸大火に伴う龍口上屋敷の類焼など、物入りの事柄が頻発している。
大奉行遠坂関内は緊縮財政で乗り切ろうとしたが、藩主側近(お側衆)出身の郡夷則が積極財政を称え対立した。
遠坂らは17年に及ぶ蟄居を言い渡され、宝暦の改革当時藩政から退けられていた家老・御側衆などの勢力が、郡夷則をたてて積極財政に出た。
そのため藩札の発行が行われ、後には兌換(銀との交換)が止めれれるに及ぶと取り付け騒ぎに及ぶことになる。
この辺りを明らかにした鎌田浩氏はその著「熊本藩の法と政治」の中で、辻のような史料を紹介している。

  根元、寛政四年種々御才覚之御仕法尽果、始て御銀所預四五万両御振出之処・・・、現銀計之不便利之中、至て最安キ
 に付、通用甚宜、其機ニ乗し拾四五万両追々どろりと御振出由之処、忽ち人気変し、通用塞り、一統預を忌ミ嫌、諸方之動
 揺諸事の混雑別て町方一統商買方差支、諸色之直段二筋に成り、現銭に歩さしを取、段々偽造之罪科も出来、言語道断騒
 動し、御銀所現銭引換夥敷、日々未明より日歿迄御家中町在一統(数百人)押寄、ゑひとう々々押合へし合、中々中々御
 銀所御役人計之手に及兼候に付、廻役大勢被指出、町方御横目等詰方にて種々様々仕法を立、棟千切木にて制すれは制す
 るほと弥人気は相背き、段々込ミ合、(屏壁を押崩し候程之儀に有之)、怪我人も出来し、歪曲偽造之罪人も遂日増来り、
 既に御國中一統之動揺、御政体にも差障り可及破勢に付・・・

              原文「御勝手向しらへ」( )内は「宝暦以来勝手向御繰合之御模様大略調帳」より補足

 この時代には珍しい「どろりと」とか「ゑひとう々々」とか、オノマトペが使われて臨場感が増した文章になっている。
この結果、勘定頭などの直接関係者はすべて処分され、積極財政推進を唱えた当事者や、これを容認した家老等上層部には責任を問われることはなかった。

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■志方半兵衛言上之覚・釈文‐ 28(原文34分)

2020-05-20 14:00:31 | 史料

34         被為 思召之由ニ御座候 但大炊殿ゟ天草へ
          薩广之御人数被越候へと仰不被遣以前ニ爰元
          之 上使衆下ニ而之御心得にて被仰遣候哉是も
          御普請ニ被為 思召之由被仰下候大炊殿ゟ
          殿様へ被仰進候と昨日ハ不存候薩广之御
          人数薩广へ引候へと 松平甚三郎殿林丹波殿
          牧野傳蔵殿ゟ被仰遣候時分ハ十二月朔日比
          之由ニ御座候 同四日之日御国之内三角ニて承候ハ
          薩广之御人数志々か嶋へ渡り居申■不            獅子島
          謂事ニ候いそき加こ嶋へ打入可申之由右
          御三人衆被仰遣之由横山助進申候を其後
          天草之内河内村ニて所の者申候ハ天草済申
          迄志々か嶋ニ薩广人数其間ゝ居申由申候 志々か嶋
          参候侍大将山田民ア少輔やらう千弐百人召連参候
          此人数之儀ハ八代ゟ飛脚を遣候時飛脚申候を
          承候事
         一立允様寸本之河内村迄おし被成候時ハ上使
          之御衆ハ何方ニ御座候哉 立允様御承御座候

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■細川小倉藩(236)寛永五年・日帳(正月廿ニ日)

2020-05-20 07:12:35 | 細川小倉藩

                      (寛永五年正月)廿二日 

         |
         |    廿二日
         |
合羽裁断ノ奉行  |一、御かつは御切せ被成候御奉行ニ、内藤平左衛門尉申付候事、
上方ヘノ音信物ニ |一、上方へ為御音信、川口ののり三桶とらせ候て、上可申旨ニ付、則申付とらせ、熊野半左衛門ニ相
川口ノ海苔ヲ採ラ |  渡候事、
シム       |
死セル鉄炮足軽ノ |一、佐分利作左衛門与今井六介と申御鉄炮衆相果申ニ付、跡替田作りニ其まゝ抱申由、作左衛門被申
給田ノ跡替    |  来候事、
         |           所ゟ
船頭木付籠城ノ功 |一、式ア殿内山本源太夫、寺戸兵左衛門を以被申候ハ、昨日河野惣右衛門・明石太郎右衛門儀、古野
必定       |                     (必)
         |  二郎左衛門同前ニ、木付籠城仕たる由、秘定ニ候間、其心得候様ニと、被申越候事、
丹頂鶴打     |一、曽根之源兵衛、たんちゃう靏壱つ打、上申候事、
                                                       
