津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■こんな景色が見えるポイント

2022-06-06 06:57:40 | 徒然

 建築設計を生業にしてきたから、熊本城の姿には大変興味がある。
大変フォルムが綺麗で、それは各階の屋根と6層の階高の設定がすごくうまくできていると感じている。
南面・北面の展望の為のわずかな出張り部分の唐破風屋根の造りが、大天守のきりっとした姿にわずかな変化をもたらして、好ましい。
良く知られるアングルでは、南向きの大天守を正面にして右手に二様の石垣を配したものが知られるが、このアングルは場所をずっと左手手前に移して二様の石垣はきえて、替って左手に飯田丸の石垣らしいものが描かれている。
このスケッチはずいぶん以前、暇な時間に書いたものだが、捨てずに取っておいた。
最近、これと全く同じ構図の絵葉書がオークションに出ているのを発見した。一枚120円とか値がついていたようだ。
私のスケッチを探し出し、見比べてみたら、その絵ハガキを手本にしていることが判った。
随分以前に書いたものだが、そんな絵葉書など手元には持たないから、どうした物かは謎である。
スキャンして見たら紙の裏面が写ってしまったが、これがなんと花畑邸の平面図のコピーだった。
絵に枠取りした四隅角を、我が家の家紋に倣ったわけでもなかろうが「隅入り」にしているのには笑ってしまった。
ふと思ったのは、このような景色が伺えるポイントの位置に立ってみたいという事だ。
右下の石垣の水落とし口を探せば、直ぐ特定できるだろう。本丸御殿が出来ているから、このままの景色ではあるまいが・・・

                

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■白川の「子飼・細川刑部邸うらの船着き跡」

2022-06-06 06:53:08 | 古写真

 熊本史談会の最若手会員の中村君が、高田Dr撮影の貴重な写真をメールで送ってくれた。
ここは祖母の甥・J家の屋敷に近くて、幼い頃祖母に手を引かれてこの家を訪ねた際、訪れた場所だ。
余り確かな記憶はないが、ここが白川の渡しの子飼刑部邸の船着き場跡である。
対岸の大江側はどんな施設があったのか、あったとしても昭和28年の大水害で無くなってしまったろうが、子飼側はよくぞ残っていてくれた。
(追記:子飼の渡しは、この船着きの上流、現在の子飼橋あたりであったと地名辞典は記している)
そしてDrがこうして残してくださった写真は誠に貴重な遺産となった。
中村君の努力で、高田Dr記念写真ライブラリーの完成も待ち遠しい。
しかし万枚もあろうかという膨大な量だそうだが、傘寿爺様が生きているうちになんとかお願いしたいものだ。

       
       白川から望む船着き、左手は J 家に至る道へ、右手は刑部邸に至る       J家前の道路から白川へ下る石段

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