随分以前、熊本史談会では会員の皆さんの御宅の家紋を持ち寄って、いろいろ話が盛り上がったことがある。
家紋を調べると、それぞれの御宅の歴史が伺えるしいろんなエピソードもあって面白かった。
なかには珍しい家紋がありその図柄が文字の組み合わせでできていることを発見したりして盛り上がったりした。
「御侍帳・家紋から考える」を続けていると、どんなに調べても名称が判らない家紋に出くわす。
家紋に関する本を四冊駆使しているし、インターネットの家紋なども見ての話である。
例えば「岩間」というお宅がある。忠利の室・千代姫付で細川家家臣となった岩間六兵衛が初代だが、この人物は武田信玄の嫡男・義信の子である。
なぜ千代姫付になったのかは、徳川秀忠養女の千代姫が小笠原秀政女であったことによる。
「武田信玄嫡孫之由、甲州没落之時幼年にて母つれて立隠れ、兼て小笠原殿御懇意故育置れ候由、武田六兵衛と申候、
今度(忠利室・小笠原秀政女千代姫入輿)御附被仰付候事御断候得は、秀忠公(千代姫は姪・養女)より一通り六兵衛
を御旗本並に被召直、其上ニ而御輿入の御供可仕旨御諚二而御請申上候、此節より岩間と改候と也」
(綿考輯録・巻二十八)
そして このような家紋が紹介されている。これを理解しておかなければ、不思議なこの家の家紋は理解できない。
「御侍帳・家紋から考える」の家紋は、「熊本藩侍帳集成」の「侍帳・家紋付き」を引用しているが、そこに表示されている図はこの位の大きさである。
形としては「麻紋」だが、なにやら筋がある星形をしている。
これを大きくしてよくよく見ると6個の菱型で構成されている。つまり武田菱6個で星形になっているという訳である。
武田信玄に依り廃嫡された義信の子だが、姓を変えたがやはり武田一族としての矜持は持ち続けたのであろう、家紋にはこだわりを持っている。
正紋は「肥陽諸士鑑」では武田菱が紹介されているが、「隅切り平角に武田菱」とこの名前の判らぬ星形の家紋が紹介されている。
江戸時代の家紋デザイナーは面白いデザインを生み出したが、これは「岩間家」にお聞きしなければ正式な名称は判らない。