どくだみの白きを備前と決めて採り 津々
散歩の途中のどくだみの花が白い十字をの花を付けて愛らしい。
匂いのきついどくだみは茶花に使われることはない。しかし風情は茶花そのものである。
二三本採りながら、備前の小壷に挿そうと決めた。どくだみは薬草である。
行違う私の手元の花を眺めた老女は不思議そうに私の顔を一瞥したが、まさか花を飾るとは思っていなかっただろう。
私が草花に興味を持つのは、茶道を勉強したことによる。茶道は私にいろいろな財産を残してくれた。
どくだみの白きを備前と決めて採り 津々
散歩の途中のどくだみの花が白い十字をの花を付けて愛らしい。
匂いのきついどくだみは茶花に使われることはない。しかし風情は茶花そのものである。
二三本採りながら、備前の小壷に挿そうと決めた。どくだみは薬草である。
行違う私の手元の花を眺めた老女は不思議そうに私の顔を一瞥したが、まさか花を飾るとは思っていなかっただろう。
私が草花に興味を持つのは、茶道を勉強したことによる。茶道は私にいろいろな財産を残してくれた。
「コロナ暇」の中、「上井覚兼日記」の原文を読み始めた。
原本は重要文化財として東大史料編纂所に収蔵されているが、その写しが鹿児島大学付属図書館に所蔵され、そしてこれを国文学史料館のアーカイブスで見ることができる。
原文を読むのだから読む事さえ大変だし意訳もままならない。故に遅々として進まない。
1、243コマという膨大な量だから、一日2頁で進んだとしても一年九ヶ月ほどはかかるという大部である。
今日は4日目だが、現在10コマに到着していない。
天正二年八月から始まるこの日記は、薩摩の島津義久の家老・上井覚兼が約12年間にわたり記録したものである。
まさに島津氏が豊後の大友等と覇権を争った時代の記録であり、この時期の肥後国を知るうえでは何とか読了したいとあらぬ挑戦をしてみた。
大日本古記録(東大史料編纂所編・全三冊)もあるのだが、古文にチャレンジして汗を流そうと思っている。
古文読解力をUPさせようとの思いもあるが、とんでもない話だとすっかり気付いている。肝試しという感じである。
大日本古記録のほうも、熊本県立図書館が全オープンの暁には出かけて眺めてみようと思っている。
(寛永五年正月)廿五・六日
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| 廿五日
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| 御
小々性等ノ内ノ者 |一、御小々姓衆ノ内もの御穿鑿被 仰付儀ニ而、大勢しちへや・籠へ御入被成候、右之奉行ハ横田権
ノ詮索ニ大勢質部 | 佐・湯浅角兵衛両人ニ、与之衆被成御添被 仰付候、
屋牢ニ入ル |
| (立成)
岡本蔵人内ノ者ヲ |一、岡本蔵人内のもの九人ともニ、今日 御前相済、しちへやゟ被成御出候、道家左近右衛門ゟ状を
釈放シ上方へ上ス | 相そへ、上方へも上せ可申旨、 御意之事、
| (近元)
津川近元草履取走 |一、右御小々姓衆ノ内、津川数馬殿そうり取鹿の介と申もの、はしり申候ニ付而、方々堺目へも人を
ルニツキ境目諸門 | 遣、其外御門/\、川口へも申遣、人改申候事、
河口人改ヲ命ズ |
外曲ノ塀ノ覆ソノ |一、とがわのへいのおゝい、人大勢かけ不申、そこね候所ヲも新敷不仕、そのまゝゆひつけ置申様ニ
マヽ結付クヲ命ズ | との 御意ニ付、其段則御奉行神西長五郎ニ被申候事
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| 廿六日
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津川近元草履取発 |一、津川数馬殿内鹿介、見出申候ものハ、御扶持人之御表屋清介と申ものにて御座候、大門のわきニ
見サル | (惟英)
捕縛ノ様子 | むしろをかふり、大わきさしを、ふところ内ニさし居申候、左候而、むかへの竹原清太夫屋敷
| ははしりこミ申候を見付、其儘、吉田少右衛門へ注進仕、少右衛門所ゟ此段被申越ニ付而、我々
| (浜手)
| も参、やしきの内尋申候へ共、居不申付、方々へ人を廻、尋させ申候処ニ、大門のわきはまての
| 御門
| 〇御番屋所ノ下水通ニ居申候を、田中伝兵衛前廉召仕申候安東八右衛門と申牢人、田川ニ居申候
| か、兵庫所へ見廻参罷出、見付申付候を、余田三右衛門番所ノ下のそき、罷出候へ、わきさしを
| も出候へと申候ヘハ、わきさしを出し申候、則三右衛門つなをかけ、引出申候処・奥村少兵衛両
| 〃〃〃〃〃 〃〃〃〃〃
| 人ニ而引出申候、其の外数多寄合、つなをかけ申候事、
| (久盛)
中川久盛ヨリ音信 |一、中川内膳様ゟ御飛脚参候、御音信ニ、野大根・鴨三つ参候、御状も参候事、
|一、右内膳様ゟ之御飛脚ニ、其まゝ 御返書申候ヲ、古庄次左衛門ニ持せ遣、御飛脚ニ渡させ申候
| 事、
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