                   頭頂には羽毛がなく、赤い皮膚が裸出している、丹は赤を意味する。

         |                             (友好)
中川久盛家中ヨリ |一、中川内膳殿御内衆ゟ参候鹿犬之御扶持方之儀、加相渡候、松井宇右衛門奉ニ而被申越候、御扶持
来ル鹿犬ノ扶持方 |  方被遣御犬数相定候へ共、是ハ他所ゟ参候御犬之儀候間、重而得 御諚候迄ハ、御扶持方可被相
扶持方ノ犬ニ定数 |  渡候、かた書仕、金子・中神ニ遣候事、
アリ       |
         |  (沓尾、中津郡)
沓尾ニテノ石田シ |一、くつをにて石田し申道具共、亀介与竹村勘介くつをニあつけ置候、彼勘介ハ大坂御普請ニ罷上候

道具       |  ニ付而、国友半右衛門与之加来ク右衛門ニ引渡加申通、くつをへ遣候事、
         |  (宗珠院)  
宗珠院ノ下女交替 |一、そうしゅいん殿へ、先年まつと申下女遣被置候、彼まつを被 召下、其かわりの女御上せ候へと
         |                     (長沢顕長室、沼田清延女)
         |  も、于今御切米不被遣候間、渡候様ニと、伊与殿ゟ黒瀬九郎右衛門を使ニ而承候、様子一円合点
京都御物奉行ノ申 |  不参候間、上方之儀、石本三介よく可被存と存候て、相たつね申候処ニ、まつと申下女ハ、御物
分  物師ノ遣女 |  師衆三人ノつかいものにて御座候ツルを、小倉へ被 召下、其かわりの女上方ニ而被置せ、年中
下女年中ノ銀子二 |                    (姫島、国東郡)
十五匁  上リ女 |  ニ銀子弐十五匁宛、切米わたり申候、又ひめしまの御代官ゟのあがり女壱人、そうしゆいん殿へ
         |                              罪を犯し処刑された者の妻や娘を、救済の意味を持って下女として働かせた
宗珠院ノ下女故忠 |  被進候、是ハそうしゅいん殿下女にて候間、 殿様ゟ御切米ハわたり不申候由、三介申分にて御
利ヨリ切米ハ渡ラ |  座候事、
ズ        |
         |此使者に御小袖二つ被遣候事、
加藤忠広内並河志 |一、加藤肥後様御内並河志摩守様方ゟ、使者被差上候由、御使者ハ歩小姓と相見え申由、町御奉行吉
摩守使者ノ接待  |              〃
         |  田少右衛門被申来候事、則御賄・御やと奉行之儀申付候也、
         |  (細川光尚)
光尚進上ノ白鳥菱 |一、御六様ゟ、白鳥・ひしくい持せ被進之候御飛脚之替両人共ニ、明日竹原清太夫乗上り候御舟ニ
食        |                      (皆川)
江戸へ鶴ヲ送ル  |  乗、江戸へ被進之候靏持せ、差上せ可申旨、治ア丞を以被 仰出候事、
猟虎ノ皮ヲ江戸ヨ |一、らつこの皮、江戸ニ五枚御座候を、取よせ可申旨 御意の由、坂本仁兵衛奉、則竹原清大夫江戸
リ取寄ス     |  へ御使ニ被遣候ニ申渡候、清大夫被請取、持せ可被上通申渡候事、
         |                             (忠利室、千代姫)
永塩源太郎ノ身分 |一、永塩源太郎儀、小河彦左衛門方へたつね申候ヘハ、彼源太郎ハ御うら様御つほねわきこゞと申御
         |                                  岩間六兵衛妻・海津
ハ御局脇こゞノ孫 |                                         (正成)
女房直ニ召抱ヲ願 |  女房達ノま子にて御座候、 殿様へ右之女房達直ニ被得 御意候て、言太郎被召置候、岩間六兵
フ        |  衛召連、御下屋敷へ参、御礼相済申候、より親も無御座候ニ付、御扶持方も之儀は、小河彦左衛
         |                                   〃
         |  門申上候而、相済申候、小性小者扶持方切米之儀、彦左衛門も不存候由、被申候事、
         |                                          (佐藤)
数寄ニ曽根ノ鰻ヲ |一、明日之御数寄ニ、そねのうなぎ御用ニ候間、五本なり共、三本なり共とらせ可申由、御台所の甚
求ム       |  左衛門奉にて候、則平井五郎行恵所へ切帋にて申遣候ニ、西田吉内を遣、口上にても申渡候事、
         |一、竹原清大夫江戸へ御使ニ被遣候、瀬崎猪右衛門ハ京へ御使ニ被遣候、右両人被乗候舟ニ、 御六
         |  様への御飛脚ニ、御長柄衆弐人、京への御飛脚弐人、右之舟ニ乗せ候て可上通、兵介・善右衛門
         |  へ申渡候事、
         |

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